二十二話
「彼岸花の咲く季節が来る。赤い花はたくさんあるがその中でも彼岸花だけが悲しい響きになるのは日本人の作り出した風習なのか、それとも花自体が醸し出す雰囲気なのだろうか。
芹川のけやき道には自然が多い。川の流れの中に魚が泳ぎ、その魚を狙った鳥もいる。川の周りの草や木や花も季節によって色を変える。
そんな中、芹川のけやき道に赤色を足してくれるのが彼岸花である。
彼岸花という名前は彼岸の頃に咲くからそうあだ名のような形で呼ばれているのかと思っていたが、日本ではヒガンバナ科ヒガンバナ属として分類される多年草であった。
気になって調べてみたら意外な発見だった。別名が曼珠沙華と言い、学名がリコリス・ラジアータと呼ばれる花だが、実際には彼岸の頃に咲くことに由来する説と毒をもっている事から食べたら彼岸に行くという説があるようだ。
バラに例えて美しい花には棘があるなんて言うが、彼岸花の場合は毒があるようだ。
『美しい花には毒がある』といった感じで美しい人の中にも性格が悪く毒をもっている人がいるから気を付けようといった意味のことわざにならないか等とくだらない事を考えてしまった。
そもそもの話が私は宗教的な事に興味がなく、仏教的な風習であってもどうでもいいと感じてしまうタイプだ。私が死んだあと葬式があったとしてお経を読んでくれる人がどんな宗派なのかも知らない。
そこで調べてみたところ、彼岸とは春分の日と秋分の日を中日とする春・秋の三日間ずつを言い、地域によって呼び方が違うらしいが最初の日を『彼岸の入り』、中日を『秋分または春分』、三日目を『彼岸明け』というらしい。その期間に行う仏事が『彼岸会』と呼ばれるらしい。
さらに調べて驚いたのがおはぎとぼたもちが全く同じ物だという事だった。
あまり食べた事もないし食べていたとしてもおはぎとぼたもちを食べ比べる事もないから何かが違うのだろうと漠然と思っていた。
春に牡丹の花が咲くころに春分があるから『ぼたもち』、秋に萩の花が咲くころに秋分が来るから『おはぎ』というらしい。
今まで生きてきてただ知識として知っているつもりになっていた事がたくさんあるなと感じたと共に、死ぬまでにまだまだ学べることも誰かに伝えたいと思う事もあるのだなと感じると余命が決まっている身でありながら、生きる楽しみというやつを感じずにはいられなかった。
ただ、それでも死後の世界に関する彼岸という言葉で呼ばれるこの美しい花を眺めると寂しい思いになってしまうのだった。」
故人はきっと人との関係の中に良い思い出を残す事が出来なかったのだろう。自然を愛する事はいけない事でも変な事でもない。故人は確かに人との出会いの中に学ぶことも多かったが、それでも芹川のけやき道を通して、さらに言うならけやき道を取り巻く自然を通して何かを考え、そして学んでいるのだ。
私は日記になっているノートを机に置きスケッチブックを開いた。実際にはこんな光景はなかっただろうと思うが芹川の水際までびっしりと赤い花で埋め尽くされた絵を見た。
美しい絵だが、赤色で埋め尽くされた絵はどこか血の川のように見えて少し怖いと感じてしまった。