十五話
「共にいる人達を友達。
家で共にある人達を家族と呼ぶのなら、私には友達も家族もいないのかもしれない。
だが、私の横に現れた隣人からすれば、数時間共に座っていただけで私は友達に認定されたようだ。
ベンチは誰の物でもない、だから私が座っているベンチも私だけの物ではないがあまり広いとは言えないベンチに人が座っていたなら違うところに行くかそもそも座らないという選択肢もある。
だが彼はわざわざ私の隣に座り、何を話すでもなく座っていた。
けやきの木によって日影ができていたがそれでも真夏の太陽が容赦なく照り付けてくるそんな日だったからすぐにいなくなるだろうと思っていた。
だが、彼は一時間以上も無言でそこに座っていた。
私は我慢ができなくなって、彼に『今日は暑いですね』と声をかけた。
彼は短く『そうですね』とだけ答えた。なんなんだこいつは?と思ったが、逆に興味がわいて来て
『今日は何をしに来られてるんですか?私は絵を描きに来ているのですが?』と聞いてみた。
彼は『幼い頃を思い出しに来ました。実は末期のがんが見つかりましてね。余命宣告を受けたんですよ。』
『そ、そうだったんですね』と私はうろたえてしまった。
同年代の人のこういう話は明日は我が身と思わされるし、どう返事していいのかもわからない。そんな私に
『いつかは死ぬと思ってましたが急に言われても実感がわかないし、家族のために働いていたのに仕事ばかりでを家庭を省みない夫だと罵倒されて捨てられて、今では一人暮らしです。
私が死ぬとなっても悲しまないだろうし、財産がどうとか言われて嫌な思いをするくらいなら、このまま伝えないでおこうと思ってるんです。』
『これからどうされるんですか?』私の問いに彼は寂しそうに
『病院の終末医療を受けます。安楽死はさせてもらえないので、最後まで苦しむ事になりそうですがお医者さんや看護師さんがそばにいる状況で死ぬことができます。
一人で部屋で死んだら迷惑が掛かりますからね。』
孤独死は私にも無関係な話ではない。家族じゃなくても誰かがそばにいてくれる、そんな環境を彼は求めているという。きっと彼は私と違って人が好きなのだろう。そして、本当は家族にそばにいてほしいと思っているのではないかと私は思った。
『お子さんはおられなかったんですか?』私は奥さんに捨てられた彼に親近感を覚えたので、奥さんではない家族の存在を聞いた。
『息子と娘がいましたが、妻に言いくるめられていたんでしょうね、感謝の言葉もないままに出ていきました。必死に働いたのは妻や子供たちに幸せになって欲しかったからなのにそれを伝えないだけで家族のこと何も考えない仕事人間の烙印を押されてしまう。
働けという社会に身をゆだねすぎているのかもしれないですね現代人は。』
彼は寂しそうだった。彼が私の横に座ったのも誰でもいいから話がしたかっただけなのかもしれない。
もうすぐ死ぬと宣告されて怖くて苦しくてどうしようもないけど、そんな気持ちを話せる人もそばにいなかったから私という他人を相手に選んだのかもしれない。
彼にとって私は誰でもいい人で、こちらが話しかけなければきっと違う誰かを探しに行っただろう。
私は彼に『私も一人で生きている人間です。だから、あなたは未来の私なのかもしれない。
一人で死に対する恐怖や葛藤を抱え一人苦しんでいるかもしれない。
私にできるのはあなたの話を聞く事だけだが、それであなたが満たされるなら何時間でもお付き合いしますよ。これは未来の私に対する奉仕なんですから。』
彼はニコリと笑い、幼少期の事や仕事の事、子供たちとの思い出を語っていた。どれも楽しそうに話している彼を私は絵に描きながら話を聞いた。
あえて悲しい話や苦しかったころの話はしていないように感じたが、それで良いと思った。
彼は良い思い出を心に刻み、そして死に向かって歩を進めていくのだから。
彼は去り際に『人生最後に友と思える人ができた。あなたの未来が私のようにならない事を心から願っています。』そう言った。
私には一切そのつもりはなかったが彼は私を友達だと言ってくれた。
むず痒い感じがしたが不思議と悪い気分ではなかった。
そして彼と会う事はそれ以降一度もなかった。
彼は本当に『人生最後』の出会いを求めて私の隣に座ったのだとわかった。
友とは何で家族とは何かを考えても正解なんてありはしないが、きっと倒れそうになった時に支えてくれる存在の事をいうのかもしれない。その意味で、私は彼にとって最後の杖になれたのだろう。
私も孤独死した時のために部屋はきれいにしておこうと不謹慎ながら思った。」
楽しそうに話す男性の絵を見ながら、故人の部屋がきれいな理由がわかった気がした。
必要最低限の家具・家電に整頓された貴金属や書物。
この『彼』との出会いで、故人も備える準備をしていたのだ。
孤独死という決して逃れられない未来に対して。