十四話
故人の日記を見るようになってから少し日が経った。
街中の家やお店があった場所が取り壊されて更地になっているのを見て、いつかどんな建物があったのかも思い出せなくなるかと思うと寂しい等の日記があった。
古い物がなくなり、新しいものが生まれていく。
自然な事だし気にしなければそれまでの事なのだが、思い出のある場所なら寂しさを感じるのもわかる気がした。
「灯火の流れと共に過ぎた日を思う。
過去を思って今を生き、未来へと繋げる。
過去を乗せて未来へと船出する灯火の集まりが人の人生の縮図のように思えた。
8月になり、万灯流しの時期になった。
ご先祖の魂に見立てた灯籠を芹川に流すお祭りで、その風景はとてもきれいである。
お盆の風習にのっとったお祭りではある。
こういったお祭りには今まで縁がなかったし、あえて参加したいと思った事もなかった。
私が座っているベンチからは万灯流しのために芹川に足場が作られる作業や準備のようすが良く見えたので、今年はこの場所から眺めて見ようかと思った。
過去を生きた人達は今のこんな時代を予想できたのだろうか?
フッと頭に浮かんだ疑問だったが、すぐに自分で否定した。
予想できたならこんな時代にならないように努力したことだろう。不幸な事が起こると時代のせいにして逃げてしまうのは人間のダメなところだと思うが、同時にやり場のない怒りの逃げ道でもある。
悪い事ばかりでもない。おそらく過去の人達はこんなにも技術の革新が起こり生活が便利になっている事も予想できなかっただろう。時代の中で生きていたのに技術の進歩についていけない人だっているのだから良い意味で予想を裏切った事だってあっただろう。
川上から川下へ灯籠を流すと琵琶湖へと繋がっていく。
過去を受け止め、そして未来へと流す事によって無限に広がるとは言いすぎだが開けた琵琶湖という未来に進んでいく。
お祭りとして楽しむのも良いが、その意味するところを自分なりに考える事もまた一つの楽しみ方なのかもしれない。
多くの人に見送られて流れていく灯籠を見ながら、子供達やこれからを生きるすべての人達の未来を明るく照らしてくれるような灯籠に私もなれたらと思った。
灯籠が流れる様は美しく未来を照らしてくれているようだった。」
灯籠が芹川を流れる絵が書かれている。
残りもだいぶ少なくなってきたスケッチブックを眺めながら、終わりが近いことを感じずにはいられなかった。
故人の意思や思いを理解出きるのか不安に感じたが、それもまた一つの楽しみ方なのかもしれないと思ってスケッチブックを閉じた。