十二話
最近は少し重たい雰囲気の日記が続いていた。
梅雨のじめじめとした感じの話や街中を歩いていて、ポイ捨てされたゴミを見た時に感じた事が否定的に厳しい言葉で書かれている日記が書かれていた。けやき道から外れた場所の中でも嫌な思い出に引っ張られている印象を受けた。
清掃の仕事をしているとどうしてもポイ捨ては目に留まってしまうし、拾えるものなら拾いたいと思ってしまう。
これが職業病というやつかと思う。
そもそもの話が彦根城という観光資源により観光で盛り上がろうとする町がポイ捨てに対する対策がとれていない気がする。市内の道の路側帯にはタバコの吸い殻が落ちているし、街中からはなれた森や畑のところには不法投棄禁止の看板がたくさんある所だってある。
街中でさえポイ捨てが横行してるのだから、人通りの少ない場所での不法投棄にまで有効な対策が取れないのも仕方ない気がする。だからといってポイ捨てをしてはいけないし、させてはいけない。ポイ捨ても不法投棄なのだから厳しく取り締まるべきだ。
ポイ捨てする人は自分が犯罪を犯している事に気づくべきだし、そういう教育が今後されていくべきなのだと清掃業者としては思ってしまう。
日記を読み進めて、途中で手が止まった。
けやき道のお話である感じがしたからだった。
「竹のしなりに強さを感じ、またもろさも感じてしまう自分がいる。
しかし、まっすぐ伸びようとする姿こそが人が見習うべき本質なのかもしれない。
夏本番の暑さがやってきた。
私の座っていた場所は日差しが良く当たるので長時間は座っていられないため、歩いては座りを繰り返していた。けやき道には一か所だけ竹林のようになっている場所がある。
青々としたものもあれば、老いて茶色くなってしまっているものもある。
また、太い竹もあればまだまだか細い竹もある。
竹は生命力が強く、子孫を残す能力にも長けているため縁起物として扱われることが多い。
正月のかど松や松竹梅などがある。
様々な加工品にも使われるが、民家には植えない方がいい。
なぜなら繁殖力が強いため切っても切っても生えてくるし、その数も増えてしまい庭中が竹になる事だってあり得るからだ。
それほどに強い竹であっても密集してしまえば育ちが悪くなるし、強度も高いので折れて倒れてきたら危険があるため手入れが重要になってくる。
竹の先は細く根本にいくと太いため上の方が垂れ下がっている。
だが、折れる事はない。
風が吹こうが雪が積もろうが跳ね返し、折れる事なく空に向かって伸びていく。
伸びた先に光の世界が広がっているとわかっているから、迷いもせずにまっすぐに伸びていくのだろう。
人の世界ではまっすぐ生きても報われない事の方が多い。
だが、それは周りの影響を受けるからだ。
周りを気にせず自分を貫くだけの強さを人は持っていない。
風が吹けば押され戻され、地震が起きれば心まで揺らされてしまう。水に浸かれば体温を下げ風呂に入れば体温を上げる。
影響を受けながらも適応して暮らす事ができるのも人間だ。
私は少し周りの影響を考えすぎて、適応するのが苦手な人間なのかもしれない。
竹のように強い芯を持ち、人として適応できるようになれば私は今よりも強くなれるのではないかと風に葉を揺らしながらも根本は微動だにしない竹を見て思った。