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機械仕掛けのセイレーン  作者: 川越トーマ
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第4話 吉川ミヅキ

 ヒューマノイドと違って人間には休息が必要だ。

 その日の俺は午前中に現金強奪事件に巻き込まれ、救急病院でメディカルチェックを受け、午後は警察署で事情聴取されるという過酷な一日だった。

 それにもかかわらず社長は夜の現金輸送の仕事も俺にやらせた。

 確かに、いつもやっている仕事ではあったが、少しは部下を休ませてあげようという配慮をして欲しい。

 現金輸送の仕事が終わり、現金強奪事件やそれに続く警察署での事情聴取の内容を簡単な報告書にまとめると、夜九時を過ぎていた。


 職場を後にして夜の街を歩くと、昼間とは打って変わって人通りが多かった。

 この街はこれからが本番だ。

 俺の勤務先や俺の住むマンションがある豊洲はカジノ特区に指定され、カジノやその周辺産業の関係者、金持ち、ギャンブル中毒者、犯罪者などが集う街になっていた。

 人種も、性別も、年齢も服装も雑多な人々で表通りの歩道は埋め尽くされ、車道も恒常的に渋滞していた。

 よれよれの水色の長袖ボタンダウンに、色褪せた紺のジーンズ、ボロボロの紺のスニーカーといったいでたちの俺は、周囲とは異なる速度で、人ごみの中を縫うように歩いていた。

『まもなく帰る』

 俺は左手首に着けた携帯端末で自宅にメールを送った。

 残念ながら、メールを送った相手は人間ではなく、ホームコンピューターだ。

 一人暮らしの俺の部屋は、ホームコンピューターが何から何まで管理していた。

 帰宅を知らせるメールを送ることで、位置情報から俺の帰宅時間を推定し、俺が帰る頃には室内の温度湿度は俺の好みに調整されているという寸法だ。


 俺が住んでいたのは周囲の高層建築に紛れるように建っている幅の狭い十二階建てマンションだった。

 こげ茶色のタイル張りの外壁は新築のように見えたが、実は築五〇年ほどの中古マンションをリノベーションしたもので、最新技術が盛り込まれ小ぎれいな割には家賃が安いのがメリットだ。そのマンションの三〇二号室が俺の部屋だった。

 セキュリティシステムの掌紋認証で玄関ロビーの鍵を開け、白い宅配ボックスに俺宛の荷物がないことを確認すると、階段を勢いよく上って三階についた。

 くすんだブルーの廊下に等間隔でスチール製のグレイのドアが並んでいる。

 俺は表札のかかっていない三〇二号室のドアをカードキーと暗証番号入力で開いた。 

「ただいま」

「おかえりなさい」

 ドアを開けた瞬間、室内に照明が灯り、落ち着いた女性の声が俺を出迎えた。

 残念ながら人間の女性がいるわけではなくホームコンピューターの音声だ。

 室内の複数個所にマイクとスピーカーが設置されており、ほとんどの指示が音声入力で事足りるようになっていた。

「何か変わったこと、あった?」

 家の中は、象牙色を基調にした明るい内装だった。

 俺は玄関わきの洗面所で手洗いとうがいを済ませ、口元を白いタオルで拭いながらホームコンピューターに話しかける。

「特に何もありませんでした」

 想定通りの返事を聞き流しながら玄関の先に続くキッチンに入り、質問を続けた。

「一番最初に賞味期限が切れる食品はどれ?」

 家に持ち込んだ品物はコードを読み取り、すべての情報をホームコンピューターに把握させている。賞味期限の管理などお手のものだ。

「携帯端末にデータを送ります」

 左腕につけた携帯端末が、カレー味のカップ麺の画像と一週間後の日付を俺の眼の前に空間投影する。収納場所は「食器棚下」となっていた。

「夕飯はカップ麺で決まりだな」

 俺は淡い色合いのパイン材でできた食器棚の下の段を開けた。

「健康のために、肉類や野菜類を追加摂取することをお勧めします」

 ホームコンピューターは俺の健康を気遣ってくれたが、ない袖は振れない。

 残念ながら、冷蔵庫にその手の食材は入っていなかった。

 俺は電気ポットで湯を沸かし、カップ麺に注ぐと、キッチンの横に設けられたリビング兼ダイニング兼寝室に向かうこげ茶色の扉を開いた。


 そこは熱帯のジャングルだった。

 足元にはシダが生い茂り、頭上を木の枝や幅の広い葉が覆っている。目の前を青い金属光沢のモルフォ蝶が通り過ぎ、遠くで微かにサルの鳴き声が聞こえた。

 木漏れ日が照らす場所に青とグレーのベッドカバーで覆われたソファーベッドとガラス天板の小さなテーブルが置いてある。なかなかにシュールな光景だ。

 俺はガラステーブルにカップ麺を置くと、硬い座面のソファーベッドに深く腰掛けた。

「ジャングルもそろそろ飽きたな」

「映像を変更しますか?」

 落ち着いた感じの女性の声が返ってきた。

「天の川とか、ある?」

 ジャングルは瞬時に消え去り周囲は満天の星空になった。微かにカエルのなく声が聞こえる。

「映像はこれでいいけど、カエルの鳴き声はちょっと……鈴虫とかの方がいいな」

 カエルの声が消え去り、鈴虫の鳴き声が聞こえてきた。

 俺はくつろいだ気分でカップ麺をすする。

「ネットの動画ニュースを投影して」

 目の前に四角い画面が空間投影された。星空に半透明のパソコン画面が浮かんでいるように見える。

 早速ニュースが始まったが画面の左横には俺向けにカスタマイズされた食料品や洋服の広告が表示されていた。これがなければもっといいのにと思ったが、インターネットの動画ニュースの会社はこれが収入源なのだから仕方ない。 

『我が国における昨年の交通事故の統計がまとまりました。それによりますと交通事故による死者は十八人で過去最低を更新しました。これは人工知能による完全自動運転に移行する前の二〇〇分の一程度の数字であり……』

 画面のやや右側で机に軽く肘をついた白いスーツ姿の女性アナウンサーが俺に視線を向けていた。若く、知的で、清潔感にあふれていた。

 女性アナウンサーの背後には事故で壊れた車や、ここ二〇年間で年々減り続ける交通事故による死者数のグラフなどが映しだされている。

『主な事故原因は、急な飛び出しなどが五十六パーセント、整備不良などが二十八パーセント、マニュアル運転による操作ミスなどが十一パーセント……』

 グラフが切り替わり、事故原因を表示した円グラフになった。

〈今時、マニュアル運転なんかする奴いるんだ〉

 現在、道路を走っているのは、ほぼ一〇〇パーセント自動運転車両だ。

 ただ、緊急時に対応するため、多くの車がマニュアル運転もできる仕様になっており、結果的に運転しないにしても運転免許証を持った人間が車両運行責任者として運転席に座ることが義務付けられていた。

 なかには緊急時ではなく純粋に運転を楽しみたいがためにマニュアル運転を行う者もいたが、そういった人間ほど運転技術の未熟な者が多く、他の車両に迷惑をかけて問題になっていた。

『次のニュースです。人工知能を搭載した兵器の制限交渉がスイスのジュネーブで開催されています』

 歩きながら日本の記者団の囲み取材を受けているブルドッグのような顔の中川外務大臣の画像になった。

『アメリカ、中国、ロシアなど、すでにいくつかの国では人間の殺戮を目的とした人工知能搭載兵器が実用化されていますが、人工知能を軍事利用することに関して人類滅亡の危機を招くと主張する国も多く、日本は人工知能を搭載した殺戮兵器について、製造も保有も持込も許可していません。今後、世界がこうした兵器に何らかの制限を設けることができるかが注目されています』

 中川外務大臣の不機嫌な顔が画面に大写しになった。何本ものマイクを向けられていたが、口を開く様子はなかった。

〈人工知能の製造は日本の主力産業だからな。いろんな圧力がかかってんだろうなあ〉

 日本の人工知能基本法では、数百年前のSF作家アイザック・アシモフが提唱した次のような「ロボット工学三原則」の内容を最上位命令として人工知能に設定することが義務付けられていた。

 第一 人工知能は、人間に危害を加えてはならない。

    また、予想される危険を見過ごすことで人間に危害を及ぼしてはならない。

 第二 人工知能は、人間から与えられた命令に服従しなければならない。

    ただし、与えられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。

 第三 人工知能は、前二条に反する恐れのない限り、自己を保全しなければならない。

従って、日本ではこの法律を改正しない限り、殺人が可能な軍用ヒューマノイドの存在そのものが違法だった。

『次のニュースです。朝鮮のチェ・デジュン大統領の来日を三日後に控え、各地で来日を反対する集会が行われています。そのため、首脳会談の会場となる湾岸エリアでは厳戒態勢が敷かれており……』

 画面には、黒いセルフレームの眼鏡をかけた特徴のほとんどない四角い顔のおじさんの画像が映しだされていた。

 そのタイミングでテレビニュースを遮るように電子音が鳴り響く。

 音源は俺の左腕の携帯端末で、珍しいことにサウンドオンリーの音声通話だった。相手の端末番号は俺の母親のものだ。

「カケル?」

 確かに母親の声だったが、気のせいか別人のように明るさに欠け、少し沈んでいるような気がした。

「何だよ。用があるならメールにしろよ」

 本当は声をきくことができて嬉しかったが、心とは裏腹に憎まれ口が口をついた。

「声が聴きたくてね……ねえ、ちゃんとごはん食べてる?」

「食べてるよ」

 俺は手に持ったカップ麺に視線を落とした。母親は何でもお見通しだ。

「仕事はどう?」

「ん、まあまあだ」

 さすがに警察署で事情聴取を受けたなんて言えなかった。

「たまには帰っておいでよ」

「そのうちな」

 俺にとっては群馬までの電車賃も貴重だった。

「ねえ、彼女とかできた?」

「大きなお世話だよ」

「ところでね……」

 母親は急に言い淀んだ。気まずい沈黙が流れた。

「何?」

「実は、東京に行ったミヅキちゃんなんだけど……」

 意表を突かれた。何で、ミヅキの話題?

 それに、どうしてミヅキの話題でこんなに声が暗いんだ。

「吉川がどうかしたのか?」

 うろたえた自分の態度が急に恥ずかしくなって、俺は慌てて付け足した。

「……別に興味ないけど」

「あのね、半年前に亡くなったんですって」

他の音がすべて消えた。

「は?」

 質の悪い冗談だ。

 息子を担ごうとするにも度が過ぎている。

 母親の沈黙が息苦しかった。

「何、言っちゃってんの」

 俺は自分の声が震えていることに気がついた。

「マニュアル運転の自動車にひかれたんですって」

「嘘だろ……」

 頭の中が真っ白になった。

 周囲の星々が輝きを失った。

 そんな話は聞きたくなかった。

 一生聞きたくなかった。


「どうしたの? カケルくん、大丈夫? 血が出てるよ」

 吉川ミヅキと初めて同じクラスになったのは小学四年生の時だった。

 当時から俺は喧嘩がとても弱いくせに、喧嘩っ早かった。

 その日も原因は忘れたが昼休みに校庭で上級生に食って掛かり、しこたま殴られて頬に傷を造っていた。

 五月の良く晴れた日だったように記憶している。

「うるせえなあ」

 教室に戻った俺の顔の傷にミヅキが気付き、俺の方に近づいてきた。

 ミヅキは黒目がちの優しい眼差しを俺に向け、心配そうな表情を浮かべていた。

結んだり編んだりせず、髪飾りもつけていないストレートのセミロングの髪型で、つややかでサラサラな黒髪だった。

どちらかというと物静かなタイプで、服装も地味だったので、当時はあまり目立つ存在ではなかった。

 その時も黒とグレーのワンピース姿だった。

「ちょっと、ミヅキやめなよ」

 俺の険しい目つきにたじろいだ黄色い服を着た彼女の友達がミヅキの袖口を引っ張ったが、ミヅキはそれにかまわずじっと俺の傷口を見つめていた。

「なんだよ」

 石鹸のいい香りがして、俺はなぜか胸が苦しくなった。

「保健室、行った方がいいよ」

 怪我をしたら保健室というのが小学生の常識だ。

 しかし、保健室に行けば、喧嘩が原因だとすぐにバレて、喧嘩の相手や喧嘩の原因を根掘り葉掘り聞かれ、双方の親に連絡されて面倒くさいことになることを俺はすでに学習していた。

「行かねえよ」

 ミヅキは小さなため息を漏らすと俺に背を向け、自分の席に戻っていった。

 彼女の席は廊下側の前の方、俺の席は窓側の後ろの方だった。

 俺はミヅキのことはなかったかのように自分の席に着いた。

 窓の方を向き、体育の授業のために校庭に出てきた低学年の様子を眺めていると、窓の反対側から声をかけられた。

「ねえ」

 振り返った瞬間、頬を冷たい感触が包んだ。

「なんだよ」

「動かないで」

 ミズキが俺の頬に濡れたハンカチをあてていた。

 優しく傷口をぬぐう彼女の真剣な眼差しに俺は抵抗する意欲を失った。

「この大きさで大丈夫かな」

 ミヅキはそう言いながら手にした絆創膏を俺の傷口に当てた。

 頬に感じるミヅキの指先の感触がこそばゆかった。

「いいよ。そんなことしなくて」

 俺の声は自分でもわかるほど弱々しかった。

「だって保健室に行きたくないんでしょ」

 ミヅキは俺にやわらかい笑顔を向けた。

 理由はよくわからない。

 その瞬間から俺の心はミヅキの虜になっていた。


「ミヅキ、高校はどうするんだ?」

 中学三年生の二学期、俺はミヅキの隣の席に座っていた。

 小学校四年生のときから奇跡的にミヅキと同じクラスが続いていたが、ミヅキの席の隣になれたのはこの時が初めてだった。

 ミヅキは意外そうな表情を浮かべ、次に柔らかい笑顔を浮かべた。

 つややかなセミロングの髪、抜けるように白い肌、黒いセーラー服がよく似合っていた。

「カケルくんの方から話しかけてくれるなんて珍しいね」

「ああ」

 俺は耳が赤く染まるのを感じながら、気の利かない返事をした。

 進路相談の三者面談の通知を受け取った日の昼休みの終わり間際のことだった。

 この頃、ミヅキは穏やかな性格と優秀な成績でクラスの人望を集めており、周囲に他の女子がいないタイミングは少なかった。

 せっかく隣になったのだから本当はもっと話しかけたかったのだが、女子たちのトークに混じることも、他の女子を押しのけてミヅキに話しかけることも俺にはできなかった。

 女子たちのトークに自然に混じることのできる器用な男子がうらやましかった。

「高校にはいくよ」

 当たり前すぎる答えが返って来て、俺は少し落胆した。

「私にはね、ヒューマノイドの研究をしている年の離れたお姉さんがいるの」

 紋切り型の返事では終わらず、ミヅキは言葉を続けた。

 俺は小躍りしそうになった。

「そうなんだ」

「私にとっては憧れのお姉さんよ。私もお姉さんみたいになりたいなって思ってる。大学は工学系を考えてるの。だから高校は理系の大学に強いところがいいなって。カケルくんは?」

 穏やかな表情、静かな声だったが、俺にはミヅキがとても眩しく感じられた。

 しかし、彼女のような将来への展望は俺には何もなかった。

「俺も高校にはいくよ。でも、どの高校に行くかは決めてない」

 それだけ言うのが精いっぱいだった。

「いっしょだね」

 ミヅキは柔らかく微笑んだ。

 しかし、学力の差が大きいので、一緒でも何でもない。

 ミヅキは進学する高校を選ぶことができたが、俺には入ることのできる高校が限られていた。

 俺は心の中に切ない思いを抱えながら、ミヅキの笑顔を必死で心に焼き付けた。

 六年前から俺の心を占領しているミヅキの笑顔は、昔に比べると少し大人っぽくなっていた。


 ミヅキが東京の有名進学高校に合格し、東京の姉の家から通学することになったと知ったのは、それから三か月後のことだった。


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