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機械仕掛けのセイレーン  作者: 川越トーマ
3/16

第3話 豊洲警察署

「脾臓破裂、肋骨二本を粉砕骨折、重傷だ」

 俺の正面に座っていたダークグレーの背広を着た白髪交じりの痩せた刑事が、淡々と俺に告げた。

 垂れ目気味で額のしわが深く、疲れたような雰囲気が漂っていた。

 ちなみに、刑事が言った怪我人は俺のことではない。

 俺を鉄鞭で殴ったクソ野郎のことだ。

「そいつはよかった」

 正直にほっとしていたら、横で机をたたく大きな音がした。

「貴様ふざけてるのか!」

 見ると獰猛な肉食獣の雰囲気を漂わせた黒い獣耳のヒューマノイドが、腰を浮かせて俺の方に鋭い視線を送っていた。細面で目も細く鋭かった。

 服装は白髪交じりの痩せた刑事と同じでダークグレーの背広姿だった。

 シェパードの声にどことなく似ていた。

 こいつもシェパードと同じナカジマ重工の製品なのだろうか。

 どうも怒りを表現しているらしいが、機械のくせに生意気だ。

 あらためて周囲を見回すと、そこは俺と白髪交じりの刑事と黒い獣耳のヒューマノイドしかいない粗末で狭い部屋だった。

 壁も天井も床も薄汚れたクリーム色で、床のピータイルが所々、割れてはがれ、調度は小さな灰色のスチール製の片袖机一つと、青い座面のパイプ椅子が三脚だけだった。

 扉はブルーグレイに塗装された鉄製で小さなガラスの覗き窓がつき、扉の反対側には白い窓枠の小さな窓が一つ設けられていた。印象的なのは、いずれの窓にも、鉄格子がはまっていることだ。

 とても快適とはいいがたい空間だった。

「ふざけてなんかいない。てっきり死んだもんだと思っていたからな。生きていて何よりだ。それに肋骨だったら俺だって折れている」

 俺は少し頭を冷やしてから敵意丸出しの視線を黒い獣耳のヒューマノイドに向けた。

「ああ、でもお前の場合は粉砕骨折とは程遠く、ヒビが入った程度で、通常の生活を送る分には全く影響がないそうだ」

 白髪交じりの痩せた刑事はパイプ椅子に深く腰掛けた姿勢のまま、感情の読めない視線を俺に向けた。

 俺と強盗たちは警察官付き添いの下、近くの豊洲救急医療センターに搬送されてメディカルチェックを受けた。

 この忌々しい豊洲警察署の取調室に連れてこられたのはその後だ。

「折れてないだって? あの病院はヤブだからな。あてになるもんか」

 俺は吐き捨てるように言った。今も、ものすごく脇腹が痛い。

 骨折の有無はともかく、普段の生活が支障なく送れるとはいいがたかった。

「豊洲救急医療センターは昨年十二月から画像診断に人工知能を導入している。人間よりも読影は正確だ」

 白髪交じりの刑事はまるで動じる様子もなく、即座に言い返した。

 ちなみに読影というのは、レントゲン写真を見て傷病の有無を判定することだ。

「けっ」

 これ以上言っても仕方がないので、口をつぐまざるを得なかったが、そのまま黙っているのは癪だった。何から何まで気に入らない。

「俺は犯罪の被害者だと思うんだが、だいたい何故こんな辛気臭い部屋に押し込められているんだ?」

 俺は白髪交じりの刑事に挑戦的な視線を向けた。

 小さいころから可愛げがないとか生意気だとかさんざん言われてきた原因となったのは、この目つきだ。

「生憎、他にいい部屋がなくてな。それに取調室を使うっていうのも、あながち間違いじゃないぞ。俺の眼の前に座っている男は傷害事件の容疑者でもあるわけだし」

 声を荒げることもなく淡々とした答えが返ってきた。

 垂れ目気味の刑事の視線からは特別な感情を読み取ることはできなかった。

「正当防衛だろうが」

 俺も感情を押し殺して言葉を返した。

「過剰防衛って言葉は知ってるか?」

「相手は武器を持ってたんだぜ、それも、かなりヤバい奴。逆にこっちの警棒は法定基準をクリアした規格品だ。使う暇もなかったしな」

 法律で警備員に許されている武器は警棒だけだった。

 伸ばした状態で長さは一メートル以内、重さは一キロ以内、相手の皮膚を傷つけないように滑らかな表面処理がされていることが条件で、違法改造のヒューマノイドが犯罪に使用されることがあるため、電子頭脳を停止させる電撃機能をつけることは許されていた。

 それに対し、相手の使用した『鉄鞭』は中国武術のマニアならおなじみの代物で、水滸伝の呼延灼や、封神演義の太公望が使用していた打突武器だ。

 斬ることを目的にしていないので、相手が防刃チョッキを着ていても関係なく武器としての効力を発揮する。また、丈夫で刃こぼれしないので、乱戦に向くというメリットもあるらしい。

 そんなものを選んだ時点で、使用者が武術に通じた危険人物だということがわかろうというものだ。

「素手で戦ったとは言えないぞ。その義手は何なんだ。そっちの方が武器としては警棒よりもヤバいだろ」

 俺が明後日の方向に考えを巡らせていると、白髪交じりの刑事はしわしわの細い指で俺の右腕を指さした。

「武器じゃない。義手だ」

 俺は生身の左手で硬く冷たい右腕を握りしめた。昔は血が通って温かかった。好きで義手になったわけじゃない。

「超硬合金製である必要がないだろ、普通の生活なら軽量アルミ合金製で十分だ。それに握力設定はどうなってるんだ? 相手の使っていた金属製の棒が変形していたぞ」

「二度と切り落されないような丈夫な腕にしたかっただけだ……この腕は去年強盗に日本刀で切り落されたんだ。とやかく言ってほしくない」

 俺の脳裏に、その時の記憶が鮮明な映像となって蘇る。

 俺は現金の入ったジェラルミンケースを奪われそうになった。

 カジノから出て現金輸送車に乗り込む直前だ。

 シェパードは対ヒューマノイド用の強力なスタンガンで一時的に電子頭脳の機能を奪われた。

 現金が強奪されることを防ごうと、俺は咄嗟に自分の右手首とジェラルミンケースの取手を手錠でつないだ。

 それで、力づくで奪い取ることはできなくなるはずだった。

 しかし、相手は躊躇しなかった。

 俺の右腕を日本刀で切り落し、俺の右腕ごとジェラルミンケースを奪って逃げたのだ。

 残念ながら制服の防弾防刃機能は、ベストのように胴体部分に施されていただけだったので、右腕までは守ってくれなかった。

 俺の右腕を切り落した男は、大きなマスクをした目が細いオールバックの男だった。

 背はさほど高くないが肩幅が異常に広く、アメフトの選手のような立派な体型だった。

 青いワイシャツに濃紺のスラックス、黒い革靴というサラリーマンのような格好をしていた。

 日本刀は脇差と呼ばれるサイズの短いもので、小型のゴルフバックに入れて運んでいた。

 表情というものが一切なく、俺の腕を切り落した時も何の表情も浮かべなかった。

 そして、そいつはまだ捕まっていない。盗まれた金は約二億円だ。

 金銭的な損害は保険でカバーできたが、俺の右腕は失われたままだった。

「災難だったな……君の名前は?」

 白髪交じりの刑事は、俺の身の上話に特別の興味は示さなかった。

 きっと仕事柄、数限りない不幸を見て、聞いて、感度が鈍っているのだろう。

 それがまた俺の神経に触った。

「そういうあんたの名前は?」

「ふざけるな。尋問しているのはこっちだぞ!」

 また、横から黒い獣耳のヒューマノイドが口をはさんだ。

「人に名前を聞くときは自分が名乗ってからと学校で教わらなかったか?」

 俺はテンプレートな対応を繰り返すヒューマノイドに冷ややかな視線を向けた。

 どんな馬鹿が会話のサンプルを提供したのだろう。

「なんだと!」

 面白いくらい予想通りの反応が返ってきた。

「まあ、いい。俺は吾野アラタだ」

「そんな! おやじさん」

 白髪交じりの刑事に視線を戻すと、彼は口元に笑みを浮かべていた。

「元気のいい坊やは嫌いじゃない……最近のヒューマノイドは怒ったふりもできる。器用なもんだろ」

 吾野刑事が俺に話しかける目の色は優しかった。俺は毒気を抜かれた。

「ショウブカケル」

「は?」

「俺の名前だ」

「勝負かける? おかしなハンドルネームだな」

「うるせえな、本名だよ」

「じゃ、ここに名前を書いてくれ」

 吾野刑事は俺に紙とボールペンを差し出した。

「ほお、ショウブって、しょうぶ湯の菖蒲ね」

「なんだ? しょうぶ湯って」

「学がないな、近頃のガキは。菖蒲湯っつうのは、端午の節句に入る菖蒲の葉が入った風呂のことだよ」

「じじいの文化に興味はねえ」

「じじいねえ……こう見えても、まだ還暦前だぞ」

「俺もガキじゃねえ」

「そいつは悪かった。で、勤務先は?」

「知ってるだろ」

「湾岸警備保障の社員ってことでいいのか?」

「ああ」

「去年の四月から?」

「そうだ」

「入社してすぐに仕事で右手をなくしたわけか。災難だったな」

「まあな」

「御両親も悲しんだだろ」

「親には言っていない」

「そうなのか?」

「ああ」

「なぜ?」

「仕事を辞めろとか言いそうだからな」

「ふ~ん、じゃあ親御さんと一緒に住んでるわけじゃないのか?」

「群馬の実家にいる。俺は豊洲の中古マンションで独り暮らしだ」

「そうか。親御さんは健在なのか? 年齢は俺くらいか? 俺は今年五十五歳だが」

 五十五歳にしては随分と老けた感じだった。五十三歳の俺の親父よりも一回りくらい上に見える。

「元気だ。親父は高校の教員、おふくろは介護施設に勤めている……って尋問がうまいな」

「仕事だからな。こんなことを三十年以上もやっている。俺は今、ヒューマノイドのドーベルマン刑事に尋問のノウハウを教えている真っ最中ってわけだ」

 吾野刑事はにやりと笑った。

 そうか、あの黒い耳はドーベルマンの耳というわけか。

 しかし、ドーベルマン刑事なんて、大昔の漫画みたいなネーミングだ。

「ヒューマノイドって、刑事に向かないと思う」

「なんでだ?」

「だって容疑者を締め上げたりできないだろ。さっきみたいに脅かしても、どうせ口先だけだってわかってるし」

「まあな、だが人間だって容疑者に手を出せるわけじゃないぜ」

「でもヒューマノイドは絶対だ。人間のように感情に流されて暴発することはない」

「役に立つのさ、人間以上に。供述調書を素早くまとめたり、供述の論理的な矛盾を追及したりするのは人間よりもうまい」

「そうなんだ」

「それに、いざというときの腕っぷしも、人間とは比較にならない。だから、おたくの会社も警備業務にヒューマノイドを使ってるんだろ」

「まあな」

 確かに突進してきた中型バイクを受け止めるなんて芸当は人間には不可能だ。

 シェパードがいなければ、俺はバイクにひかれて大怪我をしていたに違いない。

 そして、現金は奪われていただろう。

「そういうことで、警官も今じゃあ二人に一人はヒューマノイドだ」

 吾野刑事の表情は少し寂しそうだった。

 そういう顔をすると、ますます年寄りじみて見える。

 最初は吾野刑事のことを嫌な野郎だと思ったが、妙に親しみを感じるようになっていった。

 結局、その後、俺はどんな状況で襲撃を受け、どんな風に撃退したかを詳細に説明した。

 たっぷり三時間以上かかっただろうか。気が付くと夕方になっていた。


「君ねえ、困るんだよ」

 甲高い声が警察署のロビーに響いた。

 ロビーは小中学校の教室ほどの広さで、灰色の床には黒い合皮張りの長椅子がいくつか置いてあり、クリーム色の壁に設けられたスクリーンでは高齢者の詐欺被害に注意を促す若いアイドルの動画が繰り返し再生されていた。

 夕方遅い時間ということもあって、ロビーには俺と声の主の他にはほとんど人がいない。

 カウンターの向こう側に座っていた制服姿の若い男性警官が、何事かと顔をあげる様子が目に入った。

 俺に向けて甲高い声をあげていたのは、痩せて背の高い、そこそこのイケメンだった。

 黒いセルフレームの細身の眼鏡をかけており、鼻が高く、きれいな白い歯が印象的だ。

 服装も、しわのない濃紺のスーツ、糊のきいた白いワイシャツ、黄色いドット柄の深い色合いの青いネクタイ、ピカピカに磨いた黒の革靴。どこに出しても恥ずかしくない上品な装いだった。

 しかし、甲高い声と身にまとった独特の雰囲気が、上品な装いを台無しにしている。

「君が余計なことをしてくれたおかげで、午後の仕事に穴が開くところだったじゃないか!」

 甲高い声の主はうちの社長だった。名前は影森ショウ。

 俺のことを迎えに来たらしい。御苦労なことだ。

 大企業だったら迎えに来るのは課長かなんかの中間管理職なのだろうが、うちは人間の従業員が影森社長を含め四人という零細企業だ。

 そもそも管理職といえるのは影森社長しかいない。

「ああ、すいませんでした」

 俺は口先だけ謝罪の言葉を述べた。心がこもっていないのは言った本人にも分かった。

「まったく、君のせいで僕が現金輸送車に乗る羽目になったじゃないか!」

 俺は無言で影森社長の顔を見返した。

 そもそも、この社長は自分で苦労して会社を立ち上げたわけではない。

 親の財産を引き継いだ二代目だ。

 たまには現場仕事も経験して、下々の人間の気持ちを知ることもいいことだと俺は思った。

「ああ言ってますけど、社長も心配してたんですよ」

 社長の後ろで影のように佇んでいた黒いスーツ姿の女性が、ふんわりと柔らかい声で俺に話しかけてきた。

 シルクのように艶やかなロングの黒髪に、ネコのような白い獣耳、滑らかな白い肌に整った優しげな顔立ち、モデルのようなすらりとしたスタイルでありながら豊満なバスト。しなやかで優雅な動き。とても魅力的な女性型ヒューマノイドだった。

 同僚の話では、ナカジマ重工製の事務処理用ヒューマノイドをラブドールの老舗メーカーであるトウヨウ工業がカスタマイズした逸品で、風俗業界で絶大な人気を誇っているモデルらしい。値段もシェパードの五割増しという話だ。

 彼女がわが社の事務仕事一切を取り仕切り、影森社長の公私にわたるお世話をしているレイチェルだった。

「そうだ、とても心配したんだぞ。仕事に穴が開くんじゃないか。会社の信用に傷がつくんじゃないか。公安委員会に警備業務の認可が取り消されるんじゃないかとか」

 社長本人の弁によれば、別に俺のことを心配していたわけではないらしい。

 レイチェルのせっかくのフォローがぶち壊しだった。

「はあ」

 俺は思わず大きなため息を漏らした。

 影森社長はそれを聞き咎めて細い眉を吊り上げた。

「何だろうねえ、この態度は。まったく! しっかり働いて、その高価な義手の代金をとっとと会社に返して欲しいもんだ」

 俺は毎月の給料から義手の代金を分割で差っ引かれていた。

 それは、毎晩酒を飲みに行けるくらいの金額で、そのおかげで俺の毎月の生活はカツカツだった。

「そもそも俺が義手になったのは労災だろうが!」

 俺は二回りくらい年上の社長を相手に声を荒げた。

「治療費と、通常の義手と、お見舞金もつけるといったのに、馬鹿みたいに金額の高い特注品を希望したのは君の勝手だよね!」

 影森社長はキンキンと頭に響く高い声を発して唾をまき散らした。

「俺は絶対に切り落されない腕が欲しかっただけだ!」

「超硬合金製の義手なんて、オーバースペックもいいところだ。一体いくらしたと思ってる。東京に戸建てが建つぞ」

「この金の亡者め!」

「社長に向かって、その口の利き方は何なんだ……あぁレイチェル、すごく疲れたよ。あとで慰めてくれるかい?」

 影森社長は後ろを振り返り、急に甘えた声を出すとレイチェルの肩に手を置いた。

 指先の動きが、ものすごく卑猥だった。

 カウンターの向こうの警察官が思わず目をそらす様子が俺の視界の隅に入る。

〈変態です。変態がいます! お巡りさん、見て見ぬふりをしないで逮捕してください!〉

「もう、社長ったら、甘えんぼさんですね」

 レイチェルは妖艶な表情を浮かべながら、手のひらを優しく影森社長の胸に添え、砂糖菓子のような甘い声を漏らした。

 この一連の反応は、きっと、社長の好みを学習した結果なのだろう。

 俺や警察官など、ロビーにいたすべての人間は、恥ずかしさのあまり、口を閉じた。


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