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機械仕掛けのセイレーン  作者: 川越トーマ
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第1話 現金輸送車

 人間とは愚かしい生き物で、何かを失うまで、その有難さに気づくことができない。

 大概の場合、失ってしまってから、もっと大切にすればよかったと嘆くものだ。

 そして、俺は間違いなく、愚かな人間の一人だった。

 俺は、白い皮手袋に覆われた自分の右の掌を目の前に掲げ、ゆっくりと握りしめてみた。


 俺は大きめのワンボックスカーに乗っていた。車高が高く視野も広い。

 外は薄曇りのはっきりしない空模様で、ぼんやりした陽の光が斜めに辺りを照らしていた。

 車は、巨大な建物の林立する片側二車線の広い道路を法定速度をきちんと守り、滑らかに進んでいた。通行量は極めて少なく、周囲に他の車の姿はない。

 横に数人が並んで歩けるほど幅の広い歩道も人影はまばらで、散歩中と思われる老婆や、取引先に向かうらしいビジネスマン、素性の良くわからない中年男など多様な人間が、ある者はのんびりと、また、ある者は速足で歩いていた。

 四月下旬にもかかわらず肌寒く、長袖を着ている人が多かった。

 そこは、カジノ、リゾートホテル、遊園地、大型商業施設など、人間のあらゆる欲望を満たす夢の島、東京湾に浮かぶ人工島だった。夜間や休日は様々な人間でごった返すのが常だが、今は平日のしかも午前九時ということもあって、道路も歩道もガラガラだ。


 俺は運転席に座ってはいたものの自動運転なので特に何もすることがなく、視界の隅でハンドルが勝手に動いているのをぼんやりと眺めていた。

「はあ」

 退屈な気分が溜息となって思わず俺の口から洩れた。

 電気自動車ということもあり車内はとても静かで、俺のため息は意外な大きさで響いた。

「どうした? カケル」

 左の方から低く張りのある声が話しかけてきた。目を向けると、助手席には正面を向き周囲に目配りする若い男がいた。

 紺色の警備会社の制服に身を包み、凛とした雰囲気だ。中肉中背だが、肩幅が広く、胸板も厚くたくましい。

 彫が深く、精悍で、警官や軍人だと紹介されれば、十人中八人までは疑いなく信じるような面構えだ。

 短かめの焦げ茶色の頭髪からは彼の名前の由来となった警察犬に用いられるシェパードのような黒と焦げ茶のまだらの耳がピンと生えており、逆に人間の耳がある場所は髪の毛で覆われていた。

「別にぃ」

 返事をする必要はなかったが、俺は男を見つめ不機嫌に声を返した。

 俺の視線を感じてシェパードは俺のことを見つめ返す。瞳の奥で光の輪がくるくると回っていた。

 獣の耳も瞳の奥の光の輪も、彼がヒューマノイド、すなわち、人間そっくりに作られた人工知能搭載の自律型ロボットであることの証だ。

 逆にそれ以外は、皮膚の質感も、顔の造作も、表情も、仕草も、普通の人間とまるで区別がつかない。強いて相違点をあげれば、生臭い体臭がない代わりに微かに潤滑油の匂いがすることくらいだろうか。

「退屈なら話し相手になるぞ。カケル」

 随分と配慮に富んだ人工知能だった。

 発音も、声のトーンも普通の人間と何ら変わるところがない。大したものだ。

 しかし、数か月前『何か話をしてくれ』と曖昧に注文したら、彼は東京臨海部の埋め立ての歴史とか、彼の製造元であるナカジマ重工の歩みとか、俺にとっては全く興味のないことを延々と話してくれた。

「いや、結構だ。仕事に専念してくれ」

 特に話題を思いつかなかった俺はシェパードを軽くあしらった。

「冷たいなカケル。ヒューマノイドは嫌いか? それとも好みのタイプの女性ヒューマノイドなら違った対応をするのか?」

 世の中にはヒューマノイドに特別な感情を抱く奴もいた。本物の異性そっちのけでヒューマノイドに夢中になり、恋愛や性欲の対象にするのだ。

 夜の街には『特別製の』ヒューマノイドが客の相手をする風俗店すら存在した。

 確かにヒューマノイドは美男美女ばかりで、従順で、人間を意図的に傷つけたり、裏切ったりしない。

 ヒューマノイドを愛好する人間をまったく理解できないわけではなかったが、そういう趣味嗜好の人間は、アブノーマルな人間として扱われた。

 俺はノーマルな人間を自負しており、そういう趣味は持ち合わせていないと確信している。

「ヒューマノイドが嫌いだからじゃなく、単にシェパードのトークがへたくそだからだ」

「酷いな、カケル。そんなことでは彼女ができないぞ」

 シェパードは、ここ数ヶ月間の学習で人間とのコミュニケーション能力が驚くほど向上していた。

 しかし、俺たちの提供するサンプルデータが悪かったらしく、人間の感情の機微に配慮するという能力は逆に低下してしまっていた。

 このときも、俺にとっては嫌な話題を表情も変えずに淡々と返してきた。もの凄く腹立たしい。

「大きなお世話だよ。つうか、誰だよ、そんなパーソナルデータを提供したのは!」

「社長がレイチェルに言っていた。『カケルもユウマも彼女がいなくて可哀そうな奴らだが、君は彼らに心も身体も許しちゃだめだよ』と」

「あの変態野郎ぉ」

 俺は、痩せて背の高い一見優しげでそこそこのイケメンながら、むかつくほど嫌味なうちの社長の顔を思い出して低い声で唸った。

 彼は金持ちで、一流大学出身で、容姿にも恵まれていたが、四十過ぎで独身だった。結婚歴もないと聞いている。

 ちなみにレイチェルというのは見目麗しい女性型ヒューマノイドで、うちの会社の事務仕事一切を取り仕切っていた。

 社長はレイチェルを溺愛しており、世間一般の基準から言えば、アブノーマルな人間にカテゴライズされるレベルだった。

「言葉遣いが悪いな。カケル」

「ふん!」

 俺はシェパードから顔を背けると、対向車線のさらに向こう側の歩道に目を向けた。

 人影のまばらな歩道を背筋を伸ばして滑らかに歩いている女性の後姿が目にとまる。

 セミロングのストレートでつややかな黒髪、華奢で小柄な体形だ。ベージュのスプリングコートを羽織り、同系色のスカートの裾がのぞいていた。靴はヒールの低い茶色の革靴。

〈ミヅキ……〉

 その女性の後姿は、俺の好きだった少女によく似ていた。

 この付近の大学に通っているはずなので偶然出会ったとしてもおかしくない。俺は淡い期待に胸をざわつかせた。

 車はあっという間に女性に追いつき、そして追い越した。

 振り返って顔を見ると、切れ長の目をした硬質な美しさの女性だった。

〈違う、ミヅキはもっと柔らかい優しい目をしていた〉

 思い過ごしに落胆した瞬間、俺の心の中はあっという間にミヅキの思い出に満たされた。


『ミヅキ、東京に行っても私たちのこと、忘れないでよね』

 中学生のミヅキをクラスメートの女生徒たちが囲んでいた。

 彼女たちはセーラー服姿で手には卒業証書の入った白い紙の筒を握っていた。

 ミヅキは優等生で、人気者で、クラスの中心的な存在だった。

『忘れないわよ』

 ミヅキは黒目がちの優しい眼差しをクラスメートたちに向け、柔らかい笑みを浮かべていた。

 つややかな絹のような黒髪はセミロングのストレートで、透明感のある白い肌は清潔感にあふれていた。

 ミヅキは朗らかではあったが、それは太陽のような強烈な明るさではなく、控えめでぼんやりとした月のような明るさだった。

 激しい感情を爆発させるようなことはなく、いつも穏やかで、決して人の悪口を言わなかった。陰口を耳にすると、少し悲しそうな愁いを帯びた表情を浮かべるのが常だった。

 争いごとは徹底的に嫌いで人が傷つくことを極端に嫌っていた。

 きっと、いろいろ我慢するタイプなのだろう。短気でけんかっ早い俺とは正反対だ。

『なんだよ。やっぱり引っ越すのかよ』

 俺は女生徒たちから少し離れたところから横目でミヅキの様子をうかがっていた。

 情けないことに、その時の俺は、直接、彼女に声をかけることができなかった。


『ミヅキちゃん、東京の豊洲工科大学に行くんだって。優秀よね、彼女。あんた、東京に行ったら会えるかもね』

 ミヅキとは別の高校に通って三年が経とうとしていた。

 高校の卒業を控え、二月になってようやく東京に就職することが決まったとき、髪の毛に白いものが混じる丸顔で垂れ目気味の俺の母親がそんなことを言った。

 俺と二人きりで夕食を食べているときだった。

 ミヅキの母親と俺の母親は、小学校の時も中学校の時も一緒にPTAの役員をやった間柄で、ミヅキが中学を卒業した後も連絡を取り合っていた。

 しかし、俺はミヅキの連絡先を知らなかった。

『会わねえよ』

 ちゃぶ台に座り野菜炒めを頬張っていた俺は、茶碗を手にしたまま母親から視線を外した。

 口をついて出た言葉とは違って、心の中ではミヅキと出会うことを望んでいた。

 母親にミヅキの連絡先を教えてくれと懇願するのが賢い選択なのかもしれなかったが、そんなことは恥ずかしくてできなかった。

 当然、上京して一年が過ぎた今でも偶然ミヅキに出会うことなどなかった。


『目的地に到着しました。停車します』

 自動運転を担当する人工知能が低く落ち着きのある女性の声で俺に告げた。

 車はゆっくりと減速し車道の左側に寄っていく。そして歩車道分離ブロックにタイヤをこすりつけるように停車した。

 歩道の向こうには、ガラスを多用した優美な円筒形の高層建築物が建っていた。カジノを併設した大型リゾートホテル「ヴァルハラ東京」だ。

 思わず見上げると、外壁が斜めに降り注ぐ陽の光を反射して、美しく煌いていた。

 地上八十八階と、湾岸エリアでは随一の高さを誇る繁栄の象徴のような建物だ。

 残念ながら俺たちが停車したのは豪華な正面エントランスではなく、カジノの従業員用に設けられた小さな通用口の前だった。おまけに建物までは歩道から十数メートルの距離がある。

「まったく、イラっとする構造だよな」

 出入り口に横付けできるようにして欲しかった。

 俺は背後から車が来ないことを確かめながら、運転席側のドアを開く。 

 小柄な俺は白いヘルメットを頭に被り、スモークドグラスのバイザーを下ろすと、左の腰に下げた金属製の警棒を押さえながら高い位置の運転席から道路に飛び降りた。

 微かな潮のにおいが鼻を突く。海が近いしるしだ。

「留守を頼む。誰も乗せんなよ」

『かしこまりしました』

 先程の女性の声がヘルメットの内側で響いた。

 俺の乗っていた車はガンメタリックのワンボックスで、うちの業界では『走る金庫室』と呼ばれる現金輸送車だ。

 特殊合金製のボディ、防弾ガラスを使った窓、チューブレスのパンクしないタイヤで、車体の前と後ろには衝突時に車本体を保護するための金属フレームが取り付けられていた。

 ちょっとした装甲車並みのタフさだ。

 おまけに単なる自動運転車両という枠に収まらない人工知能搭載のロボットカーで、声紋登録した人間の指示しか受け付けない。鍵を持っていれば誰でも運転できる、そんじょそこらの車とはわけが違う。

 後部座席をつぶして作られた金庫室にいたっては、顔と物理的な鍵とパスワードが一致しないと扉が開かない構造になっていた。

 極めてセキュリティーが高いため、もし、現金強奪を企てるとしたら、『走る金庫室』に現金が乗る前が勝負だと、その筋では言われているくらいだ。

 だから、建物の出入り口すぐの場所に車を横付けしたかったのだ。

 俺が並外れた心配性というわけではない。以前、似たような状況で痛い目にあったことがあるのだ。


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