第7話 山本権兵衛海軍大将について
本編第3部から、第一次世界大戦編に突入する訳ですが。
史実の第一次世界大戦から昭和への流れを調べた際に、作者の我が儘、と言われようとも、私が何とか変えたかったのが、山本権兵衛元首相、海軍大将でした。
史実では、元帥にも元老にもなれませんでしたが。
例えば、山本権兵衛海軍大将が、元帥になっていれば、史実でのロンドン海軍軍縮条約での条約派と艦隊派の対立は、山本権兵衛元帥の一喝で、おそらく条約派の勝利で収まったでしょう。
何しろ、東郷平八郎元帥と言えど、山本権兵衛海軍大将には基本的に頭が上がりませんでした。
しかし、史実では元帥になっていなかったために、山本権兵衛海軍大将は、(シーメンス事件もありましたが)ロンドン海軍軍縮条約の際には既に退役していました。
そのために、山本権兵衛海軍大将は、ロンドン海軍軍縮条約締結の際に海軍内部の対立を諫めるなり、調停するなりということができず、史実では、ロンドン海軍軍縮条約締結を巡って、海軍が分裂するという醜態となり、条約派の有為な軍人、山梨勝之進や堀悌吉らが、海軍から失われることになりました。
もし、彼らが海軍で健在だったら、昭和史は少なからず違う流れをたどったでしょう。
また、山本権兵衛が元老になっていれば、大正時代後半から昭和時代初期の政治史も、かなり変わっていたでしょう。
(実際に首相辞任後に元老になった桂太郎や西園寺公望と、首相就任時の山本権兵衛の輿論における評価は、シーメンス事件が起きるまでは、決して見劣りするものでは無かった、と私は判断しています。
また、政治的手腕に関しても、元老でもある山県有朋元帥以下の陸軍の大反対を押し切って、軍部大臣現役武官制を廃止する等、素晴らしいものです。
私としては、西園寺公望と互角以上の政治家だった、と山本権兵衛海軍大将を評価しています)
しかし、山本権兵衛海軍大将を、元老の山県有朋と西園寺公望が嫌っていたこと、また、シーメンス事件で山本海軍大将が海軍から予備役編入処分を受けたということが、史実では祟ってしまい、山本権兵衛海軍大将は、元老にはなれませんでした。
(山県有朋が嫌っていたのは、山県が長州出身の陸軍関係者であるのに対し、山本海軍大将は薩摩出身で、更に山本海軍大将が、何かと陸海軍対等を主張したことから、ということらしいのですが。
西園寺公望が嫌っていた理由が、私には今一つ分かりません。
いわゆる二人の肌が合わなかったのかな、と私は思うくらいです。
何しろ、西園寺公望はお公家さんで生粋の政治家ですが、山本海軍大将は薩摩の士族出身で、いわゆる軍人政治家なので、肌が合わなくて当然の気が私にはします)
それで、史実では暗殺された伊藤博文が「サムライー日本海兵隊史」世界では長命して、その遺言から、山本海軍大将は、この世界では元老になることにしました。
(伊藤博文が後押しすれば、山県有朋も西園寺公望も、内心では不平を言うでしょうが、山本海軍大将が元老になることを止められないでしょう)
また、シーメンス事件も小火で済ませました。
何で、そこまで山本海軍大将に私が拘ったかですが。
最大の理由は、空軍創設の際に最大の壁となる海軍の反対を潰すのが第一点。
また、大隈重信について、外交も務めねばならない首相としては落第、と私は辛く評価していて、いわゆる第二次大隈内閣が第一次世界大戦開戦時に成立しているべきでは無かった、と考えたからです。
ちなみに何で、そこまで私が辛く評価するのかは、「サムライー日本海兵隊史」内で細かく描いています。
そうなると、第一次世界大戦開戦時に、山本権兵衛内閣が存続している、というのが自然な流れでした。
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