第6話 日露戦争における迷走
そして、第2部で日露戦争勃発からポーツマス条約締結、日米満鉄共同経営開始までを順次、描いて言ったのですが。
「サムライー日本海兵隊史」本編第2部において、旅順要塞攻防戦はともかく、奉天会戦やバルチック艦隊の扱い、描写については、ご都合主義だ、火葬だ、と余りよろしい評価を、これまでもいただけていない覚えが、私自身にあります。
とはいえ。
奉天会戦で、どうやって日本陸軍がロシア陸軍に勝てるのか、というと、作者の能力的にあのような描写にするのが精一杯でした。
それなら、奉天会戦はほぼ史実通りにして、史実通りの日本海海戦大勝利で良いのでは?
と言われそうですが、それをやりたくない事情がありました。
日本海海戦大勝利による講和だと、ポーツマス条約締結までの根回し時間が短くなる、という問題です。
そして、日本の陸海軍が日米満鉄共同経営に史実と異なり、肯定的になった理由が描写しづらい、というのもありました。
私の調査不足、また、誤った調査かもしれませんが。
日米満鉄共同経営が流産したのは、小村寿太郎外相が反対したのと、日本の陸海軍が、作中で小村外相が指摘していますが、
「何で血を流していない米国からの、我々が大量の血を流して手に入れた満鉄の経営参画を受け入れるのだ。理屈は分かるが、感情的に受け入れられるか」
という日本の陸海軍の冷淡な態度があったからみたいなのです。
そして、英露協商という国際的なバックもありましたが、史実では、日露は共同して満州から米国を排除する態度を執るようになり、その態度を見て、米国では日系移民排斥運動が広まり、更にそのことが、日本国内でも反米主義が幅を利かせ、そして、米国でも反日主義がはびこるという悪循環を招きます。
それを避けるために、史実と異なり、日米満鉄共同経営に、日本の陸海軍が好意的な態度を執るように、あのように歴史をいじくったのです。
それでも、バルチック艦隊が対馬海峡を通るのを、東郷平八郎率いる連合艦隊が看過するとは思えない、という反論が浴びせられましたが。
私としては、東郷平八郎が国際法を研究して遵守する性格だったことから、公然と停戦協定破りとなってしまうバルチック艦隊攻撃をすることは無い、と判断して、あのような描写にしました。
(あれだけ、東郷平八郎元帥をデスっておいて、高評価をするな、と言われそうですが。
私としては、東郷元帥につき、この当時は国際法を護る、という良識を弁えていた、と評価しています)
そうやって、色々と歴史をいじくった末に、日米満鉄共同経営について、第2部完結までに私は描くことができました。
ですが、その一方で。
第2部完結までに、本編が30万字を超えてしまった、というのは、私の完全な見込み違いでした。
この頃から、これは100万字を軽く超える大長編小説になる、という悪い予感が、私の脳裏を掠めるようになりました。
なお、本来的には、本編執筆の際には、調査をネットや図書館等でして、更に必要な資料は購入して、という形で誤りが生じないように、きちんと描き進めていくべきなのですが。
(そのために、第1部の日清戦争・義和団編開始前には、第2部完結までに1年は掛かる覚悟で、と私は考えていた程です)
しかし、第1部、第2部と描き進めていく内に。
自分の執筆の際の筆の進み具合から、下手に休むと、ずっと休みかねない、というのを自分で哀しいことに自覚してしまいました。
そのために、1つの部の執筆を終えたら1月程掛けて、史実等の調査を行い、大プロットを立てて、あらためて次の部の執筆に掛かる、ということをこの頃に決めました。
そして、1つの部を120話と完全に決めたのです。
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