第11話 いわゆる戦間期について1(主に海軍戦備について)
史実と異なる仮想史を描くと、ある程度は仕方ない話かもしれませんが。
史実無視にも程がある、そんなの未来人的思考で、アリエナイ、火葬にも程がある、
とフクロ叩きにされるのを私は経験しました。
第一次世界大戦の描写を第4部で終えた後、私は3つの選択肢を大雑把に言って考えました。
1、これまでと同様に、基本的に仮想戦記だから、という理由で、第5部を第二次世界大戦にする。
2、例えば、満州事変、日中戦争、といった感じで、2部程入れてから、第二次世界大戦にする。
3、ここまで史実が色々と変わっている以上、事細かに歴史の流れを描写して、第二次世界大戦にする。
結局、第3の選択肢を私は選んだのですが、この事がトラブルが発生した一因だ、と自省する次第です。
私なりにここまで描写してきている以上、日本が対米戦に備えて、対米7割、対米6割の海軍軍備にこだわる必要は無い、と読者の方も納得してくれる、と想って、ワシントン、ロンドン海軍軍縮条約について、基本的に対米4割の海軍軍備、ということで日本の海軍軍備を描写していったのですが。
未来人がいる訳でもないのに、日本が油断し過ぎの未来人的思考、海軍軍備を最低対米6割は日本は保有しないといけないのに、作者は何を考えているのだ、と叩かれました。
そうは言われても。
実際問題として、海兵隊や航空隊の装備等について英仏米から提供されるという形で、かなり費用面を誤魔化していますが、史実と異なり、第一次世界大戦で欧州に日本軍を派兵した以上、史実よりも海軍軍備の整備が遅れてしまい、戦艦の保有数が減るのは、ある程度はやむを得ない話な訳で。
それなら、日本軍の欧州派兵をするな、とまで言われましたが。
それこそ、私の作品の肝、重要部分が無くなってしまいます。
欧州派兵をしても、史実通りの海軍戦備を整えればいい、小説なのだから構わないだろう、と言われましたが、それこそ火葬小説になると私は思います。
それに、史実と異なり、日米満鉄共同経営がある以上、満州を始めとする中国問題について、日米は連携しての対処をしないといけない訳で。
(時代的に米国が金を出すお大尽で、日本がその用心棒的存在な存在になり、違うと言えば違いますが)
それこそ米ソ冷戦華やかなりし頃に、対ソ戦、第三次世界大戦勃発に備えて、日米が連携しないといけなかったようなもので、それなのに日本が対米戦に備えた軍備を整えない、といけないという発想は、それこそ私の目からすれば、史実に基づく未来人的思考としか思えませんでした。
それに対しては、米国は満鉄を中国に無償譲渡できる以上、そんなの米国の対日戦に際して、何の縛りにもならない、と言われましたが。
何でそこまでして、日本は米国に狙われない、といけないのか、私には理解不能でした。
実際、日本はいわゆるハル・ノートを突き付けられ、戦争に追い込まれているではないか、その史実を忘れたのか、と言われましたが、満州事変から真珠湾攻撃に至るまでの歴史を私が調べる限り、それこそ日本の自業自得の面が大きいのでは、としか思えません。
南部仏印進駐まで、日本の自衛権に基づく行動の範囲内で、米国が文句を言うのがおかしい、それが世界の、また、世間の常識、と言われても、私にはとても肯定できないのですが。
今では、それが世界の、また、世間の常識なのですか?
勿論、私自身、自作を読み直してみて、ところどころ、今となってはこう描くべきだったな、というところが無いわけではありません。
例えば、戦艦メリーランドについて、完成しているのに廃艦ということにしてしまいましたが。
この辺り、史実と異なり、長門級戦艦の建造が日本で行われておらず、そのために米国も急いでいなかったために完全に完成しておらず、戦艦メリーランドを廃艦することに米国は合意した、とした方が、小説としてはきれいだったな、と今となっては思います。
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