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1 序章―シントラの夜



 私が来たのは地に平和をもたらすためと あなた方は思うな。

 私が来たのは平和をではなく 剣をもたらすためである。

 おのが命を得るものはそれを失い 私ゆえにおのが命を失うものはそれを得よう。


 新約聖書 マタイ福音書10章「平和と十字架」より







 現地時間 深夜2時過ぎ。

 ポルトガル シントラ――。


 首都リスボンから少し離れた、ユーラシア大陸最西端。

 緑と自然が豊か、閑静という言い回しが一番似合う場所だ。

 かつては貴族たちの避暑地としてにぎわい、カラフルな見た目と豪華な内装が目を引く古城、世界遺産ペナ宮があるのも、ここである。


 シントラは、世界中から人が集まる観光スポットであることには変わりはないが、一方で心霊スポットという側面も持っている。

 俗にいう「シントラのヒッチハイカー」である。

 まあ、中身について簡素に説明すると、死んだ幽霊が、車をヒッチハイクしたり、道に飛び出して事故を誘発するといった、世界中でよく耳にする、至極平凡な噂話。

 それが一躍有名になったのが、2007年。

 動画投稿サイトに、女性のヒッチハイカーを車に乗せ、彼女が死んだという場所で襲われた…という内容の映像が投稿され、各方面で物議を醸し、「シントラのヒッチハイカー」は世界的にも有名なオカルト話となった。


 しかし、今回はそれでは済まなかったようだ。


 2か月前、リスボン郊外で起きた少女ひき逃げ事件を皮切りに、シントラ周辺でひき逃げ事件や、車の運転手を狙った殺人事件が5件も発生。

 証拠物件は出るものの、一向に捕まえることができずにいた。

 無理はない。逮捕のチャンスはあったものの、犯人が警察官の眼前で姿を消したり、あるいは銃をもつ刑事4人を、1秒もかからず八つ裂きにしたりと、確実に警察の手に負える状況ではなくなっていたのだから。


 その上、「シントラのヒッチハイカー」が人を殺して回っているとの噂が、SNSやテレビを通じて広まり始めたのだ。

 事態を重く見たポルトガル警察本部は、重い腰を上げる。

 最後の頼み、藁にもすがる思いで、ある()()()に事件解決を依頼した――。



 


 満天の星空が、空間の支配者となった深夜。

 森の中を走る街道に、フェラーリ550 マラネロの車体が闇に同化している。

 広告に使いたいぐらい、雰囲気のいい情景だが、そうは問屋が卸してくれなさそうだ。


 シルバーのクーペは迷惑にも、二車線の狭い道路をふさぐように停車し、エンジンまで切っているではないか。

 不埒にも、持ち主は車のすぐ横にいた。

 ボディにもたれかかる人影は、“少女”と呼ぶには大人びており、“女性”と呼ぶには未成熟なラインを、星の光の中に浮かび上がらせている。

 腰まである長い茶髪、白いシャツに紺のフレアスカート。


 シガレットを焦がすマッチの灯。あどけなさの残る小顔が浮かび上がった。


 ゆっくりと吐き出される煙には、ほのかにシナモンの香り。

 甘い余韻が、木の葉のささやく音色に溶け込む――。


 不意に、屋根に載せていたセルフォンが振動する。

 シガレットを加えたまま、無言で通話ボタンを押すと、相手はただ興奮しながら


 「エリス。そっちに向かってる! 準備して!」


 と。

 それだけを聞くと、彼女はフェラーリの助手席を開け、革のシートに無造作に置かれた、拳銃と弾丸を手に。

 MP412 REX。今では珍しい、中折れ式の回転式拳銃リボルバー

 シリンダーに手をかけ、シュリンプでも裂くように軽く、中央を折り開くと、そこに一発ずつ銃弾を装填。

 再び、セッティング。完了。


 木の葉の揺れ方が変わった。

 来る!


 彼女はシガレットを足元に捨て、その手で、首から提げるネックレスの十字架を触り、シナモン香る唇に引き寄せる。

 温もりを受けて、気のせいだろうか、十字架の赤みが増したように見える。


 「神よ…今宵も、私の罪を御赦し下さい」


 グオンっ!

 

 視界が明るくなった!

 唸りくる咆哮!

 カーブを超え、やってきたのは、バン・タイプのフォルクスワーゲン T2。

 丸いライトは妖しく光り、紫色の煙を纏いながら突進してくる。有名なヘッドマークも逆さま。笑っているようにも見える。

 だが、白い体に血をべったりと刻み込んでいるそれは、明らかに普通の自動車ではない。


 「来なさい」


 彼女は、ゆっくりと右手に構えた銃をバンに向ける。

 撃鉄を下げ、指を引き金に添える。

 鋭い眼光が、ヘッドライトすら貫く。

 挑戦を受ける。そう言わんばかりに、車のスピードが増した!

 路面に刻まれる轍は、惨劇を歓喜しているよう。


 互いの線は交わった!

 一直線。

 どっちが負けるか、チキンレース!

 近づく…近づく……近く!



 ダアンっ!



 先に吠えたのは、リボルバー。

 続けざまに、2発!

 途端、向かってきたバンがよろめき始めた。

 それでも止まらずに、突っ込んでくる。

 が、彼女は微動だにせず、更なる一発を打ち込もうと、銃を構え続ける。

 

 否、知っていたのだ。奴がこちらに来ないことを。


 暴れまわる鉄の塊は、彼女の髪をかき上げながら、その真横をかすめていく。

 直後、バンは、道をふさいでいたフェラーリのボンネットに乗り上げると、そのまま横転。道路を横滑りしながら、ようやく止まった。



 振り返り、歩みながら停止を確認して、手にした銃をスカートに挟み込んだ時、彼女の背後を輝かせる2台のマシン。



 「ようやく、止まってくれたみたいね」


 白の日本車、ニスモ 34型フェアレディZから降りてきたのは、長い黒髪が美しいアジア系の少女。



 「あーあ、ウチで一番高い公用車、オシャカにしやがって…修理は実費でしてくれよ」


 もう一台、赤のアバルト 124 スパイダーから出てきたのはプラチナブロンドに豊満な胸囲が目立つ、大人びた“淑女”。



 だが、当の彼女は2人に目もくれず、ゆっくりと言い放つ。


 「呑気ね。まだ、なにも終わってないわよ」



 すると、2台のヘッドライトに照らされた先、横転したバンから人影が出てきた。

 それは目のある部分が漆黒の空洞、手は肘から2つに分かれ、4本の手がこちらに向かって伸びている。

 スニーカーが地面を踏むたび、グシャ、ペチャと、川から這いあがってきたかのような音を響かせて。


 最早、それは“人間”とは呼べない代物。


 「あれが…シントラの幽霊?」

 とアジア系の少女が聞くが、赤い瞳を睨ませて茶髪の彼女は説明する。



 「いや。幽霊と言うより、思念体と言った方がいいかもしれない。恐らく、この一帯に漂っていた霊体が集まり、この車と持ち主に寄生したんだ。

  車のナンバーからして、最近、リスボンを騒がせていた、少女ひき逃げ事件の車両で間違いないからね。

  どういう事情かは分からないけど、何らかの理由で複数の霊体が、犯人に憑りついてしまったに違いないわ。

  そして人間という実態を得てしまった事、世間が名前のないソレと、単なる噂でしかなかった、ヒッチハイカーの哀れな死を関連付けたために、思念の大きさがよりでかくなってしまい、次々と人を殺し始めた…そんなところかな」



 すると、プラチナブロンドの女性。

 「つまり、幽霊の塊が、人間に憑りついてでっかくなっちゃった。そういうことか」

 「…そ、そうとも言うわね」

 苦笑い。


 だが、問題は、そんな相手をどう、倒すか。

 バケモノと化した相手は、ゆっくりとこちらに、手を伸ばしながら歩み寄ってくる。


 「コロス……コロス…」

 喘息のしゃがれた、否、それより細い、不気味な声で。


 「引き剥がすか?」とプラチナブロンド

 だが、彼女は冷たく言い放つ。

 「憑りつかれた相手は、残念だけど、もう死んでる。

  向こう側に、魂もろども、引きずり込まれてしまってるようね。人間の反応がまるでない」

 「なら、どうする?」

 「愚問ね、リオ。決まってるじゃない……実態もろども、奴を壊すまでよ!」


 すると、彼女は手の平を開きながら、両腕を胸の前で交差。

 ゆっくり目を閉じ、そして小さく息を吸った!



 「汝、井戸の底にある声を求めよ」



 手のひらに、ほうっと青い光が灯り始める。



 「恐れをもて許しを請い、七つの喜びをもて舞い踊れ」



 それは、難解な記号にも似た刻印となり、更に輝きを増す!



 「されば我、銀の杯と紅の接吻を、汝の物として与えん」



 バッ、と横に突き出される両腕!


 一瞬、白い光に包まれたと思うや、彼女の右手には、光彩を放つ、白銀のピストルが握られているではないか。

 簡素でありながらも長い銃身と、引き金の先に鎮座する銃倉。複雑な安全装置。女性の手でも収まるほど小さなグリップ。

 この見た目から、ドイツ・モーゼル社が開発した、マウザー式拳銃であることは理解できたが、博物館に飾られているソレとは、何かが違う。

 かといって、モデルガンでないことは子供でも分かる。


 そう…この銃はさっきまで使っていたリボルバーとは違う。否、人類が扱う代物とは全くかけ離れた、妖しくも幻想的なオーラを纏っている。


 彼女が手にする、禁忌の異能力 ――。



 「解放……呪具(アトリビュート)、サロメ!」



 彼女はそのまま、銃口を化け物に向けた。

 照準は、心臓に。

 指をトリガーに添えた途端、自然と動く撃鉄、浮かび上がる不可視の弾丸。

 そして――!


 「堕ちろ! ベテシメシの闇へ!」



 乳白色の煙と共に発射された透明な銃弾は、そのまま相手の右胸に。

 刹那!


 「ウオアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 相手の身体が、蒼い炎に包まれていく。

 周囲が昼間と見間違わんほどに、明るく。

 

 「アツイ…ホネガ…トケル…ウウウ」


 地を揺さぶる低い悲鳴がこだましたのも数秒、そこに、あの化け物の姿は微塵も残っていなかった。

 あるのはただ、横転した車が一台。


 それを見送ると、彼女の手からマウザー拳銃も姿を消した。

 大きく息を吐き、2人にウインクを飛ばす彼女を見て、少女らも全ての仕事が終わったことを確認した。

 2人もまた、ウィンクを飛ばして。



 すぐ後に、ポルトガル警察のパトカーが集団でやってきた。

 一転、今度は森が、青いパトランプ一色。

 降りてきた警部は、横転した車と立ち込める煙を見て、彼女に問うた。


 「本当に、やったのか?」

 「ええ」

 「信じられん…警察が手をこまねいていた相手を、僅か3人で」


 丸刈りの頭を、理解不能とバリバリ掻きながら。


 「そこいらの街角にいる、鹿撃ち帽子の素人と訳が違うもので」


 フレアスカートを翻し、彼女は傷ついたフェラーリに乗り込む。

 他の2人も、それぞれのマシンに戻りながら。

 刹那、警部が振り返り叫んだ。


 「待ってくれ!

  何者なんだ、君たちは……()()()私立探偵なのか?」


 フフッ。

 彼の方を見て、少女は微笑む。

 あどけない少女の振る舞いで、こう返しながら。


 「ええ。

  私たちはノクターン探偵事務所。奇々怪々を両断できる、()()()私立探偵ですよ」


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