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9 予兆

 プルタブを起こし、手前へ引くだけで、容易く蓋が開けられる製品を教えれば「これは便利なもので御座いますなぁ!」と讃え、最初どういう手段を用い、閉じているのかを知りたがる。


 表情や一挙手一投足まで好奇心が満ち溢れているので、響也もいつしか少女を過去の時代からやって来た〝初心者〟として違和感なく扱い始めていた。



 ――同日の午前6時17分――


 鞍馬凜子は、下宿先で明け方ごろ見た不思議な夢が、ずっと気懸りだった。


 『遂ニ来タ、遂ニ来タ』


 『遂ニ来タジョ、遂ニ来タ』


 『ヤット届イタ。社ノ倅ヲ護ル、ハジャノツルギガ』


 『標モ付イタノ。洞穴カラ澱ンダ水ガ、溢レルミタイニ』


 『ソレジャ、本格的ニ、始マリ始マル』


 『逃ゲロ、逃ゲロ。全テノ闇ノ染ミ出シ口カラ』


 『逃ゲロ! モウ、フツーノ美大生ノ出ル幕ジャナイノヨサ!』


 『アー気ノ毒ニ気ノ毒ニ。今日、社デエライ目ニ遭ウジョ』


 『穢レニ触レタラ、ブッ倒レルジョ!』


 それは雀たちの賑やかな囀りが、人間の会話へ変化して聞こえる。といった奇妙な内容で、もしかして何か意味のある暗示――サジェスチョンではないか? と一抹の不安を覚えた。


 ある時彼女は『全国で雀の数が減少中』というニュースに接して以来、下宿先の窓の庇上へこっそりと米粒や小鳥の餌を置いたり、窓の手摺下に五つ程の穴を開けた直径10㎝、長さ170㎝ほどの塩ビパイプを固定する〝集合住宅型巣箱〟を設置したりと、彼らの《産めよ増やせよ運動》へ貢献してきた自負があったので、恩返しに警告してくれたのでは?! と推量したのである。


 (土御門神社へ行くと、えらい目にあって倒れるとか言ってたわね……)


 どうしても引っ掛かるので、彼女は災いを避ける方策として、何時ものルートを変えてみようと考えた。


 普段の道順は、鎌倉山を尾根伝いでひたすら上へと進んで、極楽寺4丁目12から鎌倉山2丁目27の土御門神社本殿裏に達したら、左へ折れて壁沿いを進み、眼下七里ガ浜東の町並みを横目に石段前の小鳥居をくぐって入るというもので、これは響也と同じ道順である。


 今回は鎌倉山の石段を登った後、反対側へ下り熊野権現社(祠)脇を通って、麓の稲村ガ崎5丁目に出る。

 その上で正福寺公園入口前から始まる、一番下の石段を上り神社へ向かう事にした。


 もう一つのルートは極楽寺側から尾根へ達して、右に折れたら稲村ガ崎との境界線でもある山道を登り、二手分かれの道を左へ進む。

 高区配水池フェンス沿いの中腹・七里ヶ浜東3丁目に出て、石段途中から鎌倉山2丁目の社へ達する事も出来たが、今の凜子からはどうも中途半端で『方違え』にならないと感じたのである。


 ――空夜のおじいちゃんなら、或いは意味のある無しが解るかもしれないし。相談してみようかな。


 凜子は陰陽道や方位関連の知識はゼロで、目的地を吉方位とする正確な迂回法が分からない。要は気分の問題だ。


 (何か異変が起きそうだったら、急いで引き返そ~)


 小鳥居の前へ立った彼女は、用心深く構えて足を踏み入れたところ――――


「あらっ!?」


 一人の少女の後ろ姿が、凜子の視界に飛び込んできた。

 大鳥居から伸びて横切る参道を挟んだ対面道場側。本殿の斜向かい辺りで、巫女が箒を扱っている。


 小首を傾げ(むむっ?)と注視していたら、突然その子は此方へ向き直り、目が合う。


 僅かな間の後、箒の柄を両手で水平に保ちゆっくりと頭を下げ、笑顔で挨拶してきたのである。

 つられた彼女も笑顔を浮かべ、肩の辺りまで持ち上げた右手を小さく振り、挨拶を返す。


 その時(まるで、遠くから見てる事が分ったみたいだわ)と思った。


「やあ凜子くんかえ。よう来たの、お早う」


「あれ、あっ ど、どうもーっ、オハヨウございます」


 いきなり左横から声を掛けられた凜子は、老宮司の姿を見てパニクった返事をする。

 空也翁は大鳥居塀ぎわ西角の赤松林周辺を掃除していたらしいが、彼女は集中していて全然気付かなかった。


「ちょうど良かったわい。さっき御饌を捧げ、祝詞を奏上し終えた所ぢゃ。八時過ぎころ和菓子屋から式例祭の餅が届く予定なんぢゃが」


 話をしながら、老翁は凜子と連れだって本殿へ歩いてゆく。


 でも彼女の意識はすべて、巫女装束を纏う謎の美少女に向けられていた。


 近くまで歩み寄ると、少女は涼やかな微笑で二人を迎えた。

 幼くも見えるうら若き巫女は、前方から顔両サイドの鬢を耳上半分が隠れる程度残し、後頭部の髪は襟足へ掛からぬよう短く刈り上げられ、右側頭部に星形の飾りを付けていた。


 この土御門神社で、凛子は自分より年下らしい巫女様を見かけたことはない。


 物珍しそうな目つきをして、少女の頭のてっぺんから爪先までを往復三度眺めまわす。

 …………という、あからさま非常識なリアクションを取ってしまった。


「ねえ総帥さん。この娘、どなた?」


「おお、そう紹介がまだぢゃったのう。この娘はな、遠い親戚筋の養女でな。暫らくウチの社で預かり巫女修行をする、霧隠彩という子ぢゃ。以後よろしゅうな」


「へぇー、そうだったんだ。私は逗子美大の学生で鞍馬凜子。よろしくね、さいちゃん」


「お初に御目もじ仕りまする。霧隠彩と申します。以後、お見知りおきくださりませ」


 後ろ手で体を前方へ傾けた凜子は、巫女姿の彩を繁々と眺め回し、以前響也にもそうした通り、顔を呷り角度から観察する動きを取る。

 オブジェや美術品などを鑑賞する時、矯めつ眇めつするのは彼女独特の癖で、そうしながら尋ねた。


「ん~、めっちゃ可愛いなぁ初々しくて。年はいくつ?」


「かぞへ十七に相成りまする」


「あら、それじゃ響也くんと同じ歳ねぇ。この姿見たら、流石の〝ニブちん君〟も思春期真っ盛りで萌え捲くるんじゃないかしら」


「?」


 下世話なジョークだが、凜子が御主君様と絡め如何なる事を言ったか彩は解らず、箒の柄を水平保持した姿のまま、無難な笑みを浮べ立っていた。


「でな、凜子くん。実はこの彩のことで相談と言うか、お願いがあるのぢゃが」


「……え。は、はいっ何ですか?」


 夢中で彩のウオッチングをしていて頼まれ、彼女はあたふたと返答した。


「ほれ、ワシら男所帯では妙齢のおなごが必要とするものは分からんし、買い出しへ行くのもままならん。そこで凜子くんと出掛けてな、アドバイスなどして一通り揃えて貰えたら、と思うての」


「それは構いませんけど」


 凜子は変だと思った。

 老宮司の決まり悪そうな口調は、頼み事の内容から来る照れだろうか。


「彼女17歳でしょう!?」


 揃えた二本の人差し指で、横の彩を小さく示して凜子が確認を取ると「左様にござります」と少女は答えた。


「もう高校生ですし。お金があれば必要な物、ちゃんと自分で買えるんじゃないですか?」


「いやぁ~それがな、詰るところ田舎から出て来たばかりで。まあ世慣れん子なのぢゃよ」


「あら」


 今時どんな辺鄙な田舎へ行っても、そんな事を知らぬ人間がいる筈はない。


 でも老人の困ったような笑顔を見て、凜子は深く追及するのを止めた。何か深い事情があるのだろう。


「わかりました。私、お手伝いします。ところで替わりという訳ではないんですが、私も折り入って相談したい事があるんですけど。陰陽家としての総帥さんに」


「ふむ、何ぞや。他ならぬ凜子くんのことぢゃ、謹んで聞かせてもらおうかの」


「大袈裟だったかな、後でいいんです。ちょっとした(雀の)事ですから」


 彼女は老宮司を心配させまいと、笑顔の前で両手を振って茶化して見せた。


「それはさておき響也くんたら。お祖父さんや女の子だけ働かせて、休みの日も手伝わないなんて。着替えがてら私、起こして来ますね」


(あっ……!)


 彩が言葉を発する間も無く、凜子はスタスタと社務所の方へ歩き出した。


 ふり返って彩は、空夜翁の表情を見る。


 だが老総帥は微笑ましげに目を細め、無言でいた。顎髭を撫でながら視線は凜子の背中を追うだけで、止める様子はない。

 彩は黙礼してから、彼女の後を追った。


「あのー、鞍馬どの」


「凜子でいいよぉ~、さいちゃん」


「は、はあ」


 凜子の灑落な態度は彩を戸惑わせ(この時代生を享け、知りたる者の余裕であろうか)と考えさせた。

 でも実際のところ、単なる年長者の余裕だった。


「りんこ殿。ご主君様は」


「ごしゅくん?」


「そのっ、響也さまは、決して朝寝あそばされている訳では御座いませぬ。寝起きは頗る良ろしく、今朝も早うから……」


「さいちゃんて、随分と古風な言い回しするねぇ」


「はあ」


「大丈夫。叱りつけようなんて考えてないから」


 足も止めず話していた凜子が、ニッと笑顔でふり返った。


「総帥さん言ってたでしょ、もうすぐここへ和菓子屋が餅を運んで来るって。正確に言えば、五色の素甘なんだけど。相手が氏子さんだから、毎回サービスで柏餅とか大福とか、甘い物をオマケで付けてくれてね。柔らかいうち食べた方が美味しいのよ。だから響也くんも誘って」


「ああ、まあまあ!」


 合点がいって表情を明るくした彩が安堵の声を漏らすと、凜子は再び向き直り、歩き出して続けた。


「今朝だって宮司さんとさいちゃんの二人が、それぞれ本殿と拝殿の掃除して、お日供にっく献じて朝拝すませたんでしょ。彼が神職を継ぐ気がないのは、私も知ってるから」


「はい。……されど」


 ややあって、彩は確信を込めて言う。


「されど必ずや、道統を相承召されると存じまする」


「響也くんのこと、好きだったりするの?」


「いえ、決してその様なっ」


 彩はみるみる頬を紅潮させ、首を二度振り慌てて否定した。

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