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8 嘉肴

 相変わらず、新陳代謝の活発なネコだ。


「ホラッ早く入んな」


 彼が急かすと、やっと歩を進めた。


 千代は名前の通りメス猫だが、全身の筋肉は隆々としてかなり発達している。

 白い毛並みはバサついて、猫というより柴犬みたいな感じだ。


 ジャンプ力があって、2メートル位の場所へ楽々跳びあがるし、摺りこ木状の尻尾をいつも垂直に立て、反りは随分と力強い。尾の先端を背中へ付ければ、取っ手みたいに掴んで別の地点へ運べそうなほど。自然、食欲も旺盛だった。


 だが今日は、見知らぬ女の子が台所に立っているので遠慮(警戒)している。

 おそらく変化球で攻める気だろう。

 響也が鼻先へ指を近づけると、千代はムキになって掴み掛かり、口へ寄せて囓ろうとした。


 野性味があるうえ目が青いので「シャム猫とのミックスだろう」と彼は推測している。


 執拗に頭を擦り付けてくる千代を巧く往しながら、寝そべってマンガ雑誌をめくっていると、後の襖戸向こうで誰か来て立ち止まり、屈んだような気配がした。


「……ご主君様」


「あ、はーい!」


 あの忍者だ。

 背後へ上体を捻った響也は、少々はやり立った声で返事をした。

 中腰に膝をついた少女が、両手で襖をそっと開く。


 正面で正座し直すと、恭しく頭を下げて言った。


「夕餉の支度が、整いまして御座いまする」


「おっサンキュー」


 時計を見ると午後6時23分――


 響也は早い気もしたが、世間ではこれが普通なのかもしれない。


「まあまあ。お前は何処ぞより来なされた?」


 引き戸の側へ進み出た千代の姿を見て、彩は優しく声をかけた。


 どうやら嫌いではない様だ。

 立てた尻尾を撫でてやると甘え、首から肩を柱に擦りつけながら鳴いて、少女を見上げる。


「名前は千代。もう腹が減ってきたみたいだ。煮干とかあるんで、やっといてくれないか」


 彩は「御意」と返辞をして頭を下げた。


「すぐ行くからさ、台所へ戻ってていいよ」


 彼がそう告げると再度お辞儀をし、さっきと逆の動作で襖を閉めてから、立ち去る気配がした。

 ネコは少女の後に付いて行き、早くも従来の主人への関心を失ったようだ。


 一瞥して媚を売った所を見れば、彩を安心できる手合いと即座に判断したか。


 マンガ本を置いて立ち上がった響也は「うあ~っ」と大きな伸びをして、肘を左右へぐいぐい回してから、部屋を出た。



 ダイニングに入ると、美味しそうな味噌汁の匂いが鼻腔一杯広がった。

 インスタントの薄っぺらな物とは違う、濃厚なダシの香りである。

 祖父はもう、テーブル前の席へ腰かけて待っていた。


 彩は黙礼して彼を迎える。

 改めてよく見ると、響也が手広中時代着ていた学校指定のダブつきジャージ上下に、エプロンを付けていた。


 キャスター付きの角形テーブルを傍らへ置き、その上に鉄釜と煮物鍋が乗っている。

 少女が鍋の蓋を開くと、味わい深い芳香と蒸気が立ちのぼった。


「おいおい。こりゃあ凄いな、へぇ~」


 響也が首を伸ばして覗くと、アルマイト製の鍋の中で大きな魚のぶつ切りが、濃い目の味噌汁の間に並んでいる。


 (マジ旨そうで、心が浮き立つじゃあないの!)


 こわれ易いものを扱う要領で、彩は魚を丁寧かつ素早く盛りつけた。

 小瓶入りの山椒を振りかけると、独特のスパイシーな良い香りが、食卓全体へ広がる。


 続いて少女は鉄釜を開く。再び白い蒸気が昇り、食欲をそそる炊きたての米の匂いが……。


「ところでさ、コンロはジイさんが直してやったのか?」


「んっ!? 何の事ぢゃ。ワシャ知らんぞい」


「火花は飛ぶんだけど、なかなか点火しなかったじゃん」


 魚を盛りつけた後、ご飯を山盛りにした椀を二人の前へ差しだし、彩が控えめな声で尋ねる。


「ご主君様。其の事につきまして、申し上げても宜しゅう御座いましょうか」


「おお、イイヨ!」


 上機嫌の響也は、即刻許可した。


「火伏せ(防火)の神は古より風気の隔てを疎むと申します。荒神具を検めましたところ、周囲の無数なる溝・刺穴への煤け著しく、是なるを除き去りましたところ、滞りなく火弁を開きたる様と、相成りまして御座りまする」


 彼はぽかんとする一方で(ほお~っ)と、半分感心して受け取った。

 要は少女が原因を探りあて、自分で直したという事らしい。

 結構器用で、頭も冴えてるようだ。


 400年以上も昔からやって来た人間、という祖父・空夜の言葉が真実ならば。


 老総帥と御主君の食事をそれぞれ並べ終えた少女は、キャスターテーブルの横に立って微笑んでいる。

 そのまま動こうとないので、響也は尋ねた。


「あれ?! お前、自分のやつは?」


 彩は彼の方へ顔を向けると言った。


「はい、わたくしめは後ほど。今は此処で控えておりますれば、御代わりなど何なりとお申し付けくださいまし」


「食えばいいじゃん。一緒に」


「滅相も御座いませぬ、主と同席するなど。召し上がるまで、この場ヘ控えて居ります故」


 少女は「畏れ多い」とそのまま片膝をついてお辞儀し、顔を上げなかった。


「まあよいではないか響也よ。実はな、さっきも『書院にて膳部を献げたし』というのを、どうしても此処でと納得してもらった所ぢゃよ」


 祖父は説明し、少女へ優しく言葉をかけた。


「お彩や。気の済むよう行動すればええからの、さあ立ちなさい」


「はっ」


 安心したのか、短く返事をして彼女は立ち上がった。


 (どぉもよく分からん。こいつの考え方は解せないが…………しかし、まあいっか)


「いただきま――すっ!」


 料理が温かいうちと、響也は切り身に箸をつける。柔らかくほぐれるそれを、口へ運んだ。


「おおっイイじゃんこれっ、旨いよ最高!」


「それは良う御座いました」


 少女は顔を輝かせて喜び「どうか、たんと召し上がり下さいまし」と声を弾ませた。


「それほど美味しいか、響也」


「ああいけるよ、コレはっ」


 彼が喜んで正直な感想を言うので、祖父も嬉しそうに目を細め少女の腕前を賞賛した。


「うんうん、良かったのう。実はワシも舌鼓を打ったぞい、この『鯉コク』は」


 『 ブッ!! 』


 おかずの正体を知った響也が、口の中の物を吹き出すのを見て、彩は円らな瞳の大きな目を一層丸く見開き、表情を凍り付かせた。


「どっからこんなものっ……!」


 流し台へ飛びつき両手をかけた響也は、「うえーっ」と戻しそうな勢いで言い放った。


「『鯉こく漿』は、お口に合いませなんだかっ」


「そんな問題じゃあない!」


 少女は〝御主君様〟を怒らせた事で蒼白となり、突っ伏し額を床へつけ震える声で言った。


「面目次第も、御座いませぬっ!!」


 それを見て祖父・空夜はすぐさま孫を宥めた。


「お彩よいのじゃ、頭を上げなさい。…………響也よ『鯉コク』は昔からよく食されておって、今も好んで摂る人は珍しくない。決して汚い魚ではなく、第一お前自身、旨いと喜んで喰っておったろう」


「――そりゃっ……」


 響也は反論できなかった。

 もとより拒否反応の原因は「泥臭そうな淡水魚」という彼の思い込みだけだ。


 それにしても、一体何処から持って来た? という疑問は拭いきれなかった。


「これってまさか、ジイさん!?」


「 境内の『生け簀』より丸々と肥え太りたるを選りすぐり、俎上へのせたものにて 」


 彩の言葉を受けた祖父が、平静な面持ちで響也へ告げる。


「まあそういう事で、断じて害はない。折角の命じゃから、有り難く頂く様に」


「コホン」と咳払いしてから振り向いて、今度は少女へ言って聞かせた。


「お彩や。今後は食材の買い方を教えて進ぜる故、決して池の鯉を捕えてはならんぞい」


 母屋と道場の間には、仮山水の庭が造られている。


 道場側の応接間と祖父の寝室簀子から眺めることが出来るが、寝室の本殿方向へ面した縁の前には、小さいながら神殿造り庭園が設けてある。

 紅葉や桂など広葉樹と様々な山野草で囲まれた池もあり、数匹の大きな錦鯉がゆったりと泳いでいるのを、響也は思い浮かべた。


 (憐れなっ……自慢の錦鯉達の一匹か)


 泣きたい所を祖父が堪えているのを知り、孫も寛容&忍耐で接しなければと思う、慌ただしい土曜日の夜だった。



 ――翌朝の日曜日――


 早朝から少女『彩』は朝食の支度をはじめ、米を炊いて煮干しと乾燥ワカメを使った味噌汁をつくり終えると、6時半ごろ響也の元へ来て「朝餉の支度、整いまして御座います」と前日同様告げた。


 彼は元来早起きで、学校が休みの今朝も布団をあげ着替えていたが、これほど早く朝食をとるのは、久しぶりだった。

 また予想外な物として、献立に三つ葉を茹でたゴマ和えや、酢の物仕立てのナズナといった野菜が添えられていた事。


 いずれも暗いうちから外へ出て「近所の林野より摘んできたものにて」と言うのである。


 祖父と孫は久しく、スーパーやコンビニの出来合いを買い済ませていたので、乾物類や缶詰・食用油を除き、冷蔵庫の中は生鮮類などもまったく貯蔵されていない。

 少女は前日の夕餉で御主君様の勘気を被ったので、今朝は予め食材を告げたのだった。


 今度は祖父は勿論、響也も感心した。

 それらは見た目も味も、ホウレン草などと比べまるで遜色がない。


 (これなら、ちゃんとした食材与えればかなりいけるんじゃないか)


 朝食の後、響也は氏子会が差し入れてくれた缶詰を取り出し、中身はラベル表示された絵や文字で確かめる事や『缶切り』という道具で容易く開けられるのを実演して教えた。


「食べ物を詰めて空気を抜くと、中身が腐らず長持ちするんだ」


 聞きながら彩は、心底興味深げな眼差しを向けて検分し、頷いていた。

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