7 忍者
祖父は響也と顔を見合わせ、少女へ視線を戻して聞いた。
「それは有難い申し出ぢゃが。頼んでも良いのかな?」
「心を篭めて。相勤めさせていただきまする」
「ほおー、凄えやっ料理できるんだ! さすが女の子だぜ。良かったな、ジイさん」
上体を起こした響也が祖父に声をかけると、少女は続けて要望した。
「かさねて言上仕ります。事済みの布・古着の類などが御座いますれば、何卒下げ渡しの程、お願い申し上げます。繕いものなど致したく存知まする」
「いいともっ幾らでも出すから、好きな物を選んで使いな。なあ、ジイさん」
「んっ、おお、……うん」
俄然乗り気で同意を求める孫を見て、祖父は困った様な笑顔を浮べ返事を詰まらせた。
――可哀想なことを強いてきた。やはり出来合いの惣菜ばかりは飽いていたのぢゃろう。
手料理が振舞われる事を知り、喜ぶ孫の姿を見て(不憫な)と思う気持ちが沸き上がる。
「お彩よ、今一つ尋ねたい。土御門朔夜様じゃが、おぬしの師君様は出立の前かその折、何ぞ言っておられたか」
「はっ」
彼女はついと頭を下げ、座卓の後ろへ退いて顔と畳とを水平で保つ。些か迷いがあるのか、短い沈黙を置いて口を開いた。
「祭事前日のことで御座います。わたくしめの如きに『我が末裔を頼む』と発せられ、祭事の折は…………勿体無くもかへす返す『よしなに』と………………」
響也は驚いた。
彩という少女は、話しながらしゃくりあげ、肩を震わせ咽び泣いている。
その心情を知らぬ彼も、分らないなり(はへぇ~……)と口を開き、ある意味感心して頷いていた。
「お彩や。これからはな、おぬしは遠い親戚筋の養女ぢゃが、諸々の事情で我が社がその身を預かっている。そういう事にしたいが、よいかの?」
「 御意 」
(だから、ギョイってなんだ?)響也は知らぬ言葉だが、概ね『了解』の意だった。
祖父は少女へ歩み寄り、片膝をつく跪座の姿勢で屈み込んだ。
彩の右手を畳の上から包むよう自分の両手で取り、上の手を優しく置き直して諄々と説く。
「今日からは我が家の一員ぢゃ。どのような主命を受けたか詳しく話す必要はないし、向こうの事なども同様ぢゃ。己の欲するままでよい。ともあれぢゃ、こちらの仕来りや習慣を掴み、まず毎日の生活に順応することを第一義の務めと心得るがええ。よいな」
「ははっ!」
祖父・空夜が少女を教え諭した後、響也は立ち上がって言った。
「そうと決まれば、さっきリクエストのあった物を出すぞ。ジイさん、布切れ沢山あったよな。何処だっけ?!」
「ハテ、納戸か物置のいずれかぢゃと思うが。長持の中だったかのう」
「まあ、いいや。実際探した方が早いだろ」
廊下へ出てゆく響也を見て「わたくしが」と彩も立ち上がろうとした。
「ああ、ええから居りなさい。まだ言うとく事がある」
左手を上下に仰ぎ、空夜翁が頷いて制すると、少女は「はっ」と返事をして大人しく座り直した。
「お彩が今日から暮らす部屋じゃが、ここの隣が六畳間で空いておる。そこでよいかの」
「ははっ、有難き幸せ」
畏まった彼女が頭をさげてから、笑顔で目じりへ皺を寄せた老翁は囁き声で言う。
「壁で両側が仕切られておる。ちゃんとプライバシーも守れるぞい」
「ぷ ら い ばしぃー……と、仰せられましたか?」
少女は仰ぎ見つつ、老総帥のヒソヒソ声と合わせ、聞き慣れぬ言葉を小さく復唱した。
「隣が響也の部屋でな。襖一つで隔てただけの部屋では、何かと差し障りが出てくる。若いおなごじゃから、内緒ごともあるぢゃろう」
彩は始め要旨の解らぬ表情でいたが、さっと面体を下げて言った。
「御諚なれど。御主君様の身に万一焦眉の急が迫りました折、孤立なされれば取り返しの附かぬ結果となります故。襖隔ての部屋がありますれば是非とも、其処へ配置換え戴きたく」
「待てまてっ、焦眉の急とは何ぞや!? ひょっとして」
彩の口を衝いて出た言葉が、空夜翁を愕然とさせた。
「何卒、なにとぞっ、ご便宜の程、伏して請い願い上げ、奉りまする!」
ひれ伏し懇願する彩の姿と、出発前の師君・朔夜が『かへす返すもよしなに』と言い含めていた事実を考え合わせ、空夜老翁は先祖が不自然な非常手段を用いてまで、この少女を送り込んできた只ならぬ動機を勘案した。
「しかし、じゃ。これは響也のプライバシー保護も係わる事ぢゃから。そうなってくると、あヤツの意思も確めてみなければならん」
その時、響也が焦げ茶色の布製収納ボックスを両手で抱きかかえ、戻ってきた。
「おう、あったぞ! 俺のジーンズのお古もあるから、使わないなら戻しとけよ。凄く高いやつだから捨てちゃいかん。リペアすりゃ、返ってグッドな感じで仕上がるんだ」
彩は響也が入ってくるなり、その方へ向き直った。
額を畳表に擦り付けんばかり、深々と頭を垂れた少女は面体をあげ、彼の顔を見る。
「むっ、今度はどうした?!」
気まずい沈黙が生じた。
響也が質問しても、彩は押し黙ったまま。大きな瞳でじっと見つめるだけで、彼の顔色を窺っている。
「?」
見かねた祖父が、声をかけ促した。
「ホレ。何とか言うてやれ」
「えっ……なんとかって、何をさ?」
「許す、とか申せ。とかぢゃよ」
「な! そんな事言わないと話せねぇの?」
響也はあきれ果て、これ以上付き合いたくないと思い、持って来たボックスを一枚板で作られた大きな座卓の上へ置いて、命じた。
「許す。話せ」
「はっ!」
彼は少女の底知れぬほど澄みきった瞳を見ながら
(この女、頭おかしいんじゃねえの?)と思った。
後に判ることだが、やはり彩のIQは200を超えていた。
数十分後。
下げ渡された布や古着類並び、裁縫道具一式を少女は恭しい姿勢で押し戴いた。応接室から今、自分の部屋と決まった六畳間へ移ろうとしている。
「ご主君様、何卒この彩めをっ、お側近くに控えることを、お許し下さいまし!」
御主君さまへ直談判に及んだ少女だったが、あっさり断られた。
何せ響也も、襖一枚隔てただけの部屋へ同じ年頃の女の子を置いて、気を遣うのは嫌だった。加えてこれまで通り、自分用の8畳間と6畳部屋とを時おり繋げ、広々とした状態で使いたい。
(まあ、あの子自身のためにもなる。これで良かったんだ)
彼が心の中で自己弁護を呟いたのは、断ったとき彼女の表情がなんとも悲しげで、自分が抱いた罪悪感を払拭したい心理が働いた為だった。
少女が部屋へ入ったのを見届けて、孫が尋ねた。
「古着や布きれなんて、どうする気かな?」
「おそらく自分の身の回りのものは、己で作ろうと考えとるんじゃろう。感心な娘ぢゃ」
老翁は段々と心配を募らせた。何しろ、年頃の娘のことはよく分からない。
――ふうむ、男所帯ぢゃ。配慮が行き届かぬことも多々あるのでは。
白く伸びた顎鬚を左手で掴んだ彼は、ゆっくりと撫で下ろしながら言った。
「あの子がどんなものを必要としとるか、凜子くんと相談して把握せねばならんのう」
「ところであいつ、結局何者でどこから来たんだ?」
察しの悪い孫だと落胆しかけた空夜翁だが、気を取り直した。考えてみれば、最初から有りの儘を説明していない。
「疑うなよ響也」
祖父は両腕を後ろ手に組み、正面から孫の顔を見上げると、改まって告げた。
「あの子はな、四百年以上前の我が御先祖が、現代へ送って寄こした忍者。所謂『くノ一』ぢゃよ」
「 はひゃあっ!? 」
彼は「ハアッ?」と言うつもりが変な声を張り上げた。顔を前へ突き出した場面で、吹いてしまった。
祖父は構わず、注意喚起する。
「言うておくぞ響也。あの子はしっかり者とは思うが、内心は不安で堪らないであろう。ぢゃから、それらを払拭できる十分な配慮をせよ」
「…………はあ。……」
まあ、どうでもいいか。という感じで気のない返事をした響也は、当然まともには受け取らず、疑っていた。
彼女の部屋を見ながらやれやれと首を振り、後頭部を指で掻く。
――浦島太郎かよ。大体、忍者なんぞ送り込んで何する気だっての?!
謎の少女・彩を保護した翌朝から色々な事があったので、響也は気疲れしたせいか昼寝が長引いていた。
目を醒ましたのは夕方ごろ。台所で俎板を包丁でトン、トンと叩く何とも心地よい音が耳へ伝わってくる。
記憶はない筈だが、どこか懐かしい余韻を残して安らぎを感じた。
やがて味噌汁の香りも漂いだし、響也は空腹を覚え、次第に微睡み状態から意識がはっきりしてきた。
(何かつくってるのか? あの『彩』って子以外、居ないよな)
響也はまだ起きようとせず、うつ伏せの状態から向き直る。大の字から両手を頭の後ろへまわして枕にし、目を瞑ったまま考えた。
(ガスコンロ、どうしたんだろう。ジイさんが直して使い方を教えたのか?)
何であれ、思いがけず突然〝おさんどん〟が我が家へやって来て、早くも働き出した。これは大変重宝な助っ人が現れたものだ、と彼は思った。
ようやく目の覚めた響也が、夕飯を待ちこがれ暇つぶしを始めたのは5時半過ぎ頃。だが、まだ起き上がった訳ではない。ゴロゴロと転がる向きを変えたりして、時間を過ごす。
その内、簀子縁の方から『ニャア~ッ』という鳴き声が聞こえ、半ノラの飼い猫・千代の気配がした。夕暮れ時なので、餌のおねだりタイムと気付く。
障子戸を開けてやると、竪框に首を擦り付け、ついで八の字を描いて行き来しながら、体の左右側面を擦りつける。そのたびモヤっとした白い毛の塊りが腿の後ろへ集まって漂うので、響也は「あ~あ~っ……」と眉間に縦ジワを寄せた。