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6 苦衷

 予想外の行動で、響也は素っ頓狂な声を出して一歩飛び退く。


 一方、少女は澱みなくはっきりと口上を述べ始めた。


「お初に御意を得まする! 紀伊・伊賀の末孫、山城乃国が民草一女、霧隠彩と申しまする。御主君様に於かれましては、ご機嫌麗しゅう。恐悦至極に存じ、奉りまするっ」


「え?!」 ――何いってんの? この子??


 響也はすっかり狼狽していた。

 今時、他人へ謝罪する時でも平伏する者はいない。

 返って芝居がかった挙動と誠意を疑われ、軽蔑されかねない行為である。


 当然、彼自身した事もされたこともないし、益して挨拶の為なんていうのは皆無だった。


「お おい、よせよっ時代劇じゃねぇんだからさ。まあ、頭を上げなよ」


 『 はっ!! 』


 続いて大きな返事が、響也をびっくり仰天させた。

 気合で射抜く威勢があって、何だか叱られている気分もしたが、やっと顔を上げた少女は


 ――――さっきより、顔いっぱい感情の溢れる面持ちをしていた。


 この時、適切な表現など意識外の響也だったが、後々考えて例えると

 《 明星を仰ぐようにみつめる 》そんな表情だった。


 後方から、玄関の引き戸を開ける物音がして「はてさて何処へいったのやら」と声が聞こえてくる。

 床を踏む音と気配が近づいてきて、現れた祖父は声をかけた。


「響也、どうしたあの子は。やはり居らなんだか?」


「ジィさん……!」


 祖父を振り返った彼は視界を妨げぬよう体を空け、手の平をつけて土下座する少女を目で指し示した。

 響也が目配せした時、祖父が入って来ることを察し、彼女は再び頭を下げ顔を伏せていた。


「おお、此処で何をしておった。心配したぞい!」


 少女は祖父の言葉に反応し、一瞬体を強張らせたのが傍目からも分った。

 声は出さずより深く頭を下げ、殆ど床へ這い蹲る状態となっている。


 祖父は少女の緊張感を早く和らげようと、穏やかな語り口で、先ず自己紹介を始めた。


「ワシの名は土御門空夜という。当流儀の現総帥を務めておる者ぢゃ。取り敢えず頭を上げて顔を見せてくれぬか? ん~とな、……『あや』。………… 」


 少女の固有名詞らしき単語を発言した祖父の顔を、響也は意外そうな表情で見た。


 すると彼女は少し頭を上げ「畏れながら」と言った。

 目は合わそうとしないものの、小さいが通る声で、訂正の言葉を告げる。


「謹みて言上仕ります。わたくしこと、人をして称さるるを『さい』と申しおりまする」


「おおっ、そうかそうか、それは済まなんだ。漢字は知っていたのぢゃが、読みがどちらか判らなかったものでな」


 そう言って、祖父・空夜は照れた笑顔を浮かべて謝罪した。


「許してくれるかの。お彩」


 はたと顔を上げ、初めて祖父を見た少女は恐縮の余りか、直ぐさま項を垂れて言葉を述べた。


「勿体のう御座いまする。許す許さぬなど、素より臣下の慮外なる存念。……しかるに滋味溢れるお言葉、愉しゅう御座います。心底より感謝申し上げまする」


 ツンツン、と孫は祖父の背後から右袖を引っ張り、注意を引いた。


「どうした? 響也」


「名前知ってたんか?! ジイさんの知り合い?」


「会うのは初めてぢゃよ。字面だけ分っていたが、読み方がはっきりせなんだわ」


 響也はこんな所へ女の子を這いつくばらせて話し続けるのが鬱陶しくなり、自分は小腹も空いた。お茶と煎餅でも食べながら、早く畳の上で寛ぎたい気持ちになっていた。


「なあ此処じゃあさ、いつまでも何だから。移動しねぇ?」


「うむっそうぢゃ、板の間では冷たかろう。いま少し落ち着いた場所へ移るかの」


 祖父は提案に頷いて、この不思議な少女を最も雰囲気の良い書院へ案内しようと決めた。



 土御門神社境内の居住スペースである母屋は、鎌倉山の山頂付近。切り立った傾斜際と対面して沿う、塀並びに建っている。

 家屋簀子と対面する道場回廊間は、枯山水の庭園が整えられ、それを見渡せる場所へ十畳の応接間が設けてあった。

 純和風で、上座右側に床の間があり「天照皇大神」と大書された掛け軸。両脇は「月読命」と「建速須佐之男命」の軸が掛けてある。


 反対側の床脇上部は袋戸棚、下は違いの飾り棚が配されていた。また付書院として床の庭面縁側へ張り出した造り付けの棚が備えられており、格子戸が外の光を取り入れ、文机として使えるし読書もできる。

 祖父が心底寛げる憩いの空間であり、典型的書院造りであった。


 襖で隔てられた直ぐ隣、一番奥の八畳間は祖父・空夜自身の寝室となっている。


 社務所離れは正面大鳥居傍、道場斜向かいに位置し、母屋へと繋がる通路途中が玄関。

 塀側の並びからトイレ、脱衣所と浴室。少女がコンロを触っていた板間の台所兼リビング。

 押入と勝手口・納戸があり、廊下を挟んで玄関脇から客間として和室6畳、響也の使う8畳間が並ぶ。

 居間6畳を置いて先程の応接間及び祖父の寝室があって、最も拝殿・神殿と近い位置になる。


 応接室を兼ねた書院の大きなテーブルは、普段片肘置きの付いた座椅子が向かい合っていた。

 今はそれを除けて少女を促し、座布団へ座らせていた。

 というのも、始め遠慮してこの場所には座ろうとせず、床(かまち)前の坐上へ腰を下ろした祖父・空夜の面前と近すぎて「せん上の極みに御座りますれば」と言うのである。


 ――高貴な家柄のお方同様、スダレ(御簾)のむこうへ隠れろ。とでも言うのか?


 テーブルから離れ、祖父の寝室を隔てる襖前ぎりぎりの場所に背を向けて、また突っ伏そうとするのを説得した。響也が菓子や煎茶を運んで手ずから少女の湯飲みへ注ごうとすれば「勿体のう御座いまする」と身を硬くし、テーブル下の畳に手を突いて頭を下げ、菓子を勧めようとするも一々恐縮すること頻りで……。


 どうもこの少女、言うこと成すことが一風変わっていて

 (堅苦しい物腰と聞き慣れん敬語が大半だ)という以外、彼は取り立てて良い印象を抱かなかった。


 もはや響也は、少女の言動を無視して放って置くと決めた。足を崩して楽な姿勢をとり、祖父の左隣で煎餅を食べながら、ただ双方のやり取りを聞くだけの腹積もりでいる。


 だが空夜は、孫の入れたお茶を悠然と喫して

「うん。ちょう畳じゃ、重畳ぢゃ」満足気な顔で頷くと、まず響也の方へ話しかけてきた。


「初めて対面したときは、何と言っておったのかな?」


「…………『強烈地獄にぞんじたてまつる気分だ』っていってたよ」


「んんっ?! なんの事ぢゃ。それは?」


 〝恐悦至極〟を聞き違えたと当て擦る駄洒落だったが、無理なこじ付けのうえ意味もかけ離れており、彩は『御主君様』がコケた笑いのツボやら諸々、まったく理解できなかった。


 無駄な前振りの後、祖父は少女の方へ優しい眼差しを向け、改めて確認した。


「まこと腹は減っておらぬか? 茶菓子でなく、もうチト益しな物も用意できるのぢゃが」


「いえ、ひもじくはございませぬ。……お心遣い、感謝申し上げまする」


「ところでお彩。言わば長旅じゃったろうが、気分はどうぢゃな?」


「はっ目覚めてより此の方は、頗る壮健にて」


「ここへ来る間、何ぞ恐ろしいことなどは起こらなんだか」


「祭事に入りまして後の様は、眠るが如く。一切が鳥鷺覚えに御座います」


 そして僅かの間、視線を下へ落とした後、戻し〝かの時〟の印象を語る。


「有態に申し上げますれば目を閉じまして開いた刹那、世の移ろいが斯くの如く一変しておりました次第」


「今後の生活ぢゃが、何か不安を覚える事柄などはあるかな?」


「いえ。今のところは御座いませぬ」


「ならばこちらの様子で分からぬ事、疑問を感じることは無いかの?」


 彼女は再び少しの間を置いてから、思いがけない質問をした。


「先ほど、わたくしめが居た場所は『厨』と存知ますが……」


「くりや? おお、厨房……台所のことじゃな!? そうじゃよ。厨ぢゃ」


「やはり左様でございましたか。火桶や竈などは見当たらぬものの、鍋や五徳などの他『荒神具』と思しきもの在り。遥か後の御世ともなりますれば、火伏せの神もかくの如く変容致しましょうものか。驚を禁じ得ず、只ただ呆然たり」


「その『厨』がどうしたのかな?」


「お伺い申し上げます。今『厨』を取り仕切るは、何方で御座りましょう?」


「いやっ、それがのう」


 空夜老翁は、広い境内で孫とたった二人暮らし。という状況を説明するのは躊躇われ、言葉が見つからない。


「ぢつは一昨年おととし、連れ合いを亡くしての。以来男やもめでな…………誰も居らんのぢゃよ」


「これはっ――――」


 それを聞いた少女は全てを察したのか、哀悼の口上も告げられず、絶句してしまった。

 再び面体を下げ、眼差しを落とす。


 見れば口唇を固く結んでいて、それは彼女なりの煩悶を表していると思われた。


 例えばこの少女をして主家の落魄などは、自身の挫折より胸のふさがる気持ちであろうことを、総帥・空夜は認識していた。

 広い敷地で家族が男二人きりの寂しい状況を「落ちぶれた」と言い表すのが適切かはさて置き、黙っていてもいずれは知れる事なので、仕方がない。


「そんな困っちゃいないけどねぇ。野菜不足だって、小分けされてるもの買ってくれば充分補えるんだから」


 気が付けば肘枕で横たわり、すっかり寛いでいた響也は目を閉じ笑ってうそぶいた。

 しかし危機的状況が変わらないので、少女は深刻な表情を崩していない。


(崖っぷちでお気楽な主人の体たらくを見れば、尚更かもしれぬ)と人生経験の豊富な空夜は斟酌した。


 少女は老総帥へ向かい、改めて指をつき辞宜をすると、申し入れた。


「願わくば、この彩めに朝餉、夕餉の仕度など取り仕切らせて戴きたく。請い願い上げ奉りまする」

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