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5 捜索

「う……」


 ぼんやり見ていた響也は、傍らの少女の口元から微かな声が洩れたのを聞き、はっと我に返って呼びかけた。


「お おい、大丈夫か? 生きているのかっ、あんた!」


 彼女が薄く瞼を開くと、琥珀色の瞳が垣間見えた。

 意識の混濁した空ろな眼差しで、呼び掛けた響也の顔を捉えると、啜りあげる断続的な音が鼻腔から伝わる。

 涙を浮かべ、小さく擦れた声だったが一言、確かこう呟いた。


「……し、くん ……さま…………」


「えっ!?」


 縋るような視線を向けられドキンとした彼だが、その言葉の意味までは解らなかった。


 (〝さま〟という事は、誰かの名前か?)


 そう受け止めたが、少女は囁いたのち潤んだ目を細める。

 涙の雫が目じりへ集約され、頬を伝って流れ線を描き…………瞼を閉じてしまった。


「おいっ、おい、どうしたっ気をしっかり持てよ!」


 今度は呼びかけても、何の反応も示さない。

 完全に意識を失ったらしい。


 その時、背後で物音と人の気配がした。響也が振り返ると、瓦礫を押しのけ埃だらけとなった祖父が、姿を現した。

 ――そうだった、コイツがいた。ジイさん、生きてた!


「 ジイちゃん、スゴイのが降って来たぜっ ど―いうことだよ、このっ 」


 抱っこした少女を顔で示し、彼が尋ねると開口一番。


「ワシャ知らん」


「なっ、なンだとぉ!?」


 惘れた響也が大声で返事をすると、続けて言った。


「まさかとは思うたが。こりゃ容易ならん事態ぢゃ……」



 時刻は十一時過ぎ。

 少女は母屋の客間として使われる和室へ寝かされていた。


 彼女が突然出現した三時間余り前、響也は少女の体が驚くほど冷たくなっている事に気が付いて、抱き上げたまま浴室へ駆け込んだ。


 今日はちょうど祖父が、手伝いで来ていた凜子さんに頼んで風呂まで沸かし準備していたのだが、偶然だろうか? と思う。


 …………さておき一番最初入ろうと考えていた彼は、出端をくじかれ予期せぬ展開となってしまった。


 水で埋めた浴槽の湯を手桶で汲み、少しずつ掛けて熱の刺激を避けた。体をゆっくり温めて慣れさせておき、その後湯の中へ全身を浸してやった。


 彼女が出現した時の身体を丸めた胎児みたいな状態といい、奇しくも新生児や赤ちゃんを初めてベビーバスで沐浴させるのと、似た手順で事を運んでいたわけだ。

 後でこの経緯を聞いたクラスの男子連中は「責任を取れ!」と小学生みたいな調子で響也を囃し立てたが、女子生徒達の中には

「バプテスマを施したわけね。ヨハネの靴紐を解いて差し上げる資格すらあるのかな?」

 と、味な言い回しで皮肉を噛ます者がいた。


 両腕で支えながらしばらく体を湯船へ浸していると、少女の頬にほのかな赤みが差してくる。


 もう頃合いと見て、浴槽から持ち上げた。

 なるべく大きなバスタオルを取り出して、彼女の全身を包んでやり風呂場を出ると、廊下で待っていた祖父の先導で部屋へ運び、少女の体を横たえる。


 響也が彼女の体を湯で温める間、祖父は客間に布団を敷いて寝巻代りの浴衣も揃えていた。


「どうぢゃな容態は」


 そっと襖を開けて、入ってきた祖父は尋ねた。


「ああ、変り無えよ。救急車呼んだ?」


「いや、電話が通じぬ。かなり大きな雷が落ちたから、断線しとるんぢゃろう」


「ちぇっ、ケータイやらの類は持ってねぇし。近所の車で病院へ運んでもらおうか」


 孫のもっともな提案を、祖父は言下に退けた。


「平気ぢゃろう。その子は死んだりはせんよ。ただ眠っているだけぢゃ、大事無い」


「大事ないって、このまま目が覚めねえかもよ?! 医者の診察受けなきゃマズくねえ?」


 祖父は少女の傍へ坐り、額に手の平を当てる。

 ゆるやかなカーヴを描いた細い眉。筋の通った小鼻と薄い唇。

 僅かだけ開いた口から、真珠のような歯が覗いている。


「熱もなく呼吸も安定しておる。響也よ、お前の処置は適切ぢゃった。ようやったの」


 振り返った祖父はにっこりと微笑み、孫を労った。


「な、何だよっおだてやがって。……ガラじゃねえよっ」


 思わずそっぽを向き、響也は照れてぎこちない反応をしてしまったが、いつとなく懸念は消えて、病院へ運ばなければという気持ちも薄らいだ。


 ――それにしても、今日はやたら色々あったなァ。いい加減疲れちまったぜ…………。


 少女の容体を見守り続ける響也は、知らぬうち眠気を誘われ意識が遠のいた。




 翌日は土曜日で、ちょうど休日だった。


 響也を起こしてくれたのは雀の喧しい井戸端会議で(あれは鳥達なりの言葉で、近所の噂話や情報交換をしてる。間違いない)と布団の中でボンヤリ考えながら数分を過ごす。

 だが彼は、朝寝坊するタイプではない。寧ろ早起きの類で、理由があって夜更かしをしても、目を覚ます時間は大抵同じ、という性質だった。


 (まずい、普段着のまま…………もう部屋へ引きあげなきゃ。ふあっ・・・……ん?)


 うつ伏せの状態から起き上がろうとした時、響也は目前のからの敷き布団を見て忽ち記憶が甦り、一気に目が冴えた。


 ――オレ、どうして布団の脇で突っ伏してた? あの女の子、何処だ!?


 彼は昨晩遅く、胡坐をかいた姿勢で謎の少女の傍へ付き添っているうち、どうもウトウトするなぁ。と思った後の憶えが無い。

 よく見れば今自分に被せられた布団こそ、寝ているあの子へ掛けてあげたものではないか。


 ( 消えた! )


 響也は飛び起きるとまず簀子縁に出て、向かいの庭と道場の周囲を見渡した。


 しかし、少女の姿はない。


 (朝の6時を少々過ぎた頃だから、ジイさんは神殿か)


 渡り廊下を走って道場の周縁を回り、今度は境内へ面した場所から周辺を振り仰ぐ。

 そして参道を挟んだ向かい塀際、松林の前で掃き掃除をしている祖父・空夜の姿を発見した。


「オ――――イ!」


 両手を頭上で大きく振りながら声をかける。白い上衣と浅葱色の袴を着けた祖父は、孫の方を見て間延びした呑気な構えで聞き返してきた。


「 響也よ、どういう風の吹き回しぢゃ。掃除の手伝いでもしたくなったか 」


「 あの女の子、消えちゃったぞぉ~~~! 」


 うむうっ!

 と祖父は手にしていた箒を放棄して、響也のそばへ小走りに駆け寄り、真剣な面持ちで見上げながら言った。


「消えた、とは? 消えるのを見たのかえっ!?」


「いやっ違う! 起きたら俺は布団をかけられてて、あの子が居なかったんだ」


 先程までとは打って変わったシビアな表情を見て、響也は弁解口調となった。

 祖父は、現れた時とは逆で彼女の体が文字通り(消えて無くなった)と早合点した様だ。


「神殿の礼拝と清掃を済ませ、此方へ来たのはつい先程ぢゃ。それまでは姿を見なんだが。…………道場の中は調べたか?」


「いや。そう言やぁ、未だこれから」


「ではワシゃそっちを探す。響也、お前は社務所と家の中をもう一度くまなく探してみい」


 手分けを命じた祖父の指示に無言で踵を返し、響也は母屋へとって返した。


 考えてみれば風呂場やトイレでも、居住スペースは入り込む場所が幾らでもある。

「出ていった」と思い込み、庭や境内ばかり視線を巡らせていたが、改めてよく確める必要を感じた。


 渡り廊下を引き返してきた響也は、対面する母屋の簀子から客間に戻る。


 少女を寝かせていた布団を飛び越え、右側から探すつもりで中廊下の端へ踏み込んだとき、目線の先に明らかな変化を捉えて、彼は動きを止めた。

 リビング兼台所前の引き戸が、開け放たれている。


 あの部屋へ祖父や自分が出入りしたら、開きっぱなしで去る筈はない。また微かな物音もして、誰かが居る気配を感じた。

 彼は気付かれないよう、少し体を前屈み気味で重心を低く保ちつつ、その場から抜き足差し足進んで行った。


 (やっぱり、誰かいるな)


 戸口脇から、響也はゆっくり上半身を横に傾けて右目半分だけを覗かせ、台所内へ視線を走らせる。

 其処に少女の後ろ姿があった。


 彼女は集中しているのか全く気付かず、キッチンコンロのつまみをひねっては戻し〈カチッ、カチン〉と、点火プラグからひたすら火花を飛ばしている様だ。


 (あれは。……一体、何のつもりでやってるんだ?)


 彼は疑問を抱いたが、段々と興味の方が勝り、黙って見ていた。

 やがて少女は、つまみを捻ったまま〈パチッパチッパチッ〉と連続的な火花を散らしはじめたが、次の瞬間ボッ! と勢いよく大きな炎が噴き出し、彼女は背中をビクッとさせて、その位置から慌てて右腕だけを伸ばし、つまみをひねって元へ戻した。


 ――お約束通りだ。


 響也が内心(フッ)と笑い、少女に歩み寄ろうとした直前、彼女は後を振り返って、目が合った。


 一瞬、心の中で笑う声が聞こえたみたいなタイミングだ。と思った。


「なかなか点かないんだよ、それ。最近は使わねぇから、手入れも全然してないんだ」


 少女は無言で不動のまま大きな目を瞠って、じっと響也の顔を注視している。


「でも面白いリアクションだったなぁ。初めてガスコンロへ触れた、ってな感じだったぜ」


 だが少女は響也の顔を見据えたまま、何も話そうとはしない。


 ――言葉が解らないのか? 外国人じゃねぇみたいだし。……別に怖がっちゃいないよな。


 これといって少女が怯えている様子はなかった。その内、両手を僅かずつ上へ持ってくると、右手の平で胸を押さえ息をのみ、むしろ食い入るように響也の事を見ていると感じた。


 (この儘じゃ、間が持たねぇ)


 何か喋ってくれと思い、クシャクシャと頭を掻いて自分から「あのさあ、何処から来た」と言いかけた途端。少女はその場へ膝を折り、正座して手をつき、深々と一礼した。


「あんっ!?」

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