玖 懐柔
事態の複雑化を懸念した遮那堂は、彼女が最も安心する待機場所を挙げておく。
庭では、依然として防具少女が怒鳴り続けていた。
『 逃げるなよっ霧隠彩! 出て来ないんだったら、今後は雲隠彩って改名しろ! 』
「痴れ者かぁ? アイツは♪」
叶仁子は、伸ばした肘を下から交差させたもう片方の腕で押して、横へ延ばした。そうやって身体を交互にひねり、両腕の筋肉をほぐし終え、溌溂とした表情で言った。
「それじゃあ一つ、行ってみよ――か!」
「エェーッ、どこどこ、何処へ?」
「下よ、決まってんでしょ。アイツが誰の差しがねで来たのか、吐かせるっ」
今度はぽきぽきと指の関節を鳴らす彼女を、雪城舞が慌てて止めた。
「ジンコ、早まってはいけませんわ。いま遮那が、剣道部の先輩と扱い方を決めましたの。生徒会が交渉するので、職員室も対処を手控えてますから。当面彼女は放置プレイでお願い」
「なんと、不憫なヤツ……!」
「でもでも、でもさ、剣道着姿だから、ウチの女子剣道部員がタコ殴りするの? 竹刀で」
ねえねえとしつこく聞く留美のむこうで、教室から出てきた男子達も下を指差しながら笑っている。
道化として遇われる少女に、仁子の中で微かな同情心が芽生えてきた。
理由はどうあれ、他の学校へ独り殴り込むなんて漫画チックな事を、彼女は実行しない。出来ないが、そういう人間は嫌いじゃないのだ。
(それにしても痛いヤツだな。恥ずかし気もなく、良くやるわ)
校舎へ向って大声を張り上げる防具姿の少女を、窓から多くの生徒が見物していた。
敷石手前に出て来た女子数人が遠巻きで眺めながら、剣道部の子? などと友達同士で囁き合っている。
栗林茜は竹刀を振り回し「オイ、見世物じゃないぞ!」と怒鳴った。
そのとき中央の昇降口から女児がひとり現れて、こっちへ歩いてくる。
(んンンン~ッ? どうして、あんな小さい子供が高校にいるんだ?!)
女児は茜の目前までやってきて立ち止まり、ペコリと頭を下げて、ごきげんよう。……可愛らしい声で丁寧な挨拶をした。
「私は本校2年α組の鴨川セリといいます。当校の生徒会長が会ってお話を伺いたいと申しております。案内致しますので、どうぞこちらへお越し下さい」
幼女は周りの女子生徒達とまったく同じ、白いブレザーを着ている。どういった事情か知らないが、
(本物の高校生なのは嘘じゃないみたいだ)そう飲み込んだ。
「ボクは霧隠彩と剣道で試合うため来ただけだ! 生徒会長なんかお呼びじゃないっ」
「我が校女子剣道部の部長、春原も待っております。その場で、直接申し入れてください」
幼い女の子は再び頭を下げた。年端もいかない者から、折り目正しい物腰でしっかり告げられた。
ここで怒鳴り散らせば、一体どっちが子供じゃい! と言って哂われるだろう。
茜も年長者としての体裁がある。先導するというのだから、させてやればいいと思った。
「いーわよ。案内して貰おうじゃない」
10分の休憩時間は早々と過ぎ去り、4時限目の授業が始まっていた。
士衛館高校では、女子剣道部部長の石動萌が頭を悩ませていた。
一年生の栗林茜が朝練をサボって学校の授業もすっぽかした挙句、携帯の電源も切り音信不通状態である。
自宅に電話をかけると、ちゃんと制服姿で家を出ていて、登校していると思っていたらしい。
考えたくはないが、極めて直情径行な突っ走る性格の少女であった。
(茜、まさか……まさか、鎌倉へ行ってるなんてこと、無いよね?)
萌が新入部員の頃、士衛館高校女子剣道部員は20名を数えた。
文科系・体育系を問わず、上級生と下級生の仲がしっくりいかず、空気の悪い部も存在するが、剣道部は三年生の人柄を反映してか二年の先輩達も良い人ばかりで、優しく指導してくれた。
当時の部長、紺野諌美主将のもと士気は天を突き、県大会優勝。
転じて、以前から全国や坂東旗でも優勝争いの常連校だった士衛館も、萌達の先輩であった三年生の卒業後は、隆盛も過ぎ去った感がある。
石動萌や周防このみら現三年生は、先輩達の築きあげた栄光や伝統を後輩達に引き継いでいけるのか、心許ない。
そんな彼女達の希望が、栗林茜だった。
自分の携帯を見ながら、アドレスの番号をタップするかどうか迷っていた。先日、絶交を宣言した相手だからだ。
突然スマホが振動して、萌は心臓がドキッとした。
表示されたのは、自分が連絡を入れるべきか躊躇っていた当人・芽衣子である。
「 いらっしゃい! ごめんね――っ、お待たせしちゃって 」
ラズベリーブラウン系統の短いクセ髪をした活発そうな女子生徒が、声を弾ませ沢山のケーキを並べたトレーを持ち、入ってきた。あ然とする茜を顧みず、目前へどんどん並べ出す。
――えっ、ええ? なんだ何だ!?
「これ今評判のパティスリーの品でね、旬のフルーツをふんだんに使ったタルトが人気なの。イチゴショートやチーズケーキも美味しくて。JR鎌倉駅向い、赤い鳥居近くの店よ」
饒舌な彼女は、皿菓子をテーブルの真ん中へ置きながら言う。
「そうそう、私この学院の生徒会長で遮那堂かほる。よろしく!」
(これがミイラ学園の生徒会長!? その辺の気のいい姉ちゃんみたいじゃん!)
女生徒会長といえば、眼鏡をかけた堅く地味な優等生か、美人だが才気走った上から眼線の、いかにもやり手といったムードで、相手を身構えさせるステレオタイプなイメージしかない。
ここへ案内されながら
(脅されても撥ねつける!)と決意していたが、今見ているのはニコニコして気さくな、客の来訪を心底喜んでいる人間の振る舞いだった。
この自然な雰囲気は、多分演技ではないだろうと茜は思った。
顧みて、彼女の通う士衛館の生徒会長は前者。男子で、没個性な優等生タイプだ。
「遠慮しないでどんどん食べて。育ち盛りだし、部活でいっぱい身体を動かしてるんでしょう? ダイエットの心配は無いわよね!」
後輩役員と思しき女子生徒が続いて現れると、お盆に乗せた三つのティーカップをそれぞれのテーブル上へ置いてゆく。
「春原先輩も、どうぞ召し上がってください」
ポニーテイルの女子生徒が、伏し目がちで少し相好を崩して頷く。名前を聞いて自分の斜め前の彼女を見ながら、茜はいきり立つ。
(こいつが春原芽衣子か。ミイラ高校の剣道部主将で、萌先輩とも知り合い。……そういや、幼女が言ってたな『春原もいますから直接申し込め』って。霧隠との再戦を申し入れるのは、今しかない)
石動萌は春原芽衣子と絶交した事実を、部の誰にも明かしていなかった。
「生徒会長さん、ボクは先日の大会――坂東旗の結果が、まったく承服できない!」
遮那堂は口元へ持ってきていたカップを「うぷ」とおろしながら頷き、口を拭いつつ言った。
「うんそれで、先輩の敵討ちに来たんでしょ。やっぱりステキ! 先生からは大目玉食らったけど。ホント感心な子だわ」
――は、はあ? 褒めてるのか!? どうも、チョーシ狂うなぁ。
意外な反応であったが、一気呵成で突き進むのみだ。
「仇討ちとかじゃなく、再試合を申し入れるため来た。ハッキリいってボクだけじゃない。あれがまともな勝負だったか、大勢が疑ってる」
「それは審判の目を誤魔化して、何がしかの不正な手段を使ったんでは? という意味ね」
率直な遮那堂の指摘を、この見上げた根性を持つ小柄な少女は認めた。
「そうだ。ボク自身だって、生まれて此の方、突然気を失った事なんかない」
「…………それはたぶん、氣合で打たれたんだろうって、霧隠さんは言ってたわ」
押し黙っていた春原芽衣子が、迷いながらも口を開く。
「気合いで打たれるぅ?!」
「昔は時折あったらしいの。霧隠さん自身は始めてだったらしいけど、氣合で打ちひしがれた片方が失神することは」
「昔って? 幾つくらいの時さ」
言葉の意味を履き違えて、茜は訊ねた。
「450年くらい前。室町時代の末」
「ちょっと。フザけないでくれる!?」
「――萌からも、そう言われた……!」
寂しげな微笑みを浮べた春原芽衣子は目を瞑り、気持ちが高ぶったのか両手で顔を覆う。
気遣わしげな様子で彼女を見ていた遮那堂は、茜の方へ向き直り補足説明をした。
「霧隠彩ちゃんはね、自分を戦国時代からやって来た人間だって、言い続けてる子なの」
「 はあっ!? 」
「私が悪かったんだわ。彼女の助太刀である程度の実績を残せれば、部の存続が出来るかも知れないなんて……大変な結果になって、萌から絶交されちゃった」
「ちょっとねえ、ガチでいってんの? 部長さん」
虚構と現実を一緒くたで悲しむ彼女を、茜は当惑した気分で見つめる。
「部長さんって、うちの主将といつからの知り合いなのさ」
「彼女が通ってた品川の剣友会の先生が、父の大学時代からの友人なの。互いの門人同士を合宿させて試合したり稽古したり……萌とは、小学生の頃から競争相手で友達だった。中学へ進んでからもずっと今までライバルとして励ましあってきたけど、もうお終い…………」
事実、友人との関係が壊れた事の方が、春原芽衣子には大きな痛手だった。幼い頃からの友情が壊れたのである。
栗林茜も、この人は嘘をついていないと感じた。
450年前の戦国時代から来たとかも、本人が言い続けている事柄を、有りのまま告げているだけと理解した。
ひょっとして霧隠彩というのは、学校でかなりデリケートな問題として扱われている人物なのかも知れない。
「霧隠彩は……可哀相なのか?」
「ある意味では」
「もしかして、残念な子なのか?」
「ある意味ではね」




