4 少女顕現
しかし総菜であれ何であれ、今は様々なものが少量ずつ小分けされ売られている世の中。
野菜類も買って献立を組み立てれば、偏食など気遣いせず健康も維持できそうだ。
使いそびれて食材を腐らせ無駄棄てすることもなく、響也は
(この分なら、生涯独身でもまったく困らないだろう)と概して楽観的である。
彼の順番の時は、洋食系とサラダの組み合わせが多い。
祖父の場合は煮魚とひじき、きんぴらゴボウやゴーヤーチャンプルーなどを組み合わせた惣菜とか、刺身・海草サラダなどの魚介類を中心とした和食系で、ほぼ一貫していた。
そういう意味で栄養が偏る心配は無かったが、何時もの食事時間は過ぎている。
(ジイさん、祭事とやらを済ませてから飯の準備するつもりか)
響也はそんな事を考えながら、渡り廊下から道場へ足を向けた。
土御門神社の道場は母屋より広い。縦長で八十数畳ほどあって、外の参道と沿う形で附設されていた。
本殿や拝殿と同じ方向、上座にあたる箇所へ大きな神棚が構えられているが、元より神道儀式で使う場所と限定されてはいない。祖父・空夜のお爺さん、高祖父の代頃から建っている武術道場だ。
小柄なうえ飄々とした性格や外見と似合わず、響也の祖父は合氣道の達人である。
ここで無償のボランティアとして、女性や子供に護身術を指導する一方、本格的な合氣柔術を一般向けで教えており、そちらの月謝があって何とかなっている。というのが、この土御門神社の経営実態だった。
社務所では安倍晴明ファンや陰陽道ブームを当て込んだグッズが多数用意されているが、物好きな人は存外少ない。益してや社の誇る偉大な先祖・土御門朔夜と関連の冊子やお守りなども、全然捌けない。
世間で無名の〝朔夜さん〟は結局のところ選択外らしい。
「ジイさま、入るぞー」
戸を開ける前、響也は声を掛けた。中へ呼びかけるのはエチケットやマナーだからではなく、幼い頃受けたトラウマのせい。自己防衛本能以外の、何物でもなかった。
「いいかなぁ~~~~?」
二度目の声かけが済んでも、まだ響也は入ろうとしなかった。
続けて「やほほ――い!」と、おどけ声を張り上げてみたら、少し間を置いて返事があった。
「おお、響也か。入っておいで」
そぉ~と開き、響也は隙間から伺うよう慎重に、祖父の姿だけである事を確認した。
「何をしとる?! 早うこっちへ来んか、ホレ」
孫の行動が不可解と映るのか、祖父は手招きして急かした。
神職たる者は、外見も人を信じさせる位の威厳が必要だ。
騙してやろうという意図でなく、言い方を変えれば『安心してもらう』ため。
響也の祖父も白い髪を総髪にしていて、白い眉は筆の鋒先然と垂れ下がり、苔生した岩のごとき見事な外観を誇っていた。
ただ惜しむらくは背が低すぎた事で、全体的印象から貫禄を割り引く結果となっている。
他方、繰り返すと祖父・空夜は合氣柔術の達人だ。
学生時代『相模の小天狗』と称され、小兵でありながら巨漢の柔道家を投げ飛ばしたり、二十代の頃はナイフや鉄パイプを振りかざした30人以上の【愚連隊】と称されるチンピラ集団と大立ち回りを演じて
「自身はかすり傷一つ負わず、全員叩き伏せて病院へ送った事もある」
と、響也は古株の門下生から聞かされた。
相手は刃物など凶器を持っていたので過剰防衛には問われなかった。
それどころか人助けのためだったと賞賛され、感謝状まで貰ったという。
その『古株』というのが、鎌倉警察署内刑事課へ勤務する暴力犯捜査担当のごついおじさんなので
「多分本当だ」と彼も信じている。
響也自身、祖父が一斉に掴み掛かる8~12人の弟子たちを敏捷な動きで避けながら翻弄し、次々となぎ倒していく様を幾度か見たが、過去の〝武勇伝〟を知らされていなければ、まるで門下生たちが自分から吹っ飛んだり転んだりしてる出来レースみたい。そんな感じだ。
やっと中へ踏み込んだ彼だが、祖父の方に歩み寄りながら足元の床へ大きく記された同心円中の晴明紋――星型の五芒星が目にとまり、訝しげな表情で眺め回しながら傍へやってきた。
「えらく遅かったのぅ。響也よ」
「これ、何?」
人差し指だけで下の床をつんつん示しながら尋ねるが、祖父は質問には答えず孫へ背中を向けて、大きな神棚を見つめている。
「なあ、どうしたんだよジイちゃん。こんな時刻に道場へ呼び出してさ」
「ふむ」
神棚に向かい後ろ手を組み、暫く立っていた狩衣姿の祖父は短い返事をした後、小さく咳をしてからゆっくりと振り返り、白く長く伸びた顎鬚を左手で擦りつつ、語り出した。
「突然じゃが響也。ワシは四百年前の先祖が成した、ある秘術を時を越えて受け取るつもりぢゃ。お前個人も関わりがあることじゃから、一応立ち会ってもらうぞい」
「はあ!? なんのコトだよ、そりゃ」
空で再び、雷が低く重々し気な音を響かせる。祖父は袖をひらいて天井を仰ぐと、一点へ集中して何かを待ち受ける姿勢で見据えた。
「おう、時間がない!」
「えっ……なあ、この床の図形はどーいう意味があるんだ?」
一番最初の質問を響也が繰り返し訊ねた時、頭上近くで〈パリッ、パリ、パリ〉と低い妙な音が聞こえ、見ると小さな電気の様な細い光が球体を形作り、幾つか浮いている。
(オイオイ!?)
いい知れぬ気圧が周囲に満ち溢れ、響也の厭な予感ゲージはMAXへと達した。
祖父は素早く、胸の位置で両手指の組み合わせで幾つかの形をつくった直後、大声で叫んだ。
「 お前はただ見届けよっ! これが五行の秘儀《 相生降剋 》ぢゃ!! 」
瞬間、生木を引き裂く大音響に続いて天井で爆発が起こり、道場全体がガクンと沈み撥ね、足元を掬われた響也の体は大きくバランスを崩す。
天井が弾け飛び、柱や瓦礫が落下してくる光景がチラリと掠めたが、閃光のため目が眩んで視界は真っ白。音も聞こえず、意識が朦朧となって
――――――数秒の記憶が跳んだ。
部屋へ立ち込めた煙状の埃は、雷の唸りが遠ざかるに連れ薄まり、静寂を取り戻す。
最初は一条ずつの僅かな雫が、やがてポツリポツリと降りだし、霧雨へと変化した。
響也は倒れたままの姿勢で目を閉じ、暗闇の中じっとして、自分の体で感覚が無い箇所や、痛い部分がないかを、ハラハラした気分で探っていた。
どうやら、柱などの下敷きになることだけは免れた様だ。指先、足指の第一関節からゆっくり動かし始め、すべての動作確認を終えた。
(よしよし、…………大丈夫みたいだな)
体を折り曲げ横たわっていた彼は、背中の方へ仰向いて上体を起こした。
顔の周りは大量の埃を被っている。慎重に指先で払い落とし、目の中へ入らぬよう残りは手の平で扇ぎ飛ばす。
尻餅をついた姿勢で首を振り「ケホッケホッ」と咳払いしてから、言った。
「うえっ、、たく、冗談じゃねェ、このっ……」
顔をしかめつつ、薄目を開いて見た光景。
頭上で光りながら浮ぶ球体に、やっと気が付いた。
( なっなんだよ、ありゃ?! )
先ほど見た細かな放電の球体と異なり、光量が多く巨大な、直径およそ1.5メートル余りの白熱灯が浮いている。そんな有様だった。
無音で身の危険は感じなかったが、なぜ落雷の直後突如として出現し、どういう仕組みで此処へ止まっていられるのか、まるで想像もつかない。
摩訶不思議な気分で、響也は見入っていた。
眩い光で彩られた球体は変化を見せ始め、徐々に光を失い半透明となり、その中央へ更なる煌きが現れた。よく目を凝らすと、それは人間の形をしたガラス細工の――――しかもかなり精緻な造形の等身大人形で、自身が輝きを放っている。
なぜ人の形をした『電球みたいなもの』が現れたのか。響也は新たな謎に、十七年の生涯で培った頭脳と知識をフル回転して思考してみた。
…………しかし結局は混乱の極へ達するのみで、収拾の付く事態ではない。
ただ中心部の光が弱まるに従って肌色もけざやかとなり、これだけは認識できた。
( 本物!? 女の子が入ってる! )
少女を包んでいた球体は薄らいでいき、やがて消えてしまった。
今や皮膚の質感まで判別できた。
彼女は体を折り曲げ、胎児の様な姿。胸の前で両腕を重ね覆い隠す姿勢のまま、後方へ回転しながら浮かんでいる。
耳の上半分にかかる程度の短い髪の両際先端が、顔の前へ寄せてなびいていた。
不自然なほど緩慢な動きだと、響也は感じる。
加えて、どうやら細かい字の書かれている紐の付いた巻き物が、土星の輪さながら少女を中心として周囲を廻っていた。
まるで、その空間だけが無重力状態なのだ。
「どーなってんだ、あれっ……」
響也がやっと叫び声を絞り出すと、それが合図だったかのように、少女の胸の上で交差した腕が体の両脇へほどかれた。
仰向けに横たわる姿で、唖然と見上げている彼の元へゆっくり降下し始める。
「おっ?! お、……とと」
ポカンとしていた響也も、慌てて彼女を受け止めにかかり、少女は彼の両腕へそっと置かれる様に収まった。
最初空中で留まっている時は人形と思った程、彼女の体は光を内包し透き通った心証が、今腕の中へ抱いて間近で見る柔肌は、雪みたいな白さ。
響也も年頃の健康な男子だ。
同年代の少女の裸身を目の当たりにして、多感な時期特有の反応や動揺もあって当然だが、彼自身は見惚れて〝妙な気分〟どころの精神状態では無かった。
屋根への落雷が爆発を伴った事、忽然と裸の少女が浮遊していたミステリアスな状況のせいもあるが、何より印象的だったのは、しなやかで美しい豹みたいな身体の曲線。
そして引き締り、異様に発達した腹筋への違和感だった――――――。
ご感想等お待ちしています。