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これらの大雑把な流れも、中学校へ入学した頃、晴明ファンで占い好きな女子が指摘したことで、初めて知ったのである。
『土御門』という、珍しい家名に関心を示す友人からも、色々聞かされた。
実は響也自身、苗字違いである土御門家の本流が、陰陽師・安倍晴明へ繋がるものだという知識は全然なかった。祖父も話題にあげた事は無かったし、或いは彼が幼い頃から何かと脅える場面が多く、因習絡みな話を嫌う性格だったので、後継ぎとしては早々見切りをつけているのかもしれない。
神社へ行く道は七里ヶ浜町方向の他にも、稲村ヶ崎5の住宅地から長細い石段を登って、境内側面へ達するラインがある。響也は山道を極楽寺方向から登ると、いつも通りに塀沿いを進んで、南参道から小さな鳥居をくぐって中へ入った。
向かって右側に拝殿があり、さらなる奧へ本殿。
正面は高床式で茅葺き屋根の長広い道場。
左側の大鳥居方向に社務所がある。
居住スペースはその隣へと続くが、道場に隠れる位置で此処からは見えない。
社務所の方へ響也が歩いて行くと、金剛杖を突き篠懸の上に結袈裟を掛け、額へ兜巾を付けて箱笈を背負う修験者の一団が現れた。
天狗みたいな恰好をした七人の男達は、こちらを一顧だにせずざくざくと傍を通過して、大鳥居の向こうへ去っていった。
――またかよ! 相変わらずだな。
渋面で彼らの背中を見送り、うんざりした様子で「フウッ……」と鼻先で溜息を発した。
ワケの解らない来客がひっきりなしで訪れては消える。
お寺の坊さんや、双子を伴った怪しげなオバサン。
さすが教会の神父や牧師さんは一度も見かけたことは無い。
その代わり彼は幼い頃、信じられないものを見た事がある。
ある晩。
話し声を漏れ聞いて(誰だろう?)何の気なく、道場の戸を開けた。
丸座布団に座る祖父が、簡素な小型祭壇を挟んで同様の円座上へ腰かける三頭(?)の何かと対話していた。気配でこっちを見たその四者と、目が合う。
無言で響也は引き戸を パタン と閉め――…………。
すべては数秒の出来事だった。後で祖父と顔を突き合わせたが、その時の事を彼は聞かなかったし、祖父の方も全く触れることはなかった。
――あれは一体何だったんだろう?
でも目が六つもあるとか、胴体に顔があったりする奴って『 人間じゃない 』よな、きっと。
昔からこんな調子である。
大概の事は驚かない彼だが、出来ればなるべく関わりたくない。
玄関であれやこれやと思い出しながら靴を脱いでいる時、廊下で明るい声がした。
「やっ、丁度よかった。響也くん」
「ああ、凜子さん。いつもお疲れ様です」
巫女姿で玄関先へ現れた女性、鞍馬凜子を見て、響也は上体を起こしながら挨拶した。
知的な顔と良く似合うメガネ。普段大抵ジーンズを穿き、トップはエスニック調のシャツやカーディガンなどを諸々併せる、というラフなスタイルの女性だが、土御門神社に来ると必ず巫女装束へ着替えた。
本人が言うには「職場のユニフォームみたいなもの」だという。
でも着替え中声出し確認でチェックしてたりを考え合わせれば、以前やっていたという居酒屋のバイトみたいなノリだな、と響也は思っていた。
美大へ通い独特の感性を持って生きている彼女は、神社や仏閣に惹かれ鎌倉を訪れているうち居着いて、今は極楽寺駅前の理容店二階へ下宿している。
土御門神社にもその流れでやって来て以後、宮司である響也の祖父と意気投合したのが縁で、度々家の手伝いをしていた。
彼女は言葉を継いだ。
「今夜7時過ぎ頃から大切な祭事があるそうよ。総帥さんがきみも参加しなきゃいけないから、もう他所へ出掛けるなって」
「オレも!?」
響也は憶えがなかったので、訳が分からず戸惑い気味な返事をした。
「普段も夜中遊び行ったりしないすけど。今どき祭事って何だろ?」
凜子も少々困惑気な表情をする。
「さあ? あと、日没以降は雷があるかもしれないんだって。それから、湯殿の準備もしたのよ。禊でもするのかしらねぇ」
『禊』とは平たく言えば水垢離と同様、身を清める儀式だが普通は冷水を用いる。暖かいお湯を使えば、単なる風呂の〝かけ湯〟に過ぎない。
「まあ、取り敢えず了解。そう言うことなら…………」
「あ、ちょっと待って!」
奧へ行きかけた響也を突然呼び止めると、凜子は伸ばした両手で彼の頬を包み、自分の顔を近づけた。
そして首を傾けたりしながら、顎の下から額に至るまで真面真面と見つめる。
たじろいだ表情で響也は顔を逸らしつつ、ドギマギしながら尋ねた。
「な……何すか!?」
「だめっ ジッとして!」
両手でハシッと響也の顔を挟んで、元通りの位置へ強引に戻した。
緋色系スクエアタイプの眼鏡フレームが、彼の鼻の頭へ触れそうなほど接近してくる。
探求心に満ちた丸い瞳で凝視され、殊のほか気恥ずかしい。
それ程顔が接近している訳で
(キスでもされるんじゃ?!)と期待の入り混じった疑念が頭の隅を過ぎった。
きゅうっと口両端を持ち上げ、三日月状の脣。
視線を下げ逸らすが、背丈差で必然と結構ふくよかな胸の谷間がチラついて、今度は目線を天井へはね上げる。彼女がほんの僅か動く度、金木犀の微かな香りがする。
(此所いらは10月下旬ごろ開花だ)無関係な事を考えてイケナイ自分をやり過ごすが。
……中々放してはくれない。赤面&発汗すんでの所――――――もう、彼は限界だった。
「うん!」
一人で納得の声を出すと、ぱっと手を離して言った。
「ヤッパ響也くん、端整な良い顔立ちしてるね。左右の形もソックリ同じだし。珍しいよ、合わせ鏡みたいにバランスの取れてる人は」
「はァ。……(さすが美大生)」
響也が〔ホッと&ガッカリ7対3割合〕な気分で「それじゃ」と踵を返してそそくさと奧へ引っ込もうとすると、その背中に手を振りながら声を掛けてきた。
「今度デッサンモデルやって。ギリシャ彫刻よりも、生身の男の子の方が具合が良いの」
何で? と思う一方、響也は祖父の言う儀式の内容その他、まったく心当たりがなかった。
祖父・土御門空夜は、これまで跡目を継ぐよう孫へ強いたり、勧めたりしたことは無い。
まして祭事の礼法や所作など、話した事すら一度もなかった。
ただし、この土御門宗家に出現した天才・土御門朔夜の話は、幼い頃から子守唄代わりで聞かされて来た。大袈裟な身振り手振りを交え、得意満面話してくれたのを今もよく憶えている。
四百年ほど前の戦国時代で活躍した人物らしいが、その中身は奇想天外なもので、例えば陰陽の法へ則して天地の理を解き明かし、天文歴道の本質を極め、能力は始祖・安倍晴明をも凌ぎ、その聖域に達していた。
未来を見通し時を超越し、度々百鬼夜行を降し鎮めた。
織田信長とも会ったことがあり、不合理な事を徹頭徹尾忌み嫌う彼ですら一目置かせる存在で――――などの話を、自分が見て来たかのような面持ちで語り続け、さながら講談師だった。
小さな頃は無邪気な分、祖父の語り口の楽しさもあり胸躍らせながら聞いた彼だが、高校生ともなれば…………。
ともあれ凄く偉大な御先祖様だったので、それ以降は代々の後継が「あやかりたし」と名前の最後へ『夜』という字を宛る慣習が出来たという。
では何故、響也の名前は《 響夜 》でないのか? 彼は中学生のとき尋ねてみたことがある。
「それはな、お前の母親が響くという字に『夜』の字を合わせるのを嫌った為ぢゃよ」
こうした断片的な祖父母の口伝えで、響也は顔も知らぬ母親へ思慕の念を深めてきた。
襖を開け部屋として使っている8畳の和室の中に入ると、彼は上着だけを衣紋掛けへ吊し、そのまま畳の上でゴロリと寝転んだ。
頭の後で重ねた両手を枕代わりに、天井を見つめていた目をそっと閉じる。
(やっぱり母さん、俺の事を考えてくれていたんだな)
両親は響也が幼い時分死んだ。事故であったというが、詳しい事情は知らされていない。
物心ついた頃、育ててくれた祖父母へ「なぜ両親がいないのか」と聞いた時も、天災にあったのか、交通事故か飛行機・船舶……或いは鉄道事故なのかすら、言葉を濁した。
やがて祖父母が悲し気な、あるいは困った顔をすると知って以来、彼は自分から問い質さなくなっていた。
顔や温もりも知らぬ両親なので、特段寂しいと感じたことはない。
だが二人とも亡くなったのが同時で、という点は引っ掛かる。
そして、写真の一枚も無いとはどういうことなのか。
(ひょっとして、ジイさんが俺を跡継ぎとして考えなくなった事と、関係あるのか?)
折り曲げた右腕側へ体を横たえ、響也は何時しかそのまま眠ってしまった。
遠くで、押し殺した地鳴りの様な音が聞こえる。
微睡みから醒めたのは、それが雷鳴の音だと気付いた瞬間だった。
(ああ、ほんと雷の音がしてるよ)
祖父から呼ばれていたことも思い出す。
上体を起こして、背を伸ばしながら「ふわっ」と大きく欠伸した。頭を掻いて庭に面した障子の方へ目をやると、グウ~……と腹が鳴る。
――外の暗さじゃ凜子さん帰ってるだろうな。…………ああ、お腹減ったァ………………。
時刻は午後七時三十一分。
彼は首を左右に振ってコキ、コキッと鳴らし、小さな欠伸を噛みしめ腹を擦りつつ、ゆっくり立ち上がった。
(随分と寝過ごしちまった。まあ今日からの晩飯、ジイさんの当番だしな)
一昨年の末祖母が亡くなって以来、朝晩の食事は二人で週替わりの当番制である。
食事の用意と言っても、男二人で料理など碌なものが作れる筈は無く、デパートやコンビニ出来合いの品を買ってくるだけだった。