誰だって竜
人間であれば誰だって竜になれるらしい。
自称ドラゴンの母親がよく言ってたんだ。
突拍子もない話だけど、何故か父も姉も竜になったというのだから、俺の家族は揃って頭がおかしいのだろう。
この現代において、そんな非科学的なことはあり得ないのだ。人間が蜥蜴になるならまだしも、空を飛ぶ竜になるなんて信じてる家族の言葉は、どれをとっても胡散臭い。
父曰く、男は覚悟を決めればいつだって竜になれる。
姉曰く、竜になりたかったわけじゃなかったけど、なれちゃった。
どうかしてる。
多分、母親に洗脳でもされたんだ。あるいは催眠とか。でもなければ、真面目な二人がそんな馬鹿げたこと言うはずがない。
そもそも竜になった、って、どうやって人間に戻ったんだよ。
その疑問をぶつけてみると、母親は笑って「姿は変わらないのよ」などと言った。
ますますわからない。
母がドラゴンを自称するのは小さいころからだったけど、竜になれる、なんてことは言わなかったはずだ。
父や姉にも確認をとったけど、やっぱり言わなかったらしい。
じゃあ、いつからそんなことを言うようになったんだ?
「ん? ああ、前からよ。竜司が生まれる前から。やっぱり覚えてないの?」
「そりゃあそうだろう。竜司が小学校に入るころには母さんも言わなくなったし。ここ最近だよ、また竜になれるって言うようになったのは」
珍しく二人揃って休暇だった父と姉に聞くと、そんな答えが返ってきた。
おかしいとは思わなかったのか? 明らかにどうかしてるじゃん。
「こらこら、そんなこと言ったら怒られるよ。この前おとうさんが酔っ払っておかあさんに太った? なんて聞いたとき凄かったでしょ?」
「うわバカ、母さんが思い出したらどうするんだよ。一月もお弁当作ってくれなかったんだからな」
「でもおとうさんも律儀だよね。普通にお昼買えば良かったのに」
「バカたれ。ちゃんと反省しなきゃいけないだろう?」
やっぱり真面目なんだよなぁ。それなのになんでだろう。
二人と話していても進展しそうにないので、直接母に聞いてみることにした。
竜になれるってどういうこと?
「そのままよ。強くて、大きくて、みんなが尊敬する竜になれるの。竜司だって、小さいころは竜だったんだから」
……嘘でしょ?
「竜司は覚えてないだろうけど、本当よ」
写真とかないの?
「言ったでしょう? 竜になっても姿が変わるわけじゃないのよ。だからアルバムみてもわからないわ。そうだ、お姉ちゃんに聞いてみれば? あの子、小さいときのこと全部覚えてるから」
そうなの? 凄いな。
それにしても、俺が竜だった?
過去形ってところがますますおかしい。どういうことなんだろう。だいたい、姿が変わらないならどうして竜になったってわかるんだろう。
強くて、大きくて、尊敬される。確かにドラゴンだったらそうなる。でも、姿は変わらないんだろ? 小さいころの俺は背も低かったし、泣き虫だった。当然尊敬されるわけないし、絶対にドラゴンじゃない。
なあ姉ちゃん、昔の俺ってどんなだったの? 母さんが姉ちゃんに聞けってさ。
「ん? んー、そうだなぁ。アイス買ってきたら教えてあげるよ」
いやだよ。お金ないし。
「じゃあほら、お駄賃上げるから買ってきなさい。帰ってきたら教えるから」
あーもう。わかったよ。出掛けないでくれよ?
「大丈夫よ。お姉ちゃんが休日に出掛けたことなんてある?」
……いやそんなことで威張られても。むしろ切ないよ。友達に誘われないの?
「みんな彼氏いるからねー。ほら、邪魔したら悪いでしょう?」
ふーん、彼氏出来たことないわりにはしっかりしてるんだね。
「うるさいなぁもう! ほら、早く行って来なさい!」
顔赤くしてまで怒ることないじゃんか。あ、図星なのか。
「ふふ、竜司くん?」
うわわ、ごめんて。すぐ買ってきますって。
まったく、そんなんだから彼氏出来ないんだよ。
なんだか扉に物がぶつかるような音がするけど、気のせいかな。
さて、あんまり根詰めてもいい考えなんて浮かばないし、ちょっと休憩。
休日なのに、いや休日だからか、コンビニには人が多い。昼はとっくに過ぎてるんだけどなぁ。
一人分のアイスを買うには多すぎるくらいお金をもらったので、家族全員分のアイスもついでに買う。
あれ、なんだこれ。新製品のドラゴンバー?
おいおい、今日に限ってその名前かよ。狙ってるとしか思えないな。
ふと思いついて、ほかのお客をみてみる。俺のほかに、竜になった人間はいるんだろうか。
誰も彼も、どこにでもいそうな一般人にしか見えない。ドラゴンになれる逸般人には見えないな。
そういえば、竜とドラゴンは同じ意味なのかな? わざわざわける理由がわからない。
自称ドラゴンの母さんは、俺たちを竜になったとは言うけど、ドラゴンになったとは言わない。やっぱり、二つの言葉は違うのかな。
カゴにアイスを入れた。とりあえず、姉ちゃんが好きなアイス以外は全部ドラゴンバーにした。ちょっと美味しそうだし。
人が多いせいで陳列棚を迂回した。レジにも列が出来ていて、ちょっと物珍しい。
わりとすぐに順番が来て、アイスが溶ける前に家に帰ることが出来た。
あれ、姉ちゃんの靴がない。いつもオフの日に履いてるスニーカーが玄関にはなかった。もしかして、逃げた?
いや、だって、アイス……。しかも話聞けないじゃん。
リビングでくつろぐ父にアイスを渡しながら聞いてみる。
「竜司が出た後に慌てて出て行ったよ。なんか恥ずかしそうだったけど、知ってる?」
恥ずかしそう? 怒ってたんじゃないの?
「いいや。すごく恥ずかしそうにしてたよ。竜司が何かしたのか?」
昔の話聞かせてくれる代わりにアイス買ってこいって言われたんだけど。
「あー、それは逃げられたね。昔のことを話すのが恥ずかしかったんだよ」
え、どうして? 別に恥ずかしい話でもないじゃん。ただの昔話だよ。
「いやいや、竜司にとってはそうかもしれないけど、あの子に竜美にしたら確かに恥ずかしい話なんだよ。聞きたい?」
そりゃあもちろん。
「うん、そうだね。なにから話そうか。あ、竜司は竜になれる、ってことの意味を探してたんだよね。だったらこれがいいかな」
父と揃って、ドラゴンバーの包装を開けた。
「昔から竜美は身長が高かったけど、泣き虫でね。背のことで男子にいじめられてたんだよ。覚えてる?」
ちょっとだけね。
「そっか。それである日、竜美が泣きながら帰ってきてね。母さんも僕も心配したんだ。でも一番心配してたのが竜司でね。泣いてた理由を聞いたあと、竜司がずっと竜美のそばにいて慰めてたんだよ」
嘘、全然覚えてない。
「そこから覚えてないみたいだね。その次の日は学校休みなさいって竜美に言ったんだけど、どうしてか嫌がったんだよ。なんでも、仲の良い友達が転校しちゃうみたいで、お別れ会やるんだって。どうしてもって竜美が言うから、無理には休ませなかったんだ」
へぇ。昔は姉ちゃん優しかったんだね。
「昔から、ね。それでね、ここからは竜美から聞いた話なんだ。その日もいじめっ子たちが竜美をからかったみたいでね、その日だけは泣きたくないって我慢してたんだって。そしたら、竜司が教室に来て、そのいじめっ子たちをぶっ飛ばしたって」
ええ!? 嘘でしょ。全然記憶にないよ。それに小さいころの俺、泣き虫だったよ?
「そうでもなかったよ。小さいことから曲がったことは大嫌いだったよ竜司は。友達や竜美がいじめられてたら上級生相手にだって立ち向かってたんだから」
信じられないってば。
「まぁまぁ。竜美がそう言っていたんだよ。これであの子が逃げた理由わかっただろう?」
うん、まあね。確かに恥ずかしいわ、これ。
「僕からしてみれば微笑ましい限りなんだけど」
それは父さんだからだよ。俺たちからしてみれば恥ずかしいよ。
「そうだろうね。ところで、どう? 小さいころの竜司が竜だったって意味、わかった?」
あー、うん。なんとなくね。
「よし、それじゃあ母さんと答え合わせしてくるといいよ」
そうするよ。
というか、母さん聞いてたでしょ。影見えてるよ。
扉の硝子から、廊下の人影がみえているんだ。それはもうバレバレ。
「あら、ばれちゃった。それで、どう? わかった?」
ああ、うん。ちょっとだけ。
竜になれるって、つまりは心のことだよね。
「ええ、正解。強くて、大きくて、誰からも尊敬される竜になるには、竜司みたいな優しい心が必要なのよ」
でもさ、それって足りないんじゃないの? 心だけ竜でも、体は強くないよ。
「そうでもないのよ。竜司だって、泣き虫さんだったもの。でも、竜美ちゃんを助けようとして自分よりも体の大きい子たちに立ち向かったのよ。それって凄いことだと思わない?」
……どうだろう。わからないよ。
「ふふっ、まあ本人にはわからないことかもしれないね。でも、お母さんもお父さんも竜美も、竜司が強くて大きい竜に見えたのよ」
見れば、父さんも母さんも笑っていた。
やっぱり、昔話は恥ずかしいよ。