雷鳴の女王
目の前が霧で白くなり、親父の姿が見えなくなったと思えば、そこは試練の塔のロビーだった。
足元を覆っていた霧は晴れ、親父の姿はどこにも見当たらない。どうやらあの空間から出たようだ。
いきなりのことで理解が追い付いていない中、突如何もないところから【神】が現れる。
ニュルッと空間から這い出るような感じで気持ち悪い。
貞子がテレビから出てくるシーンに似ている。
思えば、貞子くらいだよな、二次元から出てくる女の子って。
「おぉ、帰って来たか」
「死ねぇ!」
「おっと、止まって見えるぜ」
ともかく【神】を殴ろうと右腕を振り切るが、見事に空を切る右腕。
当の【神】は落ち葉が落ちていくようにひらりと身をよじらせて避ける。その動きがまたヌルヌルとしていて気持ち悪い。
「よくもあんなキチガイ染みた試練を出してくれやがったな!」
「まぁまぁ、合格したんだから良かったじゃねぇか。それに、試練の内容を決めるのはこの塔にいる現代であって、俺じゃねぇ」
「ぐぬぬ……」
よく分からないが合格したらしい。
目に見えて変わったところは無いし、別段力が湧き出るとかでもない。
腰に差さっている金具をなんとなく手に掛ける。今度はちゃんと金具の感触がある。断じて俺の腰ではない。
金具も見た限りでは変わった様子はない。
いつも通りの金具だ。少し指紋が付いているが、これは後で拭き取っておこう。
「親父はどうしたんだ」
「あぁ、今頃賽の河原で三途の川の渡し舟でも待っているんじゃねぇのか」
そうか……無事、あの世へ行くのか。
どこが合格基準なのかは知らないが、親父のことだから俺がどんな答えを出しても合格にしていたんではなかろうか。
「で? 俺は今【聖王】なのか?」
「おう、俺が保障する。お前は今から【聖王】だ」
そう言って渡される紋章。
一見、木の板のような手触りだが、よく見て見ればこれが木ではないのが分かる。
そして、丸く整えられた板に幾何学的な模様が彫られており、それが一目で【聖王】の紋章だと分かる。
教科書で習ったことだが、この紋章は持ち主が手放そうとしても手放せないものであり、いわゆる許可証みたいなものだそうだ。世界でも通用するという壊れ性能を持っているが。
そう言えばラルが紋章を持っているところを見たことが無いが、きっとラルも持っているのだろう。
……俺が【聖王】か。
実感が湧かないが、今の俺の立ち位置はどうなっているのだろう。
【聖王】は一応【七英雄】と同格だが、そんな気は微塵もないのが現状。今回は先々代【魔王】の助力の甲斐があって【聖王】になったが、本来なら成りえなかったものだ。
そして、この力はイリシアのためだけに振るわれるもの。余計な力は己を亡ぼすと良く言うからな。
俺は紋章をジーンズの尻ポケットにしまう。
ちょっと、硬くてむず痒い。
「それで、【聖王】になったからには何かしらの特典みたいなモンがあるんだろ?」
「そうだ。お前が使っていたその剣にもう一つの加護が追加されたはずだ。【聖王】でないと使えない加護がな」
そう言われたので金具を抜刀してみる。
金具はいつもの通り刃こぼれ一つなく月光を浴びて鈍く輝いている。
この金具に【聖王】出ないと使えない加護があると言う。元々使っていた加護も充分すぎるほど強力だったが、その加護は他の加護を凌駕するんだろう。
ぶっちゃけ、炎具は出力を一定以上出すと暴走するから薪に火を点けるくらいしか使いようが無かったし、水具だって水を操ると言っても湿度の影響を受け過ぎるから鍋に水を張るくらいしか使いようが無かった。
他の加護だって全く使いモンにならなかった記憶がある。土具なんて辺りを大災害が起きたかのような惨状にしてしまうし、風具に至っては自分自身の躯を切り刻んでしまうしな。
闇具は……うん、まぁ……使えないし。
しかし、そんな加護の中でも最強に近いものが手に入るのだとすれば、お釣りが出る。
いったい、どんな加護なのだろうか。
「まぁ、それは金具自身に訊いてくれ」
「ん? 金具に?」
さぁ、いざその加護を教えてもらおうと言うときに、【神】がそんなことを言い出した。
その加護は金具に訊けと言う。また【神】の冗談かと思ったが、どうやら本気で言っているらしい。
確か、親父は金具は生きていると言っていたが、まさか喋るのか?
物を言う剣なんて、それこそ御伽噺の話だ。しかも、どこに発声器官があるんだって言うんだ。金具は無機物だぞ?
そんな風に冗談半分に思っていると、
『……なんで親子揃ってこの顔なのかしら。嫌になっちゃう』
「……キェェェェェェアァァァァァァシャァベッタァァァァァァァ!!!」
空耳なんて野暮なこと言わないよ私。
明らかに俺の手元、この剣のどこからか発声しやがったよこの剣。しかも、剣から発声したことは分かっても、剣のどこから発声したのか分からないと言うこのジレンマ。
うわぁ、ツンデレの女王の人みたいな声してるよ、病気を発症しちゃうよ。
「ちなみに、そいつの声は俺にも聞こえないからな。お前にしか聞こえないから白昼堂々会話していると白い目で見られるからなマジで」
「御忠告ありがとうございます」
あっぶねー、マジであっぶねー。この忠告はホントにありがたいわー。
言われなかったら確実にやっていたわー、刺さるような視線をこの身一身に感じていたところだったわー。
俺イリシアに白い目で見られるのだけは勘弁……いや、逆にありかも知れない。
『よく分からないけれど、変なことを考えているのだけは分かるわ』
「失敬な」
よくよく考えてみる。
そう言えば、俺と一番付き合いが長いのは金具だ。そう言うこととなると、生涯の相棒と会話ができるなんて幸せなものなんだろう。
けれど、金具の性別が女……なのだろうか。まぁ、この際女性で良いが、まさか性別が女性なのは驚いた。
なんせ、剣なんてものは戦いに使われるものだからてっきり男だと思い込んでいた。どうせなら、同性の話し相手が欲しかったなんて口が裂けても言えない。
「えっと、初めまして。俺は……って、知っているか」
『当たり前よ。何年一緒にいたと思っているのよ。それに、初めましてっておかしくない? いつも一緒だったでしょ?』
「まぁ、そう言えばそうか」
初対面のはずなのだが、相手は俺のことを知り尽くしていると言っても過言ではない。
一人の時は寂しかったのか知らないがたまに金具に話しかけていたこともあったし、愚痴を漏らしていたこともあった。そうなれば、金具はずっとそれらを聞いてくれていたんだな。
そう考えると、愛着も湧いてくるモンだ。
「それはそうと、【神】の言っている【聖王】の加護ってなんだ?」
「そのまんまよ。【神具】って言ったかしら。ちなみに、アンタが何気なく使っている加護は全部私がしてやっているのよ。感謝なさい」
【神具】……か。
確かにそのまんまだな。ということは、闇の属性と相反する光の属性が使えるのか。
前にも言ったと思うが、光は【神】を含める神々と【聖王】しか使うことのできない属性だ。改めて考えてみるとこれって凄いな。
なぜなら、魔物は例外を除いて闇の属性を纏っているから、光属性は絶大な効力を発揮するはずだ。
よし、いっちょやってみっか。
「状態変化【神具】」
金具を胸の前に構え、立ったまま祈る様な体勢で口にする。
すると、金具が光り輝き、俺の躯を包み込む。思わず目が眩む祖の光は痛いものではなく、むしろ柔らかな優しい光だ。
やがて光が金具に集束すると、ようやく目を開けることが出来た。
「なんじゃこりゃ」
白。
上から下まで白。
俺が着ていたジャケットもジーンズも胸当も全部真っ白だった。
少し焦るように自分の髪の毛を一本だけ抜くと、なんと髪の毛までも白だった。この歳で白髪を経験するとは思わなかった。
そこで気付く。俺の手が真っ白だ。しかし、白粉を塗りたくったような白さではなく、白い光に包まれていると言った方がしっくりくる。
この様子だと、俺の躯すべてが真っ白なんだろう。
『どうよ、驚いた?』
「あぁ、これは驚いた……って、金具も真っ白だな」
【神具】によって金具の形は変化しなかったものの、剣身から柄頭に至るまで真っ白になっている。
しかし、俺の躯同様に剣全体が白い光に覆われていると言った方が良い。
見た目だけなら、荘厳で神々しさを感じるこの剣を聖剣と言っても信じてくれそうなくらいに美しいものだ。
「アラン、よく聞け。その力は“人”と“魔物”には絶大な力を発揮するが、“神々”に対してだけはその限りではないことを覚えておけ」
「……どういうことだ?」
「どういうこともそういうことだ。光に光をぶつけても対したダメージは見込めない。だから、使い時を間違えるんじゃねぇぞ」
それまで空気と化していた【神】の忠告に疑問を覚える。
【神具】は人と魔物にはそれはもう圧倒的な力を発揮するらしいが、神々には今一らしい。
なんでも、同じ属性に攻撃してもあまりダメージは通らないのだそうだ。RPGではよくあること。しっかりと覚えておこう。
しかし、俺がこれから戦いに行くのは神々の一柱であるデウス・エクス・マーキナーだ。
そのデウス・エクス・マーキナーに対する打開策としてコレを習得したわけなんだが……まぁ無いよりはマシなのかもしれない。
「じゃあ、俺は行くわ。ポータルはいつでも使えるようにしておいてやったから、まぁ……達者でな」
「……恩に着ます」
【神】は少しのデレみたいなものを見せて、掻き消えた。
これ以上ないってくらいのお膳立てをしてもらった。しかも、ポータルを使えるようにしてくれたらしい。あの砦までのポータルを。
そこに、イリシアがいるんだ。イリシアがいるんだ。
だったら、迎えに行こう。怒られるかも知れないけど、説教なら後で幾らでも聞くつもりだ。
だから、連れ帰ろう。
『感傷に浸っているところ悪いけど、誰か来たわよ?』
「え?」
金具の声で振り返ると、そこには見知った人の姿。
青と白を基調とした冒険服。一見、法衣にも見えないことも無いその服には見覚えがある。
黄色い豪槍を携え、雷を纏う姿は雷雲そのもの。闊歩する姿はまるで英雄の貌。
【七英雄】の一角、【勇者】ラルだ。
「アラン……その姿は?」
「あぁ、今さっき【聖王】になったんだ。その力だよ」
そう言って先ほど受け取った紋章をラルに見せる。
その紋章を見る目はとてもいつも俺たちに向けるような眼ではなく、汚らしいものを見るかのような目で紋章を睨んでいる。
その眼には怒りの他に恨みも籠っているような気がした。
「ふぅん……それで、どうするの?」
「あ?」
「その力で、何をするの?」
その一言一言が俺を責めるかのような物言いで、怒りの感情があるのは間違いなかった。
あまり穏やかな雰囲気ではない。むしろ、その怒りの矛先は俺に向けられているような気がした。
ラルは俺と少し距離を保っている。
話をするには些か遠い。けれど、ラルはその間合いを詰めようとはせずに俺を睨む。
その間合いは、ラルがよく対人戦で敵と保つ間合いであることに気付くのに、そう時間はかからなかった。
「もちろん、イリシアを助けに行くために」
「無理だよ、アランには」
「なんだって?」
「無理だって言ったの。幾らアランがとてつもなく強いからといって、神々には敵うはずもないよ」
即答。
ラルは俺の答えに間髪入れずに否定した。
俺には無理だと。
言ってやりたい。
そんなのは俺がよく分かっている。
これがどれだけ無謀なのかは俺が一番分かっている。神々は人や魔物とは別次元のもだ。
幾ら人の中で強くとも、幾ら魔物の中でも強い種族でも、神々とは比べ物にならない。それくらい神々は強い。だから、神話などと呼ばれるんだ。
だけども、幾度となく人間は神々を打ち破ってきたのもまた事実。
俺がその中に入るかはわからないが、その中に入らなくちゃいけないんだ。
だから、俺には無理なんて、言って堪るモンか。
「いいや、出来るね。俺は出来る」
「いつになく強気だね。今まであんなに泣き語と言っていたのに」
「否定はしない」
確かに今思い返してみれば、俺は泣き言しか言っていなかったような気がする。
事あるごとに弱気なことを考えて、それでその中を駆け抜けてきたんだもんな、笑える。
それでも、周りは俺なら大丈夫だと言って、いつも背中を半ば強制的に押してくれた。俺なら出来ると。
だけど、今回だけは胸を張らせてもらう。
俺なら出来る。
「ラルはどうしてここに?」
「アランを止めに来た。アランはどうせあそこに行こうとするから、その前に止めに来たの」
「一緒に行くって選択肢はないのか?」
「無いよ。だって、行ったらアランが死んじゃうから」
そう言って物を言うラルの覚悟は堅い。
その語気は冗談を言うものではなく、ラルが本気だと言うことがよく分かる。
ラルは、俺が行ったら死んでしまうと思っているらしく、それを止めに来たのだそうだ。
だが、それは聞き捨てならない。
「イリシアはな、今もあそこで戦っているんだぞ!」
「そんなの知っているよ! 言われなくても知っているよ! だから、だから私が助けに行く!」
「俺より弱いと自負しておいて良く言えるな、そんなこと!」
「言うよ! 何度でも言うよ! 確かに私はアランより弱い。良く知ってる! だけどね、それは決闘としてのこと!」
ラルはそこまで叫びきると、ゆっくりと体勢を低くする。
躯を横にして、豪槍を右手に持って切っ先が俺に向くように上段に構える。脚を大股に開き、左腕を真っ直ぐにして俺に向ける。
その構えは俺が今まで見たことのない構えだ。だが、それは見るだけで分かる。殺気が籠った構えだ。
その構えのままラルは俺を睨み抜き、静かに言い放った。
「殺すつもりなら、私は勝てる」
刺すような殺気。
ラルの周りから溢れるような殺気が、全て俺に向かっている。
空間が歪んでいるかのような錯覚まで見え始める。それほどまでに攻撃的で、俺を殺すためだけ一心に向けているのだ。
「アランがこのまま行くと言うのなら、私がアランを殺す」
「……止めろ、なんでこんなことを……」
「アランを! イリシアの元へ行かせたくないからに決まっているでしょっ! 好きな人を、大好きな人を、死なせに……他の女のところに行かせるわけないでしょうがっ!!」
その姿は正に感情の爆発。
涙を流し、息を切らし、歯を食い縛る様は正に感情と言っても良い。
それでいて美しい。その涙は俺のため。その声は俺のため。その想いは俺のため。
全てが俺のために吐き出される殺気は、とても美しく、醜いものだった。
だったら、俺も応えなければ。
「わかったよ」
俺はラルの覚悟に感嘆し、それと向き合うことを決めた。
【神具】中段に構え、なるべく自然体でラルを見据える。
「来いよ、ラル」
「……仕方ないんだね」
その間合いはそのため。
最初からこうなると分かっていたため。
答えなぞ最初から決まっていたのだ。
「私の最強の技を見せてあげる。私が二人と会った時に封印した技を」
「それは、俺を殺せるのか?」
「うん、とても。だから、一回きりのチャンス」
ラルがそう言うと、ラルの豪槍が徐々に雷を纏っていく。
その雷の一つ一つが強力な暴力。その暴力がやがて収束し、一本の力強い光となる。
冒涜的なまでの光は破壊を含んでいることが丸分かり。
おそらくそれが、彼女の【Last Word】
その槍は覚悟で出来ていた。
切っ先は雷。芯は培った絆。注ぎ込まれる力は愛。
故にその槍は、覚悟で出来ていた。
「【百発必殺】!!!!」
集束した光は言葉と共に放たれる。
ラルの全力。向かう先は彼女が愛した者の心の臓。
立ち向かうは愛した者。
剣を構え、微動だにしない。
光の槍は真っ直ぐに直向きに。
だからこそ、応えるべき。
「獅咆哮っ!!!!」
爆発。衝撃。轟音。
応えるべき相手は彼女。全てを賭けたお互いの一撃は、見事なまでに激突する。
拮抗も一瞬。行き場のなくなった力は周りへと拡散され、その余波が周辺を駆け巡る。
一瞬にして視界を覆う塵芥。
しかし、その視線は下げず逸らさず。目の前に相手がいるかのように睨む。
そして、辺りが鮮明になる頃、たった二人の最終決戦が決した。
「っ!?」
ラルは目を大きく見開き、驚愕の色をその顔に見せる。
なぜなら、ラルの首筋に一振りの真っ白な剣が当てられていたのだから。
その剣はもちろん【神具】
俺はラルの懐に潜り込んで後一歩のところまで追い詰めたのだ。
その事実を目の当たりにしたラルは、ガックリと膝を折ってしまった。
「じゃあ、行くよ」
「ま、まって……いかないで、おねがい……」
俺は何も言えないこの感情を払拭しようと、隣を通り過ぎようとする。
だが、動かしていた躯が動かなくなる。それもそうだ、ラルが俺の躯に抱き付いているのだから。
しかし、その力は非力。
少し強引に進もうとするなら、その拘束はいとも簡単に解くことが出来るほど。
「いやだ……いかないで、いかないでよ……」
「…………ラル、離してくれ」
その躯は震え、時々嗚咽を漏らす。
「なんで、みんないなくなっちゃうの……? アラン、イリシア、とうさん……」
「…………」
「いかないで……いっちゃやだ……いっちゃやだよぉ……」
「…………」
「しんじゃうよ……いやだ、いやだぁ……!」
「っ!!」
俺は居た堪れなくなり、ラルの拘束を振り解いて歩き出す。
目的地は噴水前のポータル。イリシアへと続く道。
背後からラルのすすり泣く声が聞こえてくる。
思わず両耳を塞ぎ、小走り気味に先を急ぐ。
何度も何度も何度も心の中で謝りながら。




