彼女のために出来ること
一つの不変の決意を胸に金具を手に取り、定位置である腰に差し、病室を後にする。
どうやらここら辺は神代の病棟のようで、いつもの廊下とはまた違った構造をしている。
ここからイリシアのいるところへどう行ったものか。
確か、あのポータルは商売をして誰の魔力でも起動するようになっていたはず。だったら、俺の魔力でも起動するはずだ。
もし、マハトが意図的にポータルの条件を変えていたら、その時は徒歩でさえも甘んじて行こう。
その時だ。
「――――! ――!」
「―――――――! ――!」
どこからか声が聞こえて来た。
それも一人ではない。複数の声だ。
どこかその声は言い争いにも聞こえ、切羽詰っているような印象を感じた。
何を言っているかまでは聞こえないが、近くで誰かが叫んでいるのは確かだろう。
聞き耳を立ててみると、どうやらその声は二つ隣の病室から聞こえてくる。
どうにも聞き過ごせず、その病室を覗いてみることに。
そして、見えた光景が……、
「イリシア! イリシアァ!」
「このっ! 落ち着きなさい!」
必死にもがきながら懸命に外に出ようとするラルと、その後ろで羽交い絞めにしているエルトの姿だった。
ラルは痛々しいほどの包帯で巻かれており、ところどころ血で滲んでいる。
そんな大怪我の状態であるラルを鬼であるエルトが抑え込むのに手こずっている光景はどこか異様だった。
とりあえず、加戦しよう。
「ラル!」
「あ、アラン! 聞いて、イリシアが――」
病室へ飛び込み、ラルの前へ躍り出る。するとラルは俺を見て動きを止めた。
その形相はいつもの彼女の姿ではなく、どれだけ必死になっているかが窺える。
しかし、言い終わるが早いかラルの眼が一瞬にして裏返り、その場に倒れ伏してしまった。
その背後で不敵な笑みを浮かべながら注射器を持っているエルト。その光景に玉袋が縮む。
「ありがとう、一人だったら押さえつけられなかったよ」
「エルト……? ラルはいったい……」
「ちょっと眠っているだけだよ。目が覚めたと同時にこれだからちょっと強引な手段を取らせてもらったけど……」
そう言って笑うエルト。
ぜんっぜん笑いどころが分からなかったが、ラルが冷静に物事を判断できる状態ではなかったってことだけは理解した。
エルトは器用にラルを持ち上げると優しくベッドに寝かしつける。その際に、俺は気になることを発見した。
「おい、ラルの脚……千切れたはずじゃ……」
俺の目線の先。
確かにラルの脚が二本あった。
この言葉がどれだけおかしなことを言っているのか分かるが、この場合は俺の方が正しい。
何故なら、ラルの脚はデウス・エクス・マーキナーに千切られて未だにあの場所に転がっているはずだから。
だけれども、俺の幻覚でなければラルの脚はちゃんと二本揃っている。
それが理解できない。
答えを求めるようにエルトを見るが、苦笑いをしてパイプ椅子を用意してくれた。
座って話そう、ということか。
俺はエルトに用意してもらったパイプ椅子に座り、二人してラルを見る。
ラルは規則正しく呼吸をしており、その胸が上がったり下がったりしている。
その光景が、嫌に心を落ち着かせた。
「……僕がラルさんの様子を見に来た時、確かにラルさんの脚は一本しかなかった」
「ん? 神代的な技術とかじゃないのか?」
「そんなことは出来ないよ」
エルトが見た時には確かにラルの脚は片脚しかなかったという。
では、なぜ今は二本しっかりと揃っているのか。それが分からない。
「でもね、いきなりラルさんの躯が輝きだしたと思ったら、全身の傷も片脚しかなかった脚も全て治っていたんだ」
「なに……?」
脚だけでなく全身の傷も治っていただって?
今一度ラルをよく見て見る。躯に巻かれている包帯は血が滲んでいるが、目に見える傷は見えない。掠り傷でさえもだ。
……ちょっと待て、確か……アレクでラルが死んだのにも拘らず躯が輝きだして、光が集束する頃にはラルの躯には傷一つなく元気一杯だった。
この状況も、あの時のことと一致するぞ……?
今はそのことに触れないようにしているが、こうなってみると見過ごすことが難しくなってきた。
だが、そんなことは今はどうでも良い。ラルの脚が治ったならそれを素直に喜ぼう。ヒバリさんにも言われたことだ。
「……それで、目を覚ましたらこんな状況だった、ってわけか?」
「うん……イリシアさんのところへ行くって聞かなくて……」
……そうか。
ラルも、俺と同じ気持ちだったんだな。それもそうか、仲間なんだから。
俺がイリシアのところへ行こうとしたように、ラルも同じ行動を取ってもおかしくはない。
「……もう、夜も遅いよ? 休んだら?」
「……そうだな」
俺は頷いてラルの病室を後にする。
どうやらもう夜中らしい。あっちも夜なんだろうか、時差を計算するのがめんどくさい。
とりあえずこの病棟の記帳室へと行く。俺の装備があるとしたらそこだろうし、何より早く出発しなくてはならない。
エルトには悪いが、休んでいる暇はない。
俺もイリシアのところへ行くなんて言ったら、同じくあのぶっとい注射器で刺されてしまうのが落ちだろうから。
穴なんてもう一つもいらない。
そして、記帳室らしき場所を発見し、聞き耳を立ててからゆっくりと扉を開く。
中には誰もいないらしく、明かりの点いていない部屋がやけに不気味に感じる。こうもスニーキングみたいなことをしていると、悪いことをしていると思えて落ち着かない。
部屋の中を見渡してみると、なるほど俺とラルの装備が置いてある。
俺の読みは正しかったと言うことだ。
いつもの服装に着替えて、いつもの胸当と肩甲を装備する。
質素な防具だが、俺には最適の防具であり、この旅でお世話になった防具でもある。
如何にもな鎧を身に着けて戦うのは俺のスタイルではない。そんな鎧を装備していたら、今頃俺はここにいないだろう。
だいたい、魔物の攻撃なんか当たらないことが前提だしな。
「よぉ、着替え終わったか?」
そんな声が背後から聞こえてくる。
咄嗟に振り向くと、そこにはいつもと変わらない人を馬鹿にしたような笑みを浮かべている【神】がいた。
いつからいたのか定かではないが、どうやら俺の行動は筒抜けだったようだ。
「止めたって無駄だぞ」
「誰が止めるかよターコ! おい、中庭から北に進んで行け。そこの塔で待ってるからよ」
「はぁ?」
【神】はそう言うと同時に消え失せた。
その際に“トランザム”と呟いていたような気がしたが、気のせいだろう。
【神】は俺を止めないと言っていた。
それどころか、中庭を北に進んだところで待っていると言っていた。
さっきは俺を止めた癖に……一体何を考えているんだ。
ともかく、【神】の指定した場所へと行こうと記帳室を出る。
そこで、とある人物が俺を待ち受けていた。
「……ちょっと、良いかね?」
「……なんでしょう?」
そこには、一番心配しているだろう先々代【魔王】が立っていた。
その表情はいつもと同じく何を考えているか分からない無表情だったが、どこか急いでいるようにも見えた。
俺としても、今先々代【魔王】に会うのは避けたかったが、待ち伏せていたのだから仕方がない。
「……僕はこの件に関しては手を出すことは出来ない。そういう条約だとか、決まり事があるでもない。だけど、ケジメとして、この件の大元である僕が手を出すのは宜しくない」
「……そうですけど、心配じゃないんですか?」
「心配だよ。僕の妻がその身を痛めて生んだ娘だ。……でも、手を出すことが出来ない。それがもどかしくて仕方がないんだ」
……人の親なんだな、それもとびっきりの優しいもの。
無表情ながらも、そのもどかしさ故か拳が震えている。良く聞けば、彼の声が震えているのが分かるだろう。
「だけど……僕だって何もしないのは忍びない。だから……ヤロに頼んでね、君を任せることにしたんだ」
「俺が【神】に?」
「……うん、久しぶりに土下座というものをしたよ。これから君は恐らく、ヤロの元へと行くのだろう。だから、それを決して逃げないでほしいんだ。何があろうとも」
……見て見ろよ。
かつて世界の半分を自分の物にまでした者が、俺に頭を下げている。
それがどんなことか、分からない俺ではない。自分の娘が大変な目にあっているのに、手を出せないから、俺に頼んでいるんだ。
逆に言えば、俺がもっとしっかりしていたらこんなことにはならなかったんだ。
それでも手を貸せない自分を呪っているのかも知れない。
だから、俺に頼んでいる。きっと、その胸中は俺の想像を絶するほど苦しんでいるのだろう。
それを、断るのか?
断る理由があるのか?
「……分かりました。いつになるかは約束できませんが、俺が必ずイリシアを助けます」
「……頼んだよ」
親公認。
俺は、イリシアを頼まれた。




