彼のために出来ること
◆ 魔王 ◆
「……行ったか」
“魔法”が発動し、魔法陣に注ぎ込まれていた魔力が枯渇して光を失い、消え失せる。
周りを見渡せどアランとラルの姿は見えず、無事にここから脱出したことが窺える。無事に生き延びていることばかりを祈るだけだ。
彼はどう思うだろうか。
私が嘘を吐いて、逃がしたことを知ったら私のことを助けに来るのだろうか。
そうであったならとても嬉しい……けど、逃がした側からしたら嬉しくないこと。
「……はぁ」
悲劇のヒロインなんて柄でもないこと。
小さい頃は憧れてはいたけれども、成長するにつれてそんなものは幻想だと知った。
もし、私がヒロインだったとしたら、きっと遠い昔に王子様が私を魔王城から連れ去っているはずだから。
……王子様に、命を救われた瞬間に、初めて会った時に、手を取って連れだって欲しかった。
こんなどうしようもない因果なんか感じられないどこか遠くの地で、静かに暮らしたかった。
そして、共に寄り添って、子を孕み、門出を祝い、老い衰え、二人手を取り合い……。
そんな考えを苦笑で掻き消す。
「ふむ、デウス・エクス・マーキナー……と言ったかの?」
遥か高みから私を見下ろす紅き瞳。
頭蓋骨から窺える表情は分からず、何を考えているのか分からない。
そもそも、思考する脳があるかすら怪しい。神々は強大な生物であることは変わりないが、下等生物と見下す人間や魔物の様な知能を持っている神々は少なくない。
おそらく、このデウス・エクス・マーキナーは心みたいな高尚なものは持ち得ていないだろう。
「気に入らぬ。そのような高みから見下ろしおって……」
時を刻む振子の音がやけに気に障る。
コイツが私と同じ赤い瞳を持っていることも気に入らない。
私が好きな小物が時計なのにも拘らず、コイツが時計の形をしていることが気に食わない。
ムカつく。
「……しまった、書くものを忘れてしもうた」
懐から一冊の本を取り出す。
それは肌触りが異様に悪い黒い皮で装丁された本。
この本の名はノックスの十戒。アランがお魎さんから受け取って、ルナさんに渡すはずだった本。
アランってば、ルナさんに渡すのをすっかり忘れて、愛用の麻袋に入れっぱなしなんだもの。
私が昨日の夜に部屋まで送り届けた時に見付けた本。学校で初めて見た時は使い方が分からなかったけれど、今なら何故か分かる。
それでも、私の使い方は間違っているのだろうけど。
この本は魔法の全てを記した本。使い方によってはこの世の魔法全てを根絶することが出来る。
言ってしまえば、この本を理解することが出来れば魔法の全てを使える。
私はノックスの十戒を開く。
いつ見ても不思議なもので、数百にも及ぶと思われる本の厚さとは裏腹に見開きの二ページしか見れない。
内容を読む。
一.犯人は物語の当初に登場していなければならない。
二.探偵方法に超自然能力を用いてはならない。
三.犯行現場に秘密の抜け穴・通路が二つ以上あってはならない。
四.未発見の毒薬、難解な科学的説明を要する機械を犯行に用いてはならない。
五.言語や文化が余りにも違う外国人を登場させてはならない。
六.探偵は、偶然や第六感によって事件を解決してはならない。
七.変装して登場人物を騙す場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない。
八.探偵は読者に提示していない手がかりによって解決してはならない。
九.“ワトスン役”は自分の判断を全て読者に知らせねばならない。
十.双子・一人二役は予め読者に知らされなければならない。
今の私なら、理解できる。
これはいわゆる欠かすことのできないもの。コレを欠かせば、成り立たないともいえる。
だから、これらを奪い取ってしまえば良い。
これらを奪い取ったら何が起こるか。
これらの記述はこの本を縛り付ける十戒。その十戒が無くなるのだから、縛り付けるものがなくなってしまう。
するとどうなるか。この本は欲するだろう。この十戒の代わりを。
ならばあの物見遊山をこの十戒の代わりにぶち込んでしまえば良い。
コレを解き放つこと、即ちその場にいる魔法的なものを吸い込んでしまうのだ。
十戒はただの“蓋”にしか過ぎない。魔法的なものを封印してしまうのがこの本の正体だ。
私は十項目の全てを掴む様な感じで本に手を添える。
そして、掴み、一気に投げ捨てる。
すると、そこには文字は無く空白が存在していた。
途端、凄まじい光と共にこの本を中心に風が渦を巻く。
十項目の代わりを探しているんだ。この本が魔法的なものを欲しているんだ。
「クックック……貴様ほどの者でさえもこれには逆らえまい。神々とは人間が創り出した空想の存在。貴様ら神々が人間が生まれるより遥か昔から存在する生物であろうと、“神々”という称号は人間が創りしもの!」
依然として睨んでいるデウス・エクス・マーキナーを見下す様に睨む私。
「であるならば貴様は魔法的存在! 魔法とは、人間の創りしものじゃからのぉ!」
光はなおも強く輝く。
「じゃが、安心せい。穴二つと良く申すじゃろう?」
風は旋風を伴ってこの砦内を駆け巡る。
「……吾の世も、朱に交われば、いとおかし」
出来の悪い辞世の句も詠み終えた。
後はコレを放つだけ。
いわば、これが私の【Last Word】
そうだね、名付けるとしたら――
「【白いアルバム】」
またね、二人とも。
◆ 一般ぴーぽー ◆
「イリシアっ……?」
次に目を開けた時は、そこにはイリシアの姿は無く、代わりに真っ白な壁が目の前に現れた。
俺たちを包む空気も変わり、神聖で荘厳な雰囲気のある空気が俺たちを包み込む。
その空気は、俺がつい最近吸ったことがあるものだった。
直ぐ様周りを確認する。
足元には赤いカーペットが敷かれており、白い壁を見た後に見るには些か目に悪い色だった。
上を見上げれば、片方だけが割れたステンドグラスに、そこから差し込む日の光。
どこかで見たことのある光景だ。
「うぅ……」
「っ、ラル! 大丈夫か!?」
そんな光景に目を奪われ、少し呆けていたところで現実に戻される。
きっかけは俺の背中から聞こえる呻く声。いわずもがなラルのものだ。
赤いカーペットのせいで目立たないが、今もなおラルの千切れた脚から滴る鮮血。
呆けている場合ではない。なんとかしなくては。
そう思った時だ。
俺は気付く、イリシアが見当たらない。
どこを見渡してもイリシアが見当たらない。ここに帰ってきているはずだが……。
「……なっ!? アランさん!?」
「え? ルナさん?」
周りを見渡していると、ひょっこりとルナさんが階段の端から顔を出す。
その時点で合点がいった。ここは神代だ。イリシアは俺たちを神代まで送ったのだ。
ルナさんは俺の顔を見るなり血相を変えて走り寄ってくる。
その顔は鬼気迫るもので中々に気迫があり、気圧されてしまう。
しかし、そんな考えもすぐに頭の端に追いやった。
「ルナさん! ラルの治療を!」
「この怪我はいったい……式神メイドたち! 担架を早く持ってきなさい!」
ルナさんにラルの怪我を見せると、更に血相を変えて指を鳴らした。
すると、どこからかフヨフヨと式神メイドたちが現れる。その手には二人分の担架が。
式神メイドたちはラルを担架に乗せながら簡単な応急処置を施し、どこかへと運んでいった。
これで助かると良いが……。
「俺もラルの治療を手伝います!」
「何を言っているの! 貴方もボロボロではないですか! 貴方も担架に乗るんです!」
「え?」
そう言われてみて自分の躯を見る。
躯のあちこちは擦り傷だらけで、襟元には吐血の際に付着したと思われる血が付いていた。
右腕に至ってはところどころ青黒く変色している。どこかに強く打ったのだろう。
そう思い始めた途端に痛み出す躯。
こうして言われてみないと分からなかっただろう。
「早く乗ってください!」
「はい……ですがイリシアは……」
「イリシアさん……?」
ルナさんはクエスチョンマークを浮かべ、周りを見渡すが俺の時と同様に見当たらない。
そこでルナさんは何かに気付いたかのような表情になり、暗い顔をした後に淡々と述べた。
「早く医務室に連れて行きなさい」
「ちょ、ちょっとルナさん!?」
「積もる話もあるでしょう……落ち着いて話すためにも医務室へ」
そう言われて俺も担架で運ばれていく。
医務室へ運ばれ、粗方治療も終わったところで改めて話をする。
意外にも俺の躯はダメージを負っており、普段だったら安静にしているほどの怪我だった。
だが、俺はそんなことを気にしている暇はない。
ベッドの上で躯を起こした状態でルナさんと対峙する。
その表情は芳しくないもの。その顔で、今がどんな状況か否が応にも理解できてしまう。
「……さて、貴方たちはどうやってここへ?」
「イリシアの、転移魔術により……」
「……転移魔術なんてものはこの世に存在しません。この世のあらゆることを記す私が言うんです。そんなものは存在しません」
その言葉で、疑いが確信に変わる。
イリシアは俺に転移魔術だと嘘を吐き、俺たちをここに転移魔法で送ったんだ。
転移魔法は術者は転移できない。それが欠点として挙がっている以上、それを無くそうと躍起になっている魔法使いたち。
しかし、その欠点は直ることは無かった。つまり、イリシアは今もあの地獄のど真ん中にいる。
ならば、やることは一つ。
「失礼します」
俺は立ち上がり、壁に立て掛けてあった金具を手に取って医務室を後にしようとする。
しかし、当然ながらルナさんは俺を止める。
「どこへ行くんですか?」
「ちょっと、忘れ物を取りに行くんです」
「……そうですか。私には、止める権利はありませんが、彼女が何をしたのか、もう一度考え直してみてください」
そう言ってルナさんは俺に道を開ける。
俺はためらうことなくゆっくりと、しかし迷わずに医務室を後にする。
だが、医務室を出たところで俺の躯が止まる。
それもそうだ、目の前に【神】と先々代【魔王】が立っていたのだから。
「どこへ行くんだ」
「決まってる、イリシアのところにだ」
「一人でか? どうやって?」
【神】の言わんとしていることはよく分かる。
三人でどうにもならなかった砦に潜む敵に、どうやって勝つのか、と。
俺はそれを痛いほどわかっている。
けれど、だからどうしたのだと言うんだ。
俺は行かなければならない。イリシアがそこにいるんだから。
「仕方ねぇ」
「っ!?」
次の瞬間、【神】は俺の顔を掴んで地面へと押し付けていた。
顔を押さえられているだけなのに、腕や脚すらも動かせず、瞬き一つできない。
「イリシアが何を思ってお前たちをここへ送ったか、よく考えろ」
そこで俺の意識は途絶えてしまった。
◆ ??? ◆
「……のぉ、お父さん?」
「なんだい?」
「孫の顔は、見たいかの?」
「……あぁ」
「……そうか、そうかの。……あぁ、妾も、妾も、己の童孩を、アランとの童孩を見て見たかったぞ……!」
「…………あぁ」
◆ 一般ぴーぽー ◆
次に目を覚ました時には天井が見えた。
辺りを見渡してみると、ここは先ほどいた医務室だということが分かった。
手に持っていたはずの金具がいつの間にか壁に立て掛けてあり、丸で頭を冷やせと言わんばかりに鞘が鈍く煌めいた。
イリシアが何を思って提案したのか、何を思ってここに転移させたのかだって?
分からない俺ではないぞ、イリシアのことはよく分かっているつもりだ。
俺がイリシアと同じ立場だったら、俺は同じことをしていただろう。
だとしたら……イリシアは俺に来てほしいわけないじゃないか……!
せめて、生き延びてほしいって思うに決まっているじゃないかっ……!
愛した者が、無事に生きていてほしいって思うに決まっているだろうがっ!
なのに、俺は、俺はぁ……っ!
「なんて……無力だ……」
惚れた女一人とて護れやしない。
大好きだと言ってくれた女一人すら幸せにしてやれない。
手のひらの上にあるものすら落としてしまう。
なんて弱いのだ。
一つの甲斐性も成し遂げられぬとは。
「……っ」
俺は右腕で強く目を擦る。
強く、涙なんて残さずに拭い去るように擦る。
誰に反対されても、例え【神】に阻まれようとも、先々代【魔王】が敵になったとしても、俺は必ずイリシアの元へ行く。
イリシアの気持ちは痛いほどよく分かる。
だけど、だけどよ。惚れた女性をそのままにしておくのは嫌だ。イリシアだって、逆の立場なら同じ行動に出るはずだ。
だから、文句は言わせない。
その時、壁に立て掛けられていた金具がしょうがないなと言わんばかりに煌めいた……ような気がした。




