信用できる者
「妾の願いを聞いてはくれぬか?」
「ね、願い?」
人間の男は狼狽える。
まさか頼みごとをされるとは思わなかったのだろうか、男は私から目を離し、視線を右往左往に動かしてどうすべきか迷っている様子。
それもそうだろう、私とてこんな場所で長居はしたくない。
けれど、私はどうしても言わなくてはならないのだ。
私の決心が揺らぐ前に。
「妾と共に、妾の座を奪った者を倒してほしいのじゃ」
「なんで?」
そ、即答……?
い、いや、それもそうだと思う。
誰だってそういう返事をするだろうし。
だ、だけど、ここで引いたら私の決心とチャンスが無駄になってしまう!
私は男に向けて再び声を紡ごうとした、瞬間。
「キャアァアアアアアア!!!」
「なんだ!?」
突如上空から叫び声が聞こえてきた。
それにより、開きかけた私の口は閉じていまい、いやが王にも顔を上に向けなけなければならなかった。
上を仰ぎ見ると、そこには黒い影がこちらに向かって近づいてきているのが見えた。
あれは……さっき私を吹き飛ばした【勇者】!
私は苦い思いに歯を食いしばったが、早くここから離れないと私は【勇者】とぶつかってしまう。
いそいそとそこから退けると、落下地点だろう男の方に向けたが、私と一緒に退けると思っていた男はそこから退けるどころか、空から降ってくる【勇者】を見つめて退けなかった。
何をしているのあの男は?
このままではぶつかってしまうんだよ?
……まさか、この男は【勇者】まで受け止めようと!?
「グヘァ!!!」
「ぐふっ!?」
そのまさかだった。
男は遥か上空から降ってくる【勇者】を臆することなく受け止めて見せたのだ。
自分が怪我するとか、失敗したらどうしようとか、考えずにやったのか、それともすべてを承知の上でやったのか定かではないけど、この男はやって見せたのだ。
これにはさすがの私も度肝を抜かれた。
ここまで自分のことを顧みずに行動に移った者をお父さん以外に見たことがない。
皆、後のことや自分の立場とかを気にして動かないもの。
それなのにこの男は……。
「うぐぅ……」
「【勇者】様……」
どうやら【勇者】を受け止めることに成功したようで、男は己の腕の中にいる【勇者】に向けて二つ名を呟く。
その男の言葉に現実に戻されたのか【勇者】は我に返り、男を見ては口早にまくし立てた。
よっぽど焦っていたのだろう。
「国軍の兵士ですか? よかった……まだ生き残りがいたなんて。貴方は急いでここから離れてください。そして王にこの状況をつたえてくだ……うぐっ!」
【勇者】は言い終えると、急いで立ち上がっては早速バハムートに向かって行こうとするが、落下した時に負ったのかバハムートに吹っ飛ばされた際に負ったのかわからないが、どうやら右足首を痛めたらしくその場に蹲ってしまった。
男が受け止めるのに失敗したとは思えない。
とすれば……なんて今は考えている場合ではない。
【勇者】がバハムートに吹っ飛ばされたのだから、今のバハムートは自由の状態。
誰かが止めなくてはならない。
【勇者】を見てみるが、自分の武器だろうやけに装飾が凄い槍を杖代わりにバハムートへ向かって行こうとしている。
その姿に、とても勝機は見出せなかった。
男を見てみるが、驚いたことに勇敢にもバハムートに立ち向かおうとしている。
しかし、男が勝てるとは思えなかった。
私しかいない。
この場であのバハムートに立ち向かえるのは私しかいない。
しかし、もはや情が湧いてしまっているバハムートを、私は何の躊躇もなくこの手で殺せるのだろうか?
応えは否。
自分の甘さは嫌というほど知っている。
詳しくは自分に関わるものに対して甘いのだ、自分に甘いとは言わない。
私にムーちゃんをっ……!
「あなた、何を……」
その言葉でハッと気付く。
私はいつの間にか下唇を血が出るまで噛み締めていたようだ。
ジワリと血がにじむ感覚が下唇あたりに広がっているのがわかる。
それよりも、それよりも、
あの男は何をしようというの?
そんな剣なんて構えてさ、バハムートに何をしようというの?
そんな無謀な、神話にも登場するバハムートは強靭な体で有名で――――
「獅咆哮っ!!!」
――――私は目を見張った。
男が振るった剣から、可視出来るほどの衝撃波が放たれ、バハムートに命中した。
それだけならまだ驚きはしなかった。
あのバハムートが、あの【勇者】の攻撃さえも耐え抜いたバハムートが、仰け反ったのだ。
こちらに突進してきていたはずなのに、仰け反ったということは男の放った衝撃波がうわまったということ。
この男は本当に一体……!?
私は男の方を呆けたように顔を向けるが、男はいつの間にか【勇者】を腋に抱えて私に向かって走ってきていた。
突然のことに身じろぎしたが、体格の差に勝てるわけもなく【勇者】と同じように腋に抱えられてしまう。
十三年生きてきて初めての体験だったが、男は岩場の割れ目に飛び込んだためにその感覚はすぐ終わってしまった。
岩場の割れ目の中は意外と広く、三人がくつろぐには十分なスペースがある。
男は私たちを降ろし、その場に深く腰掛けた。
どうやら男は最初からここに逃げ込むつもりだったらしい。
あの土壇場で賭け……いや、確証があったにしても冷静に技をバハムートに当て、一瞬でこの場所を見抜いて逃げ込む。
相当な場数を踏み、視線を切り抜けてきた猛者でも難しいことをやって見せた。
やはり、この男となら私はやり遂げられる。
あの場所を奪い返すことを。
にしても……【勇者】までこの場にいるのは少々まずい。
私は失脚したとはいえ【魔王】だった。
私に激昂して殺すかも……かもではない、ほぼ確実に私を殺そうとするだろう。
そうなってしまったら私の願いは果たされることはないだろう。
しかし、この男なら私が窮地に立たされたとしても……なんて考えてしまう私が悲しかった。
私は再び【魔王】の座に返り咲くと決めたのだ。
これくらいの窮地、自分の力で覆さないでどうする。
と、思ってみたものの、何の考えも思いつかないのが実情。
ふと、男の方を向いてみればちょうど目が合ってしまった。
私はそこで何のお礼も言っていないことに気付き、心を見透かされないように無理に笑顔を作ってお礼を言うことに。
「お主、先ほどのことと言い、此度のことと言い助かったぞ」
「は、はぁ」
けれど、お礼を言ったのにもかかわらず男の反応は冷たいもの。
私は少し疑問に思ったが、すぐに納得のいく答えを見つけた。
これくらいでお礼を言うな、ということらしい。
「あ、あの! 助けていただき、ありがとうございました。」
そこで私に【勇者】は触発されたのか間髪入れずにお礼を言った。
しかし、男は苦笑するだけ。
それもそう、男はお礼を言われることをやったつもりがないのだから。
本当に何者なんだろうか、この男は。
そもそもこの男は本当に人間なんだろうか?
魔族であるのならこの身体能力もうなずけるのだけど……魔力の質を見る限り人間であるのは間違いないみたい。
そこまで考えて私は苦笑する。
まだこの男の“答え”聞いてもいないのに、私は旅をする気になっているのだ。
私はなんだかんだ言ってこの男のことを早くも信用してしまっているらしい。
先ほど、仲間から裏切られたばかりだというのに。
「そういえば、まだ自己紹介していませんでしたね。私はアラン=レイト。この国の兵……だった者です」
そう聞こえてきたのは苦笑してから間もなくであった。
どうやら男と【勇者】は私が考えていた間会話をしていたようで、自己紹介の流れになったと私は結論付けた。
しかしこの流れはどうだ。
さっきからの【勇者】言動を見る限り、私のことを【魔王】だと知らない様子。
ここで私が自己紹介をしたら【勇者】に確実にバレてしまう。
それを、この男が気付いていないわけがない。
この男……いったい何を考えている?
……そうか、私に切り抜けろと言っているのか。
わかった、むしろ切り抜けられないとこれからの旅を切り抜けられるわけがない。
だけど、変な小細工は使わない。
私は……すべてを語ろう。
すべてを語ってダメだったのならば、私はそこまでの者だったということ。
「えぇと、私は『ラル=ブレイド』! 一応この大陸の【勇者】をやっています」
【勇者】が自己紹介を終える。
次は私の番だ。
「次は妾じゃな。妾の名は『イリシア=アブイーター』と申す。……【魔王】をやっておった」
「……この状況でその冗談は笑えないよお嬢ちゃん?」
予想通り食いついてきた。
【勇者】はまるで獲物を見るような、それでいて猛禽類を彷彿させるような獰猛な視線で私を見る。
私はその視線に少し怖気付くが、ここで引いてしまっては意味がない。
私は言葉を紡ぐ。
「冗談ではない。先ほどまで暴れていたのは妾が手塩にかけて育てたバハムートじゃ。それに、そこの者なら証明してくれるはずじゃぞ?」
ここで信頼性を得るために男に協力を求めてみる。
男は私の方を驚愕の表情をしてみていたが、やがて観念したのか私が求めていた言葉を放った。
「えっと、そこにいらっしゃる方は本当の【魔王】様です、はい」
「へぇ……」
【勇者】の瞳が殺気を放つ。