受け入れぬ器
「さてっと、まずは茶でも飲もうじゃあないか」
謁見の間に辿り着いた俺たちに放たれたのはそんな言葉だった。
謁見の間は全面白い壁に囲まれており、窓や装飾は見当たらない。もちろん、発光する燭台なども見当たらない。
だのに、そこは昼間のように明るかった。光が無いのに。
その真っ白な空間に、まるで成長した大人が放置した子供の玩具のように無骨な椅子が最奥に鎮座している。その無骨な椅子に【神】様はふんぞり返って座っていた。
その姿はまるで傲慢な王。
そして、感じる違和感。
その違和感に気付いたのは、後続の様子を見ようとラルを見た時だ。
違和感とは、いつも俺たちが常識として見ている者だが、この空間ならばその違和感は納得できた。
影だ。影が無いのだ。
俺やイリシアはもちろん、【神】様や先々代【魔王】にルナさんまで影が無い。
考えてみれば頷ける。この空間に“光”が無いのだから。
それはまるで、ここで嘘を吐いても意味がないと言っているかのようだ。
「誰か、お茶を用意しなさい!」
ルナさんは【神】様の言葉に応え、手を拍手して大きな音を鳴らした。
すると、メイドさんだろう女性が音もなくルナさんの傍に現れた。
女性の目の前には配膳する時によく見る車輪が付いた台。その台の上にはティーポットと急須、それとケーキやらお茶菓子が乗っているところを見ると、もう用意したようだ。
その女性は栗色のボブショートの髪型で、身長は目算で百六十あるかないかだろう。
しかし、特筆すべきことはそれではない。むちゃくちゃ可愛いのだ。もうそれは可愛いのだ。
端整で、まるで人形のような顔立ちは世の男性が放ってはおかないだろう。それに加えてにこやかな笑顔。
俺が後五歳くらい若かったら一目惚れしていただろう。いや、してたな、絶対。
しかし、天は二物を与えず。胸はぺったんこだ。
いや、それが良いのかもしれない。
「お待たせいたしました」
「おう、ご苦労。ついでだから、挨拶でもしていけ」
「承知いたしました」
その超絶に可愛いメイドさんは配膳台から一歩前に出て、両手を腹の前で揃えて綺麗に礼をした。
「遠路はるばる御足労いただき、お疲れ様です。私、当神代のメイド長のエルトと申します。どうか、よろしくお願いいたします」
「ど、どうも」
アカン、俺もこんなメイドさん雇いたい。
そんな邪な感情を見抜いたかのようにイリシアが俺を肘で小突いてきた。それも鳩尾を。
「これ、鼻の下が伸びておるぞい」
「仕方ないだろう。男というものはな――」
「話が長くなるので、そこまでで良い。もう黙っておれ」
いつにもましてイリシアが冷たい。
しかし、こう捉えることも出来る。イリシアは俺のことが好きなのだから、他の女性に鼻の下を伸ばしているのを見て嫉妬していると。
そう考えると途端に嬉しくなるぞ。でへへへへ。
イリシアの方から視線をエルトさんに戻すと、エルトさんと目が合った。
すると、彼女は俺に微笑んで、手慣れた手付きでお茶を淹れ始めた。
アカンわ、おっちゃん……動悸が止まらへん。更年期障害や。
「ずずっ……だぁ……昆布茶はうめぇな」
「うん……たまには紅茶もいいかも知れないね」
エルトさんに淹れてもらったコーヒーを一口啜る。
香りからすると、豆から挽いたやつだろう。
……うまっ!?
なにこれ、すげぇうめえっ!
こんなコーヒー飲んだことねぇ!
ほっと一息ついてはいるが、唯一ラルだけは怖い顔をして先々代【魔王】を睨んでいる。
手には熱々のコーヒーがあるのにも拘らず、それには目もくれない。
「さて、何から話そうかなぁ……」
無骨な椅子に座る【神】様が呟く。
それを待ってましたとばかりにラルが顔を上げて【神】様を睨む。
ルナさんと先々代【魔王】はいつの間にか【神】様の傍に立っており、俺たち三人を見るようにして立っている。
その姿に、俺は少し恐怖を覚えた。
「そうだなぁ……結果からいうと、俺と【魔王】ちゃんは血を分けた兄弟で、協力していたんだよ」
「はっ?」
「なんだ? 聞こえなかったのか? 俺と【魔王】ちゃんは別に敵でも何でもなかったって言ってんだよターコ」
なん……だと?
【神】様と先々代【魔王】が兄弟で、敵でも何でもなかっただって?
これがどういうことか分かってんのか。
だったら今まで続いてきた戦いが、意味のないことってことなんだよな?
俺の友達は、ラルの親父は、なんのために死んだんだ?
震え来る死に嘆いていた戦友は?
勇気を振り絞った健気な少女は?
俺を庇って死んだはずの少女は?
なんのために戦ったんだ……?
「詳しく話すとな、これがまた長くなるんだな」
「私でも上手く話せる自信が無いな」
「だよな」
ラルを見る。
彼女は小さな意思を感じる表情をしていた。
イリシアを見る。
彼女は己の仲間を見て心配そうな表情をしている。
俺は、俺はきっと睨んでいるだろう。
最強を。
「んーとな、この世界はどうやって出来たでしょうか? はい、アラン君答えなさい!」
「あ? そんなの決まっているだろう。ガスだとかの密度が異常に高い空間に揺らぎが発生して、インフレーションっていう爆発が起きて、ビッグバンっていう膨張で宇宙が出来て云々かんぬんじゃあねぇのか?」
「正解だが、不正解だよーん」
「あぁ?」
んだよ、あっているはずだぞ。
中学校で習ったぞ。揺らぎからのインフレーションで、ビッグバンっていう流れじゃなかったか?
っていうか、俺はもう【神】に敬語を使っていないことに何とも思ってないのな。
まぁ、いいか。
「正解はな、この星は一つの卵なんだ。そんで、その卵は宇宙っていう巣の中に浮かんでいるにすぎないんだよ」
「たまご?」
「あぁ、卵だ。その卵ははな、孵化する時に殻の上……つまり外殻に住まう物質を食らって成長するんだ。つまり、俺たちはその卵の餌に過ぎないんだよ」
な、何を言っているんだコイツは。
この星が卵で?
この宇宙がその卵の巣?
そんで俺たちが餌?
そんなことを信じるほど俺はおつむが悪くない。
それならまだ世界の陰謀説を信じる。
俺は半ば冗談感覚で回りを見渡すと、それぞれの表情が見えた。
ラルは俺と同様に信じていない顔をしているが、イリシアはその言葉を重く受け止めているようで、暗い表情をしている。いや、絶望しているともとれる。
ルナさんと先々代【魔王】はいたって真面目な表情をしており、【神】は見る者をイラッとさせる様な顔だ。
……真面目な顔?
ルナさんはさっきのやり取りからも分かる通り、【神】の側近で【神】が何か悪いことをしたら叱る天使様。
そのルナさんがそんなことを言う【神】に対して何の反応を示さない。
それがどういうことか。
この話が本当だってことだ。
「……マジかよ」
「マジだ。大いにマジだぜ」
ってことなら……俺たちは食われるために繁栄しているのか?
その星から生まれてくる化け物に。成長するための食料として。
この世界は繁栄しているのだ。
「その星から生まれてくる生物……生物と言って良いのか? まぁ、いいや。その生物は俗に“外なる神”って言われているんだが、それは関係ないから説明を省く」
そう言って椅子から立つ【神】。
そこで初めて【神】が座っていた椅子は木製なんだと分かる。
【神】は歩いているがその当てもなくふらつき、しかし口端を上げながら動かす口は止まらない。そこから放たれる言葉には当てがあるから。
そんな【神】はどこか楽しそうだ。
「その星が孵化する時が三年前だ」
「え」
「知っているだろ? 今や世界中の教科書に書かれていると言っても過言ではない大きな出来事。世間じゃ俺と【魔王】ちゃんがドンパチやったって言われているアレだよアレ」
三年前。
忘れるものか。
俺が清掃係としてようやく板についてきた頃に起きた最悪な出来事。
俗に“始決の二英戦”と呼ばれている戦いだ。後にも先にもこんな戦いは無いと思いたい。
そこでラルの親父さんが死に、イリシアの親父さん……つまり先々代【魔王】が死んだ戦い。
それが三年前の出来事。
そして【神】が言う、三年前にその星の化物は孵化したと。
「俺たちは食われて死んでたまるかと思ってな、【魔王】ちゃんと協力して孵化したばかりの化物を倒したんだ。どうだ、すげーだろ。俺たちがこの星を救ったんだぜ?」
「お互い、犠牲を出してしてしまったが……それでも得たものは多かった」
「犠牲って……」
俺はチラリとラルの方を見る。
ラルは目を見開き、先々代【魔王】の方を見て微動だにしない。
つまり、そう言うことなのか。
「ラル君、君のお父さんはその星の化物と戦って…………勇ましい最後だったよ。【勇者】に恥じない、ね」
「そんな……」
三年越しの真実。
今まで仇だと思っていた先々代【魔王】は仇ではなく、むしろ共に肩を並べて戦った戦友だったのだ。
これがショックではないと何故言える。しかも、その仇は既に倒されていたのだ。
行き場のない恨みは長じて憎悪に変わる。
「……ごめんなさい。私は貴方をずっと……」
「構わないよ。【魔王】とは、そういうものだ」
「イリシアも、ゴメン」
「構わぬ。【魔王】とは、そういうものじゃ」
「……ホントにゴメン……っ!」
しかし、ラルは違った。
その過ちを受け入れ、後悔し、謝罪した。
その双眼からは涙が流れ、本当に申し訳のない気持ちが伝わってくる。
そして、二人はラルを赦した。
これで怨恨は晴れてなくなる。怨恨はな。
だが、疑問は残る一方だ。
「なら、なんでここに先々代【魔王】がいるんだ」
そうだ。
【神】の言う三年前の戦いがこの星を掛けたとんでもない戦いだと言うのはよく分かった。
しかし、ここに先々代【魔王】がいる理由にはならない。
なぜなら、先々代【魔王】は死んでいるはずなのだから。
他ならぬ、【神】の手によって。
「あぁ、それはな……じゃんけんだ」
「確かじゃんけんで勝敗を決めたのだったな。私が負けてヤロが勝ったのだから私が死んだことになったんだよ」
なに?
じゃんけんだって?
「表向きは私とヤロの戦いだったわけなんだ。これほど大きな戦いだ。世界の人類と魔物は今度こそ決着がつくと踏んでいたんだが……」
「いざ星の化物を倒した後、実はどっちとも生きてましたーなんて言ったものならどんなバッシングにあうか分からなかったもんなぁ……。そこでじゃんけんだ。じゃんけんの勝敗でどっちかが死ぬことにしたんだ」
「その結果。私が負けて死んだことに。後はここでご隠居生活だ」
じゃ、じゃんけんて……。
いくらなんでも軽すぎやしませんかね。
そのせいで悲しんだ者もいたというのに。目の前にね。
なんか、蓋開けてみればとんでもないことだったんだな。
三年前の戦いって。あの【勇者】が死ぬほど激しい戦いだったんだ。あの場所へ王が出兵していたと考えたら卒倒モンだ。
しかし……なんだ。
今まで人類は何と戦ってきたんだるな。
今、目の前で人類の総統と魔物の総統が仲良さそうに会話をしている。
じゃんけんだってする仲だ。その二人を見ていたらさ。
……なんのために、死んだんだろうな。みんな。




