そして伝説上へ……
◆ ◆ ◆
翌朝。
晴れ渡る快晴に、澄み渡る朝の空気。ジョギングをするには気持の良い朝。
その証拠に、すれ違う人にはジョギングをする人もいる。
しかし、そこを歩く俺たちは何もジョギングするためにいるのではない。
目の前に、ラル、イリシア、それと亥斗さんがいる。
先導は亥斗さん。俺たちは今、神代へと続く道へと案内してもらっている。
聞くところによると、神代への道はこの街イース・ロンドにあるらしく、今そこに向かっているのだ。
向かっている方角はイース・ロンドの市街地。
俺としては森や神殿とかにあるのではないかと思っていたが、このまま進めばレンガのジャングルに突入しそうだ。
「着いたぞ。ここの三〇四号室が神代へと繋がる扉だ」
亥斗さんの先導の元、辿り着いたのは今時珍しい木造のアパート。
築何十年かは知らないが、趣がある味の出たアパートだ。ところどころにあるシミや亀裂がその年月を現している。
っていうか、このオンボロアパートに神代へと続く道があるのかよ!
このところどころ錆びて穴の開いている階段とかあれですやん、英雄の道とかけ離れてますやん。
なら、神代へ行く英雄や各国の代表とかって、このボロボロな階段を上って行くのか!?
なんか……一歩一歩噛み締めて階段を上っていくんだなぁ……って妄想していた俺に謝ってほしい。誰にとは言わないが。
「ここだ」
「ここが……神代への入口?」
「なんか拍子抜けでしょ? 私も最初はこんなものなのって驚いたよ」
階段を上り終え、そこから四番目の扉までやってきた俺たち。
そこはやはり錆の目立つトタン扉。表札には家主の名前は無く、三〇四と書かれているだけ。
見れば見るほど残念な気持ちになってくる。
亥斗さんは扉の前に立つと、ポケットから白い鍵を取り出した。
その鍵は俺と亥斗さんがギルドまで取りに行った神代へとつながる扉の“鍵”だ。
しかし、その丸っこい簡素な鍵と、扉の錠前には合わなそうな気がする。というか、形からして全く違う。
だが、亥斗さんは一切迷うことなくその“鍵”を錠前へと持っていく。
すると、錠前が淡い光に包まれて“鍵”を吸い込んだ。
呆気に取られて見ていると、重厚な錠前が開くような音が辺りに響く。
「……開いたぜ」
亥斗さんがそう言うと同時に、トタン扉は軋みながら独りでに開く。
その扉の先は、こちら側の空と何ら変わらぬ快晴とそよ風に形を変える草原が広がっていた。
俺は亥斗さんを見る。
亥斗さんは何も言わず、ただ一回だけ頷くと踵を返して錆びだらけの階段を下って行った。
ここから先は俺たちで行けとの意思表示だろう。
この先が、神々の領域。
「アラン、イリシア。行こう」
「あぁ」
「うむ」
ラルを先頭に、イリシアと順に扉を潜っていく。
俺も二人に倣い、扉を潜ろうとした。その時、俺の足が止まる出来事が起きた。
「ちょっと待ったぁああ!」
「ん? って、浅菜?」
誰かの叫び声。
薄い鉄に何か硬いものをぶつけるような音が小気味良く辺りに響く。
一歩踏み出していた足を戻し、階段の方を見ると、息を切らした浅菜がこちらに向かって走ってくる姿が。
髪はボサボサで、顔も蒼白だ。
きっと、朝起きたは良いものの、昨日の酒が残っていて二日酔いで気分が悪いのだろう。
そして、追い打ちをかけるかのように全力疾走と来たモンだ。吐き気が倍増で頭もガンガンと頭痛が張り切っていることだろう。
「はぁ、はぁ、んはぁ……」
「ど、どうしたんだ?」
「どうした!? どうしたじゃありませんよ! また、何も言わずにいなくなるつもりですか!? 昨日、昨日言ったじゃないですか! 何も言わずに教師を辞めて……今度は何も言わず……私の前からいなくなるんですか……せんせぇ……」
「浅菜……」
頭痛を堪え、目尻に涙を湛え、縋りつくように心をぶつけてくる教え子。
その姿は正に俺に対して真っ直ぐに向き合う姿そのもの。当たり前の裏が無く、表が全ての心。
その姿に俺が何も思わないわけがない。裏から回ってくる相手には裏から回り、まっすぐ向かって来る者には真っ直ぐ相対する。
それが流儀。
だったら、この真っ直ぐに対して何を迷う必要がある。
「……済まん」
「謝って……済む問題ですか……」
「…………済まん」
「まだ、私……先生に言いたいこと……言うべきことを言っていないのに……」
浅菜が俺に言いたいこと。
本当ならば昨日に言われていたはずの言葉。
酒の勢いがないと言えないこと。酒が入って言えなかったこと。
それが何なのか俺には知る由もない。俺が知るには、この目の前にいる少女の口から聞く他無い。
「言いたいことって、なんだ?」
「……たった、一言だけです。でも、この一言を言うのにすっごい努力がいることを知っておいてください。先生は素直すぎるので分からないかも知れませんが」
「……おう、善処するわ」
浅菜は胸に右手を当てて、ゆっくりと息を吸う。その際に、目は閉じる。
そして、三秒くらい待った後に、目を開き、口を開く。
「今まで、ありがとうございました! それと、行ってらっしゃい!」
「あぁ、こちらこそ。じゃあ、行って来るわ」
お互いにニッコリと笑う。
そこからは言葉を交わさずに、俺は踵を返して神代へと続く扉を潜った。
扉を潜ると同時に、扉はゆっくりと閉まっていく。そして、扉が完全に閉まる前に浅菜の大声が俺の耳に届いた。
「行ってらっしゃいって言ったんですから、必ず帰ってきてくださいよー! この言葉はお帰りとセットなんですからー!」
どこか鼻声で、痰が絡まったような声は何故だか可笑しく、その声に俺は苦笑しながら右手を挙げて答えた。
最後まで良くも悪くも真っ直ぐで、良い生徒だった。ホントに。
あそこまで懐かれたら教師名利に尽きるというもの。
しかも、言いたいことがお礼だったとは、最後まで浅菜らしい。
「別れの挨拶は済んだ?」
「ん? あぁ、済んだよ」
先に行って待っていた二人が俺を迎える。
その際に、視界が少し歪んでいることに気付いた俺は、いつの間にか涙ぐんでいたことを理解した。
二人は優しい笑みを浮かべていおり、心の中を見透かされた様な気がして恥ずかしくなる。
俺はわざとらしく咳払いをすると、恥ずかしさを隠すために二人より先に歩みを進めた。
赤くなった顔と、涙を見せないために。
「ほら、さっさと行くぞ」
「あ、酷ーい! せっかく待ってたのに」
「大方、恥ずかしゅうなって、それを隠すための強がりじゃろう」
「うるせぇっ」
両隣に走り寄ってくる二人をなるべく見ないようにして、今歩いているこの世界を見上げる。
どこから吹いてくるのかそよ風が頬を撫で、どこにも見あたらない太陽が俺たちを照らしている。
ここが、神代へと続く道。
今、俺たちがいるところは厳密に言えば先ほどまでいた世界とは別物である。
人はここを“煉獄”と呼ぶ。神々が住まう天界と黄泉津大神が統べる黄泉国の間にある世界だ。その天界に今回の目的地である神代がある。
この世界は霊魂が天界に行く前に罪を浄化するために通る世界のことで、逆に言ってしまえばこの世界のどこかに黄泉国に繋がる黄泉平坂もある。
もちろん、俺とイリシアはその道筋すら知らないのでラルの先導でないと神代まで辿り着けない。
間違って進んで黄泉平坂になんて着いた日には後悔の言葉だけでは足りないだろう。
そう言えばここには辺獄もあるのだろうか?
「ラルよ、神代へはどれくらいで着くのじゃ?」
「うーんとね、もう少ししたら大きな塔が見えてくるはずだから、だいたい……一時間も掛からない、かな?」
「大きな塔?」
「うん、確か“バベル”って言ったかな?」
バベル……?
バベルって言ったら、かつて人間が天まで届く高塔を建てようとしたのを神々が怒って、人々の言語を互いに通じないようにしたっていう神話に登場するバベルの塔のことか?
でも、バベルの塔って未完成で、結局天界には届かなかったって聞いてるけど……。
その旨をラルに伝えると、
「えっとね、【神】様がもったいないってことで、この煉獄に丸ごと移してそのバベルを神代に繋がるポータルにしたんだよ」
丸ごとって……。天界には届かないかもしれないけども、それでもとんでもない高さだったはずだぞ、バベルの塔って。
しかも、それがポータルって……もしかして上るのかバベルの塔に!?
それこそ何日掛かるんだよ、上りきるのに……。
これから来るであろう労力にげんなりしていると、前方に建物のようなシルエットが見え始めた。
形からしてあれがラルの言っていたバベルの塔だろう。
しかし、想像もつかない高さのバベルの塔が、ここから見てあんなちっぽけな影なら後どれくらい歩けばいいんだよ。親切にさっきの扉の真ん前に置いてくれてれば良かったのにな。
これはお年寄りによろしくない。きっと、お年寄りの霊魂からの苦情がくるに違いない。
「なぁ……全然近づかないんだけど……」
「我慢我慢」
「うむぅ……これくらいならまだ大丈夫じゃが、あの影の大きさを見るとやる気が削がれるのお」
「そう言えば、最初の頃と比べたら随分と逞しくなったよな、イリシア。偉い偉い」
「誉められているのに何故かイラッとくる言い方じゃ」
そんなことを話しながら歩くこと数十分。
意外にも一時間も経たずにバベルの塔の根元に辿り着くことができた。
根元と言う言葉が言い得て妙なほどバベルの塔は太く大きい。材質はどこかの茶色い石。切り出した長方形状の石を積み重ねて造られた様子。接着剤の役割に使われているのは泥のようだ。
そして、バベルの塔は遠くから見れば立派な塔に見えるが、その実は風化しており、ところどころ崩れている。
何より目立つのは、雷でも落ちたかのような大きな亀裂。それにより外観は大きく損なわれ、内装が丸見えだ。
「これがバベルの塔……? 確かに大きな塔だけど……これじゃ廃墟同然だ」
「一応、【神】様が移した時と全く変わっていないって話だから、元からこうだったんだと思う。多分、怒った神々が壊したんじゃない?」
「なるほどな」
ラルの言うことに一理ある。
プライドが高く、ほとんどの神々は人間……というより下界に住まうものを見下しているから、腹いせに壊したんだろう。こうして形が残っているのは、その神々の頂点の【神】様のおかげだと言うのだから皮肉めいている。
とりあえず、外周をぐるっと回って入り口を探す。
ラルが言うには、まるで赤ん坊が欠伸をしたみたいにぽっかりと無造作に開いているとのこと。
なんだかラヴクラフトが使いそうな言い回しだが、とりあえず大きな穴があるのだと思い納得する。
なぜなら、大きな手で抉ったような穴が壁にあったのだから。
「ここから入るの」
「いや、これって明らかに出入口じゃないよね?」
「このバベルってね、本当はこれよりもっと“下”があるんだって。でも、それは壊されてしまったから中腹から上だけ持ってきたんだって。そして、この穴はなんと知恵の巨人のミーミルが空けた穴なんだって」
「これが中腹って……どんだけだよ」
ラルの言うことがホントならば、この塔は更に一回りも二回りも太いことになる。
いったい、この塔を建てるだけでどれだけの労力が使われたのだろうか。そして、これが未完成だと言うのだからなんだか遣る瀬無くなってくる。
そして、この手で砂山を抉ったような穴はオーディンに知恵を授けたミーミルが空けたのだと言う。
これが掌の大きさならば、ミーミルはどこまで大きいのだろうか。
「二人が何を申しておるのかさっぱりじゃ」
「イリシアは神話とか知らないのか?」
「知らないも何も、妾のお父さんは神話の魔物じゃったしのぉ。毎晩のように武勇伝と称しつつ己の神話を語られては、興味も無くなることじゃて」
「あー……」
そう言えばイリシアの親父さんは神話に名前を連ねる魔物だったな。
数億年前から存在が保障されているってどんな化物だ。おっと、化物なんて言葉はイリシアに失礼だな、訂正しよう。
それにしても、神話級の存在から直接神話が語られていたなんて……少し羨ましい。
俺なんて嘘が混じった親父のあやふやな物語を聞かされていたからな、当人から語られる神話もまた違ったモンなんだろうな。
「中はこんな風になっているんだな……」
「螺旋階段とな。また装飾も凝っておる。相当な技術が集っておったのじゃろう」
中には入ってみると、中は温かく、ところどころに開いた吹き抜けの窓や亀裂から光が射し込んでいるので意外と明るい。
構造は壁に伝うような螺旋階段構造だ。支柱が無いところ見ると、今の時代ではロストテクノロジーなのが窺える。
壁には当時の絵師が書いたであろう壁画が描かれており、当時の様子が描かれている。
ふと、一際大きな壁画に目が止まり、こすれて見え難くなった壁画に目を凝らす。
左側に光を纏い、相手を嘲笑うかのような笑みを浮かべた男と、その傍らに三十六対の羽を携えた天使と人々が描かれている。
右側には闇を纏い、外套を纏った気品溢れる男と、その傍らに白きドラゴンと魔物の軍勢が描かれている。
これからに察するに、この壁画は過去の【神】様と【魔王】との争いを描いたものだろう。
左が【神】様勢で、右がイリシアの親父さんである【魔王】勢だろう。
それにしてもイリシアの親父さん、仏様みたいな顔をしているな。
「ぬ? 階段が途切れておる」
「あらホント。ラル、ここからどうやって登るんだ?」
螺旋階段を登り始めて三層目のところで問題が発生する。
なんと、そこから上の階段が崩れて登れなくなっているのだ。
崩れているのなら登りようがない。ここからよじ登っていくなんてシャレにならない。
救いを求めるようにラルを見ると、ラルはクスリと笑う。
きっと、困っている俺たちがおかしくて耐え切れなくなったのだろう。
「大丈夫、ここが一応神代へ行くのなら最上階だから」
そう言って広場となっている空間の真ん中まで歩いていくと、中心からスカイブルー色の淡い光が溢れだした。
この光景だけなら俺も何度か見たことがある。砦などに設置してある非常用の脱出魔法陣のポータルだ。
この淡い光に飛び込むと、対になった場所まで送ってくれるというもの。
残念ながら、ポータルは一方通行で相互間で行き来できないのが難点で、尚且つその魔法陣を保つのが難しいので街から街へと繋ぐためには用いられていない。
ちなみに、我らが魔法にも転移魔法は存在する。
しかし、扱える人物はほとんどいなく、使用する魔力も膨大なもので実用には至っていない。
そして、何よりの難点は術者自身が移動できないという。つまり、自分自身でどこかに行きたいのなら歩いて行けと言うことだ。
おそらく、このポータルが神代まで繋がるものなんだろう。
「じゃあ、行こうか」
三人で同時にポータルへ足を踏み入れると、途端に訪れる浮遊感。
ジェットコースターから投げ出された様な感覚に、思わず吐き気が込み上げてくるが、グッと堪える。
景色はせわしなく移ろいで行き、コーヒーカップに乗った時の様な三半規管を攻撃してくる景色に吐き気を覚えるが、グッと我慢する。
そして、ふとした時に“それ”は終わり、目の前に現れたものに言葉が奪われる。
「ようこそ、神代へ!」
なぜなら、神々しき純白の光を纏う城が目の前にそびえ建っていたのだから。




