これで学園編は終了
「先生……私、もう……!」
「何言ってる。浅菜が望んだことだろ?」
「そうですけど……こんな、こんなに苦しいとは……」
「どんな時も最初は苦しいモンだ。ま、いつまでも苦しいモンだと俺は思うがな」
日が沈み、人もいない格技場。
男女二人が汗を掻き、その躯を激しく動かす。
その苦しみに、浅菜は呻き声をあげるが、俺はそれを無視して動き続ける。
その動きの先には、快楽が待っているという人もいる。俺はまだその境地に辿り着いていないが、辿り着きたいとも思っていない。
浅菜はどう思っているか知らないが、少なくとも俺はそう思ってはいないんだ。
いわゆるハイってやつにさ。
「ほら、浅菜に付き合っている俺の身になってもうちょっとやりなさい」
「そんなこと言っても、もう剣も持ち上がらないですよ……」
「剣が持ち上がらない? だったら筋肉が悲鳴を上げているんだ。それ以上は逆に痛める可能性がある……よし、ちょっと休憩するぞ」
「あぁ……喉が渇いた……」
俺が休憩を言い渡すと、浅菜はワックス掛けした木張りの床にに倒れ込む。
抜身の剣までほったらかしにして、冷たい床に吸い付くように頬ずりをしている。
更に涼しさを求めているのか、その汗でへばり付いたタンクトップを煩わしそうに掴み、扇ぎ始めた。
その際に、浅菜の躯が見えそうになり、思わず目を逸らす。
そのことに少しイラッとした俺は水が入ったペットボトルを持ち、暑さに身悶える浅菜に目掛けてぶち撒ける。
しかし、そのことに浅菜は気持ちよさそうに口端を吊り上げた。
どうやら掛かった水が冷たくて気持ちよかったらしい。
「ほら、腕と脚に湿布貼れよ」
「はーい……」
この浅菜の特訓に付き合い始めて早一週間。
浅菜は熱中症で倒れた後、一応病院で診てもらったのだが、異常は無しでホッと一息。
だが、やはり筋肉が痛んでいたそうで、数日間はその痛みに呻いていた浅菜。
それから回復した浅菜は早速、俺のところに飛んできて稽古をつけるように言ってきた。
無論、俺はもう少し躯を休めろと語気を強めて言ったのだが、浅菜は頑なに首を縦に振らなかった。
結局俺が折れて、無理を絶対にしないことを前提に稽古をつけることになったのだ。
詳しくは、浅菜が根を挙げても躯が大丈夫そうなら続行し、浅菜がまだ大丈夫と言っても体に異常が見られ始めたのなら休憩を挟むといったところ。
ちなみに、俺もさすがに堪えるものがある。浅菜の前では強がってはいるが、結構脚がガクガクとしているのは内緒だ。
「おっと、もうこんな時間か。今日はここまでだ」
「やったー……もう、無理……」
時計をチラリと見ると、もう完全下校の時間に迫っていた。
いくら放課後に稽古をつけるとは言っても、原則的に完全下校の時間は守らなければならん。
それにより、稽古をつけられる時間が日によって二時間程度しかつけられない時もあるが、それでも浅菜は満足しているようなので問題はない。
「知っているとは思うが、明日から期末テストだ。だから、稽古をつけられるのは今日までだぞ」
「分かっていますよ。これでも、ちゃんと勉強はしているんですからね」
床に仰向けになりながら顔だけ向けている彼女はそう言って微笑む。
頬の引っ付いた髪の毛が妙に色っぽく見えるのは気のせいだと思いたい。
今言ったように明日からは学生の本分である期末テストがある。
本当は、こんなところで稽古をつけている場合ではないはずなのだが、浅菜に圧されて稽古をつけている。ほら、俺って流される人だし。
期末テストは全部で三日間で行われ、終わって採点が済み次第夏休みへと入る。
そして、それは俺たちがここを去る時。
そう言う意味での稽古をつけられるのは今日までだということなのだが、浅菜はそうは思っていないようだ。
「先生、一つ賭けをしましょう」
「賭け?」
「そうです」
微笑む彼女。
「私が期末テストで良い点が取れたらデートしてくださいよ」
「は? なんでだよ」
「良いじゃないですか。約束ですよ?」
「あのな、俺は夏休みは――」
「どうせ暇なんですよね? 夏休みも稽古をつけてもらいますから覚悟してくださいね」
「――あぁ」
本当はもういなくなってしまうんだよ。
それを知らない浅菜。それを伝えようと、口を開いてみるが、その肝心な言葉が出てこない。
その凄く楽しそうな笑顔が、この前見たような悲しそうな顔に変わってしまうと考えたら、いなくなるという言葉が出てこなかった。
だから、俺は……最後にはその顔に変わってしまうのにもか拘わらず、頷いてしまった。
◆ ◆ ◆
「これより、北部勇者育成学校前期終業式を始めます」
終業式当日。
何事もなく期末テストも終わり、採点の結果で赤点がある生徒を覗いては明日から夏休みに突入するこの日。
俺は他の教師と一緒に、体育館の端に並んで長ったらしい校長のありがたいお言葉を右から左へ受け流す。
少し視線を横に向けると、整列した全校生徒が校長先生のありがたいお言葉を右から左に受け流しているのが窺える。
その眼はもはや死んでいると言っても過言ではない。
しかし、これからの夏休みに心躍らせているのか、若干嬉しそうにも見える。
そうだよな、これから夏祭りや人の手が入った湖に泳ぎに行ったりゴロゴロしたりと輝かしい毎日が待っているんだからさ。
しかし、宿題というものも待っているということを忘れてはならない。
「で、あるからして……」
早く終わんねぇかな。
このまま睡眠促進音を聞いていたら立ったまま寝ちゃうぞ。
理事長の方をチラッと目を向けると、ニコニコと笑っているのだが依然として何を考えているのか分からない。
よくもまぁこんな話を笑顔で聞けるよな。
「校長先生、ありがとうございました。続きまして、今期で解任なされるアラン=レイト先生。イリシア=アブイーター先生、ご登壇願います」
おっと、そうこうしているうちに出番が来たようだ。
登壇しながら全校生徒の方を見ると、驚愕の表情を浮かべるか、近隣の生徒とボソボソと何かを話しているのが目に入った。
そのことからして、誰一人として俺たちがいなくなることを知らなかったようだ。浅菜も含めて。
敢えて浅菜がいるだろう方向を見ないようにした。理由は言わずもがな。
「ではアラン先生から、何か一言をいただきます」
え?
何か一言?
俺何も聞いていないよ。アドリブが利くほど頭の回転はよろしくないから、こういうのはイリシアに振った方が良くないか?
そう思い、一緒に登壇したイリシアの方を向くが、イリシアは俺の方を向いてガッツポーズをした。
いや、“やってこい”って……そんな無責任な。
しょうがない。
何か適当にそれらしいことを喋ればいいだろう。
嘘八百は俺の十八番だ。いや、十八番って程でもないけど、難しいことを並べればそれらしくなるだろう。
俺は一歩前に出て教壇の前に立つ。
そして、一礼すると、それに合わせて生徒たちも一斉に礼をする。
その光景は何故か壮観だった。
「えーっと、今期限りで解任するアラン=レイトです。ある程度思いつくと思うんですが、俺たちは【魔王】を倒す旅の中でして、その旅に戻るだけです」
よし、何ら問題は無いな。
しかしなんだ、こんなものでは下がるに下がれないな。
何か他にも喋らねば。
……そうだ。
どうせ置土産ならば言いたいことを言ってしまえばいい。
これまでも言いたいことを言ってきたような気がしないでもないが、知らない知らない。
「えっと、皆さんはこれからここを卒業するとして、危険な界隈に属すると思います。そのことで、これは持論なんですが出来るだけ生き残る方法……あくまで一つの方法を教えます。これには個人差があるのであしからず」
俺がそう言うと、興味を示したのかざわざわと騒がしくなる生徒たち。
それもそうか。なんせ、コイツらの中では俺は凄腕の大戦士っていう印象だもんな。
そんな俺の言葉だから興味を示している様。まぁ、それは幻想なんだけどな。
「それは、戦場で生き残りたいのならば、自分には出来るだとか、自分は強いだとか思い込むな。認めなさい、自分には何も出来ないことを。ヒーローにはなれないことを」
騒然。
生徒たちは俺の一言にざわつき、口々に何か言っている。
きっと、俺の言っていることがよくわからなかったのだろう。俺だって学生の頃はよく分かっていなかったからな。
無理もない。
チラリと理事長の方を見ると、先ほどと変わらずニコニコとしている。
これでは怒っているのか分からないじゃないか。
俺はわざとらしく咳払いをすると、それまで騒がしかった生徒たちは静まり返る。
俺がこれから何か理由を話すと思ってのことだろう。頭ごなしに否定する生徒たちではなくて先生嬉しいです。
「人は魔物に対して集団でないと対抗する意欲が湧かない生き物です。しかし、困ったことに集団になると自分は強くなった気になるのも人間です。実際、この世は質より量の世界です。物量で押せば大抵の敵は蹴散らせます」
そこで俺は一旦句切って生徒たちを見渡す。
高いところから見ているせいか、生徒たちの一つ一つの表情が良くわかる。
疑問の色を浮かべている者。険しい顔をしている者。話の意図が分かっていない者。
皆それぞれの表情を浮かべている。
そして、その中には一人だけ違う表情をした者がいた。
その人はこちらを見て、泣きそうとも心配しているとも取れる表情をしていた。こちらをジッと見て。
「ですが、それは集団が強いだけのこと。一人一人は魔物に対して脆弱なものです。実際、この世界で旅する者は例外を除いて二人以上で行動を共にします」
前にも話したと思うが、これが旅をする上での定石。
俗に英雄と呼ばれる者たちを除いて旅は二人以上……まぁ、二人も珍しいかな。多くは三人か四人で行動することが多い。
逆にあまりにも人が多すぎる場合、司令塔がいないとうまく回らない場合もあるので注意が必要だ。
ともかく、俺が言いたいのは人は一人だけだと魔物に対して対抗策はほとんど無い。
ましてや相手が集団だと全滅させることは絶望的だ。そういう場合、無理にでも相手にこちらが上であると示せばまだ撤退する可能性はあるので、奮闘すればまだワンチャンはある。
俺がハウンドドックにやったみたいに、何匹か倒したら撤退していったことが例だ。
基本的に、知能があるものは自分側に一割の被害が出たら撤退するものだ。例外に餓えているだとか、決死を覚悟で突っ込んでくるものがあるが。
「いいですか、勘違いしないでください。自分が強いのではありません。決して舞い上がって自分になら敵を倒せるだとか、今なら出来るとは思わないでください。絶対に、一人で突っ込まないでください。それが戦場で長生きする一つの方法です」
俺はそこまで言って、下がった。
イリシアの隣までやってくると、司会進行役の先生が慌ててマイクに近づく。
ここからは生徒たちは見えないし、理事長も見えない。と言うか今は理事長の顔を見たくない。これでまだニコニコしていたら俺は怖くて眠れない。
イリシアの方を見ると、何やら苦笑してこちらを見ていた。
仕方がないな、と言わんばかりに。
「あ、ありがとうございました」
ステージから降りる時もなるべく生徒たちの方を見ないようにする。
これで終わったんだ。後は理事長を切り抜けて【神】様のところへ向かおう。
ラルも皆にお別れの挨拶やらがあるだろうから、出発は明日になるだろう。
……あーあ、なんか呆気なかったな。
◆ ◆ ◆
「……」
「ようやくおわったの」
「そうだねー」
理事長室から出た俺たち三人。
それから終業式は恙無く終わり、理事長に呼び出された。
解任の旨だろうと足を運び、今までのことなどのことに対して礼を言われ、正式に解任を言い渡された。
その際に、ドラゴンを退けたことが裏が取れたとのことで、その報酬として金貨をいただいた。
その数、三十枚。これだけで簡単な家が建てられる大金だ。ありがたく路銀にしよう。
「じゃあ、私は友達にお別れを言って来るよ」
「わかった。じゃあ、明日の朝、校門に集合な」
「うん、それじゃ」
ラルはこれまで仲良くしていた友達にお別れを言って来るとのこと。
俺たちは先ほど職員室で今までお世話になったことを言ってきたので、これからすることはこれと言って無い。
今日一日は寮に泊まって良いとのことで、せっかくだから掃除でもしようかと思っていた時だ。
イリシアが俺の前に躍り出て、微笑む。
「今夜、少し付き合ってくれぬか?」
そう言って、右手を御猪口を持つかのような仕草で口に傾けた。
◆ ◆ ◆
「ここ、か?」
夜。
周りは賑やかな人の声が聞こえ、淡い行燈の燈色の光が辺りを照らしている。
イリシアから食事に誘われ、辿り着いたのがこの飲み屋街。イリシアは俺が飲めないことは知っているだろうが、一応用心しておいた方が良いだろう。
乳首パパスみたいな人がいないとも限らないしね。
ガラガラと引き戸を開けると、入ってすぐのカウンター席にイリシアはいた。
もう一杯飲んでいるようで、イリシアの傍らにジョッキや枝豆、それに焼き鳥が数本あった。
「待たせたな」
「む? 来たか。ほれ、ここに座るのじゃ。わざわざキープしておいたぞ」
「済まんな」
イリシアはこちらに気付くと、右隣の椅子をポンポン叩いて俺に座るように促す。
どうやら俺のために取っておいてようだ。ありがたく座ろう。
「アランは何にするかの?」
「うーん、じゃあジンジャーエールに……レバーのタレかな」
「うむ、では店主、ジンジャーエールにレバーのタレを頼む」
「あいよ」
イリシアの頬はほんのり赤く、クピクピとその躯には若干大きなジョッキを傾けてエール飲んでいる。
見た目が中学生にしか見えない少女がエールを飲む様はなんだかシュールだ。
「ぷはっ。うむ、故郷の酒とはまた違って美味いのぉ。このシュワシュワがたまらん」
「親父臭いな」
「なんじゃ、寝る時に腹巻を撒いて寝ておるアランに言われたくないのぉ」
「な、なんで知ってるんだよ……」
そうこうしているうちに俺のジンジャーエールとレバーが来た。
乾杯、とイリシアにジョッキを差し出し、一口。うん、美味いな。
レバーのタレを頼めばそこの焼き鳥が美味いかどうかが分かると俺は気付いた。このタレでレバーの苦味がなくなれば、そこの焼き鳥のタレは美味いということになる。
ここは……うん、ここのタレは美味いな。
「そういえば、何か話したいことがあったんじゃないのか? ここに俺を呼んだってことは」
「そうじゃな、もうそろそろ来るのではないか?」
「来るって……」
イリシアがここに俺を誘ったとなれば、ただ単に飯を食いたかったって訳ではなかろう。
どこか腰を落ち着けてゆっくりと話したいとのことで、ここを選んだろうから。
その旨をイリシアに伝えると、イリシアはもうすぐ来ると言う。と言うことは話たい人はイリシアではないということ。
その人は誰かと訊ねようと口を開いた時だ、ガラガラと出入り口が開く音が聞こえた。
反射的にそちらを向くと、俺が見知った顔が見えた。
「お待たせー。待った?」
「あの、こんばんわ」
入ってきた人物は二人で、一人はラル。
もう一人はなんと浅菜だった。ラルはいつもの青と白を基調とした冒険服に着替えている。浅菜も制服姿ではなく、ピンクのワンピースの下に黒のインナーという私服姿だった。
浅菜はどこかオドオドした様子で、店内をキョロキョロと見渡している。
一方、俺は浅菜が来たことに対して理解できす、イリシアに小声で話しかける。
「なぁ、なんでここに浅菜が?」
「本当は分かっておるのじゃろう? その少女が今回の迷える子羊じゃ」
「えー……」
俺に話したいことがある人物って、浅菜のことだったのかよ。
ならなんでこんな回りくどいことをしたんだ。浅菜が直接、俺に話したいって言えば済む話じゃないか。
その旨をイリシアに伝えると、
「まったく、お主は乙女心というものをわかっておらぬ」
言葉にしなきゃ分かるものも分からないじゃないか。
「先生、隣失礼します……」
「おう。って、俺はもう先生じゃないぞ」
「良いじゃないですか。私の中では先生なんですから」
とりあえず座るとのことで、俺の右隣に浅菜、イリシアの左隣にラルが座る形となった。
ラルはウキウキした様子でメニュー表を見ているが、まさかお酒は頼むわけではないだろうな。
そんな俺のどうでもいい予想は的中することに。
「すみませーん! このキティってやつと海鮮丼くださいな!」
「って、おいぃ! ラルは未成年だろうが!」
「良いではないか。明日には魔界に入っておるのかも知れないのじゃぞ? 決戦前夜と思えばよい」
「そうは言うけどよ……」
予想通りラルは酒を注文してニコニコしている。
そんなラルに俺は釘を刺そうとするが、イリシアに窘められてしまう。
またぐでんぐでんに酔って大変なことになるんだからさぁ……俺はもう知らないぞ。こういう時は俺が介護役になってしまうんだから。
浅菜もメニュー表から視線を外したので注文が決まったのだろう。
浅菜は案外優等生っぽく振る舞うことがあるので、間違えない限り自分から酒を注文することは無いだろう。
そう思い、浅菜からは注意を外していたのが間違いだった。
「すいません、このカルーアミルクと鳥皮を五本お願いします」
「ってお前も酒頼んでんじゃねぇよ!」
「え? 貴方はもう私の先生じゃないんですよね? でしたら私を止める謂れは無いですよねぇ?」
「いや、一般人も止めるだろうよ……」
このやろう、能書き垂れやがって……。
そのドヤ顔が更にムカつく。ここを出たら学校に浅菜が飲酒していたと報告しちゃるわ。
浅菜は早速届いたカルーアミルクを嬉しそうにゴクゴクと飲み始める。
この前のことで懲りていないのだろうか?
カルーアミルクはコーヒーミルクみたいであまりお酒っぽくないが、度数は結構高いということも知らないんだろう。
そんなジュースを飲むようにゴクゴクと……あーあ、俺知ーらない。
「んで? 俺に話したいことってなんだ?」
「んくっ……ぷはっ。えーっとですねぇ……そうです! 何で私に内緒でいなくなろうとしているんですかぁ?」
「お前なぁ、とりあえず飲むの止めろ!」
「飲まなきゃ話せませんよ!」
このままじゃ話し出しそうになかったので、俺から浅菜に振ってみる。
すると、何故内緒でいなくなるのだと問い詰めてきた。
別に内緒でなんて思っちゃいなかったが、話すタイミングが無かったというか……いや、あったけども。
悲しそうな顔が見たくなかったなんて言えるわけなかろう。
ここは適当にはぐらかすか。
「そりゃ、言う義理もないからな」
「酷いですねぇ。一緒に死線を潜り抜けた仲だというのに……」
「主に俺が穴をあけて浅菜がそこを潜っているだけじゃないか」
「あぁ! そういうこと言っちゃいます!? じゃあお二人に私の裸を見たこと言っちゃいますよ!?」
「裸じゃないだろ! 寝間着を着ていただろうが!」
ダメだコイツ。
とっくに酔ってやがる。慣れない酒を大量に飲むからだ。
しかも、こんな近くで大声でそんなことを言えば確実に食いついてくるに決まっているじゃないか。
「ねぇ、今のこと詳しく聞かせて?」
ほーら、食いついてきやがった。
「いや、アレは事故と言いますか……」
「大方、アランのことじゃからラッキースケベでもあったのじゃろう」
「そう! さすがイリシアは理解があるなぁ!」
「じゃが、うら若き娘の柔和な肌を見たのは赦せぬの」
「あれぇ? 今の赦される流れじゃないの?」
アカンわ。
男一人に女三人は完全に不利ですわ。
このままだと俺はめちゃくちゃに責められて、その禊として酒を飲めコールが始まるに違いない。
俺は流される人間。酒を飲めば迷惑が掛かる。主に店側に!
「先生! 私と話しているのに他の女性と話すとは何事ですか!」
「いや、そりゃ話しかけられたら話すだろうよ……」
「アラン! 私はまだ詳しく聞いていないよ!」
「いやもうマジで勘弁して……」
酔っ払いと話すと面倒だが、ここまで面倒なのは久しぶりだ。
というかイリシア、俺が困っているのを見てクスクスと笑っているなら助けてくれよ!
ここで俺を助けられるのはまだ正気のイリシアだけなんだからさ!
そう思い、イリシアを睨むが、イリシアは何を思ったのかにじり寄ってきた。
肩と肩が触れ合うくらいに。
「なんじゃ、そこまで熱い視線を向けられたら妾とて黙ってはおらぬぞ?」
くそう、俺で遊んでやがるなイリシアァッ!
ニタニタと笑いやがって、俺が困っている様を完全に楽しんでやがる!
その光景を見て、もちろんよろしく思わないのがこの二人。
それを赦すまじと二人が俺に食い掛かる。
「ちょっと先生! よく人の前でいけしゃあしゃあといちゃつけますね! このロリコン!」
「アラン! なに二人だけの世界に入っているのよ! ちょっとはこっちに振り向きなさいよ!」
「……誰か、助けて……」
そんな俺の小さな願いは、居酒屋の喧騒に消えていった。
◆ ◆ ◆
「ほら、帰るぞ。明日は早いんだから……」
「んー……ぬぁ……」
「ダメだこりゃ」
それから数時間。
とっくに寮の門限などは過ぎており、管理人に見つかるとどえらいことになってしまう時間だ。
浅菜とラルは結局飲み潰れてしまい、二人してカウンターに突っ伏している。イリシアは最後まで飲んでいたが飲み潰れることなく、ほんのり頬が紅く染まる程度に済んでいる。
って、結局浅菜は俺に言いたいことは言っていないし。
これじゃあただ騒ぎに来ただけじゃないか。
「アランは浅菜殿を送ってくれぬか? 教師がおらねば生徒を送り届けられぬであろう? ラルは妾の部屋に止める故、頼むの」
「おう」
俺はもう教師じゃないんだが、まぁ細かいことは良いだろう。
管理人にどうやって言い訳をしようか、と浅菜を背に背負いながらそんなことを考える。
ぐったりと俺の背にのしかかる浅菜の体重は想像以上に重く、俺の腰に響く。
ぐったりとした人間を背負うのは、結構辛いものだと聞いていたが……ここまでだとは思わなかった。
ラルの時は無我夢中で気が付かなかっただけなんだろうか?
「店主、御馳走様でした」
「あいよ、またどうぞ」
イリシアと共に居酒屋を後にして、分かれ道でイリシアと別れる。教師用の寮と生徒用の寮は正反対だからな。
イリシアはその小さな体に大きなラルを背負って大丈夫なんだろうかと思ったが、意外にもラルをひょいっと背負って確かな足取りで歩いていた。
結構力あるんだな、イリシアって。
「しゅっぱーつ!」
「暴れるな。重たいだろう」
「酷いれすねぇ……せんせぇ……」
「いいから、もう喋るな」
また元気になってきやがったぞコイツ。
大人しくしてればよかったものの。こうなったらまた面倒だ。
しかし、良かった。
浅菜を背負うのには少し抵抗があったが、背中に感じる柔らかさも無くてそんなことは吹っ飛んだ。イリシアでも二つの柔らかい感触はあったぞ?
あれ、無かったんだっけか。むしろ硬いものがゴリゴリと当たっていたような……。
何はともあれ、良かった、絶壁で。
俺の息子が暴れずに済む。
「おえっ……」
唐突に背後から不穏な声が聞こえる。
おい、まさか……?
「オッロロ……ロ……カロロロロロロッ……ロロロロロロロロロロ……」
「うあぁ……背中に何かどろっとして生温かいのが……」
思わず背負っている者を投げ飛ばしたい衝動に駆られる。
しかし、そうしては本当に問題になるので、グッと堪える。
道端に身元不明の少女の死体が……なんて新聞の見出しなんぞ読みたくない。
なんだかここに来て損ばっかしているような気がする。
「くそ、服に滲みてきやがった……」
背負っている酔いどれの下呂が服に浸透して背中に直に感じるようになった。
美少女の下呂なら飲めるという輩がいるが、そいつの正気を疑うね。おかげで酸っぱい臭いまでしてきやがった。
貰い下呂は今のところ心配はないが、早いところこの酔っ払いを届けてしまおう。
「おい、クリーニング代払ってもらうぞ?」
「……」
「おいってば」
「……スゥー……」
「吐くだけ吐いて寝やがった……」
後ろから聞こえる寝息。
そのせいで聞こえる音は木々のざわめきと浅菜の寝息だけになってしまった。
頬を撫でる風が妙に生温かくくすぐったい。気持ちの良い風だ。
……なんだか色々あった一ヶ月だったな。
妙に密度の多い一ヶ月だったと自負出来るほど色々あった。
そして、明日はいよいよ【神】様の住まう居城、神代へと行くんだ。
でも、ここから神代へと続く道は遠いんだろうか?
亥斗さんはその神代へと続く“鍵”を持っているだけで、なにも神代へと続く道についたわけではないのだ。
だとしたら、また長い旅の始まりになる可能性がある。
まぁ、なんにせよ、終盤って感じがしてきたな。
今更だが、俺なんかが【魔王】と対峙して、脚が竦まずに戦えるんだろうか?
そう思い始めると、ここで過ごしたことがどんどん溢れてきた。
止めどなく。
「……色んなことがあったな」
初めはラルの一言から始まった。
いきなり教師になってくれと言われた時は驚いた。
なんせ、これまで誰かに教えるという行為のしたことのないものが、ぶっつけ本番で出来るものなのかと、吐き気がするまで不安になったんだっけか。
「こんな俺でも皆笑顔で接してくれて……思わず学生時代を思い出したな」
女っ気が全く無く、野郎共だけでバカやって過ごした学生時代。
友達に囲まれてずっと笑っていた学生時代は本当に楽しかった。顔を忘れてしまった奴はいるけれども、今でもその笑い声は鮮明に思い出せる。
「右も左も分からない中で、一番仲良くしてくれた生徒は……浅菜、お前だったな」
思えば、浅菜が最初に俺に興味を示したのは【勇者】一行だということだったな。
それからしつこくも良く話しかけてくれ、校内でわからないことを上から目線で教えてくれたのも浅菜だった。
なんだかムカついてきたぞ。
「……口には出さないが、ホントは結構感謝しているんだぜ? 思うことなら、最後まで、卒業まで面倒を見てやりたかった」
けれど叶わぬ願い。
「ほら、女子寮が見えてきたぞ? あそこに着いたらホントにお別れだ」
当然、返事は無く。
「まだまだ教えたいことはあったが……最後に、そうだな」
息を吸う。
「俺からの最後の教えだ。一回しか言わないからよく聞けよ?」
無言の肯定。
「この人だけは信じられる、最愛の人を見付けなさい」
自分で言ってて途端に恥ずかしくなってきた。
「何言ってんだ俺は。寝ている相手に……」
「……先生?」
「うおっ!? ……いつから起きてた?」
「色んなことがあったな、ってところからです」
「最初からじゃねぇか……」
暫時の沈黙。
「先生?」
「なんだ?」
「……最愛の人、見付けましたよ?」
「そいつは……良かったな」
頬を撫でる風は、どこか優しかった。
書きたいことを詰め込んでしまったら、かなり長くなってしまった……。
ここから今までとは違い、シリアスな展開となるのであしからず。




