かさぶた
◆ ◆ ◆
「あぁー……ケツ痛ぇ……」
理事長の説教が終わってようやく解放された俺。
外はもうすっかり夜だ。夏の夜は遅いから、それだけで結構な時間だと分かる。
廊下はもちろん教室にも人の気配はない。気配があったら、それは警備員の人だ。
理事長曰く、保人みたいな生徒はこれまでにも幾らかいたのだそうだ。
こぞって不満を持っており、理屈や規則では説明せず、感情で行動し、自分は間違っていないと信じて疑わないのが騒動を起こした生徒たちに見られるらしい。
また、社会は間違っているとか言ったり、あまり成績のよろしくない生徒にも見られるとのこと。
だから保人みたいな生徒がこうして騒動を起こすのは珍しいらしい。
そうした生徒が現れたら、変に突き放したり、煽る真似をしてはいけないのだと。
対処法は淡々と矛盾点や己の立場などを説明してやるのが一番良い……らしいんだが、それは一時凌ぎにすぎないのは俺の気のせいだろうか?
まぁ、俺が言った力で奪い取れーとかなんだかは逆効果だったのは理解した。
ちなみに保人は男子寮で謹慎処分だそうだ。
反省文五十枚提出だそうだが、逆に俺だったらそんなに出されたらグレるわ。
あ、そう言えば浅菜に論文提出するように言ったんだっけか。何枚提出しろって言ったか忘れたけど。
「……ん?」
しばらく廊下を進んだ時だ。
誰もいないはずの廊下に人影らしきものが見えた。
警備員ではない。警備員ならライトくらい持っているはずだ。この暗い廊下だ、月明かりと街灯の明かりだけでは少々心もとない。
俺は身を低くする。微妙に明るい空間で動くのはよろしくない。瞳孔が開く分、明るい場所より物が動くのが見えやすい。
なるべく窓ガラス付近を壁伝いに移動する。窓ガラスの真下は光が射し込まないので隠れるには申し分ない。
やがて人影は確信となる。
さっきまでは人影らしきものが見えただけで、人影という確信は無かった。
しかし、ここまで近づいたところで誰かがいることは明らかになった。
この薄暗い光量では人影の顔までは分からない。背格好からすると、女性のようだ。
「……なにしてんだ?」
「あ、アラン! 遅かったじゃない」
今まで警戒しながら近づいていたが、ある程度まで近づくことでその人物が明らかに。
それもそのはず、身に余るような豪槍を携えていたのだから誰かは一目瞭然。
と言うか学校の中まで対魔機持ってくるなよ。
戦闘が起きる可能性なんて無に等しいというのに。
「えっとさ、ちょっとお話しない?」
「話? 歩きながらで良いなら……」
「うん、良いよ。ありがと」
と言うわけでラルが隣に加わり家路に着く。
何でラルがここにいるかは訊かない。俺と話がしたくて律儀にこんな時間まで残っていたんだろう。
その健気さを未来の旦那様に向けてやれる日が来るのかね。
「あのさ、私……」
「うん」
「ごめんなさい」
「うん?」
「私、アランに対して酷いことを……」
「あん?」
ちょっと待て。
話の内容が分からん。
いきなり謝られたんじゃこっちの理解が追い付かない。それに、俺はラルに何かされた覚えは一切ない。
謝られる謂れが無いんだ。俺の疑問も尤もなものだろう。
「待て、何の話だ?」
「何のって……昼間の話だよ。保人くんの……その……」
は?
「それこそ何の話だ。イリシアに謝ることがあっても俺に謝ることは無いだろうが」
「いや、でも迷惑を……」
「あのよ、なんか前にも言ったような気がするけどさ。人は生まれた時点で、その人に会った時点で迷惑を掛けてんの。迷惑を掛けない生き方なんて無いし、迷惑を掛けない死に方ももちろん無い。だから、気にすんな」
「……うん」
「逆によ、迷惑を掛けられるってことはよ、それだけ頼られているってことか、それだけその人に関わっているってことじゃないのか? それは、嬉しいことなんだ。迷惑ってのは、使い方さえ間違えなきゃ仲良くなれるもんさ」
「……そっか」
ラルはそこまで聞くと、薄暗い中でも分かるくらいニッコリと笑い、どことなく機嫌がよくなった。
歩き方もそれに現れており、脚が軽くなったようだ。
彼女は不器用だが、人の話を聞ける素晴らしい娘。俺たち【勇者】一行のムードメーカーはやっぱり笑っている方が似合ている。
俺の臭いセリフにも眉ひとつ動かさず聞いてくれる娘が悪い娘な訳が無い。
「あのさ、一つ聞いても良い?」
「なんだ?」
そろそろ一学年の職員室に着くころ、機嫌が良くなったラルは質問をして良いかと聞いてきた。
もちろん、俺は逆に問いかけることにより肯定する。
「私がさ、保人くんとキスしようとしてたじゃん? なんで、止めたのかなぁーって……思ってさ」
「なんだ、止めない方が良かったか?」
「ちゃかさないで」
質問は昼間のこと。
俺が自分勝手でラルを止めたことによるものだった。
ここで自分勝手だと言ってしまえば楽なのだろうが、よく考えてほしい。
三十路のおっさんが一回りも違う少女がキスするのが嫌だったからと言う字面を見てみろ。ただの気持ちの悪いおっさんの完成だ。
既にもう気持ちの悪いおっさんかも知れない……いや、あんな臭いセリフをほざいている時点で気持ち悪いもないか。
言葉を間違えるなアラン=レイト。
ここで仲間の信頼を無くしたくないのなら出来るだけ嘘はつかずに本心をラルに伝えろ。
ゴクリと唾を飲み込む。
「そりゃあさ、ここでラルを失ったら戦力に痛手が出るからな。それに、【魔王】ってのは【神】様の加護をその身一身に受けている者しか倒せないと聞く。だから聖剣とかが必要になるらしい。このパーティーで【神】様の加護を受けているのはラルしかいない。だからだよ」
「ふーん」
どうだ、何も間違ったことは言っていない。
別に、誰かが明言したわけではないが、過去に【魔王】を倒しているのは【神】様の加護を受けている者だけだ。
イリシアの父親、つまり先々代【魔王】の統治が異様に長かったせいで長らく【魔王】を倒せていなかった。それが終わった今、戦乱の世となっている。
それを止めるのが今の【勇者】の使命であり、ラルの目的だ。
しかし、ドヤ顔する俺を余所にラルは何やら悪戯な笑みを浮かべる。
「じゃあ、なんで保人くんに力がどうとか言ったの? あの口振りからすると私はアランの所有物みたいに聞こえるよ? それに、【魔王】が【神】様の加護を受けている者にしか倒せないのなら、【魔王】だったイリシアは何でやられたの? 矛盾しているよねぇ」
「うぐ……」
た、確かに言われてみればそうだ。
こう言ってはなんだが、ラルは戦闘のことに対しては頭の回転は速いのだが、会話や勉学についてはあまりよろしくない。
このまま上手いこと切り抜けられるかと思ったが、そう簡単にはいかないらしい。
どうする、アラン=レイト。
息を吐くように嘘を吐く男、歩く虚偽とシンに言われた真価を見せてみろ!
……ちくしょう、こんな時に限って何も出て来やしない。
俺が頭をフル回転させていると、ラルはクスクスと笑いだした。
まるで俺の考えていることが分かっているように。
「当ててあげよっか? アランが嫌だったからでしょ?」
「なっ……」
「その様子なら当たりみたいだね」
図星だよ。
あぁ、全く持ってその通りだ。
まさかラルに感づかれるとは思ってもみなかった。
「私さ、アランと二ヶ月近く一緒にいるでしょ? たったそれだけの時間でもアランの性格はよくわかっているつもりだよ」
「……」
「それに、イリシアに訊いちゃったんだ。アレクで、私が大怪我をしてアランが病院に運んだ時、他の患者なんて目もくれないで医者の前に運んだんだってね」
「……あぁ」
あの時は必死だったな。
ラルの心臓が止まって、茫然自失になりながらも病院に運んだ時だったけな。
病院には怪我をした衛兵や冒険者たちがいたが、順番なんてすっ飛ばして医者に診せたっけか。
順番を守れとか周りから言われたが、ラルの勇者権限を使って横入りしたんだよな。
もしかしたら、という気持ちがまだ俺の中にあったのかもしれない。
でも、医者が死亡確認した時から記憶が曖昧だ。
外でイリシアに話しかけられるまで意識が朦朧していたんだろう。
死体安置所に運ばれていくラルをボーっと見ていた俺は、さぞや酷い顔をしていたんだろうなぁ。
今考えてみれば、あの時の俺はかなりのクズだった。
周りのことを考えずにただ真っ直ぐに走っていた。それでラルの評判が悪くなるだとか、イリシアに迷惑が掛かるとか全く考えていなかった。
ただ、“俺”が嫌だったからしたんだ。
……今、ラルは俺の性格を知っていると言った。
だとしたら、俺がクズだということを知っているということ。
だったら、何故なんだよ。
何でラルは俺に付いてくる?
「……私ね、それを聞いた時、嬉しかったんだ」
「え?」
「人がね、こんなに必死になってくれることなんて今まで一度もなかったんだ。私は【勇者】だったから、頼られることしかなかった。そんな絶対無敵と間接的に言われている私に、助けてくれる人が現れた」
俺に微笑む。
「その人はさ、世間一般的にはクズって呼ばれる人で、何かとあれば自分だけが助かろうと考えている人」
「……耳が痛い」
自覚はしていたが、いざ人に言われると心に来るものがあるな。
「でも、その人は仲間のことを決して見捨てようとはしない人。自分の身を犠牲にしてくれる人。私に、精一杯になってくれる人」
「……」
「そんな人が、私の最高の仲間なの」
「ラル……」
いかんな、歳を取るとホント涙腺が緩くなるなぁ。
「あの時、私のために身を呈して助けてくれてありがとう。あの時、私のために走ってくれてありがとう。あの時、私ために叱ってくれてありがとう」
一拍、
「あの時、私のために泣いてくれてありがとう。これからも、よろしくね。アラン」
「あぁ……こちらこそ……っ!」
仲間は決して千切れぬことのない契を交わす。




