鵐目
◆ 一般ぴーぽー ◆
日は傾き、西の空が赤く染まる頃合い。
とっくに校内に残っている生徒はいなくなり、部活で居残り練習をする生徒たちも校門から出ていくのが見える。
そんな時間に俺、いや俺たちは理事長室の前にいた。
「俺何かしたかなぁ……減給かなぁ……嫌だなぁ……」
左を向けば世界が誇る剣士の亥斗さんが呪文のようにボソボソとネガティブなことを呟いている。
その背中からは悲壮感が見え、今にも闇の精霊でも呼び出しそうだ。
「私何かしたかなぁ……評定下がるかなぁ……嫌だなぁ……」
右を向けば浅菜が体育座りをして呪詛のようにブツブツとネガティブなことを呟いている。
その周りはジメジメとした空気に覆われ、今にもそこら辺からキノコが生えてきそうだ。
保人の騒動が終わった際に、理事長から声が掛かったんだが、俺としては何で呼び出されたか一応見当がついている。
おそらく、保人の一件のことで俺は呼び出されたんだろう。事のあらましを説明する必要があると判断されたんだろう。
俺の両隣にいる人について知らないけども。
「どうぞ、入りなさい」
理事長室のドアか開き、理事長が現れる。
その際に二人の方がビクッと跳ね上がるのを俺は見逃さない。
入ることを赦された俺たちは理事長室に入り、来客用のソファーに座る。
座り順は例によって俺を真ん中にして左に亥斗さん右に浅菜だ。
「どうぞ」
「あ、いただきます」
部屋の隅に置いてあるコーヒーメーカーで作ったコーヒーを俺たちの前に置く理事長。
そんな何でもない行動にさえ二人は怯える。
理事長は確かに怖く底が知れないが、いつだって悪いようにはされなかったから大丈夫だと思うんだがなぁ。
「何から話しましょうか。では、エルロン教諭?」
「は、はい!」
まず最初に声が掛かったのは亥斗さんだ。
亥斗さんは名前を呼ばれた瞬間に背筋がピシッと伸び、理事長の眼を見つめる。
彼の額には汗が伝い、膝に置いた両手はカタカタと震えている。彼は過去に一体どんなトラウマを植え付けられてしまったのだろうか?
「エルロン教諭、貴方の働きは称賛に値します。よくぞ私が求めていたものを持ち帰ってくれました。礼を言います」
「……いえ、これくらいなんてことないです」
いったいどんなことを怒られるのだろうと思っていたが、やはりそんなことは無く亥斗さんは理事長に誉められた。
怒られるわけでもないと理解した亥斗さんは肩から息を吐くように落ち着き、まるで長年のしがらみから解放されたかのような顔で理事長の礼を受け取る。
おそらく、理事長の求める物を持ってくることが今回ここから離れていた理由なんだろう。
そして、俺がここに就くに至った理由。いったいどんな物を持ってきたのだろうか。
亥斗さんがわざわざ行くってことは相当な物だと思うが、この時期でないと行けなかった理由でもあるのか。
物ならばこっちのことを優先してほしいと思うのは俺のエゴなのだろうけど。
「貴方が持ってきてくれたこのノックスの十戒。魔の者に渡らなくて本当に良かったです」
ノックステンコマンドメンツ?……?
どこかで聞いたことが有る様な無い様な……。
モーゼの十戒なら分かるんだが……うーん、分からん。
そんな俺の心を察したかのように、理事長が俺の方を見て一つ溜息を吐いた後に説明してくれた。
「ノックスの十戒とは、魔女狩り大司教ロナルド・ノックスが書いた魔法とはなんたるかの全書。書いてある内容を理解できれば魔法の全てをその手に収めることが出来る代物です」
「すげー……」
コレは素直な感想。
そのノックスさんが書いた本で、その内容を理解できれば魔法を全て覚えられるって……どんな魔導書だよ。
例えば、俺はラピス系統の魔法しか使えないが、それを読解すること出来ればエアリス系統・ソート系統・アリス系統・アウズ系統・ノヴァ系統・ライジング系統の全てを扱うことが出来る。
凄いところは、普通の人間ならばアウズ系統・ノヴァ系統・ライジング系統は絶対に使うことは出来ない。それを使えるんだから、それが如何に凄まじい代物かが分かるはずだ。
でも、なぜ理事長はそんなものを?
ただ単に魔法を使いたかったって訳ではなさそうだけど。
その予想は当たったのか、そこまで話し終えた理事長の顔が険しいものになる。
「……逆に言えば、魔法そのものを封じ込めることだって可能です。もし、それが魔の者の手に渡ったら、私たち人間は魔法と言う魔の者に対抗する大きな力を失うことになります」
……なるほど。
確かにそれは避けねばならないことだ。
今現在で人間が魔法を失えば大打撃を受けてしまう。俺は魔法を戦闘で使わないが、ラルの戦いを見ればどれだけ魔法の力に頼っているのかが分かる。
ラルは戦闘時、脚に雷を纏って走っているが、これだって魔法だ。
ラルの能力[雷を操ることが出来る能力]はライジング系統の魔法を自由自在に扱うことが出来るという意味で、ラルはそのライジング系統の魔法の力を借りて凄まじい速度で移動しているのだ。
例えば[炎を操ることが出来る能力]はラピス系統の魔法を自由自在に操ることが出来る。普通、ラピス系統は放出するか纏うなどの用途でしか使うことが出来ない。
だが、その能力があればイリシアの魔術みたいに炎の蛇を作ったり炎自体で剣を作ったり出来るんだ。それが能力の凄いところ。
まぁ、亥斗さんの能力なんだけどさ。
他にも俺たちが得物としている対魔機だって、魔法の加護を付与して魔力を使わずに強力な魔法を使うことも、その本があれば出来なくすることも出来る。
俺の相棒である金具も炎を操ったり水を一点に集めたりしているけど、別に魔法ではなくその物質を構成している元素を操っているため、原則的には魔法ではない。そう考えると金具って凄い。
後は生活にも関わってくる。
家庭で使っている湯沸しのカラクリだって調理のカラクリだって魔法を応用している。
それらが全て一瞬で使うことが出来なくなるんだ、その本が如何に恐ろしいか。
「それを手にするのは大変でしたよ。まさかS・S・ヴァン=ダインが持っているとは思いませんでした。まぁ、敵ではなかったでしたけど」
「では彼の使うヴァン・ダインの二十則と戦ったのですか?」
「えぇ、ですがノックスの十戒に比べればなんてことなかったですよ」
「そうですか。とても大変だったでしょう、後で報酬とは別に何か遣わせましょう」
「ありがとうございます」
もう俺にはなにがなにやら。
話には付いていけないから、考えるのを止めることにする。
とにかく、亥斗さんは凄いものを成し遂げてきた、ということだ。
さすが【七英雄】の【永炎者】だ。【神】様に与えられたその称号は伊達ではない。
「では、レイト教諭。神代へ行くのでしたら【書】にコレを渡してください」
「へ?」
完全に俺は関係ない話だと思っていたので驚く。
目の前には何か肌色で肌触りの悪い皮で装丁された本が差し出される。
何気なしにその本を受け取る俺。
ん?
この本ってもしかして……?
「お願いします。それは本来なら焚書坑儒されていた禁書なのです。世界で現存するのはその一冊だけ。写本は何故かその効力を持ち得なかったみたいですけど、写本は全て燃やされたと聞きます。そして、それが正真正銘の原本です。私が持っていて良いものではありません」
え?
えぇっ!?
もしかしてこれがノックスの十戒!?
世界を傾けるほどの本が俺の手に!?
本を持つ手がカタカタと震える。
これ一冊で使い様で人類の頂点にだって立つことが出来る代物。
そして扱いを間違えたり、何かの拍子に世界の魔法が無くなる可能性のある本。
そんな本が俺の手にあるのだから手が震えないわけがない。
「あ、あの……そこまで危ない代物でしたら焼却処分とか……」
「もう試しました。昼間の間に焼却炉へ投げましたが、綺麗に残っていまして。装丁段階に何か施されたらしく、傷一つ付きませんでした。それは今から数千年前に作られたものですが、風化もしていません。おそらく、物理的に消滅させるのは不可能でしょう」
「Oh……」
なんということをしていただいたのだろう。
物理的に消滅不可とか、もうアホかと、バカか。
いったいこの本一冊に付加するのにどれだけの贄を払ったのだろう。
確かにこの本は古めかしさはあるのに対して汚れや折れ目などは一切ない。まるで新品同様だ。
コレをこの世の事象全てを本に記しているという【七英雄】の【書】に渡してほしいと言う。
【書】が保有する書庫ならば盗まれる可能性は無いだろうから、理事長の判断は正しいだろう。
その書庫にはこの世の全てがある。その全ての中に入ってしまえばもう“この世”に出ていくことはない。
だからと言って、俺が預かっても良い代物でもない。
「どうせなら、目を通してはどうですか?」
「えっ!?」
「エルロン教諭もどうせ目を通してみたのでしょう?」
「ははっ、分かりますか。えぇ、俺も好奇心には勝てずパラパラーっと」
この人たちはなんて会話をしているんだ。
コレがどんなものか分かっているのだろうか。いや、分かっているはずだ。
それなのにこれを読んでみたって……そんな馬鹿な話があるか。
……好奇心は猫を殺す。
しかし、理事長と亥斗さんは目を通しても何ともないのか、こうしてここに座っている。
もしかして中身を見ても穢れるというわけでもないのかもしれない。中身を理解しなければ持ち主に何かしらの効力が無いのだとしたら、俺が読んでも問題は無いわけだ。
俺が読解できるとも思えない。
よし。
「南無三!」
俺は意を決して禁書を開く。
すると、可笑しなことが起きた。本はある程度の厚さがあるのだが、本を開いてみれど見開きの二ページしかページが無い。
そして、そのページに書いてある文字は古代文字のようで、少し汚らしい字でこう書いてあった。
一.犯人は物語の当初に登場していなければならない。
二.探偵方法に超自然能力を用いてはならない。
三.犯行現場に秘密の抜け穴・通路が二つ以上あってはならない。
四.未発見の毒薬、難解な科学的説明を要する機械を犯行に用いてはならない。
五.言語や文化が余りにも違う外国人を登場させてはならない。
六.探偵は、偶然や第六感によって事件を解決してはならない。
七.変装して登場人物を騙す場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない。
八.探偵は読者に提示していない手がかりによって解決してはならない。
九.“ワトスン役”は自分の判断を全て読者に知らせねばならない。
十.双子・一人二役は予め読者に知らされなければならない。
「……なんじゃこりゃ」
書いてある内容を読んだ俺だが、第一声がこれだ。
もう一回読み直しても書いてある内容は変わらず、小首を傾げる。
書いてある内容は分かるが、なぜこの本にこんなことが書いてあるのか全く理解できない。
魔導書どころか、これじゃまるでミステリー小説のお約束じゃないか。
コレを理解したら本当に全ての魔法を使えるようになるとは思えない。ただの十戒だ。
「レイト教諭、そこにはなんて書いてありますか?」
「外国人を登場させてはならないとか、第六感がどうのこうのと……」
「そうなんです。書いてあることを読めるには読めるのですが、何故それが書いてあるのか理解できないのです。おそらく、それを理解出来たら、魔法を扱えるのでしょうが……」
そう言って理事長にしては珍しく苦笑する。
口ぶりからして理事長もこれを理解することは出来なかったのだろう。
おそらく、亥斗さんも。
確かに、コレを解読するには凄まじい努力を必要とするらしい。
なんせ、書いてあることは理解できるのに、書いてある意味が理解できないのだから。
これならヴァンなんちゃらさんも理解できなかったに違いない。出来ていたら今頃何らかの形で世界中の人たちに知られていただろうから。
……もしかしたら、これって魔導なら理解できるのかもしれない。魔道という系統を作った人だ、それなら理解できても不思議はない。
残念ながら俺には理解できなかったが。
「では、浅菜さん」
「へ? は、はい!」
亥斗さんと俺の話が終わり、次は浅菜の話に。
浅菜はすっかり油断していたのか名前を呼ばれて、一瞬呆けた表情になったが直ぐに姿勢を正す。
油断は、さっきの話が長くなってしまったからだろう。
「貴女は危険な任務に着き、ドラゴンと対峙をしてよくぞ無事に帰ってきました」
「いえ、先生が守ってくれたおかげで……私なんて、そんな……」
「生きて帰ってくることに意味があるのです。貴女はドラゴンと言う強大な敵に立ち向かいました。その経験は決して貴女を裏切りません」
「はい、ありがとうございます!」
生きて帰ってくることに意味がある、か。
まさにその通りだ。戦争だとそうもいかないが、こういういつ死ぬか分からない世界に身を置いている者としては一番重要なことだ。
最近、敵の強さがインフレしてきているせいで俺も感覚がマヒしているが、俺が今生きているのも結構凄いことだと思いたい。まぁ、もうバハムートの時みたいなことは御免だが。
浅菜の話は意外と早く終わり、ようやく俺たちの話が終わった。
これで帰れると思い、今日ぐらいラルとイリシアを部屋に呼んで夕食を共にしようと頬を綻ばせる。
しかし、世界は無常。
「では最後にレイト教諭?」
「へっ?」
理事長が俺の名を呼ぶ。
もう既に帰宅ムードに入っていた俺を現実に戻すには充分で、突然のことに目を白黒させる。
俺の話は終わっているはずなのに、なぜ理事長が俺を呼ぶのか分からない。
理事長を見るが、いつも通りの表情が無い顔。
「えっと……話ってノックスの十戒のことじゃ……」
「いいえ、貴方に話と言うのは昼頃のことです。保人、という名前を忘れたとは言わせませんよ」
「ひっ!」
あれ?
これって俺だけ説教タイム?
そんな俺の予想は珍しく当たることになる。
「エルロン教諭、浅菜さん、お二人はもう戻っていいですよ」
「じゃあ、俺はこれで。お先です」
「先生、骨は拾いますよ?」
「うわぁぁぁぁ……」
それから俺が解放されたのは数時間後だった。




