化物の定義
まさに一触即発な状況。
なのにも拘らず、好戦的な【勇者】様に対して【魔王】様は愁いを帯びた瞳で【勇者】様を見つめている。
何か異様な光景だ。
「ラルと申したか? ……妾をここで屠るも好きにせい、妾は今しがたすべてを失った。ここで妾が骸になろうと、懸念する者はおらん」
「……どういうこと?」
【魔王】様は【勇者】様にそう言うと、その愁いを帯びた瞳をこちらに向けてきた。
その瞳に何が籠っているのか俺にはわからない……が、少なくともこう物語っているのは何とかわかった。
――――残念だ、という思いが。
「さぁ、殺せ。妾は確かに多くの者を妾の命により亡き者にしてきた。当に、覚悟はできておる……」
再び【魔王】様は【勇者】様の方へ向きなおり、口早にそう言った。
先ほどの愁いを帯びた瞳ではなく、強い意志を込めた瞳で。
今、目の前で世界が救われる瞬間が見られるかもしれないのに、なんなんだよ……このモヤモヤとした感情は。
……そうか、腑に落ちないのか。
「ちょっと待った」
「ぬ?」
【勇者】様も腑に落ちないのか、身を奉げようとしている【魔王】様に待ったをかけた。
その待ったを掛けられた【魔王】様は訝しげな表情で【勇者】様を見つめている。
俺も【勇者】様のほうを見つめ、次の言葉を待った。
そして、次が訪れる。
「全てを失ったってどういうこと? 何故ここにあなたの仲間が探しに来ないのも何かあるわけ?」
「……うむ」
【勇者】様がそう言うと、【魔王】様は俯き、少しの間をおいて肯定した。
「先ほど妾は失脚した。ほかでもない妾の配下によってな」
「詳しく教えて」
「……実をいうと、先のバハムートの暴走……妾が指示を出したのではない。近く、しかし妾がわからない場所からバハムート目掛け錯乱の魔術を掛けたものがおったのじゃ。結果は言うまでもなく」
「……」
下剋上か。
三年前に世襲したばかりだろうに。
いや、世襲したばかりだからかもな。
【勇者】様はその言葉に嘘偽りがないと判断したのか、いつの間にか持っていた豪槍を背中に背負い、【魔王】様に放っていた殺気を止めた。
そのことに【魔王】様は驚いたとばかりに目を見開き、説明を求めるような眼で【勇者】様を見つめる。
それもそうだろう、【魔王】様は殺されるとばかり思っていたのだから。
俺も正直、【勇者】様はここで【魔王】様を斬首するとばかり思っていたのだがな。
「あなたがいくら元【魔王】であろうとも、私はあくまでも【魔王】追っているの」
「そんな甘いこと……」
「今のあなたは何の権力を持っていない魔物の女の子。今のあなたでは人一人命令で殺すこともできない。私の、人類の脅威ではないわ」
「……」
なんという懐の深さ、俺なんかとは次元が違いすぎる。
【魔王】様は自分が殺されることがないと信じたのか、力が抜けたようにその場にへたり込んでしまった。
同時に、俺も殺気の流れ弾から解放されたことにより、ようやく力を抜くことができた。
決してちびってはいない。
「ん? そういえば……」
「どうしたのじゃ?」
心に余裕ができたのか、俺はあることに気づいてしまった。
この外にはバハムートがステンバーイしているんだよな?
この岩場の割れ目の出入り口は上の一つしかないわけだ。
だったら……、
「バハムートが待機している外にどうやって出るんだよ……」
「あっ……」
完全に失念していた。
俺たちは逃げ込んだのではない、袋の鼠と化したのだ。
幸いなことに、ここら辺の岩場は微量にミスリル銀を含んでいるため、そう簡単に壊されることはないが、どっちにしろ俺たちが閉じ込められていることに変わりはない。
俺がどうしたものかと唸っていると、【勇者】様は何かに気付いたかのように顔を上げ、俺と【魔王】様にこう言った。
「その、バハムートがいる外からさっきから物音一つしないんだけど」
「そういえば……」
「そうじゃな」
確かに外にバハムートがいるのに物音一つしないのはおかしい。
気配と息を殺せるにしろ、錯乱の魔術を掛けられているのだからジッとしていられるわけがない。
何かがおかしい。
俺たちは顔を見合わせて頷くと、一度外に出てみることにした。
危ないのであれば、もう一度岩場の割れ目に隠れることを前提に。
そして目にした光景は、
「君はいったい……」
「お主はいったい……」
額に裂傷を負ったであろうバハムートが物言わぬ肉塊に成り果てている姿と、まるで“化物”を見るかのような目で俺を見る二巨頭の姿であった。
きっと、俺が一番理解できていないと思うのだが……。




