沈む涙
◆ ??? ◆
我が名はバルログ。
闇の帝王モルゴスに仕えていたのは今は昔。今は魔界を総べる【魔王】だ。
今日は謁見に来るものが少ないな。悩みが無いことは良いことだ。
前【魔王】を陥れ、この地位に着いた。
大陸ドーレンを落とし、順調に世界が一つになりつつある。
前【魔王】には悪いが、貴様の願いは我が代わりに叶えてやろう。
それはそうと喉が渇いたな。
どれ、給湯室に行くとしよう。
「ん? あーはいはい、まおう様まおう様。なんですか、大人しく座っていましょうね。なんですか? 喉が渇いたんですか?」
「う、うむ。そうだ」
「では私がお茶を入れてきます。部下に示しがつかないので座っていてくださいね」
「うむぅ……」
我が給湯室に行こうと腰を上げた時だ。
ちょうど謁見の間にやって来たアンデットの少女。
名をセイラと言い、我の側近だ。
セイラはとても優秀で、よく我の世話を焼いてくれている。
きっと、我だけではここまで来れなかっただろう。
しかし、我と二十しか変わらぬのに起伏に乏しい躯をしておる。
これでは我がロリコンだと噂されるのも無理はない。
淫魔を下々として雇っているのだが、逆に女誑しと言われてしまう結末。
水はまだか。
「はい、まおう様。お茶と茶菓子です。ゆっくり飲んでくださいね」
「うむ、ご苦労だった」
少しの間を置いて湯呑と茶菓子の乗った盆を持ったセイラがパタパタと走ってやって来た。
渡されたアツアツのお茶が入った湯呑を取り思う。走ったのにも拘らず湯呑から全くお茶がこぼれていない。
コレは盆から上を全く揺らさずに持ってきた証拠だ。中々器用なことをする。
ちなみに胸も揺れていない。
湯呑のお茶を飲みほしたところで肘掛けに置き、再び威厳たっぷりに座りなおす。つまり普通に座っているだけ。
そんな中、セイラは我の傍らでスケジュール帳をペラペラとめくり、死んだ魚のような眼でこちらを向く。
その際に死人のくせにサラサラな銀髪が軒並み揃えて靡く。
「まおう様まおう様、今日のスケジュールを確認しますです」
「うむ」
「今日のスケジュールは特になく、定時の五時までこうして座っていてください。謁見の来た人に粗相のない様にしてくださいね」
「うむ」
「それと、民にむやみやたらに軍の重要機密をしゃべらないでください」
「知る権利というものがあってだな。民も手探りでは少々不安が多かろう。ならば、余程のことでない限り我は提示しようと思う」
「だからと言って私のスリーサイズを教えることはないじゃないですか! というか何でまおう様は知っているんですか!?」
「訊かれたから答えた。スリーサイズは貴様の健康診断書に書いてある。それだけだ、わかったか?」
「ぐぬぬぬぬ……」
まったく、もういい歳の癖に頭に血が上りやすいやつだ。セイラは心の臓は動いていないが。
なぜ我のように寛容な心が持てぬのだ。
全く持って疑問だ。
「童貞のくせに」
我はキレた。
「わわわ我は好きで童貞でいるんじゃないわい!」
「何を取り乱しているんですか」
「ま、【魔王】である我が取り乱すだと!? 貴様! ふ、ふざけるのもいい加減にしろ!!」
我は堪え切れず声を上げ、無意識のうちに魔力を放出する。
その魔力は可視出来るほどのもので、座っている玉座が軋みをあげる。
しかし、セイラはどこ吹く風でとても涼しい顔をしている。
しかもどことなく勝ち誇った顔をしているのがまたムカつく。
「まおう様、貴方ほどの方が今まで女性に言い寄られたことが多々あったはずなのに誰ともヤっていないのですかぁ?」
「そ、それは……色恋沙汰なぞに現をぬかしている暇が無かったからだ!」
「へぇー……現ですか?」
その言葉を聞いたセイラは一度舌なめずりをして微笑む。
こやつめ……我が【魔王】と知りながらここまでバカにするとは、命知らずめ!
我は単に【魔王】となるためにがむしゃらに突き進んでいただけやい!
それこそイチャイチャする時間が無いほどに。
しかし、この命知らずは口を閉じることを止めない。
「それじゃあ、まおう様? 今のまおう様は【魔王】なんですから余裕がおありですよね? 気にしている御麗人はもちろんいるわけですよねぇ?」
「うぐ、そ、それは……」
「それは?」
「それは……」
いや待て、バルログよ。
ここで言ってしまって良いのか? ここで言ってしまったらこやつのことだから重鎮連中に話してしまうに決まっているではないか!
なんせ、こやつは我が楽しみにしていた三色パンを勝手に食べられて、不機嫌になっていることを定例会議で話したやつなんだぞ!?
……だが、ここで言わなければ我の威厳が……威厳がぁ……っ!
……背に腹は代えられぬ。
【魔王】には、越えなくてはならぬものがあるのだ。
ここでつまずくわけにはいかん。
「我が気にしている女子は……」
「女性は?」
一飲み、
「貴様だセイラ!」
一拍、
「え、えぇええええぇぇええええええええ!?」
セイラは一瞬ポカンとした表情になったが、やがて理解したようで驚愕の表情を浮かべながら叫ぶ。顔は死人のくせに真っ赤だ。
そこまで驚くということは気付いていなかったようだな。
「ななな何故に私をっ!?」
「なに、貴様ほど気の利く女子はおらんしな。器量も良い、物事を冷静に判断する力もある。ましてや、我と対等に話のできる奴が貴様しかおらん」
「……まおう様、何か変なものでも食べられましたか?」
「朝食はいつも貴様が持ってきているではないか。貴様は朝食に変なものでも入れたのか?」
「入れて、ないですけど」
なんだなんだなんだ。
急にしおらしくなりおって。
逆に我が申しわけなくなるではないか。
そこで我は口を開くのを止めて、セイラを観察することにする。
セイラの腐り落ちぽっかりと空いた眼孔と左目が、我を見ては逸らし、どこか右往左往したと思ったらまた我を見る。
何か喋ろうとしているのか、口を開いては何か詰まったように口を紡ぐ。
そうして、ようやく喋った言葉は、
「ロリコン、ですか?」
「ロリコンって……貴様は二百二十歳ではないか。我は二百歳。どう考えても貴様の方が年上だが?」
「み、見た目のことですよ!」
「好きになった女子が例え起伏に乏しい躯をしていても、好きになってしまったのだから致し方あるまい。それに、貴様は幼児体型ということではないのだろう? 貴様の躯はスレンダーな大人の体型と言える。自信を持て」
「うぅ……」
くぅ……!
言っているこっちが恥ずかしくなるではないか!
なぜ我がここまで言わなくてはならんのだ!
この甘ったるい空気に耐えられなくなり、視線を恥ずかしそうに俯くセイラから謁見の間の出入り口の方へ向ける。
すると、
「【魔王】様、式はいつですか? ぶわっはははは!」
「あそこだけ、固有結界張ってますよ」
「塩飴が欲しくなりますね……」
我が魔王軍が誇る四天王と重鎮連中が笑いをこらえながらこちらを見ている。
そのうちの四天王の一人であるアリストテレスが馬鹿笑いをしていた。
腹を抱えて苦しそうに。
「アリストテレス、貴様は減給だ」
「な、なんで俺だけなんすか!?」
「いいから失せろ! 邪魔だ!」
アリストテレス向けて魔力の球を放り投げると、急いで謁見の間から逃げ出していった。
それと同じく四天王と重鎮連中も逃げていく。
全く、ちゃんと仕事をせぬか。
「そ、それより! フォボスはしっかりと洞穴に幽閉し、そこへ【勇者】をけしかけるよう仕向けました!」
「む?」
さっきまで何やらブツブツと呪詛を唱えるような感じのセイラだったが、何を思い立ったか我がセイラに命じたことを報告してきた。
確かにその報告は待っていたが、なぜ今言った?
「【勇者】が今現在いる北部勇者育成学校にドラゴンが暴れているという偽の情報を流し、ギルドのSランクの者たちもそこを留守になる様にしましたので、おそらく今頃【勇者】はフォボスに向けて旅立っている最中だと思いますよ」
「ふむ、彼奴は優秀な奴だったが、如何せん抵抗心が強い。惜しい奴だが、処分するしかあるまい」
「そのくせ先代【魔王】は放っといているんですよね」
「先代【魔王】は今【勇者】の元にいる。もう一人の男は大して問題はないが、問題は【勇者】だ。【勇者】がいる限り下手な者を送っては返り討ちに会うのが関の山だ。ならば、ここまで来るのを待とうではないか」
「そう、ですか」
先代【魔王】の腹心であるフォボスは、先代【魔王】の政権が崩御しても先代【魔王】を想い続け執念で先代【魔王】を探し出した竜族の者。
このままでは不安の種になるので、やむなく処刑することにした。この場合、もし改心したと言って無罪放免にしてもまた裏切る可能性がある。
その可能性がある限り、悲しいことだが傍に置くことは出来ない。
それはそうと、何故セイラはホッとしたような顔をしているのだ?
まるで厄介なことから解放されたみたいに。話も聞かず。
良いのか?
拗ねるぞ? 我が拗ねたら面倒臭いぞ?
「ではでは報告も済みましたので私はこれにて……なんで口を尖らせているのです? 可愛いですよ」
「ふんっ、人の気も知らずに」
(人の気も知らずにって……こっちのセリフですよ、ばーかばーか)
ふむ、もういい。
興が冷めた。セイラのことなんか知ったものか。
ところで、かなり大事なことを忘れているような……思い出せないのだからそれまでのことなのだろう。
セイラもどことなく解放された様な顔だ。
そう言えば最後にセイラの休みを与えたのはいつだっただろうか?
句切りが付いたら休ませよう。
おっと、話しているうちに尿意を催してしまった。
厠へ行こう。
「よっこいしょ……」
「ん? どちらへ行かれるんですか?」
「厠だ」
「そこにまおう様が飲みほした湯呑があるじゃないですか」
「それこそ我の威厳が無くなるわァッ!」




