滴る目
「そうか、ではこちらが持っている情報と大差ないということなのだな」
「そうみたいですね」
半ば強制的にドラゴンの討伐を手伝うことになってしまった俺と浅菜。
貴族が持っていた情報は俺が聴いた話とあまり変わらないところを見ると、整合性があるのが分かる。
そして、この貴族はドラゴンがどこに潜んでいるのか知っている模様。訊けば、北の森を抜けた先の山岳地帯。そこの岩山の中腹にいるそうだ。
……困ったな。
どうやら俺は凄腕の剣士を前提に話を進めているようで、さっきからドラゴンを直接倒せる可能性が最も高いのは俺という空気を醸し出している。
さらに、いつものように俺はそんなに強くないと言ってみたが、謙遜は止めろとか浅菜がでっち上げたハウンドドックの大軍を蹴散らしたとか吹き込んだせいで、俺は貴族の中では謙遜を忘れない凄腕の剣士という照合を得ている。
もちろん、それを良しとしない乳首パパスが凄まじい殺気と、それだけで殺せる視線を俺に浴びせてくる。
ホントに剣の錆になっちゃうよ。
そして、この状況を作り出した張本人はと言うと、
「大丈夫です。先生は情報が無くとも、対峙しただけで相手の技量を見抜く目をお持ちですから!」
「ほう、それは頼もしいな」
調子に乗ってあることないこと喋っております。
ここが貴族の前じゃなかったら今すぐにでも説教をかましてやりたい。そうやって調子に乗るのが後でどれだけの損害を出すのか全く持って分かっちゃいない。
おだって勢いづけるのは戦場でも禁じ手の一つ。それがまだ浅菜には分かっていないのか。
「さて作戦だが、私とアルバスがドラゴンを引き付けよう」
「な、我が主! お気は確かですか!? こんなどこの馬の骨と分らぬ輩のために躯を張るなど。ここは俺に任せてください! 我が主は後衛。小僧、お前たちがドラゴンを引き付けるのだ!」
「アルバス、私の作戦が気に入らないのか?」
「当たり前です! 我が主がこの危険を晒すような真似をして、この者たちに命を預けるなど、俺は出来ません!」
「ならアルバス、貴様はここに残れ。私とこの者たちだけで行く」
「ぐ、うぐぐ……」
今にも跳び掛かってきそうな乳首パパス。
しかし、乳首パパスが言うのにも一理ある。なぜ貴族自身が危険な目に会いに行くのか、俺は全く理解できない。
貴族というのは、少なくとも領地を任されている身。そこで待っている人たちもいるのだろう。
その人たちのことも考えたら、貴族が進んで危険に突っ込むのはよろしくない。総大将は後ろでどっしりと構えているだけでいいのだ。
間違えても戦場に踊り出て百人斬りとかするものではない。
「私どもでも貴族様を危険にさらすことは出来ません。ここは私どもに囮を任せてもらえませんか?」
「……貴様は知らぬのか?」
「ん? なにをですか?」
「ドラゴンは処女を好むのだ。なんでも、処女には心優しいと聞く。だから、貴様には無理なのだ」
「んん?」
ドラゴンは処女を好むそうだ。
なんと贅沢なドラゴンだろう。世の中には処女にこだわるあまり童貞をこじらせている輩が大勢いるというのに。
というか俺が戦いたくないだけで囮を引き受けると言ったんだが……この口ぶりだと貴族は女性なのか。そして、処女、と。
浅菜も一応……処女だよな、なんて訊けるわけもない。セクハラで訴えられる。
それを確かめるためにチラリと浅菜を見る。
その視線に気づいたのか、浅菜は今さっき見たような素晴らしい笑顔と共に右親指を立てた。
「大丈夫です! 私は前も後ろも未開拓です!」
お前に恥じらいと言うのものは無いのか。
だが、浅菜が処女だという以上、こちらは囮も可能と言うわけだ。
そう言う意味で貴族の方へ言葉を投げ掛ける。
「ということです」
「……だが、貴様は囮ではなくドラゴンと直接対決してもらうぞ」
「ですよねー」
ダメだ、本格的に手詰まりだ。
こんなところで俺は死にたくはない。ましてやドラゴンなんて……相手取れるわけがないだろうに。
だけれど、ここで貴族の頼みを断ってしまったら乳首パパスによって俺の首が刎ねられる。
考えろ、俺がドラゴンと戦わずに済む方法を。
俺がある程度活躍するように見せかけて安全圏内で見学ができる……なんて都合のいいようには浮かばない。
ましてや浅菜の安全も確保しなければならない。世界は無理難題を押し付ける。
……ん? ちょっと待てよ?
ドラゴンは処女ならば大人しいんだよな?
それってさ、俺の水具で代用できないか?
俺だって童貞=処女なわけだし、理論上は可能だ。そこで、俺が囮に名乗り出て、誘い出したところに不意打ちをするというのはどうだろう。
もしかしたら背後から全力獅咆哮を放てばワンチャンあるぞこれ。
物は試しだ。
「貴族様。実は私、女性に化けることが可能なのです」
「なに? 本当か? やってみろ」
貴族の許可も得たところで俺は我が相棒の金具を抜刀しようと腰に手を回す、が俺の手は空しく空を切る。
ここに入る時に武器などは全て部屋に置いてきたことを失念していた。
仕方ないので浅菜に頼んで金具を持ってきてもらった。
浅菜が金具を持ってきたのを見て、乳首パパスが何やら反応したが貴族になだめられる。
その姿がどこかおかしく感じる。
「ふぅー。状態変化【水具】」
発現のキーとなる言葉を呟くと、俺の躯に変化が現れる。
身長は縮み、髪の毛は伸びて深い群青色になる。それにともなって胸が膨らみ、男の象徴である息子は消えうせた。
少し長めのブロードソードみたいな金具は、形を変えてペシュカドのような短剣へ。
思考も女性寄りになったことを確認して、目の前で呆気にとられている三人に向かってドヤ顔を向ける。
私にだけ与えられた特権。
金具を操ることが出来るのは私にとってかなり大きいことだ。
これなら今の私は処女と言うことになる。まさか童貞がこんなところで活きるなんて思いもよらなかったよ。
「どうですか? これなら問題は無いと思います」
「せ、先生が女の子に……え、これって本物ですか?」
「触ろうとしないで」
どさくさに紛れて私の胸に触ろうとする浅菜をなだめる。
そして浅菜は自分の胸と私の胸を見比べて絶望の表情を浮かべた。大丈夫、絶壁だって需要はあると思うから。
「これは驚いた。貴様は高位の魔法使いでもあったのだな。今の状態で処女というのならば問題はあるまい」
「我が主、騙されてはなりませぬぞ!」
私の変化に貴族は素直に褒めてくれて、どこかむず痒い気分になる。
けれど、せっかく上手いこと進んでいたのに乳首……アルバスさんが声を荒げて物申してきた。
その眼は血走っていて怖い。
「女子に化けたとはいえ、所詮は魔法! こういう躯を変化させる類の魔法は体に触れさえできれば簡単に解除されるのが落ち! 小僧、上手く丸め込もうなんて思うなよ!」
そう声を荒げてアルバスさんは立ち上がり、私の目の前までやってくる。
その気迫と恐怖により私は考えるよりも先に後ずさっていた。
今、目の前にいるこの男が恐ろしく怖い。
その血走った目から放たれる視線は私の体に縫い付けられたかのように離さず、鼻息は荒い。
口はいやらしく弧を描き、今にもその口からおぞましいものが這いずり出てくるのではないかと思うほどだ。
気づけば、座っていた椅子からは転げ落ち、壁際まで追い詰められていた。
「正体を現せ! この道化が!」
「ひっ!?」
筋肉が肌を突き破らんとしているかのような腕が私に向かって伸びる。
この悪魔から逃れるために救いを求めて視線を右往左往させるが、その巨漢でほとんどの視界が遮られているために余計恐怖心を増大させた。
そして、魔の手は私の“胸”を鷲掴みした。
指の一つ一つから感じる握りつぶそうという意思。
万力のような握力で顔を歪めてネズミを潰したような音が口から漏れ出る。
それは引き千切ろうとばかりに。
「ぬ? こ、これは!?」
痛い。痛い。ただ痛い。
圧迫された乳房が悲鳴を上げている。
だが、私の口は悲鳴など上げずにただただされるがまま、その痛みを耐えている。
決して近隣の人たちに迷惑がかかるなどを考えているわけではない。ここで下手に悲鳴を上げてしまえば、この圧力が更に強くなるのではないかという疑心と、この目の前にいる男から別の痛みが加えられるのではないかという恐怖からだ。
カタカタと震える。吐く息は乱れる。涙は頬を伝う。
されど、その恐怖の源である男から視線を外せない。
唇の動き、目の動き、頬の動き、髭の動き、皺の動き、そのどれもが吐き気を催すほどの邪悪に感じてしまう。
視線を外してしまえば、あらぬ恐怖を駆り立ててしまうから。余計に。
「アルバス! いい加減にせんか!」
「っ! あ、我が主、これは違うのです! ただ俺はこのトリックの穴を……」
「それがトリックではないということが分かっただろう! 貴様は大事な客人を泣かせろと言う教育を受けたのか!?」
「ぐ、ぬぅ……申し訳ありません」
恐怖が離れると同時に浅菜が駆け寄ってきた。
浅菜にしがみ付くように躯を隠すも、私の視線は恐怖から離さない。
まるで母親の温もりを求める子猫のように浅菜を求める。
不意に撫でられる頭の感触にも気づかず、ただ恐怖から目を離さない。
「大丈夫です先生。もう大丈夫です」
「あ、あ……うぁ……」
私は、その日初めて男性に襲われるという恐怖を知った。
◆ ◆ ◆
「アルバスが無礼な真似をして済まない」
「いえ、もう大丈夫ですから頭を上げてください」
状態変化を解き、金具に戻ったらなんとか落ち着いた俺。
貴族は乳首パパスの非礼を詫び、浅菜は俺が落ち着いた今でも寄り添うように隣にいる。
当の乳首パパスはどこか罰が悪そうな顔で頭を下げている。納得していないのだろう。
今思ってみればそんなに怖がることでもなかったような気がする。
と言うか今更になって怒りが込み上げてきたぞ。あの時金玉でも蹴ってやればよかったな。
「しかし、どういう種なんだ? 魔法ではないのか?」
「魔法ではなくこの対魔機の加護です。これで完全に女性になることが出来るのです」
まぁ、ホントは女性になるのが目的じゃなくて水を操ることが目的だケド。
「コレを使い、ドラゴンを油断させておいて不意打ちも可能です」
「なるほど、ではこうしよう。貴様らがドラゴンを呼び出し、私たちが交戦している間に貴様が不意打ちをするでどうだ?」
「私もそれでいいと思います」
満場一致……ではないが、とりあえずドラゴン討伐の作戦は決まった。
作戦と呼んでいいのか分からないが、作戦と言えば作戦なのだ、うん。
依然として乳首パパスは不服そうな顔をしているが、貴族の決定には口は出せない様だ。
というかこの乳首パパスは何が気に入らないんだ? 俺が気に入らないのは分かるが……その何が気に入らないんだろうか。まさか俺が貴族に褒められたり力を認められたのが気に入らない……は無いか。
乳首パパスだって大人なんだし、今日は会ったばかりの男に嫉妬とか格好悪いことしないはず。
「では、明日の明朝。フロントで待っている」
「わかりました。では、これで失礼します。ほら、浅菜行くぞ」
「は、はい」
ともかく、これで決まった。
俺は浅菜と思に貴族の部屋を後にして割り振られた部屋へ行く。
その間にも浅菜は俺にべったりくっついたままだ。コレが誰かに見られたらどうする。
そして、部屋に着くなり浅菜は部屋の奥に会ったウッドチェアにどっかりと座り、口を尖らせて不満そうに呟く。
「先生、なんで男に戻ってからも怒らなかったんですか?」
「なにがだ?」
「何がって……あの片乳首出した変態にですよ!」
「貴族のいる手前迂闊なことは出来ないよ。それに、なんで怯えていたのか皆目見当がつかない状況で俺も混乱してたんだよ」
更に不満そうに口を尖らせる浅菜。
「それに、部屋に戻ってもそう言うことは口にするな。壁越しに聞こえるかもしれない」
「でも、あの時の先生は見ていて不安になりましたよ? あの変態が離れて私が近寄った時でもあの変態から目を逸らさなかったんですから。それなのに縋る様に私にしがみ付いて……」
そう言って浅菜は自身が着ている制服の裾を見せる。
確かに力が加わって裾が伸びてしまっている。浅菜には悪いことをしたな。
「見苦しい姿を見せて済まなかったな。制服のクリーニング代は俺が出しておこう」
「……そういうんじゃないですよ。まぁ、良いです。今日の晩御飯を奢ってくださいね」
「うんまぁ……いいぞ」
「やたっ」
現金な奴だ。
けれども、心配をしてくれていることはひしひしと伝わって来る。
これから水具を使うときはよく考えて使おう。
日も傾いてきた。
この宿屋に来る前に確か居酒屋が一軒あったはずだ。生徒を居酒屋に誘うのは……まぁこの際目を瞑ろう。飯が食えるのはそこくらいしか見当たらなかったし。
……なんだろう、この不安な感じ。




