由りの存在証明
「ここか……」
翌日。
理事長より言い渡された教室の前で立ち尽くす俺。
時間は既にホームルームの時間だ。ということは早くこの教室に入って出欠確認を取らなければならないのだが、いかんせん緊張というものが邪魔をしている。
しかし、ここで立ち往生しているわけにもいかない。俺は今一度ネクタイの位置を確認して、出欠簿を持ち直す。
ぶっちゃけ、それはただの時間稼ぎだが、覚悟を決めるのに充分……ではないな。ここは勢いで行くしかあるまい。
ガラガラと大きな音を立ててスライド式のドアを開き、教師の定位置である教壇を目指して歩く。なるべく生徒を見ないようにしていたが、最前席の生徒は視界の端に入ってしまう。もちろん、その生徒は俺のことを見ている。
教壇までやってきたところで俺はようやく教室全体を見渡す。総勢三十二名の一年C組。その全員が俺の視界の中に入っていた。
皆一様に俺を嘗め回す様に、容姿から人柄を探るべく見てきているのがよくわかる。
悪かったな、容姿が最悪で。
「委員長、号令」
俺が無機質にそう言い放つと、委員長らしき人物が立ち上がる。
「亥斗先生はもう行かれたのですか?」
「委員長、号令」
委員長が質問してきているのに対し、俺は再び無機質に言い放つ。
仕方ないじゃん、緊張しているんだから。
案の定、委員長は一瞬眉をしかめ、やがて不機嫌な表情になっていく。
「っ……起立、礼」
「はい、おはよー」
ここでようやく第一関門“朝の挨拶”を終える。
アカンわ、次は何をすればいいんだっけか?
おっと、その前に生徒に質問に答えてやらねばな。
「亥斗先生は外勤で遠くに行っていますので、代わりに俺が来ました」
……そうだ、こういう時は黒板に名前を書くものだな。
俺は教壇に出欠簿を置き、黒板へ振り返る。
受けの中にあった使い込まれた短い白チョークを手に取り、なるべく大きく書くように自分の名前を書く。
しかし、手が緊張で震えるせいか、黒板からあの身の毛が逆立つようなキーキーとした音が鳴る。
今、後ろを振り返ったら生徒たちはどんな顔をしているだろうか?
鳥肌が立ちながらも、無事に名前を書き終えて再び生徒たちの方へと振り返り自己紹介をする。
「アラン=レイト。それが俺の名前だ。何か質問は?」
しゃべることに困ったなら「何か質問はありますか?」と言うのはもはや定石。
別にしゃべることもない時はこう言えば大抵は誰も質問する人がいないので、スムーズに次の話に移れる。
もちろん、質問があるなら別だが。
そして、その質問があるようだ。
教室の奥の方、少し制服を着崩した男子生徒が手を上げた。おそらく、ムードメーカー的な役割の生徒なんだろう。
「はーい、先生って彼女いますかー?」
「居る顔に見えるか?」
「あっ、ごめんなさい……」
謝るな、余計惨めになる。
「先生って亥斗先生の代わりに来たんでしょ? だったら剣の腕は良いの?」
「うーん……どうだろ、剣の腕は抜きにしても弱いのは確かだな」
「えっ?」
ざわざわと教室が少し騒がしくなる。
俺の答えが予想外だったのか生徒たちは動揺を隠せないようだ。
しかし、ここで見栄を張って強いなんてぬかしてみろ。後で必ずバレるに決まっている。
だが、ここで事実の見栄を張らしてもらおう。
「けどな、これでも俺は【勇者】と共に【魔王】を倒すために旅をしているんでな、それなりの張る胸は持っているぞ」
喧騒。
それもそうだ、それぞれの大陸に【勇者】がいるとしてもその仲間というのはその国に認められていると同義。その【勇者】の……言ってしまえばおこぼれがここにいるんだ。
騒がしくなるのも頷ける。
「じゃ、じゃあ先生は弱いのに何で【勇者】様と旅をしているの?」
「なんで……か。利害の一致かな?」
利害の一致、そう答えることしかできない。
ラルは【魔王】を倒したい。俺はイリシアの約束のために【魔王】を倒したい。
実際、そういう流れで一緒に旅することになったはずだ、確か。
そんな俺に対する質問が飛び交う中、一つ、種類の違う質問が俺の耳に届いた。
「な、なら私でも【勇者】様と一緒に旅をすることは出来るんですか!?」
教室の奥の方。
窓際という良い席を確保している彼女は、立ち上がって俺に質問を投げ掛ける。
すぐさま俺は出席簿を開いて名前を確認する。
名前は……浅菜美琴か。名前からしてジパングとかそっちの血が流れているのか。
専攻は剣、か。なるほど、そういうのに憧れる種類の人か。
「誰でも成れるかっていうと成れるんじゃないか? 運とか本人の努力とかで左右されるんだろうけど」
まぁ、俺は努力という努力をした覚えはないが。
「そう、ですか」
俺の答えに満足したのか浅菜はどこか嬉しげに着席する。
嘘は言っていない。嘘は言ってないけども、その可能性は限りなく低い……とは口に出さない俺。
俺やっさしー。
「ん? おっと、もうこんな時間か」
生徒たちからの質問に答えているうちに響く鐘の音。
どうやら自己紹介と質問だけでショートホームルームは終わってしまったようだ。
それから十分後に一時限目が始まる。
一時限目は……げっ。
「先生、一時限目は実技訓練ですねぇ」
「俺、先生の剣技見たいなぁー。【勇者】様の横に立てる剣技見たいなぁー」
こ、こいつら……!
次の一時限目の実技訓練で俺に模擬戦か何かをやらせようとしているな……!
しかし、ここで俺がヘマを起こしてみろ。
俺を推薦したラルはおろか任せてくれた亥斗さんの顔に泥を塗る羽目になる。
俺の……ラルのおかげで少しはマシになった剣の腕が、ここ【勇者】を育成する学校に通う生徒たちにどれだけ通用するかに命運がかかっている。
……いや、待てよ?
なにも次の実技訓練で俺が剣を握る必要はないんじゃないか?
職権乱用とまではいかないが、先生という立場を利用すれば回避するのは可能だ。
なんだ、焦る必要はなかったな。
「アラン教諭、少しよろしいですかな?」
「oh……」
心の中で笑う、つまりニンマリとしていると教室の扉がガラッと開き、俺を呼ぶ声が聞こえてきた。
見ればそこにはこの学校の校長……名前なんだっけ。確か……まぁいいや、フラッシュさんって呼ぶことにしよう。
フラッシュさんがそこに立っていた。
なんだよもう、最近フラグ回収が早すぎるよホントにもう。
何の話か知らないけど、俺が次の一時限目で剣を握るはめになるんだろうな。
「アラン教諭にお客様ですよ」
「お客様?」
「僕です。お久しぶりですね」
そう言ってフラッシュさんの陰からひょっこり顔を出した人物。
忘れるものか。
その歩けば全ての女性が振り返る憎き顔面を持つ男。
更に地位や名誉までその手に収めた女性が求婚しないわけがない男……!
今は亡国の騎士団長。フェル=ラパスがそこに立っていた。
「な、なんで騎士団長がここに……?」
俺が狼狽えるのも無理はないと思いたい。
しかし、同時に冷静でもあった。
実際俺の心の中では普段の俺ではありえない程の処理速度で考えている。
だが、何故ここに騎士団長がここにいるのか皆目見当がつかなかった。
それもそのはず、なぜなら彼は本当なら今頃魔王軍に所属しているか、死んでいるかのどちらかなのだから。
けど、この男はとんでもないことをぬかしやがった。
「そんなことはどうでもいいんだ。それよりも今盗み聞きみたいになっちゃうけど、次の授業でアランが剣を握ると聞いた。そうなんだね?」
「いや、俺は――」
「そうなんだね?」
「だから俺は――」
「そうなんだね?」
なにこの選択肢で“いいえ”を選んでも、最終的に“はい”にしないと先に進まない展開。
それに騎士団長の圧力が半端ない。そんなにプレッシャーをかけられたら俺ちびっちゃう。
しかも、なんだかものすごくキラキラとした目で見てくるんですけど。
新しい玩具を目にした子供みたいな目をしているんですけど。
「……もし、握るとしたらどうするんですか?」
ここは諦めて“はい”“いいえ”以外の選択肢を選んでみる。
質問を質問で返すのは教師としてあるまじきことなのかもしれないが、この際どうでも良い。
ここで俺が知りたいのは剣を握るとしたら俺の身に何が起きるのか、だ。
……あれ?
これってもしかして騎士団長と戦う羽目になるんじゃね?
「もちろん、僕がその相手をするよ」
「あーはーん?」
ほとんど想像通りじゃないですか、やーだー。




