勝機
「ね、願い?」
そう答える俺はひどく狼狽していた。
それもそうだろう。
天上天下、唯我独尊、天衣無縫、邪知暴虐。人をまるで家畜のように扱い、長らく人類と【神】に敵対し続けた【魔王】様が一人間である俺に対しお願いがあると言っているのだ。戸惑わないわけがない。
むしろ平静が保てる奴がいたら連れて来い、ぜひともその秘訣をご教授願いたい。
しかしなんだ。こうして見てみれば【魔王】様は一人の女の子にしか見えない。堕落の証である緋色の瞳を除けばただの女の子だ。赤毛の人だっているわけだし。
……いや、見てくれに騙されるな。この目の前にいる【魔王】は今の今まで俺サイドの国軍と、【魔王】サイドの魔王軍を見境なく蹴散らしていたんだぞ。最終的には化物が暴走したにしろ、この大陸を侵略していたに変わりはない。
俺は目の前の【魔王】を改めて見つめる。
ほうら見てみろ、ただの女の子にしか見えないじゃないか。ダメだ、視覚情報って素晴らしい。
一方、【魔王】様は何故だか知らないが口を開いては口を閉じるという行為を繰り返している。まるで、本当に口にして良いものか迷っているみたいに。
しかし、それも長くは続かない。【魔王】様は俺を見据え、覚悟がともった心をぶつけてきた。
「妾と共に、妾の座を奪った者を倒してほしいのじゃ」
きっと、この言葉を聞いたものは雁首揃えてこう言うに違いない。いや、言わない者もいるかもしれないが、少なくとも俺はこう言う。
「なんで?」
至極尤もな感想である。
「キャアァアアアアアア!!!」
「なんだ!?」
突然に響き渡る線の細い叫び声。
思わず俺は叫び声が聞こえてきた方向、つまり頭上を俺は見上げた。すると見えたのは黒い影。さらに言えばその黒い影はだんだんと大きくなってきているのがわかる。
いくら学習能力が低い俺でもこれはわかる。
何かがまた俺の上に振ってきている……!!!
「グヘァ!!!」
「ぐふっ!?」
しかしそんな俺が学んだにも拘わらず、現実とは非情なもので俺の上に落ちてきたのであった。
物体がかなりの高さから降って来たにも拘らず、無傷なわけないだろうという質問は聞きません。
ちなみに【魔王】様は降ってくるものにいち早く察知し、いそいそと射程圏外に逃げていた。
あれか、【魔王】的な超能力でも発動したのか。
痛みを堪えつつ降ってきたものをよくよく見てみると、どうやらこの降ってきたものを俺は知っているらしい。
こちらも【魔王】と同じように知っている『人物』。
「うぐぅ……」
「【勇者】様……」
ポニーテールに結い上げた黒く艶のある髪の毛。
整っているが、どこか幼さを残した顔。
黄色い豪槍を携えた女性は、俺の記憶にある【勇者】の姿そのものだった。
【勇者】は自分の置かれた状況に気づいたのか、ハッとした表情になり、こちらをまっすぐに見据えながら口を開いた。
「国軍の兵士ですか? よかった……まだ生き残りがいたなんて。貴方は急いでここから離れてください。そして王にこの状況をつたえてくだ……うぐっ!」
そう言いながら【勇者】様は立ち上がろうとしたものの、先ほど落ちた時に足を痛めたのか【勇者】様はガクッと崩れ、痛めたであろう右足を押さえ始めた。
ちなみ言うが、俺と【魔王】様は無傷である。
ん?
ちょっと待てよ。【勇者】様がここにいるとして、【勇者】様が押さえている化物はどうしたのってならないか?
いやいや、冗談止しとくれよ。この背後から聞こえる一歩一歩踏みしめるように歩くような低い音はきのせいなんだろ、なぁ!?
しかし、先ほども言ったように世界は無情。
カラクリの様にギギギと音が出そうな感じで背後を振り向くと、そこにはよっぽど【魔王】らしい化物がゆっくりと闊歩している姿が目に入った。
そして、最悪なことに化物は俺たちを駆逐することにしたのか低い唸り声まで上げているではないか。
俺は幽かな希望を頼りに【魔王】様を見るが、【魔王】様はかつての配下である化物を畏怖の宿った表情で見ていた。
その顔に、希望は見当たらなかった。
【勇者】様は右足を痛めながらも槍を使って無理やり立ち上がり、目の前に迫る化物と戦おうとしている。
その姿に、活路は見当たらなかった。
故に絶望。二人がこの状況を打破できるとはとても思えなかった。
目の前に迫る死。
頼みの綱が切れかけの状態なんだ、ここで絶望するのも手だろう。
しかし、ここで諦めるのは俺としても歯がゆい思い。
別に俺は闇雲に逃げていたわけではない。
俺はこの土地に詳しい。きっと、二人以上に、化物以上に。今気づいたが、俺は往生際が悪いらしいぞ。
足止めになればいい。俺が唯一の主人公スキルと言い張れる技があるのだが、この技がどこまで通用するかどうかはわからない。
だが、やるしかないのだろう。
ここでなぜでしゃばるのかと俺に小一時間程度説教をしたいが、どうやら今の俺はやる気らしい。
通用しなければ負け。通用したのであれば勝機。
俺は立ち上がり、苦痛に顔を歪ませる【勇者】様の前に立ち、抜刀して何度も練習した構えをとる。
【勇者】様が何か言っているが気にしない。
あ、やべぇ。今ものすごく緊張してるよ俺。
「獅咆哮っ!!!」
轟音と共に決死の技を化物目掛け放ち、その結果を見るまでもなく二人を両脇に抱えて近くの岩場の割れ目へと飛び込む。
ほとんど賭け。
いや完全に賭けだったが、どうやら成功したようだ。
勝機を、つかんだ。