舞台裏
◆ ??? ◆
魔界。
俺たちを総称した言葉を使うなら魔物が跋扈する世界だ。しかし、その光景は人間たちの住む世界と何ら変わらない。それもそうだ、何故なら海を挟んでいるとはいえ“同じ”世界なのだから。
空は青く、月は蒼く、海は碧い。踏みしめる台地には青々と茂る草花だってある。それなのに、ここは別世界とされる。俺はそれがたまらなく不思議だった。
後になって分かったことだが、人間界では魔界は生物が住める場所とは到底思えない場所と教えられているそうだ。なんだそれは、なら俺たちだって住めないじゃないか。
「あぁ、陛下もこの空をどこかで見ているのだろうか……」
思わずそう口にする俺。俺はイリシア陛下率いる魔王軍で側近……いや、ほぼ教育係みたいなものか。うん、そうだ。俺はイリシア陛下の教育係だった。名を『フォボス=ルールズ』という。
十数日前、魔界……世界中が注目する出来事があった。今じゃ誰もが知るこの出来事。
【魔王】が事故で亡くなった、というもの。
言わずもがな【魔王】とはイリシア陛下のこと。俺はこの話を聞いた時、咄嗟に一つの言葉が浮かんだものだ。下剋上という言葉がな。以前から魔王軍内部では不穏な動きを見せる輩がいたが、イリシア陛下は皆を信用していたために疑うことはしなかった。今となっては俺だけでも動いておくべきだと戒めるばかり。
後悔先に立たず。人間は良い言葉を思いつくものだな。……皮肉と分っていても。
俺はそれから自分で“事故”のことを調べ始めたが、当然のごとくそれを良しとしない者も現れる。現【魔王】の差し金か、俺が事故のことを調べようとすると待ってましたとばかりに邪魔者が現れるのだ。おかげで真相はまだ闇の中。……いや、こうして邪魔をするということは十中八九下剋上と見て間違いないだろう。
そして、あちこちに手を回して手に入れた情報。人間界でイリシア陛下とよく似た人物を見たという情報が手に入ったのだ。この間約一週間だ。事故が起きてから一週間は時間がかかりすぎた。これではもう現【魔王】の魔の手が迫っていててもおかしくはない。とっくにむこうはイリシア陛下が生きていると踏んでいたらしいからな。
間に合ってくれ。俺は監視の目があるからおいそれと動けない。自分がもし動いたのならば逆にイリシア陛下を窮地に立たせるかもしれないからだ。もしそうなったら顔向けなぞ出来ん。
『待セタナ』
「っ! ブルンツヴィークの獅子! 戻ったか!」
それから辺りを落ち着かないままうろちょろしていると、突然目の前に巨大な何かが降り立った。しかし、俺は驚くことなく、むしろその巨大な何かを歓迎した。それもそのはず、その巨大な何かとは俺が俺の代わりにイリシア陛下を捜しに行くよう頼んだ仲間だから。ブルンツヴィークの獅子は名目上現【魔王】派だが、彼は仕方なくそうしているだけなのであって心の底ではイリシア陛下に仕えたままなのだ。
ブルンツヴィークの獅子は俺の元まで近づくと、俺が待ち望んでいた言葉を吐き出した。とてもいい笑顔で。
『喜ベ、陛下ハゴ健在ダッタ』
「本当か!? よかった……!」
よかった。本当によかった。話によるとイリシア陛下は今もなお健在のようで、逞しく生きているらしい。今では二人の仲間と共に再び【魔王】となるべく旅をしているとのこと。なんでもその仲間の内の一人は【勇者】だったと言うではないか。さすがイリシア陛下だ、【勇者】とも和解して旅をしているなんて……教育係名利に尽きる。
しかし、もう一方の仲間について聞くが、ブルンツヴィークの獅子は押し黙ってしまった。どうしたのだろうと口を開くのを待っていると、ブルンツヴィークの獅子はどこか歯切れが悪そうにこう答えた。
『モウ一人ノ方ハ……アレハ何者ダッタノダロウカ?』
「なに?」
『タダノ人間ニシテハ……イヤ、止ソウ。モウ一方ノ人間モ中々ノ手練レダッタ』
「そうか……」
ブルンツヴィークの獅子が言い澱んだのは引っかかるが、言いたく無いのならば細かく聞くつもりはない。イリシア陛下が生きている。これだけで儲けものだ。
「よし、ブルンツヴィークの獅子。ご苦労だった。【魔王】様には俺から言っておく。後はもういいぞ。それと、もう仕事の話じゃないんだから砕けてもいいんだぞ?」
『……そう言ってもらえると助かるわ。いやぁ疲れた疲れた。久しぶりに死ぬかと思ったぜ』
そう言ってブルンツヴィークの獅子は歪な翼をはためかせて大空へと飛び立っていった。あいつもあいつでどこか清々しい顔をしているから納得はしているのだろう。
しかし、ここからどうするか。イリシア陛下が生きていることがわかった今、どうにかして助力をせねばなるまい。けれども今の俺はうかつには動けない。……どうしたものか。
もういっそのこと魔王軍を抜けてイリシア陛下と同じパーティに加わろうか?
いや、イリシア陛下はそういうことを嫌う。嫌われたくない。嫌わられたら俺死んじゃう。これでは本末転倒だ、視点を変えてみよう。
………………あの二人を信じてみるか?
ブルンツヴィークの獅子が言うには相当な仲間を二人連れているらしい。あのイリシア陛下が選んだのならば、戦闘面に関しては問題ないだろう。しかし、イリシア陛下は超が付く箱入り娘、家事スキルは皆無だ。せめてその二人が家事できることが望ましい。
そう考え始めると、不安がふつふつと湧き上がってくる。
野宿は嫌がっていないだろうか、慣れない環境で体調を壊していないだろうか、下々との会話は成り立っているのだろうか、ケンカはしていないだろうか、いじめられていないだろうか……いじめ!?
いじめはダメだ、あの絹のように優しい心に傷がついてはお兄さん許しませんぞ。さながら錠剤で半分は優しさ、もう半分は厳しさで出来ているように。
「何をしているのですか? フォボス殿」
「うひぃやぁああ!?」
自分の世界に入り込んでいると、唐突に背後から聞き慣れた声が聞こえてきた。脊髄反射で地面に伏せて頭を抱えるが、一向に来る攻撃が訪れないことに気付く。顔を恐る恐る上げてみると、そこには見知った顔が俺を見つめていた。
どこぞのOLが着てそうな事務員服にタイトスカート。腐り落ちた左目が特徴のアンデット。
現【魔王】の側近『セイラ』がそこに。
「竜人である貴方が人間界の辺境に何の御用で?」
「…………お花摘みに……」
「確かに竜の量は多いと聞きますが、その多量の花はどこですか?」
「……」
この女……俺がここで何をしていたのか知っているな。狡猾で有名な彼女のことだ、ここにブルンツヴィークの獅子がいたことも、話の内容も知っているに違いない。件の“事故”の立案者も彼女だ、作戦も彼女が考えた。側近ではなく参謀と言った方がいいのかもしれない。
考えろ、この状況をどうやって打破する?
……消すか?
いやダメだ、彼女の形は一見腐った肉が目立つアンデットだが、その腐った脳はとてもアンデットとは思えない。強大な魔術も使えると聞いたこともある。何の武装もしていない俺がここで戦うには準備が足りない。いったいどうする?
こんな時にライフカードがあればなぁ……。
俺がどう答えたものかと思案していると、セイラは突然溜息を付き、やれやれと腕を広げてジト目でこちらを見てきた。その死んだ魚の眼をしている右目が俺の何を見ているのだろうか。
「やれやれ、見つかった時の逃げ言葉も無いのですか。そんなことではすぐ尻尾を掴まれますよ?」
「ぐっ……」
「……まぁ、いいです。貴方が動いたところで事態が変わるわけでもないですし、ここは見逃してあげます」
「はっ?」
「聞こえなかったのですか? 見逃すと言っているんです。竜なら竜らしく尻尾を巻いて逃げてはどうですか」
見逃す?
いったい何を言っているんだ。何故ここで俺を見逃すという判断をするんだ。まさか俺がここから去ろうとして、背中を向けた瞬間にグサリってか?
その可能性は充分あり得る。裏切り者が目の前にいるんだ、ここで見逃すはずがない。ここで俺を見逃したとして彼女に何の利益もないのだから。むしろ不利益が起きる。
そんな考えに行き付き、俺は警戒心MAXで彼女を見つめる。そんな俺の考えを彼女は読み取ったのかさらに溜息をついてこう答えた。
「ちなみに、コレは【魔王】様の意向です。【魔王】様はあなたの行動に気付いているうえで私に言ったのですよ? 見逃せ、と。まぁ、私はそれで納得していないですが」
「なに?」
俺の行動に【魔王】が気付いているだって?
それをわかったうえで俺を泳がしているのか!
なんてことだ。これが本当ならば【魔王】はイリシア陛下が生きていることも知っているのだろう。このままではイリシア陛下の身が危ない。なんとかせねば!
「あぁ、付け足しておきますけど、【魔王】様は先代【魔王】のことなんか見てませんよ。本当の意味で放っておくそうです。それでは私は忙しい身なのでこれで。次はもっとバレないようにしてください」
そう言ってセイラは一瞬にして消え、この空間に俺だけが取り残された。
わからない。あの【魔王】の考えていることがわからない。
なんで俺を泳がせる?
イリシア陛下が生きているのを知ってて放っておく?
わからない。わからない。俺にはわからない。




