開戦
外。
憩場から南下すること数分。先ほどの黄金色のススキはどこへやら。見えるのは暗闇で靡く何かの波。ここが時期に戦場になるというのだから気分も落ち込む。
いるのは俺一人。金具を抜刀し、月の出ていない夜空に掲げる。それでも、金具は剣特有の鈍い光を放っていた。コイツが今回の作戦の要。金具にかけられた加護が便りなんだ。コイツは昔に親父が残した剣で、ある意味最強な親父だった。なんてったって竜を知り合いに持つんだから。
今回のことを改めて思う。化物と戦うのは“あの時”とよく似ている。違うのは向かって来るのか迎え撃つのかだけ。なんて無茶な話なんだ。
……そういえば“あの時”は気にする暇はなかったが、ちらほらと知り合いが“転がって”いたな。周りには俺と同じものだった者がたくさんあった。つまり、骸が転がっていた。背後にはバハムートが迫っていたし、俺は直線状に転がる骸を蹴っ飛ばしながら進んでいたっけ。時には潰し、鬨には引っかかりながら。
恐ろしかった。バハムートが迫ってくることではない。俺が骸になることではない。ただ、骸が俺に呼びかけている、そんな気がしてならなかった。
「はぁ……」
「何溜息ついてるの?」
「ラル……」
俺が黒く澱んだススキの海だったものを眺めながら物思いに耽っていると、背後から俺に声を掛ける者が現れた。咄嗟に顔だけ向けると、そこにはコーヒーカップを二つ持ったラルが立っていた。コーヒーカップから白い湯気が上がっているところを見ると、どうやら俺のために淹れてくれたようだ。
「はい、コーヒー。ブラックでよかった?」
「ありがとう。天下の【勇者】様にコーヒーを淹れてもらうなんてシンが聞いたらどんな顔をするか」
「茶化さないの。それとも、いらないの?」
「すまんすまん」
ラルから受け取ったコーヒーを一口啜る。インスタントだが、ドリップの仕方が上手なのか香りがより一層引き出されたいる……ような気がした。
同じくコーヒーを一口啜ったラルは俺の横にストンと腰を下ろす。俺も草原の上に座ることに。当然、無言というわけにはいかない。
「溜息ついてたけどさ、今質問しても大丈夫?」
「構わんよ」
「んじゃあ聞くけどさ、何でアランってそこまで自分を弱く見せたいの?」
「何でって……」
今更何を。
「実際問題俺は弱い」
「でもバハムートを倒したでしょ?」
「それはシシヨーから教わった技で――」
「つまり、アランが努力して手に入れたものでしょ? じゃあアランの実力だよ」
「……」
俺はそこで言葉に詰まった。確かにラルの言うことに一理ある。獅咆哮は親父の知り合いの竜から教わった技で、そこらの剣撃より各段を行く威力だ。運が好かったにしろ、バハムートを一撃で倒した技なんだから折り紙付きと言っても過言ではない。
「それに、今回の作戦でもとっておきがあるんでしょ」
「それは……この金具の加護で……」
「じゃあさ、それはアラン以外にも使える人がいるの?」
「親父以外……知らない」
「ふーん、ちょっと貸して」
「あっ!」
そこまではしたところで、ラルは唐突に抜刀したままの金具を俺から奪い取り、そのまま少し離れた場所で金具を掲げた。その姿とても様になっており、俺ではなくラルが持っていた方がいい様な気がしてくるほどだ。
ラルはじっくりと金具を眺めた後、彼女のチャームポイントでもあるポニーテールを揺らしながら金具で素振りを始める。どうやらラルには金具は少し大きい様だ。
「ねぇ、どうやったらそのとっておきの加護が発動するの?」
「それは教えられない。もし発動して暴走したら……」
「実はリトに頼んでこの剣から発動条件だけ観てもらったんだよね」
「えっ!?」
【天眼】様は人や魔物だけではなく無機物からも過去を観ることが出来るのか!?
俺は急いでラルから取り返そうと追いかけるが、現役【勇者】と碌に運動をしていなかった俺とじゃ勝負にもならなかった。ラルを掴まえようと手を伸ばすが、それは紙一重のところで避けられてしまう。何ともじれったい。
「おいやめろ!」
「んーと、じょうたいへんげ、えんぐ!」
ついにラルは俺のとっておきの発動条件を口にしてしまった。俺は来る災厄から逃げようと走り出すが足がもつれて派手にズッコケてしまう。俺はせめてもと頭を守るようにうずくまる……が、きたる災厄は一向に来ない。
おずおずと顔を上げると、したり顔のラルが俺の顔を覗き込むように見ているのが目に入った。少し癪に障る顔だ。
「ほら、私“には”使えない」
「っ! 何考えてんだ! 下手したら大変なことになるところだったんだぞ!?」
「大丈夫だよ、私には使えないってわかってたし」
「はぁ!?」
俺には分からない。もしかしたら大火事が起きるところだったのにも拘らず、何の躊躇もなく発動条件が口にできるラルの自信が。もしかしたら憩場まで燃やしてしまうかもしれなかったのに!
なぜ、そこまで自信満々なのか、分からない。
「知らないの? 対魔機って、使い手を選ぶんだよ?」
「選ぶったって……」
「例えば、私の持っているこの槍型対魔機『雷琥』の加護だってアランが使おうとしても使えないと思うよ」
「……」
「いい? この対魔機はアランを選んだの。だからアランにはこの対魔機を扱える。それは……対魔機の実力じゃなくて、アランの実力なんだよ?」
何も言い返せない。ラルの一言一言には説得力があり、ラルよりずっと年上の俺は論破されっぱなしだ。これではどっちが年上かわからん。
しかしなんだ。俺はこういわれて結構ムッとしている。ということは図星、ラルの言っていることは少なくとも本当のことで、俺は本当は理解している……ってわけないか。
なら何で俺は……こんな頑なに……。
「……私ね、わかっちゃった。何でアランがこんなに自分を弱く見せたいのか」
「えっ……?」
そういうラルはどこか愁いの籠った目で俺を見ていて『自惚れかもしれないけど』と付け足した。彼女は再び俺の隣に腰を下ろし、金具を返してくれた。俺は金具を受け取って納刀して、ラルのその理由を聞くためにジッと見つめる。しかし、なぜ彼女は愁いを帯びたというか、泣きそうな表情なんだろうか?
その俺が弱く見せたい理由でそんな表情をしているというのなら、今にも俺をぶん殴って差し上げてください。
「アランさ、私やイリシアのこと引きずってるんでしょ?」
そう言って彼女はより一層泣きそうな表情になり、今すぐにも涙が伝ってもおかしくない表情をしていた。
「私は【勇者】イリシアは元【魔王】……そしてアランは一般人。アランってばさ、自分は私たちにふさわしくないって思ってるんじゃないの……?」
一拍、
「だからさ、アランは自分を弱く見せようとしている。申し訳ないから、特筆するものがないから」
一呼吸、
「自分は一般人だから強いはずがない。だから弱くあるべき。なによりも」
なによりも、
「理由がないから、って。違う?」
…………何も違っちゃいない。
なんだよ、それ。図星ってレベルじゃないぞ。確かに俺は最初の数日は、なぜ俺みたいなやつなんかと旅をしているんだろう、ってさ。認めるよ、そうだよ、俺は未だに二人と何故旅できてるのかわからないんだよ。何でもない一般人が【勇者】様と【魔王】様と旅できる理由が見当たらないんだよ。
右を見ろ、天下の【魔王】様が歩いている。
左を見ろ、救世の【勇者】様が歩いている。
下を見ろ、だれが歩いている?
これで、自分が場違いって思わない方がどうかしている。自分が一般に近くであるほどにそれは増幅していく一方。俺は、場違いなんだ。
「……そうだよ。俺は……未だに二人と旅できてることがわからないんだ」
「……そう」
俺はラルの答えに肯定すると、ついにラルの柔和な頬に光が伝ってしまった。
ラルの表情は軽く俯いているのと、薄暗いのが相まってよく見えない。見えるのはワナワナと震える口元だけ。
ラルはスッと立ち上がると、俺から数歩離れた場所で空を見上げた。空は依然として月は出ていないが、ラルはその月を見ているような気がした。
「……じゃあ、言わしてもらうよ」
「えっ?」
そう言って俺の方へ振り返ったラルの表情は全く予想と異なっていた。眉は寄せられ、俺をまっすぐに見つめる瞳には怒りの感情が籠っている。つまり、ラルは俺に対して怒っているのだ。
「私とイリシアはアランを信頼しているんだよ」
「……」
「それなのにアランは私たちを信頼していないの?」
「そんなこと……!」
そんなことはない。俺は二人を全面的に信頼しているし、この二人がピンチに陥るものなら自分に出来る限りのことをするつもりだ。できることはたかが知れているが、それでもできることが何かあると自分を奮い立たせる自信がある。そんな俺が信頼を寄せるラルからそんなことを言われれば否定もする。
しかし、ラルはそう思っていないようだ。
「なら、さ。何でアランはふさわしくないと思ってるの? 私たちはアランを信頼して、私たちと共にあるべき人だと思っているんだよ? なのにアランは否定をする。それって……とても悲しいことなんだよ? 信頼を寄せている人から、ふさわしくないって思われるのって」
「っ……!?」
俺はそこでラルが何が言いたいかをようやく理解した。
もし、信頼を寄せている人から『俺はお前と居られない、ふさわしくないから』なんて言われたら、もしくは思われていたらどう思うよ。俺なら確実に傷つく。ざっくりと、袈裟斬りのように。
それなのに俺は今しがたその言葉を、袈裟斬りをラルに食らわせたんだ。それでラルは俺の言動に悲しみを抱いていた。他ならない信頼している人に。
俺は自分の仕出かしたことにようやく気付き、ラルの顔を見上げる。涙を流し怒りを露にするその姿は、不謹慎だがとても美しかった。
「ラル、その……済まなかった!」
俺は恥もプライドも捨てて目の前の“仲間”に頭を下げる。頭を下げているためラルの表情は分からないが、ラルはゆっくりとした歩みで俺の元まで近づいてきた。俺はそのまま頭を下げ続ける。
「アラン、頭を上げて」
「ラル……」
ラルに赦しをもらい、頭を上げるとそこにはかがんで俺に目線を合わせたラルの姿があった。目は泣いた証の腫れぼったくなっており、充血していた。しかし、その表情は優しく慈悲に満ちた女神の様。そんなラルが顔を上げた俺に一言一言噛み締めるように言葉を紡いだ。
「お願いがあります。……私と共に、旅をしてくれますか?」
暫時。
「……俺でよければ、よろしくおねがいします」
「アラン! よろしく!」
同時に微笑む俺たち。
そうか、俺は意固地になっていただけなんだ。俺がムキになって否定して、勝手に決めつけて、それで二人を悲しませて、その時の俺をぶん殴ってやりたい。でも、俺が思っていたより簡単なことだったんだ。二人は俺を認めてくれていた。後は俺が俺を認めればいい話だったんだ。
苦笑する俺。バカみたいだな、ホント。
「好いところ失礼するがの、お主ら何か忘れてはおらぬか?」
「うお!?」
突然に割っている声。その声は頭上から聞こえ、反射的に見上げるとそこにはどこか不満げな顔をしたイリシアの姿だった。俺はその突然の来訪者に腰を抜かし、後ろへと仰け反るつもりが倒れこんでしまった。実に腰が痛い。
「い、イリシア? どこから聞いてたの?」
「ラル、お主の『何溜息ついているの?』からじゃな」
「最初から!?」
つまり今のやり取りを全部見ていたということか。今更ながら臭い科白や痛い言動をしていたな、と思える節が多々あるから困る。しかし、このタイミングで出てきたということは何か用があったのだろうか?
そう思っていると、イリシアがススキの泥沼を指さしてこう言った。
「奴さんが来おったぞ」




