俺の屍鬼物語
続きは書かないと言ったな。
あれは嘘だ。
最初に見たのは重く薄暗い灰色の空だった。
そこには一片の草も無く、一片の生物もいない。
しかし土がむき出しというわけでもない。そんな場所に俺は立っていた。
ここはどこだろうか?
そんな思いが脳裏に浮かぶ。
実際に、なぜこんなところにいるのか皆目見当が付かず、ただただ呆けてその世界を見ているだけ。
そもそも自分はいったい何をしていたのだろうかと考える始末。
だが、それを考えたところでわかるわけも無かった。
結果、自分は突如ここに立っており、今まで何をしていたのかさえ思い出せないという結論に至る。
要は記憶喪失なんだと。
そんな馬鹿なことがあるか。
この景色の中のどこに記憶喪失になりうるショックがあると言うのだ。
記憶を封じてしまうほどの出来事がこの場にあったとは思えなかった。
答えは先ほどから出ている。何もないのだから。
「お前はまだ死ぬべきではない」
そんな声が聞こえて来た。
辺りを見渡してもその声の主の姿は見えず、先ほどと変わらぬ世界が広がっているだけ。
とうとうこの状況に絶望して幻聴でも聞こえるようにでもなったのだろうか。
「お前は死ぬ運命ではない」
また声が聞こえてくる。
今度は聞き間違えと言うことは無いだろう。
確かにどこからか声が聞こえてくる。
俺は誰なのか。
姿が見えぬ声の主に問いかけてみる。
「自分自身が知っているはずだ」
分からないからこそこうして聞いているのに。
「思いだせ。自分が何者なのかを。そして、何をすべきかを」
それでもなお声は思いだせと言ってくる。
自分をよく知っているのは自分自身だと言う言葉がある。
本当は俺のことを俺は知っているのではないのだろうか。確信は無いが、俺の脳の中にあるのは間違いないはずだ。
「お前はどうして倒れた?」
倒れた。
どうしてだ?
俺は倒れたんだ。
「お前は何を守りたかった?」
俺は掌の上にあるものだけは守りたかったんだ。
でも守れなかったのだ。あまつさえ俺は見捨てたのだ。
「お前は何をしたかった?」
俺は大切な人の悲願を達成させたかった。
そのために奔走し、俺は死んだんだ。何も出来ないままに。
「お前の胸には何がある?」
俺の胸には空っぽになった左胸と、紐で括りつけられたコルク便。
中には白く小さな骨が数個。
「お前の胸には何が宿る?」
俺の胸中にあるのはドス黒く燃え滾る感情と、自分自身に対する殺意。
「お前の眼には何が映る?」
網膜に焼け点いている大切な人が死にゆく姿。
「お前の脚はどこを向いている?」
ただ直向きに【魔王】の方角へ。
「さぁ、思いだせ。お前は誰だ?」
俺は。
「俺はアラン・レイトだ」
世界がひび割れ、俺は消えうせた。
◆ ◆ ◆
「っ!?」
「ようやっと起きたか」
「どうやら、成功したいみたいだな」
目に映る白い暴力。
思わずもう一度目を閉じてしまいそうなほどに白い天井が見え、飛び起きる自分。
柔らかな感触に、どことなくピリピリと居心地の悪い神聖な空気に俺は吐き気を覚える。
反射的に周りを見渡してみれば、そこには二人の人物。
一見うり二つの兄弟。見分ける方法は髪の色と服装だけ。
俺はこの二人を知っている。憎たらしいほどの殴りたくなってくる笑顔のやつに、どことなく怒りを孕んだ表情をしているやつ。
この世界の完全な方と不完全な方。
この世界の食物連鎖の頂点に君臨する【神】と、心優しき元【魔王】その人だった。
「目覚めの気分はどうだ? おい」
「その顔で最悪の気分だぜ」
「おうおうおう、相変わらずの【神】に対する敬意も糞ったれも無い態度。調子は良いみたいだな」
ニタニタと悪寒が走るほどの笑顔を浮かべこちらに話しかけてくる【神】
思わず手が出そうになったが、ここで腕を振るったとしても空を切るだけなのだろう。その衝動をグッと飲み込んで耐える。
「自分が何者か、分かるかね?」
「おかげさまで」
「うんうん、後遺症も無いみたいだし。良かった良かった」
次いで話しかけてくる先代【魔王】
【神】と接した後に見ると聖人に見えなくもないが、こっちもこっちで【神】に引けず劣らずのクズ野郎だと言うことを忘れてはならない。
今までやって来た行為が物語っている。
二人がいるのは分かった。
この二人には何かと世話になっていた。
世界を二つに分かつ二人に懇意にしてもらっているだなんて考えれば考えるほど嘘くさいが、本当のことなので仕方がない。
この二人は世界に干渉しない、もしくは存在しないことになっているために何かと不便はあるみたいだが、それはそれでこの状況を楽しんでいるらしい。それこそ、俺みたいな何の変哲もない人物に力を貸してやるなどをして。
「……で、どういう状況なんだ? 俺は確か……」
「思いだしたのではないのかい?」
「…………あぁ、そうだ。思い出したんだ」
俺が今どこにいるのかが分かったとして、どうしてここにいるのかという疑問が浮かぶ。
それもそうだ。ここにいる理由が見当たらないのだから。
だがしかし、俺は既に思い出していた。
この場ではなく、違うどこかの場所で。上手く説明は出来ないが。
そう、俺は、
「死んだんだ」
死んだのだ。
何も出来ず、何を成し遂げることも無く、ただただ死に行った。
無情にも左胸――心臓を抉られ、遠のく意識の中でいつもの二人の幻影を眺めながら、決意も出来ぬまま。
そこには何の意味も無く、何が残ったというわけでもない。ただ、死んだのだ。
そうして、次いで湧き上がる感情は、焦燥感。
何をしたのかは自分がよく分かっている。よく分かっているからこそ湧き上がる感情を抑えは出来ない。
愛した者を救うことが出来ず、その肉体すら護れず、あまつさえ自分の命と天秤にかけた時、震えるほどの弱さを知った。
その結果、目の前の“障害”として取り払い、見捨てたのだ。
そう、だからなのだろう。
元【魔王】から感じる感情の正体は、俺に向けられたものだと。
「……元【魔王】」
「君が何を言わんとしているのか、よく分かる。でも、今はそれを口にしないでくれ。僕だって君に怒りが無いわけではない。でも、でも、君が娘を心の底から愛していたことは知っているんだ」
「それでもっ!」
赦されるためではない。
己の中の感情が爆発しそうなのだ。
何度もしたことのある行動。姿勢。しかしそこには一片の曇りもない。
「頭を、あげたまえ」
「俺は……貴方の娘を……!」
「分かっている。分かっているんだ。だからこそ、僕も向ける先の無い矛をどこへ向ければ良いのか迷っているんだ」
膝を着け、上体を倒し、手を頭の前へ持っていく。
謝らなければならない。謝って済む問題ではない。
だが、堕罪すべきだと。
しかし、元【魔王】の反応は薄いもので、優しく肩に手を添えて来た。
娘を見殺しにした、あまつさえその娘を見捨てた男に対して彼の優しさは相当堪えただろう。
どうして己を責めないのか。責めるべき相手は今目の前にいるはずなのに。
「でも、でもぉ!」
「……ならば、その身を我々のために役立ててくれ。そのために君は今、ここにいる」
「……! なんだってする。この通りだ!」
それでも罪を償いたい俺は一心に頭を下げる。
そんな俺に元【魔王】は変わらない優しい声色で、その身で尽くしてくれと持ちかけて来た。
断る理由なんてどこにも無い。俺がこうして再び現世に身をやつし、こうして二人の前にいると言うのならば喜んで働こう。
それが今、俺に出来る最善のことだ。
「……じゃあ、頼むよ。君にとっていばらの道になるだろうけれど、僕は期待をしている」
「……」
「まぁ、まずは城の者たちに会ってくると良い。君にはもう少し時間が必要だろうし、僕にも……少し時間が必要だ」
「っ!」
そこで俺はようやく理解する。
元【魔王】の拳が堅く握られている理由を。元【魔王】だって、怒りが無いわけではないのだ。
赦して、暮れているわけではないのだ。
必死に怒りを抑えていた元【魔王】に何も言わずに頭を下げる俺。
彼の怒りも尤もなことだ。自分が認めた人物に裏切られ、娘まで裏切られてしまったのだから。
しかし、それでも暴れる感情を俺にぶつけることはせずに、ただただ世界を分かつ者として俺に口を開いたんだ。
そこまでしてくれた者に、今更何と声を掛ければいいのだ。
だからこそ、俺は頭だけを下げて部屋から出て行った。それが最大限の優しさだと知ったらから。
それに、俺も整理する時間が必要だ。
今一度、自分と向き合い、自分をどう裁くか。
だが、
「俺は赦さない」
絶対にだ。
◆ ◆ ◆
もはや歩き慣れてしまった城の廊下を歩く。
窓から射す沈まない日の光により一層白く輝く城の中。
神の住まう居城“神代”には様々な者たちが住んでいる。その人たちにあってみるのもいいかも知れない。
あの後、どうなったのか知るために。
「……お」
そんなことを考え乍らフラフラと歩いていると、廊下の奥に何やら本を抱えてフラフラと歩いてくる人物が見えた。
もちろん、俺が知る人物である。
「よう、大変そうだな」
「え……?」
俺が声を掛けると、そいつは持っていた本をどさどさと足元に落とし、唖然とした様子で俺の顔を見る。
まるで幽霊でも見るかのように。いや、一度死んでいるのだからその表現は間違ってはいないか。
口をパクパクとさせ、何かを喋ろうとしているのだろうが言葉にならず、その口からは息だけが漏れだす。
そんな様子に俺は思わず苦笑し、助け船のつもりで再び声を掛けてやる。
「どうしたエルト。まるで幽霊でも見たかのように」
「あ、あ……アラン!」
種族は鬼。
顔は中性的な感じで、髪は茶髪。
この神代のメイド長を勤めており、みんなから信頼されている。
常にメイド服を着ており、時折見える艶かしい足が何とも言えん。
更に、中性的と言っても誰もがエルトを見たらこう言うだろう。
『これ以上メイド服が似合う人は金輪際現れないだろう』と。
これは俺のお墨付きでもあり、街中を歩いていたら間違いなく振り向く程の『美少女』だ。
だが男だ。
「え、なんで!? どうして!?」
「いや、それが俺もよく分かっていなくてだな……まぁ、ともかく、また会えたからいいじゃないか」
「う、うん……」
エルトはどうして俺がここにいるのか理解しておらず、ただ驚きの感情を全面的に押し出してきている。
その様子からすると、なんで俺がまだ生きているかは知らない様だ。
だが、それを抜きにしたってエルトと出会えるとは運が良い。見ているだけで荒んだ心が晴れていくようだ。
エルト可愛いよ、マジで。男だけれども。




