第6話:聖女のトリアージと、査問官の天秤
村の中央広場には、不安げな顔をした大人たちが集まっていた。
その中心には、純白の法衣を纏った美しい聖女と、青ざめた顔の村長が立っている。
「査問官殿、一体何用ですかな? 我々は畑の開墾で忙しいのですが」
村長が苛立ちを隠せない声で言うと、エルナは手帳を開き、村人全員に響くようによく通る声で告げた。
「結論から申し上げます。この村で起きたことは、神の奇跡などではありません。対象者の生命力と寿命を強制的に削り取り、別のエネルギーへと変換する『等価交換』の禁術です」
広場がざわついた。
クライヴはエルナの隣で剣の柄に手をかけ、聖女を鋭く睨み据える。
「聖女とやら。お前は村の子供たち全員から、数年、あるいは十数年分の寿命をごっそりと徴収した。そして、それを村を覆う結界の維持エネルギーと、大人たちを治癒するためのリソースとして再分配した。違いますか?」
聖女は何も答えない。
ただ、悲しげに目を伏せただけだった。
「ふざけるな!」
クライヴはたまらず怒鳴り声を上げた。
「未来ある子供たちの命を吸い上げて、自分たちだけが助かろうとしたのか! 貴様は聖女などではない、ただの悪魔だ!」
騎士の誇りにかけて、このような外道を見過ごすわけにはいかない。
クライヴが聖女を捕縛しようと踏み込んだ、その瞬間だった。
「待ってくだされ、騎士様!」
村長が両手を広げ、聖女を庇うように立ち塞がった。彼だけではない。
周囲にいた大人たちが次々と前に出て、クライヴと聖女の間に人垣を作ったのだ。
「……何をしている。どけ、お前たちは騙されているんだぞ!」
「騙されてなどおりません!」
村長の血を吐くような叫びに、クライヴは足を止めた。
「わしらも、同意したのです……。子供たちの寿命を削ることに、親であるわしら自身が合意したのです!」
「な、に……?」
エルナが淡々と補足する。
「歴史的に見ても、人身御供というのは、別段珍しいことではありません。人々は健康や繁栄といった物質的な利益を得るための対価として、最も価値の高い子供を生け贄として捧げてきました」
「な、何を……」
クライヴが絶句する中、エルナは言葉を続ける。
「あるいは新生児を間引くことだって、大戦時には珍しいことではありませんでした。この村の選択も、決して特異なものではありません」
「仕方がなかったんじゃ! 疫病で大人たちが倒れれば、畑を耕す者も野盗から村を守る者もいなくなる」
村長は血を吐くような悲痛な声を上げた。
「そうなれば、どのみち全ての子供たちも餓死するか、野盗に殺される運命だった! ならば、労働力や戦力にならない子供たちから少しずつ命を貰い、大人が生き残って村を維持するしかないではないか!」
村人たちは涙を流しながら、しかし誰一人として聖女を責めようとはしなかった。
彼らにとって、この忌まわしい禁術の儀式は、村という財産と生存権を外敵から守るための合理的な防衛手段だったのだ。
「正気か……お前たち、自分の子供を……!」
クライヴは絶望に顔を歪めた。
理想郷だと思っていたこの村は、大人たちが子供を食い潰して生き延びる、地獄のような共犯関係の檻だった。
「素晴らしい」
不意に、パチパチという場違いな拍手が広場に響いた。
エルナだった。
彼女は心底感心したように、目を輝かせて村人たちに拍手を送っていた。
「エルナ殿!? 何を……」
「あなた方の選択の真の合理性は、その『対象』にあります」
エルナは手帳を開き、数式を指でなぞった。
「この村の子供たちは皆、すでに大本である灰死病に感染し、余命がわずか数ヶ月の状態だった。どうせ病で死ぬ運命にある未成年層の『残されたわずかな寿命』をかき集め、即戦力である生産年齢人口の治癒と防衛インフラへ変換する。一時的な緊急トリアージとしては、これ以上ないほど見事で合理的なリソースの再分配です」
「なっ……子供たちも、病に?」
クライヴが驚いて村長を見ると、村長は痛ましげに頷いた。
「そうじゃ。わしら大人が倒れれば、どうせ病の子供たちも冬を越せずに死ぬ。ならば、せめて大人だけでも生き残り、村を維持するしかなかったんじゃ……!」
「エルナ殿! 君はこれが正しいと言うのか!?」
「正しいか正しくないかではなく、計算が合っているかどうかの問題です。――しかし」
エルナの声の温度が、ふっと一瞬にして零下まで下がった。
「あなた方の計算式には、長期的な生存戦略において致命的な欠陥が存在します」
「欠陥……?」
「ええ。この強力な結界と大人たちの健康を維持するためには、今後も継続して寿命を供給し続けなければならない。つまり、病を持たない『将来生まれてくる健康な子供たち』までをも、エネルギー源として消費し続ける前提のシステムになっているということです」
エルナの透き通った瞳が、聖女と村長を冷酷に射抜く。
「そして法的な問題もありますね。王国憲法の序文をご存じですかね? 『公地公民』が基本原則として記されております。健康如何に関わらず、子供は将来の労働力であり、納税者という極めて経済的価値の高い『国家リソース』です。それを、生産性のない辺境の村の現状維持のためだけに恒久的にすり潰すなど、費用対効果の観点から絶対に看過できません。明らかな国家財産に対する毀損行為です」
「そ、そんな……! では、わしらはどうすればよかったんじゃ!」
「簡単です。不採算部門を解体すればいい」
エルナがバッグに手を伸ばした、その瞬間だった。
ずっと沈黙を守っていた聖女が、常人離れした速度で動いた。
純白の法衣が翻り、彼女は背後に回り込むと、エルナの細い首元に黒く淀んだ魔力の刃を突きつけたのだ。
「動かないで……!」
悲痛な、しかし確かな敵意を帯びた声だった。
「エルナ殿!」
クライヴが剣を抜くが、聖女は魔力刃をエルナの肌に押し当てて牽制する。
「皆、このままでいいの!?」
聖女は広場の村人たちに向かって叫んだ。
「この査問官の言う通りにすれば、村は終わりよ! 私たちが何のために罪を被って生き延びようとしたのか、思い出して! 決めたんでしょ! 何に変えても、何をしても生き抜くって! 彼女をここで始末して、死体を隠せば……まだやり直せる!」
必死の扇動。
村人たちの目に、暗い同調の火が灯りかける。
自分たちの生存と、一人の役人の命。
秤にかければどうなるかは明らかだ。
一触即発の空気が広場を支配する。
だが、刃を突きつけられた当のエルナは、微かな動揺すら見せなかった。
「……王国法第2条第4項、王立魔導調査局の特別査問官に対する不当な暴力行為および国家反逆罪。さらに第18条、暴動の教唆扇動ですね」
エルナの声は、まるで今日の天気でも読み上げるかのように平坦だった。
「聖女とやら。自分が今、何を天秤に乗せたのか理解していますか? これであなたは人間としての基本的権利をすべて喪失しました。法的には『意思を持つ人間』ではなく、単なる『国家の実験動物』への降格です。王立魔導研究所の地下深くで、意思を持たない都合の良い使い捨ての肉の器として、死ぬことすら許されず無限の奴隷労働と魔力抽出を強いられることになります 」
「な、何を……脅しなど……」
「脅し? いいえ、単なる事務手続きの確認です。人権の剥奪には、当の本人への説明が義務付けられていますから」
エルナがわずかに首を巡らせ、透き通った瞳で聖女を見据える。そこにあるのは怒りでも恐怖でもなく、ただ純粋に『決定した事実』を述べているだけの無機質な光だった。
絶対にやる。この少女は、一寸の躊躇いもなく自分を肉塊のバッテリーに変える。
その狂気的な冷徹さに触れ、聖女は恐怖で指先を震わせた。刃がわずかに揺らぐ。
「今だッ!」
クライヴはその一瞬の隙を見逃さなかった。
神速の踏み込みから放たれた騎士の剣が、聖女の魔力刃を正確に弾き飛ばす。
「ああっ!?」
エルナが解放された直後、逆上した聖女が両手から巨大な闇色の魔力波を放った。
命を削り取る死の魔法。
当たれば、即死。
しかし、歴戦の騎士であるクライヴはそれを最小限の動きで躱すと、強烈な柄打ちを聖女の鳩尾に叩き込んだ。
「が、はっ……」
聖女は白目を剥き、その場に崩れ落ちた。
「……怪我はないか、エルナ殿」
「ええ。迅速な制圧、流石は王国騎士ですね。見事な手際です。ただ、傷はつけないように気をつけてくださいね。これはもう国の所有物ですので毀損罪が適応されてしまいますから。貴方を裁かなくてはなりませんが……まぁ、これくらいなら目を瞑りますか」
「……」
エルナは何事もなかったかのように乱れた襟を直すと、手帳のページを破り捨て、バッグから赤い呪符を取り出し、教会の祭壇へ向けて放った。
閃光が弾け、空を覆っていた見えない結界が、ガラスのように砕け散る。
破片は粒子となり、投げた呪符へと吸収された。
同時に、大人たちが苦悶の声を上げてその場に崩れ落ちた。
エルナが祝詞を唱えると、聖女の禁術の要であった魔力回路が強制的に破壊され、変換されていた生命力が元の持ち主――子供たちへと還っていったのだ。
「結界が……! ああ、力が抜けていく……!」
「エルナ殿、これでは全員死んでしまうのでは?」
クライヴの問いに、エルナは平然と振り返った。
「死にはしませんよ。灰死病は、王都で開発された特効薬を使えば治る病です。高価なので辺境には出回っていませんでしたが」
エルナは新しい報告書に王領の印を押し、地に這う村長に突きつけた。
「査問の結果、当村は『非合理な禁忌システムに依存した破綻コミュニティ』と認定します。よって、村は本日をもって解体。村の土地、備蓄食糧、すべての資産を国が没収し、その対価として特効薬を手配して『子供たち』を治療します。未来の納税者を保護するのは、国として妥当な投資ですからね」
「そ、そんな……わしらの村が……わしらは、どうなるのですか?」
「大人たちは禁術加担とリソース毀損の罪で、王国の強制労働施設へ送られます。少なくとも、死にはしませんのでご安心を」
悪意など微塵もない、純粋な最適解を導き出して、エルナは最後に、ニコリと笑顔を見せた。
「さあ、査問は終了です。行きましょう、クライヴ様。直ちに報告していくらかの兵を送ってもらいましょう。連れてきた者たちでは、彼ら全員を連行するには足りませんからね」
大人たちの絶望の嗚咽が響く中、エルナは足早に馬車へと向かう。
クライヴは、広場の隅で生気を取り戻し始めた子供たちが寄り添い合う姿を見て、ふと立ち止まった。
結果として、理不尽に命を削られていた子供たちは救われ、これからの未来も保証された。
だが、その裁定は、悪魔と形容される「査問官」にしては、あまりにも優しすぎるように思えたのだ。
馬車に乗り込んだクライヴは、向かいの席で手帳を開くエルナをじっと見つめ、たまらず口を開いた。
「……エルナ殿。一つ聞かせてくれ。君のその差配は、本当に『帳尻』が合っているのか?」
「と、言いますと?」
「君は先ほど、灰死病の特効薬は王都でも高価な品だと言った。私もそれは知っている。この痩せた土地とわずかな備蓄食糧を国が没収したところで、子供たち全員分の薬代には到底届かないはずだ。君は……自分の権限で赤字を被ってまで、彼らを救おうとしたんじゃないのか?」
もしそうなら、彼女の奥底にも血の通った感情がある証拠だ。
クライヴが微かな期待を込めて問いかけると、エルナはきょとんと目を丸くした。
「赤字? 何を馬鹿なことを言っているのですか。計算式は完璧な黒字ですよ」
エルナは手帳をクライヴに向けた。
そこには、村の解体に伴う緻密な収益予測が記されていた。
「没収する資産には『人的リソース』も含まれます。まず、あの聖女。クライヴ様は騎士なので、魔法の類にはあまり明るくないとお見受けしますが、禁術って難しいんですよ。誰もが簡単に行えるのであれば、国が国家ぐるみでやると思いませんが?」
クライヴは息を呑んだ。
国が国家ぐるみでやる——。
その言葉の響きに、彼は戦慄を覚えた。もし王国が、彼女のような才能を持つ者たちを『実験体』として意図的にかき集めているのだとしたら。
倫理を捨てたこの国なら、禁術のメカニズムを解明し、無抵抗な国民を使い捨ての魔力資源や奴隷として組織的に運用する巨大なシステムすら作り上げかねないのではないか。
「しかも複数人の寿命を触媒なしで変換する特異な魔力回路は、王立魔導研究所にとって喉から手が出るほど欲しい検体です。彼女を貴重な実験体として国へ供給するだけで、特効薬の代金など軽くペイできます」
「……」
「そして、禁術に加担した大人たち。彼らが送られるのは、まぁ、言及は避けますけど死亡率の高い北部の魔力石採掘場です。彼らを過酷な環境での奴隷労働力として消費することで、王国は多大な経済的利益をノーリスクで得ることができます」
クライヴは背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
「……まさか、子供たちを助けたのも」
「当然、長期的な投資です。国費で命を救われ、王立孤児院で育てられた子供たちは、国家に対して絶対的な忠誠を誓う狂信的な兵士や労働力に育ちます。辺境で無気力な農民として死なせるより、はるかに利益率が高いのです」
エルナは淡々と、純粋な事実だけを語る。
「高価な実験体、ハイリスクな採掘場への使い捨て労働力、そして洗脳済みの未来の国家資産。村を解体して各パーツを最適化することで、王国の利益は数倍に跳ね上がります。彼らを村ごと焼き払うより、よほど『理にかなって』いるでしょう?」
そこに慈悲はなかった。
彼女はただ、村という組織を最も効率的なパーツに分解し、国家の巨大な計算式に当てはめただけ。
「君は……本心でそう言っているのか?」
「? 質問の意味を理解しかねますね」
クライヴは深く息を吐き、座席の背もたれに体を預けた。
彼女の狂気的なまでの合理性は、人間の尊厳すらも単なる数字に変換してしまう。
だが、その血も涙もない冷酷なロジックが結果として、罪なき子供たちの命を救い出す「最適解」を導き出したのもまた、否定できない事実だった。
乾いた風の中、馬車は次の査問地へと静かに走り出した。




