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彼女は涙を信じない~感情を捨てた合理主義の少女が、辺境の「美談」を物理法則とコスト計算で論破していく件~』  作者: 紅茶


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第3話:世界を蝕む毒と、見えない色

王都を出立して数日が経過した。


馬車の御者台で手綱を握るクライヴの瞳には、かつて豊穣を誇った面影など微塵もない、ひび割れた灰色の荒野が延々と映っていた。


魔王軍との百年戦争で大地に撒き散らされた「魔力毒」は、生態系を根本から破壊した。


枯死した木々は黒く捻じ曲がり、乾いた風が吹くたびに、有毒な灰が雪のように舞い上がる。


「……ひどい有様だな」


クライヴがポツリとこぼすと、背後の小窓からエルナの淡々とした声が返ってきた。


「ええ。この地域の土壌汚染レベルは規定値を大きく超えています。王国のトリアージに基づく支援打ち切りの判断は、極めて妥当と言えるでしょう」


馬車の中で、エルナは揺れに動じることもなく、手帳にびっしりと数式を書き連ねていた。


彼女にとって、窓の外の地獄絵図は「数式のパラメータ」に過ぎないのだ。


クライヴは奥歯を噛み締めた。王国の官僚制は「法の下の平等」や「合理的な行政」という美しい建前を掲げているが、その実態は、持たざる大衆の命を切り捨て、一部の特権階級の利益を体系化して守るための冷酷なシステムに過ぎないのではないか。


その疑念が、エルナという「究極の官僚」と接することでより一層強くなっていた。


「エルナ殿。君は、この景色を見ても何も感じないのか? 支援を打ち切られれば、この先にある村の住人たちは……」


その時だった。


御者台の横を、鋭い風切り音と共に黒い矢が掠めた。


「ッ! 襲撃か!」


クライヴは素早く馬車を止め、剣を抜いて周囲を警戒した。


灰色の森の中から、ボロボロの衣服を纏った十数人の男たちが姿を現した。飢えと魔力毒に当てられ、瞳孔が開いた野盗の群れだ。


その手には錆びた剣や、粗悪な魔力石が握られている。


数が多い。


それに、彼らの目は完全に正気を失っており、死への恐怖がない。


クライヴが冷や汗を流して構えを直した時、背後の扉が開き、エルナがひょっこりと顔を出した。


「クライヴ様。正面から切り結ぶのは非効率的です。私の指示通りに動いてください」


「指示だと!?」


「ええ。右から三番目の男の足元、半径二メートルの空間に『風属性の遅延トラップ』の残滓があります。青緑色の魔力波長です。そこへ誘導してください」


エルナの無機質な声に、クライヴは一瞬耳を疑った。


だが、迷っている暇はない。


クライヴは男たちの攻撃を紙一重で躱し、エルナが指摘した地点へと右から三番目の男を蹴り飛ばした。


次の瞬間、男が踏み込んだ地面から突如として不可視の突風が巻き起こり、男の身体を高く吹き飛ばして木々に激突させた。


「なっ……!?」


「かつての戦争で敷設された防衛魔法の残滓が、まだこの土壌には残っているのです」


エルナはパタンと手帳を閉じ、まるでチェス盤を俯瞰するように戦場を見渡した。


魔力の残滓や波長が、明確な色と数式として視覚化されているのだ。



「次は左前方、四メートルの位置にある赤紫色の土を踏み抜かせてください。劣化していますが『炎の壁』が起動します」



エルナの指示は、恐ろしいほどに正確だった。


クライヴは彼女の言葉に従い、ステップを踏んで野盗たちを誘導する。


野盗の一人が、指定された赤紫色の土を勢いよく踏み抜いた。


しかし――。


「……何も起きないぞ!」


クライヴが叫びながら、襲いかかってきた野盗の剣を間一髪で弾き返す。炎の壁が立ち上がるはずの地面からは、ぷすっと情けない煙が少し上がっただけだった。


「おや」


エルナは馬車の窓から顔を出したまま、きょとんとして首を傾げた。


「どうやら不発弾のようですね。まぁ、よくあります。魔力毒による地脈の変質で、術式が完全に揮発していたようです。計算外でした。ではクライヴ様、気を取り直して右へ二メートル下がり、青い苔の生えた石を……」


「気を取り直して、じゃない! こっちは命懸けなんだぞ!」


文句を叫びつつも、クライヴは素早くエルナの次の指示に従う。


「私だって命がけですよ。貴方が死んだら、私には対抗する手段がありませんから」


今度こそ不可視の罠が発動し、残る野盗たちは次々と自滅していった。


あっという間に十数人の野盗が無力化され、地雷原を避けるように安全なルートを通って馬車に戻ったクライヴは、荒い息を吐きながらエルナを見上げた。


彼女の狂気的な合理性は実践においても恐るべき「生存ツール」だったが、どうやらほんの少しだけ抜けているところもあるらしい。


感情を持たない完璧な計算機――というわけでもないようだ。


そんな人間味のある不器用な一面を垣間見た気がして、クライヴは呆れつつも、先ほどまで張り詰めていた肩の力をわずかに抜いた。


だからこそ、この枯れ果てた狂った世界でも、彼女は彼女なりに必死に生き残ってこられたのだろう。











襲撃を抜け、馬車は目的地の村へと到着した。


事前の監査資料では、この村は「致死率の高い疫病が蔓延し、全滅は免れないため医療リソースの提供を打ち切る」対象となっていたはずだった。


しかし、村に足を踏み入れた二人が目にしたのは、活気に満ちた人々と、健康そのものの子供たちが走り回る姿だった。


「どういうことだ……? 疫病は?」


呆然とするクライヴに、エルナの呟きは、氷のように冷たかった。


「空間魔法による長距離転移などが、都市防衛や物流の前提を破壊してしまうとして厳しく制限されているように、どのような魔法であっても、絶対的な物理法則からは逃れられません。魔法は無から有を生み出すものではないのです」


エルナはバッグからファインダーを取り出し、カチャリとレンズを合わせた。


「対価のない奇跡など、この世のエネルギー保存則においてあり得ない。……クライヴ様。どうやらこの村には、極めて興味深い『計算の合わない帳尻』が隠されているようです」


村人たちの歓声に包まれた平和な村。


しかし、エルナの透き通った瞳だけが、その美談の裏に隠された悍ましい代償の残滓を、はっきりと捉えていた。


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