第10話:戦力方程式と、予期せぬエラー
黒焦げになった中央ホールの奥、居住区へと続く石造りの連絡通路。
そこには、砦への侵入者を足止めするための分厚い『落とし格子』がいくつか等間隔に設置されていた。
「ギィャアアアアッ!」
ホールの爆煙を抜け、生き残った十体の魔族が、血走った目で通路へと殺到してくる。
一体一体が、大の大人の倍近い体躯と凶暴な爪を持つ化け物だ。
エルナは通路の壁に設置された落とし格子の操作レバーに手をかけ、迫り来る魔族の群れを冷徹な瞳で見据えていた。
「皆さんに、これからの作戦を説明します」
極限状態の中、エルナの声は普段と変わらず平坦だった。
「この通路の落とし格子を使い、十体の魔族を二回に分けて分断します。第一ウェーブ、五体を解放。クライヴ様、右から来る四体を担当してください。士官三名は、左の一体を。……この戦力方程式から絶対に逸脱しないでください。一人でも役割を違えれば、確実に死者が出ます。そして迅速な対応を。落とし格子が壊されれば、我々に勝ち目はありません」
「四体か……上等だ!」
「三、二、一」
エルナが迷いなくレバーを引くと、天井から凄まじい音を立てて鋼鉄の格子が落下した。
ガシャァァンッ!
「グギャッ!?」
先頭を走っていた五体だけが格子の内側へ滑り込み、残りの五体は分厚い鉄格子によって見事に分断され、向こう側で咆哮を上げた。
「第一ウェーブ、開始です」
クライヴは気合いと共に踏み込み、四体の魔族の群れへと単騎で飛び込んだ。
彼の実力であれば、五体同時となれば相討ちのリスクが跳ね上がるが、四体までなら自身の「安全処理上限」の範囲内だ。
魔族の鋭い爪が四方からクライヴを襲う。
しかし、歴戦の騎士である彼は、最小限の動きでそれを躱し、流れるような剣技で確実に魔族の急所を斬り裂いていく。
力任せの反撃を盾で弾き、体勢を崩した隙に首を刎ねる。
四体という絶望的な数を相手にしながらも、クライヴの動きには一切の無駄がなく、見事に戦線を維持していた。
一方、左側では三人の士官が一体の魔族を取り囲んでいた。
「や、やらせるかァッ!」
炎の魔術師が後方から炎弾を放ち、魔族の視界を奪う。
その隙に小隊長が盾で突進して体勢を崩し、側面から斥候が槍を突き立てる。
士官たちの実力は、三人掛かりでようやく魔族一体を無傷で倒せるレベル。
極度の恐怖と疲労に苛まれながらも、彼らはエルナの『三人で一体』という計算式を守り、必死の連携で魔族を討ち取った。
「ふぅ……っ、やったぞ!」
士官たちが安堵の声を上げる。同時に、クライヴも最後の一体を唐竹割りにし、四体の魔族を血の海へと沈めた。
「第一陣、処理完了。怪我はありませんか?」
エルナは手帳にチェックマークを書き込み、再びレバーへと手を伸ばした。
「息をつく暇はありませんよ。すぐに第二ウェーブ、最後の五体を解放します。同じ陣形を取ってください」
クライヴが剣を構え直し、士官たちも武器を握り直す。
エルナがレバーを引こうとした、その時だった。
ガコンッ!
頭上から、不自然な重い金属音が響いた。
「――グルァァァァッ!」
直後、背後から鼓膜を劈くような咆哮が轟いた。
「なっ!?」
クライヴが振り返り、目を見開いた。
通路の奥ではなく、エルナたちの背後――天井に設置されていた『換気ダクト』の金属蓋がひしゃげて落下し、そこから一体の魔族が這い出してきたのだ。
全身を酷く火傷し、右腕を失ってはいるが、その双眸は生きている人間への強烈な殺意で赤黒く濁っていた。
「どこから現れた!? 通路は格子で塞いでいたはずだ!」
「……中央ホールの爆発の際、上部の換気ダクトに吹き飛ばされた個体がいたようです。まさか、あの狭い空間を這ってこの連絡通路の奥まで到達するとは」
ホールの構造やガスの濃度のムラにより、偶然にも爆発の直撃を免れ、ダクト内へ押し込まれた個体がいたのだ。
生存本能のみで換気ルートを這い進み、エルナたちの真後ろへと落ちてきた――完全に見落としていたルートだった。
「しまった……!」
クライヴが駆け出そうとするが、距離が遠すぎる。
手帳と懐中時計しか持たないエルナにとって、魔族の戦力値は自分を遥かに凌駕する。
これは数秒後の絶対的な『死』を意味していた。
全身火傷の魔族は、目の前に立つ非力な少女を最初の獲物に定め、残された左腕の鋭い爪を振り上げた。
エルナの網膜に、回避不可能を示す致命的なエラーの数式が弾き出される。
「ちぃっ! 間に合わん!!」
クライヴの絶叫が通路に木霊する中、凶悪な爪が査問官の細い首筋へと振り下ろされた。




