銀河の果てに
1
五月一日。
ゴールデンウィークが始まった日。
教室はがらんとしていて、ほとんどの連中は出かけているか、家で寝坊しているかのどちらかだった。それでも僕は学校に来た。
勉強したいからじゃない。
ただ、行く場所がなかっただけだ。
自分の席に座り、窓の外を眺めた。
桜は、もうほとんど散ってしまっていた。枝に残っているのは、ほんのわずかな花びらだけ。風に揺れ、今にも落ちそうに震えている。
あと数日もすれば、もう二度と見えなくなる。
「おはよう。」
声が、入口から聞こえた。
顔を向ける。
水谷陽菜が、そこに立っていた。手提げ鞄を手に持って。
「どうしてここに?」僕は尋ねた。「病院にいるんじゃなかったの?」
「今日は休みだからね。」彼女は歩み寄り、僕の前の席に腰を下ろした。「それに、来たかったから。」
「授業に来たかった?」
「君に会いに来たかったんだよ。」
あんまりにも自然に言うから、僕は数秒間、呆けてしまった。
「君……」
「冗談だよ。」彼女は振り向き、僕に笑いかけた。「本当は、本を返しに来たんだ。」
ランドセルから、あの『銀河鉄道の夜』を取り出し、机の上に置いた。
「図書館、今日やってるの?」
「わかんない。」彼女は言った。「でも、やってなくても、入口の返却ポストに入れればいいし。」
僕はその本を見つめた。
表紙の文字はもうすっかり擦り切れているけれど、それでも列車の輪郭だけは、かろうじて見てとれた。
「読み終わった?」
「うん。三回目。」
「三回目?」僕は少し驚いた。「そんなに面白いの?」
彼女はすぐには答えなかった。
ただ、その本を見つめ、指でそっと表紙を撫でた。
「面白い、っていうんじゃないんだ。」彼女は言った。「読むたびに、感じ方が変わるんだ。」
「どこが変わるの?」
「最初に読んだときは、ジョバンニがかわいそうだと思った。二回目は、カンパネルラがかわいそうだと思った。三回目は——」
彼女は言葉を切った。
「あの列車に乗ってる人たち、みんな、かわいそうじゃないんだなって思った。」
「どうして?」
「だって、みんな、自分が行きたい方へ向かってるから。」彼女は顔を上げ、僕を見た。「たとえそれが天国へ向かうことであっても、自分で選んだ道なら。」
窓の外を風が吹き抜けた。
最後の数枚の花びらが、舞い落ちた。
僕は、彼女の瞳を見つめた。
その瞳には、今日はひときわ明るい光が宿っていた。
「水谷さん。」僕は言った。
「うん?」
「来月の手術、君が自分で選んだことなの?」
彼女は、一瞬きょとんとした。
そして、笑った。
「うん。」彼女は言った。「私が選んだんだ。」
「どうして?」
「だって——」彼女は少し考えた。「手術が終わったら、どんな景色が見られるのか、知りたいから。」
2
その日の午後、僕たちは図書館へ行った。
学校の図書館じゃない。市立図書館だ。
新しい本を借りたいんだ、と彼女は言った。
バスで行った。
二十分ほどの道のり、彼女はずっと窓の外を見ていた。
窓の外の景色は、次々と後ろへ流れていく。どこにでもある街並み、どこにでもある商店、どこにでもいる人々。
でも、彼女は真剣に見ていた。
まるで、すべてを記憶しようとするかのように。
「辻本さん。」彼女が突然、口を開いた。
「うん?」
「知ってる? 私、すごく久しぶりにバスに乗ったんだ。」
「どうして?」
「ずっと、病院にいたから。」彼女は言った。「たまに外出するときも、母の車で迎えに来てもらってた。自分でバスに乗るなんて、もう三年ぶりだよ。」
僕は彼女の横顔を見た。
窓から差し込む陽の光が、彼女の顔の上で、移りゆく光と影を描いている。
「じゃあ、どうして乗ろうと思ったの?」
「乗りたかったから。」彼女は顔を向け、僕を見た。「まだ乗れるうちに、たくさん乗っておきたかったんだ。」
まだ乗れるうちに。
その言葉が、僕の中で何度も反芻された。
「水谷さん。」僕は言った。
「うん?」
「君は……怖い?」
彼女はすぐには答えなかった。
バスが、赤信号の前で止まった。
窓の外は公園だった。何人かの子どもたちがブランコに乗っていて、楽しそうな笑い声が、かすかに聞こえてくる。
「怖いよ。」彼女は言った。「毎日、怖い。」
「でも——」
「でも、怖くても、やらなきゃいけないんだ。」彼女は顔を向け、僕を見た。「やらなかったら、何も見えなくなっちゃうから。」
青信号に変わった。
バスは、再び走り出した。
僕は、彼女の瞳を見つめた。
その中にあったのは、うまく言葉にできない何かだった。
強さじゃない。
勇敢さでもない。
むしろ——
それらよりももっと、純粋なもの。
「見たい」という気持ち。
ただ、それだけ。
明日の景色が見たい。
明後日の雲が見たい。
来月の桜が見たい。
だから、怖くても、やるんだ。
3
市立図書館は、とても大きかった。
学校の図書館の、十倍以上はあるだろう。
ずらりと並ぶ本棚は、まるで森のように立っていて、どの本も、誰かに開かれるのを待っている。
彼女が先に立ち、僕が後に続く。
彼女は、とてもゆっくりと歩いていた。
迷っているからじゃない。むしろ——
見ているからだ。
どの本棚も、どの分類も、彼女は真剣に見ていた。
まるで、見たことのない世界を探検するように。
「辻本さん。」彼女が突然、立ち止まった。
「うん?」
「君、本を読むのは好き?」
「あんまり。」
「じゃあ、何が好きなの?」
少し考えた。
「特に、これといって好きなものはない。」
彼女は顔を向け、僕を見た。
その目つきは、まるで助けを必要としている人を見るような目だった。
「それは、すごくもったいないよ。」彼女は言った。
「何がもったいないの?」
「この世界が、どれだけ面白いか、知らないなんて。」
彼女は手を伸ばし、本棚から一冊の本を抜き出し、僕に差し出した。
「これ、見て。」
受け取った。
表紙には、星空の下に立つ少年が描かれ、その周りを無数のきらめく光点が取り巻いている。
『銀河鉄道の夜』——別の版だった。
「もう読んだよ。」僕は言った。
「読めって言ってるんじゃないんだ。」彼女は言った。「感じ取ってほしいんだよ。」
「何を感じ取るの?」
「感じ取るのは——」彼女は少し考えた。「ジョバンニがあの星空を見たときの気持ち。」
彼女はまた歩き出した。
僕はその場に立ち尽くし、手にした本を見つめた。
ジョバンニがあの星空を見たときの気持ち?
どんな気持ちなんだろう?
彼女が前に言っていた言葉を思い出した。
「あの列車に乗ってる人たちは、みんな、自分が行きたい方へ向かってる。」
もしかしたら——
「やっと、出発した」って気持ちなんだろうか?
僕は本を本棚に戻し、彼女を追いかけた。
4
僕たちは、図書館に三時間いた。
彼女は三冊の本を借りた。
一冊は詩集、一冊は旅行記、もう一冊は星座についての本だった。
「どうして星座の本を借りるの?」僕は尋ねた。
「星が見たいから。」彼女は言った。「病院の窓からは、ほんの小さな空しか見えないんだ。見えない星たちに、どんな名前がついているのか、知りたいんだよね。」
図書館を出るときには、もう夕方だった。
夕日が、街並み全体をオレンジ色に染めていた。
バス停で、バスを待った。
彼女が突然、言った。
「辻本さん。」
「うん?」
「次の土曜日、一緒にどこかへ行ってくれない?」
「どこ?」
彼女はすぐには答えなかった。
バスが来た。
僕たちは乗り込み、最後の席に並んで座った。
車が動き出したとき、彼女はようやく口を開いた。
「海。」
「海?」
「うん。小さい頃からずっと、海を見たかったんだ。でも、一度も行ったことがない。」彼女は窓の外を見ながら言った。「母がね、治ったら連れて行くって言ってた。でも——」
彼女は、言いかけてやめた。
でも、いつ治るか、わからない。
あるいは、治るかどうかさえ、わからない。
僕は彼女の横顔を見つめた。
夕日が、彼女の顔に金色の線を描いている。
「いいよ。」僕は言った。
彼女は顔を向け、僕を見た。
「本当?」
「うん。次の土曜日、一緒に行こう。」
彼女は笑った。
それは、僕が見た中で、一番、子どもっぽい笑顔だった。
やっと遊園地に行くことを許された子どものように。
5
五月三日。
ゴールデンウィークの三日目。
僕は、病院へ行った。
彼女に呼ばれたわけじゃない。
自分で行きたくなったんだ。
なぜだかわからないけれど、ただ、行きたくなった。
彼女の病室は、七階にあった。
705号室。
入口の前に立ち、少し迷ったけれど、やっぱりドアをノックした。
「どうぞ。」
ドアを開ける。
彼女はベッドに座り、本を読んでいた。窓の外から陽の光が差し込み、部屋全体を明るく照らしている。
「辻本さん?」彼女は僕を見て、目を大きく見開いた。「どうしてここに?」
「僕は……」少し、何と言っていいかわからなかった。「ちょっと、見に来ただけ。」
彼女は一瞬間を置き、そして笑った。
「入って座ってよ。」
部屋には、窓際に一脚の椅子が置いてあった。僕はそこに腰を下ろした。
彼女のベッドは窓に寄せてあって、そこからはとても広い空が見えた。
「さっきまで本を読んでたの?」僕は尋ねた。
「うん。あの星座の本。」
「面白い?」
「面白いよ。」彼女は言った。「知ってた? 夏の星空と冬の星空って、違うんだって。季節ごとにしか見えない星座もあるんだよ。」
「そうなの?」
「うん。例えば、白鳥座は夏しか見えないんだって。オリオン座は冬だけ。」
彼女は本を開き、一枚の図を指さして見せた。
「これが白鳥座。ね、翼を広げた白鳥みたいじゃない?」
僕は顔を近づけて見た。
図にはいくつかの点が描かれ、線で結ばれている。確かに白鳥のように見えた。
「この点は、みんな星なの?」
「うん。一番明るいのは、デネブっていうんだ。白鳥の尻尾だよ。」
彼女はそう言いながら、目を輝かせていた。
まるで、一番の親友について語るように。
「水谷さん。」僕は言った。
「うん?」
「星、好きなの?」
彼女は少し考えた。
「星が好き、っていうんじゃないんだ。」
「じゃあ、何?」
「好きなのは——」彼女は窓の外を見つめた。「ずっと、輝き続けてるもの。」
ずっと、輝き続けてるもの。
僕は、彼女の瞳を見つめた。
その瞳の光も、ずっと輝き続けている。
僕たちが知り合ったあの日から、ずっと。
「毎日怖い」と彼女が言っても、その光は消えなかった。
「辻本さん。」
「うん?」
「今日は来てくれて、ありがとう。」
「何に対して?」
「君が——」彼女は少し間を置いた。「君がいてくれるおかげで、私、一人じゃないんだなって思えるから。」
僕は、彼女の瞳を見つめた。
その中で、何かが揺れた。
まるで——
まるで涙のように。
でも、彼女は泣かなかった。
ただ、僕を見て、笑った。
6
五月六日。
ゴールデンウィークが終わった。
学校が再び始まった。
でも、彼女は来なかった。
あの朝、僕は教室で、彼女の空っぽの席を見つめていた。
一時間目、二時間目、三時間目。
昼休み、我慢できずに高橋先生のところへ行った。
「水谷さん、どうしたんですか?」
高橋先生は、僕を一瞥した。
「お前、あの子と仲良いのか?」
「……まあまあ。」
彼は、しばらく黙っていた。
「入院したんだ。手術前の準備で、ずっと病院にいなきゃいけないらしい。」
「手術の日までずっとですか?」
「ああ。」
教室に戻り、自分の席に座った。
窓の外の桜は、もうすっかり散っていた。
あとは緑の葉っぱだけが、風に揺れている。
その日の放課後、また病院へ行った。
彼女は僕を見ると、またあの驚いた表情を浮かべた。
「また来たの?」
「うん。」
「どうして?」
「だって——」僕は言った。「今日はどんな本を読んだのか、知りたくて。」
彼女は、一瞬間を置いた。
そして、笑った。
「今日は詩集だよ。」彼女は枕元の本を手に取った。「読む?」
受け取った。
表紙はとても素朴で、数文字だけが記されている。『海の詩集』。
「どうしてこれ読んでるの?」
「だって、来週、海に行くからね。」彼女は言った。「まずは海ってものがどんなものか、知っておきたくて。」
僕は椅子に腰を下ろした。
本を開く。
最初のページに、一首の詩が、鉛筆でそっと線を引かれていた。
*海は青い、空が青いから。*
*でも、時々、海は灰色になる。*
*それは空が泣いているから。*
*空はなぜ泣くのか?*
*地上の人間が、いつも空を見上げるのを忘れているから。*
顔を上げて、彼女を見た。
「この一句、好きなの?」
「うん。」彼女は言った。「空と海の気持ちは、つながってるんだなって思う。」
彼女は、窓の外を見つめた。
「まるで、人と人みたいに。」
7
五月十日。
手術まで、あと十日。
毎日、病院に通った。
もう習慣になっていた。
放課後、バスに二十分乗り、あの白い大きな建物の前に着く。エレベーターで七階へ。705号室のドアをノックする。
彼女はいつもベッドに座っていた。
本を読んでいるか、窓の外を見ているか。
僕が入ってくるのを見ると、彼女は笑う。
その笑顔は、学校での笑顔とは違っていた。
もっとリラックスしていて、もっと彼女自身らしい。
あの日、僕は一つ、持って行ったものがある。
弁当箱だ。
「何、これ?」彼女は尋ねた。
「自分で作ったんだ。」僕は言った。「イチゴのプリン。」
彼女は目を大きく見開いた。
「君が作ったの?」
「うん。ネットで作り方を調べてさ。」彼女の前に弁当箱を置いた。「美味しいかどうかは、わかんないけど。」
彼女が蓋を開ける。
中には、小さなプリンが一つ。淡いピンク色で、その上に数粒のイチゴが載っている。
彼女はそのプリンを、長い間、見つめていた。何も言わずに。
「どうしたの?」僕は尋ねた。「嫌いだった?」
「違う。」彼女は顔を上げた。
目に、涙が浮かんでいた。
「私、誰かに手作りのものをもらったの、初めてだ。」
「……そうなの?」
「うん。母が買ってきてくれるプリンはたくさんあったけど、作ってくれたことは、なかったから。」
彼女は小さなスプーンを手に取り、一口すくった。
口に運んだ。
そして、目を閉じた。
長い間、長い間。
「美味しい?」僕は尋ねた。
彼女は答えなかった。
ただ、目を開けて、僕を見た。
涙が、こぼれ落ちた。
「うん。」彼女は言った。「美味しい。」
その日の午後、彼女はプリンを全部食べた。
少しずつ、少しずつ。
まるで、何か大切なものを味わうかのように。
8
五月十五日。
手術まで、あと五日。
その日、病院へ行くと、彼女は何かを書いていた。
僕が入ってきたのを見ると、彼女は慌ててノートを閉じた。
「何を書いてたの?」
「別に。」彼女はノートを枕の下に押し込んだ。
でも、僕は見えた。
それは、一冊のノートだった。
ごく普通の、学校の購買部で売っているようなやつ。
「日記?」僕は尋ねた。
彼女は少し迷った。
そして、うなずいた。
「うん。」
「見せてくれる?」
彼女は少し考えた。
「書き終わったらね。」
「いつ書き終わるの?」
「わかんない。」彼女は言った。「もしかしたら、永遠に書き終わらないかもしれない。」
僕は、彼女の瞳を見つめた。
その中には、ほんの少しの、いたずらっぽい光があった。
「焦らしてるの?」
「かもしれないね。」彼女は笑った。「これからも、また来たくなるように。」
9
五月十八日。
手術まで、あと二日。
その日、病院へ行くと、彼女はベッドにいなかった。
僕は、一瞬呆けた。
部屋の中は空っぽだった。
窓が開いていて、風が吹き込み、カーテンが揺れている。
「水谷さん?」
誰も答えない。
部屋を出て、廊下を探した。
そして、階段の踊り場の窓の前に、彼女を見つけた。
彼女はそこに立ち、窓の外を見つめていた。
「どうしたの?」僕は歩み寄った。
彼女は振り返った。
顔に涙の跡があった。
「私——」彼女は言った。「ちょっと、怖くて。」
僕は、彼女の隣に立った。
「何が怖いの?」
「怖いのは——」彼女は窓の外を見つめた。「手術が終わったら、もう二度と、これらが見られなくなるんじゃないかって。」
窓の外は、どこにでもある風景だった。
街並み、家々、木々、遠くの山々。
これ以上ないほど、ありふれたもの。
「私ね、何を考えてたと思う?」彼女は続けた。「もしこれが、最後にこれらを見る機会だったら、私はちゃんと見てきただろうか、って。」
彼女は僕を見ずに、ただ窓の外を見つめていた。
「私はいつも、『後で』って思ってたんだ。後で、治ったら、退院したら、そのときにちゃんと見ようって。でも——」
彼女は、言葉を切った。
「でももし、『後で』がなかったら?」
風が吹き込んだ。
彼女の髪が、風に揺れた。
僕は、彼女の横顔を見つめた。
その白い顔に浮かぶものは、今まで見たことのないものだった。
恐怖でもなかった。
悲しみでもなかった。
むしろ——
後悔だった。
もっと早くから見始めればよかった、という後悔。
もっとちゃんと見ておけばよかった、という後悔。
「後で」を、当たり前だと思っていたことへの後悔。
「水谷さん。」僕は言った。
「うん?」
「こっちを向いて。」
彼女は振り返り、僕を見た。
僕は、彼女の瞳を見つめた。
その瞳の中では、涙がぐるぐると回っていた。
「今、君が見ているこれらをさ。」僕は言った。「君はちゃんと見た?」
彼女は、一瞬間を置いた。
そして、僕の言いたいことがわかったようだった。
彼女はうなずいた。
「うん。」
「それで、十分だよ。」
僕は、彼女を見つめた。
「『後で』があろうとなかろうと、今、君が見ているものは、本当なんだから。」
彼女は何も言わなかった。
ただ、僕を見つめていた。
涙が、こぼれ落ちた。
そして、彼女は笑った。
その笑顔は、桜よりも美しかった。
「ありがとう。」彼女は言った。「ずっとそばにいてくれて、ありがとう。」
10
五月十九日。
手術の前日。
その日、病院へ行くと、彼女はベッドに座り、あの『銀河鉄道の夜』を手にしていた。
「また読んでるの?」僕は尋ねた。
「うん。」彼女は言った。「四回目。」
「今回は、何か違った?」
彼女は少し考えた。
「今回はね。」彼女は言った。「あの列車に乗っている人たち、みんな、幸せなんだなって思った。」
「幸せ? どうして?」
「だって、みんな一人じゃないから。」彼女は言った。「ジョバンニにはカンパネルラがいる。鳥刺しにはあの鳥たちがいる。学者にはあの化石たちがいる。」
彼女は顔を上げ、僕を見た。
「まるで、私に君がいるみたいに。」
僕は、彼女の瞳を見つめた。
その中で、光がきらめいていた。
「水谷さん。」僕は言った。
「うん?」
「明日の手術——」
「うん。」
「絶対、成功するから。」
彼女は何も言わなかった。
ただ、僕を見つめていた。
そして、彼女は手を差し出した。
「手、握ってくれる?」
僕は、彼女の手を握った。
とても冷たかった。
とても細かった。
とても軽かった。
まるで、いつ消えてしまってもおかしくないほど、軽く。
「辻本さん。」彼女は言った。
「うん?」
「もし、明日——」
「そんなこと、ない。」
「もしもの話だよ。」彼女は僕を見つめた。「もし明日、私が目を覚まさなかったら——」
「ないってば。」
「最後まで聞いて。」彼女の声は、とてもか細かった。「もし私が目を覚まさなかったら、一つだけ、お願いを聞いてくれる?」
「何?」
「明日の空を、見てほしいんだ。」彼女は言った。「何色だったか、教えてほしい。」
「どうやって教えるの?」
彼女は笑った。
「あのノートに書いて。」彼女は言った。「私が半分だけ書いた、あのノート。君が続けて書いて。」
僕は、彼女の瞳を見つめた。
その中には、期待があった。
願いがあった。
別れを惜しむ気持ちがあった。
「わかった。」僕は言った。「約束する。」
彼女は笑った。
それは、僕が見た中で、一番、安心したような笑顔だった。
11
五月二十日。
手術の日。
僕は、学校を休んだ。
バスに乗って、病院へ向かった。
二十分の道のりが、いつもよりもずっと長く感じられた。
病院に着いたときには、彼女はもう手術室へ運ばれた後だった。
彼女の母親が、手術室の外に座っていた。
痩せた小さな女性で、目は赤く腫れていた。
僕を見て、彼女は一瞬間を置いた。
「あなたは……」
「彼女のクラスメートです。」
彼女はうなずいた。
それ以上、何も言わなかった。
僕たちは、手術室の外で待った。
一時間。
二時間。
三時間。
廊下の時計が、チクタク、チクタクと刻む。
僕は、あの固く閉ざされた扉を見つめていた。
頭の中は、彼女の言葉でいっぱいだった。
「もし明日、私が目を覚まさなかったら——」
「明日の空を、見てほしいんだ。」
「そして、教えてほしい。」
目を閉じた。
窓の外から、ガラス越しに陽の光が差し込んでいる。
金色だった。
三時十七分。
手術室の扉が開いた。
医者が、出てきた。
僕は立ち上がった。
彼女の母親が、駆け寄った。
「先生! 私の娘は——」
医者はマスクを外した。
顔に、笑みが浮かんでいた。
「手術は、大成功です。」
その瞬間、僕の足から力が抜けた。
壁に寄りかかり、ゆっくりとずり落ちた。
廊下の床に座り込んだ。
涙が、流れ落ちた。
なぜだかわからなかった。
ただ、流れ落ちた。
窓の外の陽の光は、とても明るかった。
金色だった。
まるで、彼女の瞳の光のように。
12
五月二十一日。
手術の翌日。
病院へ行くと、彼女はまだ集中治療室にいた。
中には入れなかった。
ガラス越しに、ただ見つめるだけ。
彼女はベッドに横たわり、体中にたくさんの管がつながれていた。
顔には酸素マスクが装着されている。
目は閉じられていた。
眠っているようだった。
僕は、ガラスの向こう側で、長い間、彼女を見つめていた。
とても長い間。
看護師が歩み寄ってきた。
「彼女のクラスメート?」
「はい。」
「昨日、一度だけ目を覚ましましたよ。」看護師は言った。「最初の言葉は『桜は、まだありますか』でした。」
僕は、一瞬間を置いた。
そして、笑った。
このバカ。
桜は、とっくに散ってしまったよ。
でも、大丈夫。
夏が来るから。
新しい葉っぱがあるから。
新しい空があるから。
新しい——
新しい彼女がいるから。
13
五月二十五日。
彼女は、一般病棟に移った。
やっと、中に入ることができた。
扉を開けると、彼女はベッドに横たわり、窓の外を見ていた。
物音を聞きつけ、彼女は顔を向けた。
僕だとわかると、彼女は笑った。
その笑顔は、いつもよりもずっと美しかった。
顔色はまだ青白く、唇はまだ乾き、手にはまだ注射の跡があったとしても。
でも、その笑顔は、本物だった。
「来てくれたんだ。」彼女は言った。
「うん。」
歩み寄り、椅子に腰を下ろした。
「調子はどう?」
「痛いよ。」彼女は言った。「すごく痛い。」
「なのに、どうして笑ってるの?」
彼女は少し考えた。
「だって——」彼女は言った。「君の顔が見えたから。」
僕は、彼女の瞳を見つめた。
その中に、光はまだあった。
前よりも、もっと明るく。
「辻本さん。」彼女は言った。
「うん?」
「空は、何色だった?」
僕は、一瞬間を置いた。
そして、思い出した。
手術の前日、彼女が頼んだことを。
「金色だったよ。」僕は言った。「君の手術の日、空は金色だった。」
彼女は目を閉じた。
そして、笑った。
「よかった。」彼女は言った。「金色か。」
窓の外から、風が吹き込んだ。
夏の風だった。
ほんの少しの熱を帯びて。
ほんの少しの、生命の息吹を帯びて。
14
六月。
彼女は、退院した。
完全に治ったわけじゃなかった。
定期的な検査も必要だし、薬も飲み続けなきゃいけない。
でも、家に帰れるようになった。
学校に戻れるようになった。
彼女が戻ってきた日、教室中の全員が彼女を見た。
誰かがひそひそ話をし、誰かがこっそりと彼女を値踏みした。
でも、彼女は気にしなかった。
ただ自分の席に歩いていき、腰を下ろした。
そして、振り向いて、僕を見た。
笑った。
その日の放課後、僕たちはまた図書館へ行った。
あの机、あの二つの席に、また座った。
彼女はランドセルから、一冊のノートを取り出した。
あのノートだ。
彼女が半分だけ書いた、あのノート。
「はい、どうぞ。」彼女は、僕に差し出した。
僕は受け取った。
表紙には、二文字だけ書いてある。「日記」。
「もう見てもいいの?」
「うん。」彼女は言った。「今は、もういいよ。」
最初のページを開いた。
*四月七日*
*今日は入学式だった。*
*一人の人を知った。*
*彼は一番後ろの席に座って、ずっと窓の外を見ていた。*
*彼が桜を見る目は、私が病院の天井を見る目と同じだった。*
*彼の名前が知りたい。*
*後で知った。*
*彼の名前は、辻本湊人っていうんだ。*
ページを、一枚一枚、めくっていく。
四月八日、四月九日、四月十日……
毎日、記録があった。
毎日、僕がいた。
*今日も彼は窓際に座っていた。*
*もし頑張ってもずっと結果が出なかったら、頑張り続けることにまだ意味はあるのか、って彼に聞いてみた。*
*彼は、わからないって言った。*
*でも、彼が私を見る目は、彼自身も答えを知りたいと思っているように感じた。*
*私も、知りたい。*
*四月三十日*
*今日、彼に話した。私、手術をするんだって。*
*彼は、絶対に成功するって言った。*
*なぜだかわからないけど、彼にそう言われると、本当に成功するような気がしてきた。*
*これが、信じるってことなのかな。*
最後のページを開いた。
*五月十九日。*
*手術の前日。*
*明日、手術だ。*
*怖い? 怖いよ。*
*でも、もっと怖いことがある。*
*もっと怖いのは、明日から彼に会えなくなること。*
*だから、もし明日、目を覚まさなかったら——*
*彼に伝えたい。*
*ありがとう。*
*私の頑張りには、意味があるんだよって、教えてくれてありがとう。*
*意味があるのは、成功したからじゃない。*
*頑張っている途中で、君に出会えたからだ。*
ノートを閉じた。
顔を上げる。
彼女が、僕を見ていた。
目の中に、何かがきらめいていた。
「読んだ?」彼女は尋ねた。
「うん。」
「どうだった?」
少し考えた。
そして、言った。
「すごく、下手くそだな。」
彼女は、一瞬間を置いた。
そして、笑った。
「そうだね。」彼女は言った。「もともと、誰かに読んでもらうために書いたんじゃないし。」
「じゃあ、なぜ、今、俺にくれたんだ?」
彼女は、僕を見た。
その瞳の中には、陽の光があった。
夏があった。
桜が散り果てた後の、新緑があった。
「だって——」彼女は言った。「君が、私が頑張り続ける意味だから。」
窓の外を風が吹き抜けた。
図書館の中は、とても静かだった。
僕は、彼女の瞳を見つめた。
その中に、僕自身がいた。
——第二章 終——




