奔走アセンブル。
*
確認すると、赤坂さんは驚くべきことに僕と同じクラスだそうだった。本当は今朝から転校してくるはずだったのが、手違いで午後、部活動仮入部が始まってからの登校になったらしい。
「手違いって? 情報の伝達不足とか?」
「あ、えっと、十二時に起きたんです」
「……」
今しがた聞こえた台詞がすんなり頭に入ってこなくて、少し考える。ふむ、つまりこれは、
「寝坊って言うんじゃ……」
「……」
目を逸らされた。いやいや、幾ら目をそむけたところで真実は変わったりしないのだ。立てば法螺吹き座れば詐欺師、歩く姿は大嘘つきみたいな僕を持ってしてもそればかりはどうしようもないのである。精々嘘の鎧で本体を隠してみるくらい。ま、それで大概は誤魔化しきれてしまうのだけど。
寝坊の事実は消えない。ていうか、やっぱりこの子、なんかずれてるな。転校初日に寝坊なんて聞いたことない。
「わ、私、そんなメルヘンな人間じゃないです……」
「いや、自分でその単語を持ち出してくるあたりが既に相当メルヘンチックだ」
童話の中の少女でもそこまでほわっとしてないだろう。……まぁいい、この話題を掘り下げたところで僕が得られるのは紅潮し続ける赤坂さんの表情だけである。充分需要はある気がしたけれど、僕は別にサディストじゃないのだ。人の嫌がることは程々に。全く見逃すのは面白くないけど。
「えっと、研究部の話だったな。作るとは言っても、僕ら三年だし、この学校で新しく部活動を作るには最低五人以上の名義が必要なんだ。それも、四月末までにね。あと一週間くらいしかない」
「無理、でしょうか」
「どうかなぁ。とりあえず二人分は『なんとでもなる』知り合いがいるけど、もう一人はちょっとアテが無いかも。赤坂さんも転校してきたばっかだし、友達なんかいないよな」
「はい、さっき登校してきたばっかりなので、井岡くんが最初のお知り合いです」
「そりゃ光栄。しかしこうなると困ったね。僕は友達は少ないわけじゃないけれど、なんだかんだあいつらは今の部でそれなりに楽しんでるみたいだから……」
規則でいい加減に選んで入っても、案外楽しめたりしちゃうものらしい。まぁ、一回も参加してない僕にはそれも無縁な話だが。楽しむ気がそもそもない。そんなポジティブで生産性溢れる人間なら、もっとまともな人格形成に成功していたはずである。
考えても栓の無いことだ。最後の二人のことは他の二人を引き入れてから考えよう。そうなると、明日の教室で、ということになるから、今日出来ることはもう無い。
「じゃあ、そのあたりのことは明日から本格的に考えよう。運の良いことに僕たちは同じクラスだそうだし」
「そうですね。あの、ありがとうございます、私なんかに付き合っていただいて」
「暇つぶしだよ。入部二年にして天文部に一度も顔を出してない僕とて、暇じゃないのかと言えば全然そんなことは無いんだから。面白そうな事があれば、そっちに流れるくらいのことはする」
「……はい。それじゃあ、今日はこれで失礼します」
「ちょっと待った。同い年だしクラスメイトなんだ、むずがゆいから敬語は無しにしてくれないかなぁ」
「あ、わわ、ついクセで。ごめんなさいっ。それじゃあ、えっと、また明日ねっ」
「ん。ぐっばい」
パタパタと小走りで廊下の向こうに去っていく赤坂さん。敬語がクセだったりため口きくのを恥ずかしがったり(「また明日ねっ」の語尾が僅かにひっくり返っていた)、あぁ、また今もまっ平らな廊下で躓きかけたり、なんだか忙しい子だった。
可愛い子、変な子、忙しい子。たった数分の邂逅で、こうもたくさんの印象を植え付けられている。それに、まだ正体の掴めないよくわからない違和感。失礼な言い方だが、僕は彼女に強く興味を持った。面白そうじゃないか。面白くなりそうじゃないか。そして、僕が面白くするのだ。
*
翌日、である。正確には僕と赤坂さんが初邂逅を果たした翌日で、この日は全校的に何もない普通の一日だった。ならば何も特筆することは無いだろうと思われるかもしれないが、何もないと言うのはあくまで全校的に見た時の話で、言うところの、僕達三年三組には、何かがある日だったのだ。勿論僕は何があるのか知っていたわけだけど。赤坂さん、転校初日(正式には二日目)だ。
朝のホームルーム時、国語科にして担任教師、日下女史の紹介で、小柄な少女が教卓隣へ歩み出てくる。言わずと知れた赤坂さんである。今日もおどおどとした、警戒心丸出しの小動物チックな所作は変わらない。元より人前に立つのが苦手なのかもしれなかった。それが一人でも、二人でも、数十人でも。一対一であの様子ではさぞかし、とも思ったのだが、そこはどうやら、彼女の羞恥に人数は関係しないみたいで、昨日と変わらぬ口調でたどたどしく自己紹介をするのであった。とても「こなす」なんて動詞がつけるような手際では無い。噛み噛みである。途切れ途切れである。
それはそうと、日下女史、昨日も一昨日も、勿論その前からも何一つ転校生については語ることも無く、どころか本日今さっきも、何の前触れも無く廊下に手招きをしたものだから、クラスメイトは騒然どころの騒ぎではなかった。大わらわである。日下女史のしたり顔を、僕は見逃さない。そう言う御人なのだ、彼女は。
「そう言うわけだ、赤坂ちゃんには……そうだな、折角年度初め、出席番号順に並んでるから、井岡の前に座ってもらう。ほら、窓際族、机一個分さがれ」
転校初日の生徒をちゃん付けにし、横暴な所作で僕たちを一人分ずつ後ろに下げる日下女史。学期初日から何故か教卓横にあった予備の机を配置して、赤坂さんは其処に誘導された。窓際族の使い方は絶対間違ってると思う。と言うか、まさかとは思うのだけど、この机、もしかして最初から赤坂さんの為に用意されてたのではなかろうか。僕の推察は直後に正しかったことを知らされる。
「んじゃ、正規のクラス名簿配るから。全員今覚えてる自分の番号忘れて、正しいの覚え直すよーに。以上、一時間目は私の授業だ、予鈴までそう時間は無いから、ふらふら立ち歩いてないでさっさと準備しときな」
正規のって。配られた名簿に目を通すと、昨日まで一番だった僕の数字は、二に書きかえられていた。……学期初日から既に印刷されていたのだろう。もう二週間過ぎてる。伏線の張り方が無茶苦茶だった。
日下女史が教室を出たのを確かめてから、僕は新たに前の席の住人となった赤坂さんに声をかけた。
「おはよう」
「あ、おはようござ……」
います、まで言うかと思ったところ、パクパクと口を開閉して声を消す赤坂さん。僕が首を傾げる一瞬前に、小声で「おはようっ」と言いなおした。敬語禁止をギリギリ想い出したらしい。相変わらず俯きがちで恥ずかしそうなのが好印象だ。可愛いなぁこの子。
「井岡くんと席近くて良かった」
はにかみ笑顔で言うのである。一種凶器じみた破壊力だった。まぁ、僕はそんなのにほだされたりしないけど。うむ。戯言だ。
「折角友達になったからね、僕も嬉しいよ。月並みな言葉だけど、何かあったら聞いてくれて構わないよ」
「……はい。えっと、あの、日下先生ってすごい人だね」
「その件に関してはこのクラスの誰もがそう思ってることだろうね。先に忠告しておくけど、あの人のやることに一々突っ込んでたら身がもたないよ。あと、彼女のことは日下女史と呼ぶんだ。最初のホームルームで最初に義務化したのがそれだったから」
「うん」
素直に頷く赤坂さん。まぁ、半分嘘である。確かに「日下女史と呼ぶように」とは言われたが、義務化された覚えは無い。そう呼ぶのは専ら僕と、他二人くらいである。この子は将来詐欺に掛かる心配がある。騙してるのは僕だけど。
「じゃあ、予鈴までそう時間は無い、けど、とりあえず研究部に入ってくれそうな奴に声かけてみようか」
「あ、はいっ」
カタと音を立てて席を立つ赤坂さん。僕が横座りになって椅子の背に手をかけたからであろうが、大変申し訳ないことにフェイントである。この程度の動作にフェイントをかける必要があるのか僕にも分からないが、まぁ、騙されてるのを見るのは碌でも無くも楽しい。座りっぱなしの僕を見て、彼女はちょっと慌てている。手だけで座るように促した。
「えっと、井岡くん?」
「うん。当てってコイツの事だからさ」
言って、困惑の表情を浮かべる赤坂さんの視線を、親指で後ろを指して誘導した。指された奴を振り返ると、彼は憮然として僕を睨んでくる。無視して、とりあえず赤坂さんを呼び寄せた。結局立たせるのである。無駄な動作が多い。
「井岡、尊厳ある人間をたかだか親指如きで指し示すのは礼に反する行為だと思わないのか? 恥を知れ」
「親指にも人間を構成する一部として大いなる役割があるだろう、それを如きとはなんだ。じゃあ君の親指を今すぐ切り落とせよ、すっげぇ不便だと思うぜ」
「俺もそう思うな。失言だった」
言いくるめられやがった。そもそも「如き」さえ付け加えなければ完全無欠に僕だけの過失だったのだが、この辺がこの男、上野の阿呆なところだ。彼とは中一からの付き合いだ。色々、知り尽している仲である。
「訂正しよう、井岡、尊厳ある人間をたかだか親指で指し示すのは礼に反する行為だと思わないのか? 恥を知れ」
「そう訂正するんだ」
「たかだか」がある以上親指を侮辱している状況は変わらないのだが。僕の隣に立つ形になった赤坂さんはひたすら困惑している。ちなみに、転校生に興味津津であろうクラスメイト達が何とか彼女に話しかける隙を見つけようと画策しているのが分かるけれど、案の定、彼女の視線は僕で固定されている。何と言うか、朝っぱらからクラス全体を手玉にとる僕だった。何してんだか、我ながら。
話を進めよう。加減なく詐欺まがいなのは僕の紛れもない特色ではあるのだが、そればかりではつまらない。展開は物語に必須の条件である。
「単刀直入に、上野、研究部に入らないか?」
「研究部? 聞かない名前だな」
「うん、僕と赤坂さんとで新設する予定なんだ。親友の君にも是非入って欲しくて」
「お前は本当に白々しいなぁ」
呆れられてしまった。遺憾だぜ。
上野は僕と赤坂さんに一度ずつ視線を向けると、数秒目を瞑って、それからうんと頷く。
「分かった、入ろう」
単調な言葉だ。というか、あっさりだった。
「おっけ、了解。助かるよ。頭数がそろったら書類持ってくるから、その時にまたよろしく」
「分かった。それまでに天文部は退部しておく。井岡の分の退部届も貰っておこう」
それっきり、上野は何も聞いてこなかった。転校初日の赤坂さんと知り合っている理由だとか、研究部の全容だとか、この時期に新設する理由だとか、聞かれるべきことはたくさんなのだが、どの一つも、上野は口にしない。分かってるのではなく、聞く気が無いのだろう。コイツはいつもこうなのだ。頼まれごとをしたら、表面だけ聞いて、考えて、判決を下す。その際に生じる疑問点は、依頼をこなしながら解決する。面白いスタンスである。利用させてもらった、と、僕は思わない。上野は何だかんだで頭も容量も良い奴なのだ。曲者である。僕と上手く付き合えているのもそのあたりに理由があるのだ。
話が終わって僕が前に向き直っても、赤坂さんは訳の分からなそうな表情で目を白黒させていた。結局この子、立つ必要も無かったんだよね。
「あ、あの、井岡くん、何が起こったんですか……?」
「敬語敬語」
「わ、ひゃ、な、何が起こったのっ?」
うぅむ。可愛らしい。……ちょっと遊び過ぎかな。
「うん、コイツ、上野って言うんだけど、研究部に入ってくれるんだってさ」
「話は聞いてたけど……。色々説明しなくて良いのかな」
「良いんだよ、そう言う奴だから。大丈夫、直前になってやっぱ嫌だなんて言い出す奴じゃないから。僕の名にかけて保証しよう」
不安と不信の我が名だけど。僕なら絶対信用しない。この名を聞いた時点で詐欺を疑うだろう。
けれど、赤坂さんの答えは、勿論イェスだった。小さく頷いて、タイミングよく鳴った予鈴に合わせて身体を前に向ける。僕の本性を知らないからね。知ったところで、それでも彼女は僕を信用してしまうような感じもするけれど。ううむ、読めない。
予鈴の余韻が完全に消え去ると同時に、チョークしか持たない日下女史が教室に戻って来た。教科書の内容は一字一句違わず脳内にあると断言した最初の授業以来、この人は本当に教科書を一切見ずに授業を進めている。
赤坂さん、日下女史、上野。僕と同等か、或いはそれ以上に読めない人間は、こうも近くにあたり前に溢れている。僕なんて所詮ただの嘘つきなのだ。あぁ、もう、面白いなぁ。
さて、面白い人間はまだいるのだ。もう一人のアテ、桂ちゃん。次は彼女にあたってみよう。
七か月どころか十一か月近く空いてしまいました。誰より僕自身が吃驚してることでしょう。呆れかえられてもなんら不思議の無い月日が経過しています。
奔走アセンブル。ひたすら無意味に色々を翻弄する三九郎。とは言え、仲間は少しずつ集まって行きます。全くキャラクター像を考えても無かった日下女史が曲者になりそうです。
それでは、今度こそ、何カ月も空いたりしないよう、頑張ります。