じょ《序》・《章》しょう《紹》・《介》かい
拙作、世界崩壊に伴う僕と彼女たちの崩れた日々の外伝です。そっちを見ていなくても楽しんで頂ける内容を目指しておりますが、作品の性質上あちらも読んでいただいた方がより世界観を楽しんで頂けるものかと思います。
それでわ、一ミクロンでも楽しんでいただければ幸いです。
初めに僕と言う人間を語るにあたって、以下数行にわたって虚言妄想の絵空事が多くの割合を占めることに相成ることと思うので、ここに注釈を先んじて入れておくことにする。
この僕、井岡 三九郎は公明にして盛大、一視同仁の聖人である上に隠忍自重を旨としていることで有名である。人と話せばその温柔敦厚な物腰にて万人に好かれ、まさに外柔内剛、気宇壮大の心をもって驕らない。決して大言虚言妄言を吐かず、謙虚に、但し埋もれずの好位置を保っている。学問においてもその威光は及ばざることを知らず――――
飽きた、止めよう。多くの割合どころか全部において嘘八百である。では僕の本性や如何に、と問われれば若干返答に躊躇うが、ここは極めて簡潔に、至極悠然と語ろう。
早い話が、以上の全文をまるまる反対の意味に置き換えたものと言っておよそ当たりだろう。大言虚言妄言は、吐かないどころか最大の武器である。我が弁舌に敵うものはない。人はこれを戯言もしくは屁理屈と呼ぶ。
閑話はここらで休題しよう。話が進まないどころか始まらない。勘違いをしないで欲しいが、いやここまで何一つ生産的な話をしていないのだから勘違いをするなと言う方が無理な話だが、だがしかし、読者諸君の持っているであろう大きな間違いを一つ、正しておこう。
この物語は幾つかの恋と愛の物語であり、僕の下らない与太話などではまずあり得ない。
そう、これは、井岡 三九郎と赤坂 紅花の、そしてその他、千秋中学研究部面々の、純粋に壊れた、恋慕事情である。
さて、それらしく締めたところにこれ以上なく蛇足であるところは百も二百も、それどころか千も承知のことなのだが、一つ、諸彦に対して明確にしておかなければならない事が残っている。
僕は。井岡 三九郎という人間は。卑小過ぎるまでに卑小な、それ故残酷なまでに残酷な、救おうにも救いようのない、史上劣悪超絶無二の。
ただの、うそつきだ。
そんなわけで戯言の始まりです。末永くお付き合いくださいませ。
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