第8話
BLが苦手な方はご遠慮ください。
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雨の中、不動堂村の屯所に戻ると、まるで般若のような顔をした相馬が仁王立ちで待っていた。
「おかえり」
歓迎の言葉とは裏腹に彼の表情は怒りに満ちている。理由はわかっている。隊務を終えて非番になった途端、こうしていつもいつも飲み歩いてばかりの自分の姿が彼には不真面目で危なっかしく映るのだろう。
「…ただいま」
野村は少し躊躇いつつ答えてみる。すると相馬は「はぁ…」とわざとらしくため息をついて、手にしていた手拭いを投げつけた。雨の中を傘もなく帰ってきたため、髪は濡れていた。
「あ、ありがとう」
「いいから早く拭け」
礼を言ったものの、そっぽを向いて相馬は部屋に戻っていく。不動堂村に移転してから平隊士にも部屋を与えられ、当然のように相馬と二人部屋になった。先輩の原田曰く「お前の世話役は相馬しかいない」との理由だった。
歩き出した相馬の後ろを歩く。夜半を過ぎて既に屯所は寝静まっている。
「…今日は原田先生に誘われたんだから、仕方ねえよな?これも任務の一環っていうかさぁ」
「煩いな。皆寝ているんだから、黙って歩けよ」
言い訳じみたことに腹立てたのか相馬はさらにぶっきら棒になってしまった。野村は手拭いて髪を拭きつつ、相馬に言われたように黙って歩いた。
部屋にたどり着くと既に寝床が二つ並べられていた。相馬が敷いてくれたのだろう。相馬は自分のとこに胡坐を掻くと
「お前な…」
と説教を始めた。しかしこれもまたいつものパターンで決まりきっている。
「ちゃんとしろ、だろう?」
「……わかっているなら、言わせるな」
怒りから呆れへと相馬の表情が変わる。毎度毎度懲りることなく怒るくせにその感情はあまり持続せず引きずらない。彼はすぐに野村を許してしまうのだ。
「取りあえず、俺はもう寝るからな」
相馬は布団をかぶると「お休み」と言い、野村に背中を向けてしまった。部屋には蝋燭が一本、灯っているだけだ。
「…ちゃんとするって、何だろうなあ…」
野村はポツリとつぶやいた。すると相馬が背中を向けたまま答えた。
「……ちゃんと稽古に出て、飲み歩かないで、役目を熟すことだ」
「俺はちゃんと稽古はしているし、役目を熟してるだろ」
確かに先輩に誘われるがままに飲み歩くけれど、稽古も二日酔いながらも参加するし、仕事をさぼったこともない。局中法度に背くような真似は全くしていないのだ。しかし、相馬には気に入らないようで、
「任務に対する姿勢の問題だろう。酒や女にうつつを抜かして、いつ足元を掬われるかわからない」
と、真っ当なお叱りを受けてしまえば、ぐうの音も出ない。黙り込んだ様子を察して相馬は「もういいか」と言うと、すぐに寝息を立ててしまった。
(…そんなに眠いなら、別に待っていなくてもいいのにさ…)
どんなに怒り叱っても、相馬はこうして待ち続ける。足元がふらふらしている野村の手綱をしっかり握っている。あまりに心配を掛けると「お前なんかもう知らない」と拗ねるくせに次の日になればいつも通りだ。
「……」
仄かな灯りが灯る部屋で、野村はしばらく相馬の姿を見ていた。
何故彼の言う様に、彼が望むように「真面目に」できないのか。それは天性の性分もあるけれど、たぶんきっとわざとなのだ。こうして心配してくれている、こうして怒ってくれている、こうして、待っていてくれている―――。
それが、無性に嬉しい。
「俺…お前のこと、案外好きなのかも」
寝返りを打った相馬の目は、閉じたままだ。吐息も相変わらずで、おそらくは聞こえてはいない。
野村はそのことに安堵する。彼にこんなことを伝えるつもりなどない。生真面目すぎる彼は、きっとそんなことを知れば親友をやめてしまうだろう。「はい」か「いいえ」か。どちらかの答えを無理矢理にでも出そうとする。
(けど、そういうのはいらねえんだよな…)
女でも、男でも、自分だけが独占できる「たった一人」を探す「恋」もあるだろう。今まで野村もそういう激情を持てる相手を探し続けていた。しかし、相馬と出会って、意気投合してこの中に生まれた感情はそうではない。
こうして待っていてくれる、こうしてともに生きていける、こうして隣で眠っていられる。それだけが、いや、それだけでいいと思う。そしていつか離れてしまって、彼が別の人生を歩んだとしても、それを祝福できる気がする。
自分の幸せより大切なものだってある。
相馬は戦友であり、親友であり…そして、かけがえのない大切な友人なのだ。
会津降伏の知らせから、数日。
日に日に情報が野村と相馬の元に届いた。会津に尽くすべしと新撰組も共に命を落としたのではないかと絶望したが、どうやら土方副長ら大部分の隊士は既に会津を脱出し、仙台を目指しているようだ。それを聞き二人は安堵した。
しかし状況は日を増すごとに悪化していた。
それまで奥羽越列藩同盟として新政府軍に恭順せず抗戦を貫いてきた東北三十一藩だったが秋田藩の寝返り、長岡藩そして会津藩の降伏により多くの藩が新政府軍に帰順した。奥羽越列藩同盟は事実上瓦解し、幕府軍はさらに追い詰められることとなる。
道先を失った幕府軍であったが、しかし一筋の希望が差す。抗戦派の旧幕臣とともに開陽、回天、蟠竜、千代田形、神速丸、美賀保丸、咸臨丸、長鯨丸の八艦から成る旧幕府艦隊(うち二艦を座礁し失う)を率いて江戸を脱出した榎本武揚が、仙台にて主導し蝦夷を目指すとしたのだ。新政府軍により領地を失った旧幕府家臣たちの移住、表向きを北方守備の目的とした。
「そこに行けば、土方副長に会える…!」
上野戦争から転戦を重ね、闇雲に新撰組を、土方副長を探し続けていたがようやく目的地がはっきりとした。野村は歓喜したが、相馬はただ冷静に「そうだな」と同意しただけだった。それはその事実に冷めているのではなく、ついに覚悟を決める時が来たのだと静かに受け入れるような姿だった。
相馬は生真面目で、頑固だ。人の意見で自分の意思を変えたりしないし、聞く耳さえ持たない。だからあの時、「お詫びして死ぬ」という決意を変えることはないだろう。
自分だけで責任をとるつもりなのだ。近藤局長を失ったことを一人で背負い込む…けれど野村も相馬が切腹したら、自分も同じようにするだろう。彼が止めたところで、一緒に死ぬ。
(けど…それでいいのか?)
何か大切なことを忘れている気がする。目の前の変えようもない悲しい事実に目を曇らせて、大切な約束をおろそかにしている。それがわからないまま仙台へ向かう一歩一歩が、かつての仲間との再会の期待に溢れていると同時に、しかし相馬の苦しい決意が固くなる一歩でもあった。
(どうにかして…生きられないのか?)
その方法を、ずっと探している。しかしその思考は
パァーーーン!
という銃撃音によって絶たれた。野村がとっさに身を隠し構えると、前方から足音がする。しかし、その数は少ないようだ。
「くそ…」
奥羽越列藩同盟を失った今この東北の地でさえ旧幕府軍には敵地に等しい。新政府軍にあらがった罪を払拭しようと、旧幕府軍を攻め手柄を上げようとする輩がいつでも命を狙っているのだ。
しかし幸いなことに前方からの足音は消えた。こちらが撃退したのか、逃れて行ったのか…それはわからない。野村は安堵したが相馬は蹲ったままだった。
「相馬…?」
もう敵の気配はない。ともに仙台を目指す仲間が歩みを再開する中、相馬は立ち上がろうとしなかった。
「どうした」
少し青ざめた表情をした相馬が、少し躊躇い気味に「悪い」と謝った。
「さっきの音に驚いた時に足を挫いたみたいだ。…先に行っていてくれ」
相馬は左足に手を添えていた。そちらが痛むようだ。
「置いていくわけねえだろう。こんなところではぐれちゃ、仙台にはたどり着かねえ」
「だが…」
「歩けるか?」
野村が手を差し出すと相馬がおずおずと手のひらを重ねた。しかし引っ張って立ち上がらせても、右足だけで支えていてとても歩ける様子ではない。段々と隊から遅れを取るなか、野村は腰を落とすと「乗れよ」と相馬を誘う。しかし彼は頑なに拒否した。
「いや…お前に迷惑をかけるわけにはいかない」
「迷惑じゃねえよ。いいから、早く乗れ」
「良くなったら追い付くから、先に行ってくれ」
「こんなところに置いていけるわけねえだろうが!」
頑固な相馬の返答に野村は苛立つ。ここまで一緒に生き延びてきたのに今更遠慮されても仕方ない。野村は動けないのといい事に、相馬の腕を引っ張って無理矢理、彼を背負った。嫌がる素振りをした相馬だが、歩き出してからは抵抗せず
「悪い」
とまた謝った。野村は「いいから」と相馬を黙らせる。すると相馬はようやく野村に体重を預けてきた。
「なあ、相馬」
「…なんだよ」
「この間の話の続きだけど…」
あの時は邪魔が入ってそれ以上の会話はできなかった。しかし不幸中の幸い、いまこうして彼をおぶっている状態なら逃げられず話ができる。
「もうやめようぜ」
「……何をだよ」
相馬はわかっているのに、わかっていないふりをした。それは彼の息遣いでわかった。
「土方副長は…お前に、俺たちに死んで詫びてほしいなんて、きっと思っちゃいねえよ」
「…」
「…それにさ」
野村は一歩止まって「よいしょ」ともう一度相馬を担ぎなおした。そして、また歩き出す。
「お前は…ただ、逃げたいだけなんだよ」
「…なんだと?」
相馬が、感情を露わにする。
「お前は近藤先生の死からも、この戦からも…逃げたいだけなんだろう。」
「…っ、お前に何がわかるんだよ!」
耳元で相馬の怒号が響いた。そしてそれまで野村の首元に回していた手を取って、無理やりに背中を押した。「降ろせ」と何度も背中を叩かれたが、野村はその足を離さなかった。
「お前のことくらい何でも分かるんだよ!」
いつも相馬に怒鳴られるのは野村の方だった。へらへらと「悪い」と謝って済ますのがいつもの二人だった。けれど、今は違う。
「…野村…?」
相馬が背中で、呆然と野村の名前を呼んだ。
(何でも分かる…)
お前が頑固なのは照れ屋の裏返し、生真面目なのは自分を律するため、そして本当は、
「お前だって本当は勝ちたいだろう!」
負けず嫌いだ。
「鳥羽伏見からこっちずっと負けっぱなしだ。徳川が恭順して近藤先生が殺されて、会津まで滅んで…俺たちはつくづく負けてばっかりだ。まるで勝利の神様に嫌われてるのかってくらい不利な状態が続いていて、この戦だって勝つ見込みなんてねえよ!」
悔しい。
悔しくて、涙が出るほど、悔しいだろう。
「けれど、勝ちたいっていう気持ちを無くすことはできない。それは、俺たちの本当の想いだからだ。本当の想いから逃げるなんてことは、全部捨てるのと一緒だ」
「野村…」
「だから俺は生き続けたい。新選組から…仲間から後ろ指を指されて『お前たちが近藤局長を殺したんだ』って罵られたとしても、俺はこの戦に勝ちたい。勝って、いままで死んでいった仲間たちの為に…」
「だったらお前ひとりで生きろよ!」
相馬が野村の背中を強く押した。相馬を支えていた野村の腕が解かれて、相馬は地面にその足を着ける。
「お前は…近藤先生と一緒に牢に入っただけだ。何にも悪いことはない、けど、けどな、俺は違うんだよ…!俺は助けろって土方副長に命令されたんだ!それを果たせなかったんだ!逃げるんじゃない、俺はその役目を果たせなかった責任をとるんだ!」
左足を痛めているはずなのに、相馬は野村の胸ぐらを掴んだ。今までともに暮らしてきて、一番鋭く殺気に満ちた瞳を野村に向けていた。しかしその一方で目尻には涙をためている。
「だから、お前は、俺の分まで生きろよ…!俺と一緒に死ななくていいんだから…!」
「それはできない」
「なんでだよ…!いい加減にしろよ!」
そんなことできるわけないじゃないか。
「俺にとってお前が大切な存在だからに決まってるだろう!」
歴史を基にしたオリジナル小説です。
手持ちの資料等参考にしておりますが、どの説が正しいかよりもどの説が面白いのかを優先して作品に取り入れています。細かな部分で史実と違う部分もあると思いますが、お手柔らかにお願いします。