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第6話



あの人がやってきたのは、本当に突然のことだった。

幕府御典医でもあり、新撰組の主治医であった松本良順先生から紹介された植木屋平五郎さん宅で療養を続けて、もう数か月になる。今までの京での喧騒になれすぎていたため、静かで物音一つなくただただ何もせず横になっていればいい…というのはたぶん赤子の時以来だ。小さいころから貧乏で働いていたし試衛館にやってきたのも下働きのためだ。それから後は剣を磨いて近藤先生の役に立つことに必死だった。その忙しさが急になくなって最初は苦痛であったが、今はもう慣れた。

新撰組は甲陽鎮撫隊と名前を変えて今は流山の辺りに潜伏しているらしいと聞いた。新撰組はもちろん、地元の様々な人々を集めた大きな隊だそうで近藤先生や土方さんはその指揮に忙しいようだ。だから僕を訊ねてくる人と言えばご主人と世話を焼いてくれるおそのさん、そして

「にゃあん…」

最近庭先に遊びに来るこの黒猫くらいしかいない。黒猫は縁起が悪いとおそのさんは苦い顔をしていたけれど、猫とて好きで黒く生まれたわけでもあるまい。人でさえも恐れる僕に寄ってきてくれるくらいの猫だから、きっと心の広い猫に違いない、と可愛がっている。

身体の方は少しだけ楽になった。新撰組として京から下るときはあまりの騒がしさに身体が常に疲れていてどっと重かったが、ここにきてそれがなくなり少しだけ軽くなった。しかしだからと言って回復に向かっているかと言えばそんなことはないだろう。

(おそらく…長くはない)

そう悟ったのは随分昔だ。それこそ、血を吐いたあの時からずっと死を意識している。だから今は死ぬまでに何ができるかを考えている。重く、動かせば血を吐くこの身体で、何ができるのかと。

庭先の縁側に腰掛けて、黒猫の相手をしていると、急にガサガサと木が揺れた。そこに誰かが居るのを感じ僕は咄嗟に刀を手に取った。貧弱になってしまったものの、盗人くらいなら追い返せる自信はあった。

しかしそれは杞憂で、木陰から現れたのは土方さんだった。

「…なんだ、土方さんか。ちゃんと玄関から入ってきてくださいよ」

僕はそう言って刀を置いた。すると土方さんは苦笑しながら近づいて「元気そうだな」と心にもないことをいった。

「ええ、元気ですよ。土方さんの方はお疲れみたいですね」

僕は彼の嘘をさらりと聞き流して問う。髪を切り洋装に身を包んだ土方さんは相変わらずの色男ではあったけれど、その表情は冴えなかった。

土方さんは何も答えずに僕の隣に座った。

「…どうしたんですか。この辺りに用事でもあるんですか?」

「用事はもう済ませてきた」

思った以上に土方さんは重く答える。何か重要な案件でもあったのだろうか…と僕は思ったものの何も追及はしなかった。それを聞いたところでわからないし、できることはなく、そして僕にはおそらく関係がない。もう彼らと前のように関係を持つことができないのだ。

すると僕の膝で昼寝をしていた黒猫が「にゃあん」と寂しげに鳴いて起き上がると、そのまま去って行った。

「黒猫か…」

やっぱり土方さんも良い顔はしなかったけれど

「友達です」

と茶化して答えると「そうか」と少し笑った。

すると土方さんは僕の右手に、左手を添えた。ぎゅっと掴んで離さないように。

「…土方さん?」

土方さんの手のひらは少し汗ばんでいた。

「総司…」

すると土方さんは、ぽつりと

「会津へ行く」

と呟いた。

「会津…?」

「だからしばらくは会えない」

新撰組が会津へ行くというのは、考えられない話ではなかった。僕たちの主君である会津に尽くすのは当然のことだ。

けれど本当にいざ行くのだと聞かせると、身体の力が抜けた。

(しばらくじゃない…)

しばらくじゃない、もう会えないのだとそう直感した。決して口には出さないだろうけれど土方さんもきっとわかっていて、だからこそ会いに来たのだ。最期の別れをするためにやってきたのだ。

「土方さん…」

僕は土方さんの服を掴んで、その胸に顔を寄せた。

僕は今まで、誰にもこの病を移したくない。僕だけがこの病を抱え込んで死んでいくのだと固く決めていた。けれど、これが最後なのだと聞くと心が揺れる。邪悪な考えが支配してしまう。

(…何もかも捨てて、殺してしまいたい…)

この病で僕が死ぬ。その時にも、道連れにしてしまいたい。こんな静かすぎる場所で僕はたった一人で死にたくない。だから、寂しくないように、彼を道連れに…

(いけない…)

そんなことはできない。

僕は離れがたい気持ちを抑えて、土方さんから離れた。土方さんも名残惜しそうに手を伸ばしたけれど、その手を引いた。でも、どうしても我慢できずに

「土方さん…私も連れて行ってください」

と願った。

けれど、その答えは、わかっていて

「ダメだ」

と苦しそうに、痛そうに、彼が拒否するのを知っていたのに。

「…そう、ですよね」

聞いてしまった自分が悪いのだ。彼を困らせるだけだと知っているのに。

けれど、土方さんはもう一度僕を引き寄せた。背中に腕を回して、痛いほどに強く抱きしめる。まるで覚えておくように、刻み付けるように、強く、強く抱きしめるその姿は、あまりにも悲しい。

「総司…」

ああ、そうか。

もうそうやって、優しく僕を呼んでくれる人はいない。いなくなってしまう。

愛しさも、寂しさも、切なさも、恋しさも、悲しさも。僕が一人で抱えて、死ぬまで、持ち続ける。それで十分だと、僕は笑うしかないんだ―――。







突然の相馬の質問に、沖田は少し黙り込んで、しかし微笑んで返した。

「『半身』…か。島田さんは面白いことを言いますね」

「す、すみません!突然、わけもわからないことを…!」

急に我に返ったらしい相馬が慌てて頭を下げた。しかし特に気分を害した様子もなく、沖田は続けた。

「その通りでしょうね」

「え?」

「あの日土方さんが…去ってから、新撰組との関りが一切なくなってから、いつも何かが足りない気がするんです」

「足りない…?」

沖田は自分の手のひらを見つめた。

「在るべきものがないような気がするんです。聞こえてくるすべての音が欠けているような、息をするのに空気が足りないような。何を食べても、美味しく感じられない。そんな物足りなさを…常に感じます」

そこで、沖田が「げほっ」と咳き込んだ。野村は慌てて背中を摩ったが、軽い咳だったようですぐに収まった。

「島田さんの言葉を借りるなら、私は『半身』を失ったから…そんな風に感じてしまうんだと思います。私にとって土方さんは…そういう、存在でした」

「…何言っているんですか。すぐに会えますよ!」

野村が大げさすぎるほど笑って沖田を励ました。沖田も「そうですね」と笑ったが、相馬にはその顔が寂しそうにしか見えなかった。

しかしその寂しそうな顔で、沖田は相馬に微笑みかける。

「相馬さん。あなたは何故か…とても辛そうに見えます」

「え…?」

どくん、と心臓がなった。まるで近藤を救えなかったことを見透かされてしまうのではないかと思うほど、まっすぐにこちらを見ていた。

「あなたはいつもまっすぐで正義感と責任感に溢れていて前を向いていました。けれどここに来てからずっと、俯いてばかりですね」

「そ、それは…」

気づかれていたと動揺するのと、どう答えればいいのかわからない混乱で、相馬はいっぱいいっぱいになる。俯いてばかりだと指摘されたのに、また俯いて顔を隠してしまう。

「相馬」

そうしていると、野村の手のひらがまた肩に触れた。野村は何も言わない。けれどこうして何度も励ましてくれている。その様子を見守っていた沖田が「ふふ」と笑った。

「沖田先生?」

「いえ、あなたにとっての『半身』は…」

と言いかけたところで、言葉を止めた。穏やかな表情が一変険しくなる。

「先生?」

「静かに」

鋭い言葉で制され、二人は黙った。

すると今まで静かだった庭の向こうから騒がしい様子が伝わってくる。ドタバタと激しく地面を打つ足音がどんどん近づいてくる。

「まずい…俺たちのせいで…」

野村がつぶやいて、相馬も察する。もしかしたら、おそのに連れられて怪しい男が家に入ったらしいと告げ口されたのかもしれない。沖田のような病人には手出ししないだろうが、いかにも素性が怪しい二人は捕えられてしまう。

(近藤局長の思いを無碍にするわけには…!)

すると沖田が床を出た。野村は止めたがそれを振り切って、刀を手に取る。

「裏口は人通りがありません。早く行きなさい」

それまでの昼行灯な雰囲気を一変させて沖田が言い放つ。刀を手にして殺気を帯びた姿は新撰組の鬼と恐れられたあの時と同じだ。だが、だからと言って身体は思う様に動かないはずだ。

「それはできません…!」

相馬は叫んだ。沖田を見捨てるような羽目になるのなら、そんなことはできない。

(局長を失った失敗を繰り返すようなことは…!)

できない。ここで自分の命が尽きたとしても、そんなことはできない。

すると沖田がまた穏やかに笑った。

「あなたは私を信じていないのですか?」

「そ、それとこれとは…!」

「大丈夫ですよ。こんなところで、死んだりはしません」

外の喧騒が近づいてくる。足音が急きたてるように近づいてくる。そして促すようにこちらを見る沖田の瞳が、決断を迫る。

「ほら、いきなさい」

行きなさい―――生きなさい。

「相馬!」

突っ立ったままの相馬の手を、野村が強引に引いた。相馬は抗おうとしたが、野村の表情を見てやめた。彼も絵とても悔しそうに唇を噛んでいたのだ。

そして丁度部屋にやってきたおそのが「こちらです」と案内して先導する。部屋から逃れていく二人を見守って、沖田が言った。

「土方さんによろしく伝えてください。それから…」

それから、

その続きはよく聞こえなかった。けれど相馬はわかった。「ありがとう」と言ったのが、わかった。

そして気が付けば泣きながら、裏口から逃れて走っていた。




歴史を基にしたオリジナル小説です。

手持ちの資料等参考にしておりますが、どの説が正しいかよりもどの説が面白いのかを優先して作品に取り入れています。細かな部分で史実と違う部分もあると思いますが、お手柔らかにお願いします。

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