第5話
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あれは大分、昔のことだ。
仲秋の名月の日で、見事な満月が夜空を照らしていた日だったから、良く覚えている。
「よう」
相馬が屯所の縁側でぼんやりと月を見上げていると、野村がやってきた。片手には酒、もう一方には団子を持ち「食うだろう?」と声をかけてきたのだ。野村は返事も待たずに揚々と相馬の隣に腰掛けた。
「見事な月だな」
「ああ」
野村は「ほら」と相馬に猪口を渡した。普段はあまり飲まない相馬だが、これは縁起を担ぐようなものだ。断る理由はないので野村の杯を受け取った。
「お前は皆と飲みに行かないのか?」
明るく人付き合いの良い野村は、先輩隊士たちに連れられて宴に出掛けることが多かった。その浮足だった様子が、相馬にとっては心配の種ではあったが、野村自身の根は真面目なようでそこの辺りも、先輩隊士から可愛がられる要因でもあるようだ。
「ああ、うん。まあ、乗り遅れたっていうか」
「…そうか」
野村の返事は曖昧だったが、相馬は特に追及はしなかった。
不動堂村の屯所が珍しく静まり返っている。普段は喧騒の中で落ち着かない日々を送っているため、こんなに静かなのは逆に不思議だ。その静寂の中で二人きりというのが相馬は何だか落ち着かなかった。
「屯所に残っているのは夜の巡察番と…あとは、土方先生と、沖田先生か」
酒を飲みながらそんなことを何気なく聞くと、野村が
「あの二人、できてるんだってさ」
と、突然切り出した。あまりに脈絡のないことに、口に含んでいた酒を吹き出しそうになる。
「…な、何のことだ?」
「だから、土方副長と沖田先生だよ。新撰組結成前から局長の食客だったっていう話は知っていたけれど、まさか男色の関係だとは思わなかったよなあ」
「の、野村…」
「まああの二人ならさもありなんっていうか、そういえばよく互いの部屋の出入りもしているし…」
「ちょっと待てって」
あんまり大きな声で話すな、と相馬は野村の口を強引に塞ぐ。しかし野村は「皆知ってるって」とその手を解いた。
「別に男色が禁じられているわけでもねえだろ。ちょっと前は隊内でも流行ったらしいと聞いたこともあるし、平隊士の中にもそういう奴らもいるし…」
「そ、それはそうだが…」
明朗快活に話す野村はさほど動揺している様子はない。狼狽えているのは相馬だけだ。
男色…衆道関係は主従、子弟関係の間の最上級だと言って持て囃される。数百年前の戦場における衆道という絆は美談として語られてきた。実際に成人の儀式として男と関係を持つことを強要する風習も残っている場所もある。決して身近なものではないが、新撰組でも男だらけの集団ということで噂には聞く話だ。
しかし、相馬にとっては自分のなかに全く見栄えたことの無い感情だった。男女どちらが相手であっても恋情は秘するべきであり、公にすることはみっともない。…きっとこういう堅物のような考え方が、宴に誘われない要因でもあるだろう。
「いいよなぁ」
考え込む相馬とは違い、野村は呑気にそんなことを言った。
「いいよな…って。もしかしてお前もそういう趣味が…?」
てっきり女好きかと思っていたのだが、意外にも野村は
「…こだわりはないかな」
と濁すような返答をした。相馬は逡巡しつつも「そうか」と返答してそれ以上の追及は避けた。いくら親友とは言え、知られたくないことはいくつもあるだろう。しかし野村は構わず続けた。
「男でも女でもさ、自分のことを一番だって思ってくれるような相手がいるのは、いいことだと思うんだ」
「…お前だって、そういう相手が一人二人くらいいるだろう」
真面目で不器用な相馬と違って、先輩方と飲みに出かければ女を紹介されることくらいあるはずだ。だが、野村は黙り込む。
「…野村?」
秋の月明かりに照らされ、その表情は窺い難い。俯き口を閉ざした野村は、どこか影があった。
(拙いことを聞いてしまったか…)
楽天家でいつも茶化したところのある野村だから、こうして何かを考え込むのは珍しい。相馬は(もしかして好きな女に振られたのだろうか…?)と推察するも、そんな様子とは違う。そうこうしていると
「…やっぱり今の一番は」
「うん?」
野村が暗く落としていた表情を、また普段の明るさに戻す。そしてその答えを述べた。
「新撰組かな」
と。
沖田の療養場所だという離れは庭が見渡せる静かな場所で、まるで外の喧騒が嘘のように穏やかで時間が止まったかのようだった。沖田は若い娘の手を借りながら、床に腰を下ろす。細く弱弱しい身体では自力で歩くのも難しいようだ。
「…お茶を入れてきます」
娘はそう言うと部屋を出ていく。その一瞬相馬を目があって念を押すかのように彼女は強い瞳を向けていた。
(近藤局長のことだよな…)
彼女のメッセージはあからさまで、相馬は再び唇を噛んだ。しかし沖田は特に気にかける様子もなく
「またおそのさんに怒られちゃうなあ…」
と笑った。娘は「おその」という名らしい。無理をして床を抜け出して様子を見に来た沖田は、後にお叱りが待っているようだ。
ぎこちなくしか笑えない相馬と違って、野村は微笑みかけ
「そうですよ。沖田先生、これ以上怒られないためにも横になってください」
と気遣った。しかし沖田は「気分が良いから」と拒んで、上半身を起こして向かい合った。
正面から見ると、やはり沖田はこの数か月でさらに痩せていた。不動堂村の屯所に居た頃から寝込みろくに食事もとれない様子だったが、鳥羽伏見の戦いで離脱してからさらに病状は加速したようだ。青白い肌は日差しを避けて床で過ごす時間の長さの現れだろう。
だが、沖田はそんなこともをおくびにも出さず
「それにしても、二人揃って迷子になっちゃうなんて、土方さんが聞いたら切腹モノの話ですね」
と笑った。新撰組から離れ二人でここにやってきた理由を、「隊からはぐれた」と誤魔化したのは野村だったのだが、沖田は疑う様子もなく信じてくれて相馬は内心安堵していた。しかしそれと同時に苦しかった。
(いや、苦しいといえる立場ではない…)
「でも二人とも元気そうでよかった。野村さん一人なら心配ですけど、相馬さんが一緒なら安心ですね」
「ちょっとそれどういう意味ですか!」
「野村さんは暴走しかねないから」
冗談めいた沖田に野村が食い下がる。このやり取りは相馬の記憶にもある、京に居た頃はよくあった光景だ。しかし相馬は何故か苛立った。
(俺だけなのか…)
野村はまるですべて忘れてしまったかのように明るく振る舞っている。そのどこか能天気な様子は考え込む相馬には羨ましく、そして少しだけ憎らしい。そんな風に振る舞えるなら楽に慣れると分かっている…それができないのは野村のせいではないのに。
「これからどうするんです?」
沖田が相馬の方を見た。
「…ひとまず、上野の彰義隊に加わります。そこから新撰組に合流できるように動くつもりです」
相馬は慎重に、言葉を選んで答えた。沖田は「そうですか」と頷く。
「皆はもう会津の方へ行ったようですね。数日前に土方さんが来てからは誰も訊ねて来ないし」
「土方副長が来られたんですか?」
野村は少し驚いたようだったが、相馬はそのことを知っていた。
流山から投降し近藤局長と離れた後。土方副長は一隊を任せて、局長釈放の為に奔走した。昼夜を問わず有力者のものへ出向き、近藤の助命を懇願し、最終的には幕臣の勝海舟まで話が及んだ。そこで書いてもらった嘆願書を「俺じゃ顔が知られている」という理由で相馬に預けたのだ。そしてその道程の途中で沖田の見舞いに行ったのだと言っていた。
「時間がないって言っていたから、少しだけですけれどね」
沖田は寂しげに微笑んだ。きっとそれが最後の別れになったと思っているのだろう。土方の訪問は嬉しい思い出であると同時に寂しい思い出でもあるのだ。
(そうだ、最後だ…)
明るい希望を失うわけではないけれど、避けがたい現実として沖田の命は短いだろう。そしてそれは誰の目から見ても明らかだ。だとすれば、相馬には聞いておかなければならないことがあった。
「…沖田先生」
野村と談笑していたが、重々しい言葉に沖田が相馬を見た。
「前に…島田さんが言っていました。沖田先生にとって…土方先生は『半身』なのだと」
「…」
あまりに突然に切り出したので沖田はもちろん、野村も戸惑いを隠せていない様子で相馬を見ていた。しかし相馬は敢えて構うことなく言葉を紡いだ。
「俺は…いつも人の輪の中心に居る野村と違って、あまり深く人と関われません。原因はいろいろあるとは思いますが…堅物だといわれるせいだと思います」
「相馬…?」
「だから俺は…羨ましい。そこまで身を任せることができる、信頼し合えることができる関係が…とても羨ましいんです。だから…」
…だから、何だというのだろう。
本当は何を聞きたいのかわからないままだった。けれど最後の機会だとすれば、『半身』とは何なのかということを聞いてみたかったのだ。沖田にとって土方副長の存在とはどういうものだったのだろうか。それを嫌というほど思い知って、刻み付けて、
(俺は、俺自身を、虐めたいだけか…)
歴史を基にしたオリジナル小説です。
手持ちの資料等参考にしておりますが、どの説が正しいかよりもどの説が面白いのかを優先して作品に取り入れています。細かな部分で史実と違う部分もあると思いますが、お手柔らかにお願いします。