第3話
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「野村!」
不動堂村に新しくできた屯所のなかを、相馬は駆けまわっていた。平隊士の部屋から、厠、幹部たちの個室…隅々まで親友の姿を探し回る。息も切れそうなほど広い室内を一周したところで先輩にあたる島田魁に出会った。
島田は相馬の姿を見るなり、苦笑した。
「また探しているのか?」
相馬も背丈がある方だが島田には及ばない。新撰組結成当時から在籍しているという大先輩は、巨漢の見た目から最初は新入隊士から恐れられていたものだが、話してみると気さくで頼りがいのある人物で隊士からは兄貴分として慕われている。
「あいつ、そろそろ巡察の時間だっていうのに部屋に戻ってこなくて…」
「放っておけばそのうち帰ってくるだろう」
「…それは、そうですけど…」
相馬は口ごもった。どこか放浪癖のある野村だが、もちろん今まで仕事を怠ったことなどない。しかし相馬からすればいつも足元がふらついているように見えて、ハラハラしてしまうのだ。だからこうして仕事前は野村の姿を確認することから始めている。
「損な性分だな」
島田はくすりと笑った。そしてある方向を指さす。
「いまは道場で稽古をしていた」
「え?本当ですか!」
稽古の日でもないのだからまさか道場にいるはずない、と相馬はタカをくくっていたのだがそれが外れたようだ。相馬は胸をなでおろしたのだが、
「ああ、沖田先生と」
という島田の言葉に、少しだけ顔を歪めた。
「…沖田先生ですか…」
新撰組結成に関わり隊内随一の剣豪として名高い沖田総司は、このほど労咳を病み床に伏していた。隊を脱退させると思いきや、近藤局長ら幹部らが静養を進め屯所の一角で過ごしている。復帰を望んでいる者は多いが、以前に比べて細くなった身体と青白い顔色を見る限りそれは難しそうだ。
野村は元々沖田の組下として働いていた。自由奔放な野村を、穏やかで少し幼いところもある沖田は可愛がっていた。なので今でも体調が良いときは時折、野村に稽古をつけていることがあるのだ。
「何だ、変な顔をして」
島田に眉間に皺を寄せていたことを指摘されて相馬は曖昧に頷く。
「いえ…その、私は沖田組長を見ていると…どうも胸が痛むのです」
野村と親友である相馬も沖田に可愛がられていた。時には三人で稽古をしたり、出かけたこともあるのだ。しかし、沖田が胸を病んでからは相馬は少しだけ沖田と距離をとっていた。それは決して伝染すると言われている労咳を避けてのことではない。ただこれまで剣に生き、先頭に立って新撰組を盛り立ててきた沖田が、血を吐き病に蝕まれる姿を見ていると、悲しくて虚しくて仕方ないのだ。
(同情…ともいえる)
そんな立場ではないと分かっているけれど彼を見ていると可哀そうだという感情が溢れてしまう。しかしそれを機敏な沖田は察するであろう。そう思われたくないと必死に繕っている沖田に気づかれるのは、もっと傷つけそうで怖いのだ。
すると、島田はその大きな手を相馬の肩に置いた。
「真面目だな、相馬は」
それは良く言われる、揶揄にも似た褒め言葉だ。相馬は「いえ…」と小さく否定した。
「…一緒に迎えに行こうか。俺も、そろそろ沖田先生を迎えに行こうと思っていたんだ」
島田は「そろそろお薬の時間だからな」と付け足して、相馬を道場へと誘った。先に歩き出した島田を見て、相馬は少し躊躇いつつも同じく道場へ向かった。
道場は沖田と野村二人しかいなかった。竹刀が重なる音だけが響く道場へ、島田と相馬がやってきたが、二人は気が付く様子はなく試合形式の打ち込みを続けていた。
素早い足取りに、正確な剣捌き。まるで病人には見えない沖田の動きは流石としか言いようがない。全く衰えが無いのだ。
「……」
しかし相馬は少しだけ視線を落とす。どうしても身体に鞭を打って稽古をしているようにしか見えないのだ。沖田が剣を振ると、それだけで命を縮めているような気がしてみていられなくなる。そしてそれを相手する野村がどうしてそんなことができるのか、理解ができない。
「相変わらず、集中されると何も見えなくなる」
島田はくすりと笑った。相馬と正反対に沖田が動き回る姿を見ると嬉しそうだ。
「…何故でしょうか」
「うん?」
「何故、土方副長は…沖田先生を、脱退させないのでしょう」
相馬の質問に、島田は少しだけその顔色を悪くした。しかしすぐに取り繕う様に苦笑して、
「それは沖田先生が新撰組にとって無くてはならない存在だからだろう」
と答える。だが、相馬は「それはもちろんですが」と食い下がった。
「沖田先生は、土方副長にとって…その、唯一無二の存在だということは、皆知っていることです。だったら、せめてこんな屯所みたいな騒がしい場所ではなく、静かに静養できる場所に移してしっかりご自愛頂くのが良いのではないかと思うのです」
新撰組が好きで、剣が好きな沖田にとって、身体が自由に動かず、目の前で仕事に励む隊士たちを見ることは逆に苦痛になるだろう。復帰を焦ることで身体に害があってもおかしくない。逆に、病に伏せる沖田を見て隊士たちも気落ちするだろう。しかし、土方はそれでも沖田を傍に置く。敢えて命を縮めてしまうような選択をした。
「私なら…大切な人をこんな戦場に置くような真似はしたくないと思うのです」
大切な人だからこそ、守りたいと願う。だから土方副長が選んだその選択は、間違っているような気がしてならないのだ。
相馬がそう続けると、島田は頭を掻いて困った顔をした。
「…俺にはよくわからない。土方副長が何を意図しているのか、そして、お前が言っていることが正しいのか…わからない」
「そう、ですよね…」
「ただ」
島田は迷いなく、まっすぐ相馬の目を見た。
「土方副長にとって、沖田先生は半身みたいなものなんだと俺は思っている」
「半身…?」
「自分の身体の半分だ。だから、切り離せないし、無くては生きていけない。あの人たちはきっとそれを口にしなくても互いに理解しあっているのだろう」
相馬の目を見ていた島田が、今度は沖田と野村の打ち合いに視線を戻す。相馬もそれにつられて沖田の姿を見た。
病を感じさせない軽々とした動きは本人の性格が滲み出ているのだと、前に永倉新八が言っていた。飄々としていて何にも縛られない天真爛漫な剣はだからこそ素直に実直に放たれる。柔軟な技の繰り出しは誰にも真似することはできない。
(…半身か…)
二人は別々ではなく一つなのだ。だからこそ傍に居るのは当たり前なのだ。
相馬は島田の言い分を少しだけ理解した。冷徹な鬼だと罵られる土方副長の弱さが、この選択を許したのだと言うことを。
そして今度は野村へと視線を移した。野村の剣は少しだけ沖田に似ている。流派に縛られない自由な動きが、飄々としている。生真面目すぎると揶揄される自分とは違う。
「羨ましいのか…」
相馬は無意識に呟いた。誰が羨ましいのかは良くわからなかった。
「相馬」
野村の声で相馬ははっと目を覚ました。うとうととしていた自覚はあったが、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
「…悪い、どうした」
牢から抜け出し数日後、江戸近くの宿場町までやってきた。既に官軍に占領されつつあり、野村と相馬は身を隠しつつ物乞いに身を窶して忍び、その一方で新撰組がどこへ向かったのか情報を集めていた。
「見覚えのある姿を見たんだ」
今日は朝から橋の袂で身を潜めているのだが、野村はある方向を指さした。相馬は目を凝らしてその先を見る。川沿いには人々が行き交い野村が誰を指さしているのかわからない。相馬が首を傾げると野村は相馬の耳元で
「斉藤先生だ」
と囁いた。相馬は「え?」と思わず野村を見るがその顔は確信を持っていた。なのでもう一度指さしていた方向を見る。
すると町人体の男が木に背を置いて腕を組んだ姿で立っていた。着物は普段の見間違いかもしれないが、確かに背格好や顔つきが、新撰組三番隊組長斉藤一に良く似ていた。
「…確かに、似ている」
「だろう?ちょっと行ってみようと思うんだ」
「待て。人違いかもしれない」
興奮しやすい野村を相馬が引き留めた。背格好や顔が良く似ている人など世の中には何人もいる。そんなに都合よく出会えるはずもない。大体、斉藤は負傷者を引き連れて会津へ逃れているはずだ。こんなところで立往生をしているわけがない。
相馬はもう一度目を凝らした。すると町人体の男と目があった。
(…こちらを見ている)
鋭い眼光は確かに斉藤のそれに間違いない。相馬がそれを感じていると、その男は何故かある方向を指さした。
「…橋の、反対側か」
野村がそう言うと、男は通じたかのように頷いてそしてその場所から歩き出す。指さした方向へと向かった。
「相馬、行ってみよう」
「…ああ」
不確かではあるが、ここでじっとしていても仕方ない。二人は足早にその男の後を追った。
「無事で何よりだな」
橋の反対側、人気がない民家の一部屋で男…斉藤はあっさりとその正体を明かした。すでに廃屋となっているのか民家には人の気配がない。野村と相馬はひとまず安堵した。
「斉藤先生はここでなにを…土方副長とご一緒ではないのですか」
相馬が訊ねると、斉藤は少し間をおいて
「…土方副長は新撰組を率いて会津へ向かっている。おそらく戦になるだろうからな…。俺は密命で京都へ向かっているところだ」
「京都?」
思ってもいない答えに野村は声を上げた。戦線は東から北上している。京都へ向かうのは逆行するようなものだ。しかし、斉藤はそれ以上は答えずに
「お前たちは何をしている」
と逆に問うた。そう、本来であれば近藤局長の警護に付き従っていなければおかしい。相馬は口ごもったが、野村は即答した。
「俺たちは土方副長を追うつもりです。近藤局長を助けられなかったことを、ご報告に向かいます」
都に居た時から土方副長の腹心の部下として信頼を置かれていた斉藤は勘が鋭く頭が良い。相馬や野村がたった二人で行動しているということですべてを理解したはずだ。だとしたら隠す必要はない。
相馬はその場で膝を折った。
「お役目を果たせず、申し訳ございません…!」
斉藤の足元で頭を下げる。そして隣に居た野村も同様のことをした。しかし斉藤はすぐに自身の片膝をついて「頭を上げろ」と言った。
「近藤局長が斬首されたことは知っている」
相馬と野村は驚いて顔を上げた。斉藤は特に顔色を変えることはなかった。
「もうその噂は江戸で広まっている。俺はだからこそ、京に向かう」
「…なぜ…」
「近藤局長の首が、京で晒されると聞いた」
斉藤のもたらした情報に相馬は身体中の力が抜けるのを感じた。
近藤局長が斬首になったことは知っていた。けれど、それがまさかあの栄光の場所で晒されるなど…屈辱以上の何ものでもない。新撰組として過ごした数年を甚振られて汚される。それは斬首になってしまった以上に、相馬を青ざめさせた。
指先の感覚が無くなり、手足が震える。吐き気がする。
(死んでも…お詫びできない…!)
生きていることが、恥ずかしいとさえ…
「相馬」
肩に手が触れて、相馬はびくっと反応した。優しいその声色は親友以外の何ものでもなく、そして何故か一番心を落ち着かすことができる声色でもある。
「…斉藤先生は、まさか…」
野村が訊ねると、斉藤は「ああ」と返答した。
「俺は近藤局長の首を取り返しに行く。これ以上、奴らの思う通りにはさせない」
沖田よりも上を行くと言われていた斉藤は、どこか無気力で無関心なところがあった。しかし今はその瞳に力強い決意を秘めていた。
相馬は斉藤の手を取った。そして自分でもどうかしていると思うくらいに、強く握りしめた。
「斉藤先生…!お願いします、どうか…!どうか、取り戻してください…!」
恰好が悪いと思いつつも、相馬は斉藤に縋った。請うことしか、自分にはできなかったのだ。
斉藤は嫌がる様子はなく、
「相馬、任せておけ。そして自分を責めるな」
と穏やかに強く答えた。斉藤の慰めに相馬は安易に頷くことはできない。自分を許せるのは自分自身であり、土方副長のみなのだ。しかし、斉藤の言葉は手足の震えを止める勇気に繋がったのだった。
歴史を基にしたオリジナル小説です。
手持ちの資料等参考にしておりますが、どの説が正しいかよりもどの説が面白いのかを優先して作品に取り入れています。細かな部分で史実と違う部分もあると思いますが、お手柔らかにお願いします。