第2話
いつもの居酒屋、いつもの看板娘、何となく仲良くなった常連客。そして時間になると迎えに来る親友。
「野村っ!」
仁王立ちで、まるで般若の様に険しい顔をした相馬が店の出口に立っていた。野村は「よう」と軽い挨拶をする。
「お前も飲みに来たのか?」
「そんなわけないだろう!もうすぐ門限だ、帰るぞ!」
相馬は暇さえあれば飲みに出かける野村をこうやっていつも探しにやってくる。入隊した時期が同じで、配属された組も同じ。いつからか覚えていないくらい、いつの間にか仲良くなっていた。しかしその性格は真反対だと他の隊士からいつも揶揄された。楽天家で自由気ままな日々を過ごす野村と生真面目で堅物の相馬。何故二人がそんなに仲が良いのか、と不思議がられたこともある。
「あー…もう、そんな時間かあ…」
確かに日も暮れてきた。しかしまだ名残惜しいと席を立つ気配を見せない野村を見かねて相馬がその腕を引いた。無理矢理立たされバランスを崩すと、相馬が「ほら」と肩を貸してくれる。
「悪いなあ」
「そう思っているなら改めろ!いつか切腹になるぞ!」
相馬は眉間の皺を深くしながら店主を呼びつけて「勘定!」と言って懐から小銭を取り出し支払いを終えた。
店を出ると相馬の説教が始まる。「お前はいつもそうやって」という文言から始まる説教を聞くのは何度目になることか。長く終りの見えない説法を、しかし不思議と口うるさいと思うことはなかった。誰かが自分を心配してくれるというのは案外心地よいものだ。
「はいはい、わかぁったよ」
相馬の肩から離れて、野村は千鳥足で歩く。相馬は呆れたように息を吐いた。そして最後の台詞を吐く。
「お前、ちゃんとしろよ」
と。
そしてそう言うと、彼はもう文句は言わないということを野村は知っていた。彼は説教をしても、くどくないのだ。だからこそ、こうして飲み歩きを繰り返してしまうのだが。
「俺はちゃんとしている。相馬、お前がちゃんとし過ぎなんだよ」
「ちゃんとし過ぎってなんだよ」
「酒もやらない、女にも興味ない、興味があるのは剣だけなんて、若人のくせに落ち着きすぎだ」
真面目一辺倒な相馬を、野村がからかうと少しだけ拗ねたように口をすぼませて「ほっておけ」と言った。ぐうの音も出ないようだ。
言い返さないことに味を占めた野村は、酔ったふりをして相馬に凭れかかった。
「なあ、本当に興味ねえの?女とか出世とか。あ、もしかして組頭以上になると別邸が持てるのを狙ってんのか?」
「そんなわけないだろう」
野村が肩に回した腕を、相馬が振り払う。固く引き結んだ表情から察するに特に嘘を付いている様子はない。真面目というよりも堅物だ、と野村は思った。
「いいから、お前はちゃんとしろ」
相馬がそう言って話を締めくくったので、野村は「はいはい」とそれ以上は聞かなかった。
夕暮れが迫る。橙と黒と赤のコントラスト。果て無く続く空の向こうにはきっと幸運が待っているのだと信じていた。
牢を追い出され行く当てもなく、ただ無気力に二人で歩いた。もう何里歩いただろうか。何も話さず、うつむいたまま、目的もなくただただ足を動かした。眩しかった昼の光が夕闇に変わりそして再び訪れた夜の闇と月の光に包まれたころ、相馬が突然その足を止めた。
「…相馬」
野村は乾ききった口をどうにか動かして、彼の名前を呼んだ。かすれた声だった。
彼が立ち止まった事を責めるつもりはない。立ち止まっていたかったのは自分も同じなのだ。
「俺は…本当に、役立たずだ」
真っ暗闇の牢の中で繰り返していた文言を、相馬は外の世界に出ても繰り返す。淡い月の光の元でさえも彼が青ざめていることがわかった。
…結局はまだ自分たちは牢の中にいるのと同じなのだ。野村はそう思った。
「土方副長から近藤局長の助命嘆願を任されていながら…何もできなかった。勝先生の助命嘆願書を届けることさえできないなんて…近藤局長にも土方副長にも…申し訳がない…!」
「相馬…」
「俺は役立たずだ!俺のせいで…俺が、もっと、上手く…くそ、俺のせいだ…!!」
届かなかった嘆願書を握りしめて相馬が嘆いた。膝を折って地面に座り込み、堰を切ったかのように涙を流して嗚咽した。
近藤局長が斬首されたのだと聞かされた時、まったく現実味のない話にしばらく二人で呆然とした。
看守が面倒そうに語った話によると、近藤局長は土方副長との約束を守り、自分を「大久保大和だ」と言い張り続けた。酷い取り調べを受けても頑なにそう言い張る局長に官軍が手を焼いていると、不運な出来事があった。近藤局長の顔を知っている元御陵衛士の薩摩藩士が「近藤勇である」と証言したのだ。すると近藤局長は「そうだ」とあっさりと自分が新撰組局長であると認めたのだという。今までの頑なさが嘘だったかのように、憑き物が落ちたような穏やかな表情ですべてを受け入れたらしい。
しかしそうして近藤局長の正体が明かされたとなれば、つき従っていた野村も助命嘆願に来た相馬も新撰組だということになった。そのため、二人は近藤と同じ斬首になる予定だった。新撰組への恨みは切腹という手段を選ばせてもらえないほどに激しかったのだ。
ところが、近藤が二人の命の保証を嘆願した。
そうして近藤局長の斬首が行われたのちに、解放されたのだということを知った。
「…今ここで、死んで詫びるか?」
野村は嘆き悲しむ相馬に問うた。すると相馬は嗚咽を止めた。
「の、野村…」
「お前がそうするっていうんなら…俺もそうする。近藤局長を助けられたなかったのは俺だって同じだからな」
…不思議と、野村は相馬の様に涙は流れなかった。悔しさや悲しさや無力感は同じようにある。泣きだして、悔しいのだと叫んでしまいたいほどにその重さは圧し掛かっていた。けれど相馬の様に過去を嘆いて悲嘆にくれる性格ではなかったのだ。
常に前を向く。これだけが自分の取り柄だとまだ信じていた。
「けれど、俺はまだ生きたい。まだやることがある」
「やること…」
頬に涙を伝わせた相馬が、見上げるように野村の顔を見た。月明かりの頼りなさではお互いの輪郭を確かめ合うのが精いっぱいだが、しかしそれでも彼の決意はひしひしと伝わった。
「これを…届けなきゃならねえ」
野村は懐から一枚の紙を取り出した。牢から出るときに、看守から渡されたものだ。
「それは…」
「近藤局長の辞世だ」
四つ折りになった懐紙を、野村は開いていなかった。内容はわからないが、きっとこれは辞世の句であり、最期の言葉であり…そして副長への手紙である気がしたからだ。
座り込んだ相馬の前で野村は膝をついた。そしてその落胆した肩に手を置いた。
「…相馬。真面目なお前が、自分を許せないのはわかる。けれど…死ぬのはこれを土方副長に届けてからにしようぜ。処断は、副長次第だ」
自分たちが申し訳なさに駆られ捨て去りたいほどのちっぽけな命は、同時に近藤局長が助けてくれた大切な命でもある。
そう思えばこそ、今は死ぬわけにはいかない、今は前を向いて歩き始めなければならないと強く感じるのだ。
―――近藤局長に背中を押されているかのように。
野村は座り込んだ相馬に、手を差し出した。
「相馬、ちゃんと、しようぜ」
いつも繰り返して言われてきたことを、今度は相馬へ返す。
唖然と野村とその掌を見つめていた相馬だが、次第に苦笑した。
「…いつもと逆だな」
居酒屋で飲み潰れた野村を、こうして手を差し伸べて助けてくれていたのは相馬だった。いつだって引き上げてくれるのは相馬だったのに。しかし今は、野村の手に相馬の手が重なる。 お互いに手を引いて立ち上がった。
「野村」
「何だよ」
「俺は、たぶん役立たずにおわったことは、一生悔いて、恥じて…傷になって膿みつづけるのだと思う」
相馬の表情は歪んだままだ。しかし、もうその瞳はもう涙に濡れてはいない。
「けれど、俺は俺の義を果たすためにもう少しだけ生きる。土方副長の前で切腹してお詫びするのが道理だ」
「…死ぬことは、決まってんのかよ」
相馬は重々しく頷いた。とんだ堅物だと野村は呆れる。しかしその一方で、彼の決意が固いことがうかがえた。
近藤局長に寄り添い牢に入れられた野村と違って、相馬は救出を命じられて果たせなかったのだ。牢の中でずっと握りしめていた嘆願書は彼の無力の証でもある。そんな彼を慰めることは、自分にはできないのだと野村は悟った。
「…わかったよ。取りあえずは、歩こうぜ」
「…ああ」
二人は歩幅をそろえて歩き出す。
月明かりの下を、道なき道をを歩く。その先がどこへつながるのかも知れず。
歴史を基にしたオリジナル小説です。
手持ちの資料等参考にしておりますが、どの説が正しいかよりもどの説が面白いのかを優先して作品に取り入れています。細かな部分で史実と違う部分もあると思いますが、お手柔らかにお願いします。