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第1話

鳥羽伏見の戦の敗戦により江戸へ帰還した新選組は甲州勝沼の戦いでも敗戦を喫し、流山に布陣した。ところが官軍に包囲され、窮地に立たされたため近藤はひとり大久保大和として投降した。



真っ暗闇のこの場所では、今が昼か夜かなんてことは全くわからない。

風も通り抜けることなく、同じ空気ばかりが漂う密室には、まるで現実味のない喧騒と、そして自分ともう一人の息遣いだけが響いていた。

「……生きてるか?」

まるで蚊が鳴くような細い声でそのもう一人が声をかけてきた。いつも大人びていて冷静で、どこか白けたところもある彼がこんなに弱気な声を出すのは初めて聞いた。

「生きてるよ」

そして答えた己の声も案外弱気に聞こえて内心苦笑した。人のことを馬鹿にはできない。

この真っ暗闇の世界に放りこまれて何日経つだろう。先に入っていた自分の元へ、彼がやってきてからどれくらいの時が経った?…その答えもおそらくもう一人の彼も知らない。

目を閉じた。目を開けていても真っ暗闇にいるのだから、閉じている方がいくらか気分がマシだ。

光を閉ざしたはずなのに、しかし瞼には懐かしい眩いほどの思い出が込み上げる。

陽の刺す輝かしい場所を堂々と胸を張って歩いていた。侮蔑を込めた視線を向けられても、それでも有り余る自信には全く関係なかった。それくらい自分が新撰組の一員であるということが誇らしかった頃。

仲間と常に命を張る緊張感にいながら、しかしそこはただただ青春を楽しむ若人たちの希望の場所であった。身分を問わず受け入れ、そしてゆくゆくは武士へと取り立てられる。そんなこと少し前の時代では想像もできなかったけれどそれが実現する。なんて、素晴らしい場所なのだろうと感嘆した。

その後戦争に巻き込まれ、時代が変わったのだと皆が狂い、踊り始めた。

やれ官軍だ、賊軍だと罵られたところで、しかし自分の胸に宿っていた灯はまだ消えることはなかった。

大丈夫だ。

こんなはずはない。こんなことがあってはならない。ようやくたどり着いた夢の居場所は、いつまでもいつまでも自分の居場所であり続ける。仲間が一人死に、一人逃げ出し、一人去って行っても、そう信じ続けていた。

「…相馬」

もう一人の彼の名を呼んだ。暗闇の中でその姿は見えないが、膝を抱えて顔を伏せて嘆いているのだけはわかった。

「せめて、切腹で死なせて欲しいもんだよなぁ」

死を具体的に意識したのはこの暗闇に放り込まれてからだ。

流山から局長・近藤勇とともに官軍へ投降した。軍事訓練に出掛けていたため、流山には数人の隊士しか残っていなかった。抗戦するべきだ、いや、ここで切腹するべきだと議論を交わしていると、近藤局長が至極穏やかな表情で

『大丈夫だ、俺が行く』

と柔らかく、しかし寄せ付けずに断言した。当然何人もの隊士が引き留めた。盟友の土方副長も必死に懇願した。

『それだけはならぬ』と。

しかし多勢の官軍に取り囲まれたその状況を打破する手段をもう何も持っていなかった。

『近藤さんは駄目だ。俺が行く』

副長が何度も何度も説得を繰り返す。だが、頑なにそれを拒否した近藤局長は最後の最後には言い縋る土方副長を怒鳴りつけた。

『駄目だと言っている!』

その険しい表情には既に覚悟があった。そのことはその場に居た隊士皆が感じていた。

土方副長は苦渋の決断を下した。そして何度も『頼むから死に急ぐような真似はするな』と言いつけて、大久保大和として投降する局長を見送った。

(ここまでは…覚えている)

しかしその後の記憶が曖昧だ。

投降する局長に最後まで同行した。途中で帰れと何度も命令されたが、頑なにそれを拒否した。そしていつの間にか罪人のように囚われて、ここに放り込まれたのだ。

「切腹なら上々だろうな…」

その後近藤局長の助命嘆願書を持ってきた相馬肇も、罪人としてこの牢獄に放り込まれた。近藤局長に面会することも叶わず、命を賭して持参した嘆願書も受け取ってもらえないまま彼の手のひらに握られている。それを彼は離そうとしない。

「俺は役立たずだ…」

いつも相馬はそう言って嘆く。自分を責め続ける。近藤局長を助けに行くという使命を果たせないことを悔やみ続ける。

その痛みや悔しさが誰よりもわかる。

どうして、こんなことになった?

「…俺たちは、何かを間違えたのか…?」

そう呟く。すると相馬が

「間違いは…局長を投降させてしまったことだ…」

と憎々しく答えた。しかし「そうじゃない」と返答する。

「俺たちは、俺たちの主君の為に戦ってきた。それはもう三百年も前から変わらないはずなのに…どうして、罪人になるんだよ、おかしいじゃねえかよ…」

死を前にして、相馬は悔やみ悲しみ憎しみを抱く。しかし自分は違った。どうしてここで死ななければならないのか…それがただただ単純にわからないのだ。

「俺たちは何にも間違えてねえよ」

背を向けることも、裏切ることも、逃げ出すこともせずにただただまっすぐに歩き、走り続けてきた。息切れてもまだ先があるはずだと希望ばかりを見出してきた。けれど、この暗闇のなかでたどり着いた先は死だった。それはつまり、どこかで道を間違えたということだ。

だが間違えた覚えなんてない。

間違えたはずはない。

「間違えてねえんだから、胸張って、俺は死ぬよ」

そう言ったのは、相馬への言葉なのか、それとも自分に言い聞かせるためのか、わからない。

わかるのは、傍に居る相馬ほど、自分が落ち込んでいないということだ。

ここで死ぬということに対して全く後悔が無いわけではない。もっと戦いたかった、もっと仲間と一緒に居たかった…そう願う気持ちはある。しかし己の誇りを守って死ぬのなら、案外悪くない気がしてしまうのだ。

「…馬鹿だ」

「それはお前が良く知っているだろう」

長年新撰組として、仲間として、戦友として共に過ごしてきた。一番の親友だとお互いに思っている。だからこそ知っているはずだ。こんな時こそふてぶてしく笑うのが、野村利三郎だということを。

「ああ、良く知っている。お前はいつも前向きだ」

「そしてお前は優秀ぶってるけど、実は後ろ向きだよな」

「ハハ…良い組み合わせだ」

相馬が苦笑するのに合わせて、口元が緩んだ。しかし相馬は「だが」と言葉を重くする。

「俺は…死ねない。近藤局長を助けるまで、そして…土方副長のもとへ戻るまで」

正反対の後ろ向きな性格のくせに、土壇場になると意地を張る。そんな彼のことはよく知っていた。

「そんなのは…当たり前だろう」

「何を話している」

決意を新たにしたところで、重々しい扉が開かれ、真っ暗闇の牢に眩しすぎる光が差した。あまりの光の強さに目が眩み、手のひらで遮った。

やがて視界がはっきりしてくると、そこには憎々しい敵の姿があった。似合わない洋風の服なんかに身を包み、偉そうにふんぞり返る。

相馬は酷く強い憎しみを込めて睨み付けていた。傍に居るだけで殺気が伝わってくるようだ。

しかしそんな姿を嘲笑うようにして、男が牢の目の前に仁王立ちして見下した。

「歯向かうなら歯向かいたまえ。せっかく助かる命を無駄にしたいならな」

「…助かる?」

男の言葉に、驚いた。今まで八つ当たりのような暴言しか吐いていなかったこの看守が、そんなことを言うとは思わなかった。

そしてそれは相馬も同じだったようだ。

「冗談にもほどがあるだろう、新しい嫌がらせか?」

「ふん。情けを有難く受け取ることもできないのか、頭の悪い連中だな」

男は上着から、鍵を取り出した。そして雁字搦めになった牢の鎖を解いていく。そこで、彼が言っていることが本当なのだと悟る。

(まさかこんなことが…)

現実にあるとは思わなかった。生きたいと願っていたけれど、一方で助かる道など既に絶たれたのだと疑わなかった。だから、素直に嬉しいと思った。

しかし、親友はそうではなかった。

唖然と、呆然としているかと思いきや、だんだんとその顔を歪めた。そしてわなわなと身体中が震え始めた。

そしてようやく牢の扉が開いたところで、その唇で看守に問うた。

「…大久保…先生は…」

大久保大和は…近藤局長の偽名だ。

疑いが晴れたのなら、そうだ、助かるなら、局長も一緒のはずだ。

戻れる。皆で新撰組に戻れる。この真っ暗闇の世界から、抜け出して、また光の道を歩むことができる。

ああ、でも何故だ。

何故、心臓の鼓動が、音を立てて、早くなってしまうのだ。

男はその口元をにやりと緩めた。そしてその一言で、また真っ暗闇の悪夢へと引き戻すのだ。

「斬首になったぞ」





歴史を基にしたオリジナル小説です。

手持ちの資料等参考にしておりますが、どの説が正しいかよりもどの説が面白いのかを優先して作品に取り入れています。細かな部分で史実と違う部分もあると思いますが、お手柔らかにお願いします。

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