エゼレッタ村(3)
部屋に朝日が差し込む。
「ううむ……」
ゴウキ先生は眼を覚ました。
「む……? ここは……?」
宿の部屋のようだ。
しかし、他の人がいる。長椅子には若い女性が寝ている。ムシロの上にはジェンが寝ている。
「おお、そうか。途中で気を失ってしまったのだな。迷惑をかけた。う……のどが渇いた……」
部屋の中を見ると、テーブルの上に水差しがあった。先生が起きたらまた水が欲しくなると予想して、ウィリアが置いておいたものだ。
先生はその水を飲み干した。
「う……。小便……。トイレは部屋の外か……」
部屋の鍵は机の上に置いてあった。鍵を開け、外のトイレに向かう。
「ん?」
物音にウィリアが目を覚ました。
ベッドが空になっている。
「あ、先生!」
先生は少しして戻ってきた。
「おはようございます。目が覚められたのですね」
「おお、おはようございます。ウィリアさんと言いましたな。不覚にも道の途中で気を失ったようですが……運んできてくれたのですな。いや、誠にありがとうございます」
「いえいえ。お元気そうでよかったです」
ジェンも目を覚ました。
「あ、先生、おはようございます。調子はどうですか?」
「うむ。特に問題はない。よく眠ったのですがすがしい気分だ。いやあ、お前には迷惑をかけた。ああ、学生たちにもだな……」
「学生たちには説明しておきました。先生、ウィリアにお礼を言ってやってください。鎧も彼女が洗ったのです」
「む、鎧を?」
ゴウキ先生は部屋の隅に重ねられた鎧を見た。王国一重い鎧が、ちゃんと洗われて手入れされていた。
「おお、錆まで落としてくれたのですな。重ね重ねありがとうございます」
「わたしも武具が好きなので、念を入れて洗いました。先生の鎧、最初は厚すぎかと思ったのですが、厚いだけではなくて工夫や機能が込められていて、たいへん見事だなと思いました」
「ふむ。そうかね」
自慢の鎧を褒められて、先生は嬉しそうだった。
「運んでもらった上に鎧まで綺麗にしてもらって……お礼をしたいが、すみませんが、旅の途中で、なにもありませんでな」
「お礼なんていいですよ」
ジェンが言った。
「先生、お礼をしたいなら、彼女に稽古をつけてあげたらどうですか?」
「む? 稽古を? うーん、しかし、女性に稽古は……」
先生は難しい顔をした。
「僕の正体を知られているので言ってしまいますが、彼女はただの女性剣士じゃありません。フォルティス伯爵のお嬢さんです。そして……僕の父が率いていた黒水晶討伐隊にも、参加していました」
「なに? 討伐隊に? そうか。シシアス伯爵の討伐隊で、女性ひとりが生き残ったとは聞いたが、あなたでしたか。フォルティス伯爵のこと、シシアス伯爵のこと、誠に残念でござった……」
ウィリアは頷いて答えた。
「お心遣い、ありがとうございます」
「フォルティス伯爵のお嬢様とは……。なつかしいですな。伯爵とは剣の大会で三回ほどお手合わせしたことがあります。三回とも判定で負けてしまいました。悔しいですが……」
そのとき、ウィリアの古い記憶が呼び起こされた。
「あっ! そういえば、先生のお姿、見たことがあります! 建国祭の剣術大会で、この鎧を着た先生が父と戦っているところを見ました!」
「ああ、見ていたのですか。あのときも制限時間になって、手数で判定負けでした。まあ、仕方ないですけどな」
「失礼ながら、子供でしたので、応援中に眠ってしまいました」
「三十分は長いですからな。あれで体力を使わせてしまって、負けたら申し訳ないと思っていたのですが、さらに二人に勝って優勝して……。負けた側ではありますが、あれには感嘆いたしました」
「はい。わたしもあのときの父の姿を見て、剣を始めたのです」
「そうですか……。わかりました。微力ながら、指導させてもらいますぞ。するとなれば手加減はいたしません。学生と同様にします」
「お願いします」
「ただ、生徒たちの引率があるので、それが終わってからに……」
「そのことですけどね、先生」
ジェンが言った。
「ん? 何だ?」
「病み上がりみたいなものなので、さすがに今日一日は宿にいた方がいいと思います。引率には僕が行きますから」
「いやいや、もう体力は十分だ。これ以上おまえに迷惑はかけられん」
「それが、昨日も生徒たちを引率して行ったのですが」
「あ、そうなのか? 重ね重ねすまんな。それで?」
「鎌鼬が出まして……」
「鎌鼬? そんなのが?」
「治癒師が付いていかないと危険です。どっちみち僕が行くことになりますから、先生は休んでいてください」
「む……だが体調は別に……」
「先生の体力はわかっていますが、治癒師としてはすぐに遠出するのは勧められません。休んでいなくてもいいから、今日だけでも宿にいてください」
「うむ……そうか。仕方ない。ではすまんが頼む。それはそれとして、腹が減ったな。朝食はできているだろうか……」
「そろそろだと思います。行きましょう」
ゴウキ先生、ジェン、ウィリアは部屋を出た。ジェンがウィリアにささやいた。
「先生の具合が良ければ教えてもらうといい。先生は教え上手なんだ」
「はい!」
ジェンは学生をつれて、森へ魔物討伐に行った。
宿には先生とウィリアが残された。
二日戦って一日寝ていたゴウキ先生は、健康そのものだった。朝食をよく食べ、おかわりし、体操をし、宿の回りをランニングした。さらに、宿の薪割りを買って出て、大量の薪を割った。
そのあと王国で一番重い鎧を着込んで、もう一回体操をして、宿の周りをランニングした。
「もう体力は充分回復しもうした。ウィリア殿、やりますか」
「おねがいします!」
「弟子か学生と思って指導します。失礼は御免」
それぞれ練習用の剣を持って、立ち会いを行う。
「わしは見ての通り動きは速くない。そちらからかかって来なさい」
「はい。やーっ!」
ウィリアが踏み込む。
先生の胴を狙う。
先生は体を斜めにし、その攻撃をかわした。
もう一回踏み込む。
先生はまたかわした。
「踏み込みの速度はすばらしい。だが、進路が単調ではかわすのは難しくない。魔物や素人にはいいが、剣士には通じぬぞ!」
「はいっ!」
今度は動きをつけて踏み込む。
先生の体に当たりそうになったが、直前でよけられた。先生の足さばきは素早くはないが、相手に対応する感覚はたしかだった。
何度かやってみる。
今度は先生の体に剣が当たった。しかし、ウィリアも打たれてしまった。
「今の攻撃は、普通の鎧でも効かぬ! 効かぬ攻撃は一手パスと同じだ! 無駄に打つくらいなら、体勢の確保をせよ!」
「はい!!」
ウィリアが攻めてはいるものの、先生の指導は厳しかった。
「ふう……。これくらいにしておこうか」
先生は一息ついて、兜を外した。
「はあ、はあ、はあ……ありがとうございます……」
昼頃から練習を始めて、いつのまにか夕方になっていた。先生は汗をかいているが、息は上がっていない。
ウィリアは地面に四つん這いになって肩で息をしていた。
ウィリアを見ながら、先生が言った。
「さすがフォルティス伯爵のご令嬢よ。ウィリア殿、君はわしが戦った女戦士の中でも最も強い。男でもこれほどはあまりいない。全盛期のフォルティス伯爵にも匹敵するかもしれぬ。もし真剣で戦えば、老いたわしは斃されるだろう」
「あ、ありがとうございます」
「だがまだ、黒水晶の方が強い」
「……」
「見たことはないが、わかる。黒水晶に壊滅させられた討伐隊の中に、教え子が何人もいた。いずれも優秀で、一騎当千の強者であった。彼ら……そしてシシアス伯爵までもやられたという。人間の強さではない。魔神である。ウィリア殿、戦いにはやると、命を落としますぞ」
「……命はいりません。刺し違えることができれば……」
「いや! それは、いかん!」
先生は大声を出した。
「勝とうと思っても負けるのが戦いの世界。刺し違えるなどと半端なことを思っていては、勝てるはずもないし、傷つけることもできぬ。勝てる準備ができてから戦うのだ!」
ウィリアはうなだれた。
「……そうですね。でも、どうすれば勝てるか、想像がつかないのです。どうしたら……」
「黒水晶については、王国全体の問題でもある。ウィリア殿、今は自重せられよ」
「はい……」
ウィリアはやっと起き上がった。
「でも、やはり、鎧が硬いのはいいですね。わたしも次に鎧を作ることがあったら、もう少し厚くしようかな……」
「それもいかん。君は今ぐらいがよかろう」
「え? なぜですか?」
「わしは若い頃に師匠から『君は素早さが足りないが体力はすごい。防御は鎧にまかせて攻める方に集中しなさい』と言われてな。自分に合う鎧を研究した結果こうなったのだ。しかし、適度な重さの鎧で、動きを邪魔しないのが本筋ではある。君は人並み以上の素早さがあるのだから、重い鎧で長所を殺すのはよくない」
豪快な雰囲気とは裏腹に、先生の指導は合理的だった。
そうしていると、森からジェンと学生たちが帰ってきた。
「ただいま。先生、元気そうですね」
「おお、ジェン。ごくろうだった」
そのやりとりを聞いて、学生が言った。
「え? ジェン?」
「あっ」
ジェンも先生もしまったという顔をした。
剣士の学生たちが口々に聞いた。
「ジェンって、あのジェンさんですか!?」
闘技会で三回優勝したあとに、姿を消したジェンのことは剣術学園で語られ続けているらしい。
聞かれて、ジェンは、おどおどとした表情で認めた。
「えー……その……まあ……昔、剣術学園にいた、ジェンだ。偽名を使ってすまない……」
先生が割り込んだ。
「ジェン、すまんな。みんな、彼は自分で人生を決めたのだ。邪魔をしてはいかん。学園に戻っても、このことは他言無用だぞ? いいな?」
学生たちは頷いた。
しかし、剣術学園の学生たちは、伝説の剣士であるジェンを見て興味を抑えられなかった。一人が聞いた。
「ジェンさん、もう、剣は使われないのですか?」
ジェンは力ない微笑みを浮かべながら、頷いた。
「ああ。僕はもう剣は持たないんだ」
「そうですか……」
大剣を使っていた生徒が言った。
「あ、あの、僕はジェンさんの話を聞いて、同じようになりたいと大剣を始めたのです」
「ああ、そうか」
「これを見てください!」
持ってる大剣を出してきた。
「ん?」
「これは、ジェンさんが学生時代に使っていた大剣です。希望して、これを貸与してもらいました」
「ああ……。なつか……」
なつかしさのあまり、ジェンは思わず大剣に触ろうとした。
いろんなことが思い出される。友と練習をしたこと。実戦で使ったこと。
これを最後に振るった日のこと。
ジェンの手が、弾かれるように引っ込んだ。
「……しいね。…………大事にしてくれ」
ジェンの顔はこわばって、蒼白になっていた。
「あっ……。すみません」
大剣の学生は、それをしまった。
見ていたウィリアがゴウキ先生に聞いた。
「学園で使う剣は、学校からの貸与なのですか?」
「基本的にそうだ。でないと、金持ち有利になるからな。とは言え、実戦討伐にも使うので、本職の軍人が使っても十分な質のものだ。卒業時に買い取る学生も多い」
「ジェンさんの剣ということは、その……闘技会で使った剣ですよね。死亡事故が起こった剣をそのまま使っているのですか?」
「縁起が悪いから処分しようという意見もあったが、それを言ったら、通常でも盗賊なんかを殺しているからな。考えたらきりがないということで、再度使うことになった」
夜。星空が広がっている。
ジェンとゴウキ先生は、宿屋の外に出た。
ゴウキ先生が言った。
「ジェンよ。念のため聞くが、やはり領国に戻る気はないか?」
ジェンは穏やかな表情で答えた。
「戻りません。治癒師として、一生を全うするつもりです」
「そうか……。それならしかたない」
「ずいぶんものわかりがいいんですね。甘えるな、くらい言われるかと思ったのですが」
「わしも年を取った。戦いたくないという気持ちもわかる。それにわしも、ライドのことについてはふっきれておらんでな。お前ならなおさらだろう」
ゴウキ先生はジェンとライドの両方に指導をしていた。
「ただし、学園と王国には報告させてもらうぞ。いいな?」
「しかたありません」
「本当は、可能であれば力尽くでも連れて帰れと言われているのだが……」
「力尽くで連れて帰りますか?」
「そうしたい所だがな。お前が本気で抵抗したら、わしは勝てん。学生たちを協力させても、あのお嬢さんがお前に加勢したら全滅するおそれがある」
「……? そうなると、思いますか?」
「まず、ないがな。引率となると責任があるでな。危険をおかすわけにはいかん。それともジェン、抵抗しないか? だったら連れて帰るぞ?」
「あー……。もしかしたら、抵抗してしまうかもしれません」
「そうか。ではやめておこう」
「ところで、明日が実習の最終日なんですよね」
「うむ」
「僕もついていきます。ウィリアも一緒に行けば彼女の修行になるでしょう」
「最後まですまんな。じゃ、寝るか。おやすみ」
「おやすみなさい」